2019年5月18日土曜日

特別展 国宝東寺②(金剛業菩薩)

特別展国宝東寺の最大の見どころは仏像曼荼羅であろう。仏像曼荼羅は立体
曼荼羅とも呼ばれ平面に絵で描かれていた曼荼羅を初めて多くの仏像を規則正しく並べる曼荼羅の世界を約1200年前の京都に出現させた空海プロデュースの仏像空間だ。本展では講堂の仏像21体のうち、なんと15体が東博にお出ましになるとのこと。平成23年の「空海と密教美術展」では来なかった五仏のうち4体と国宝の菩薩4体もすべて揃いじっくりと味わうことができた。普段講堂の後ろの薄暗いところに安置されている一番保存状態がよい金剛業菩薩も360(サブロクマル)で拝観できた。金剛業菩薩をはじめとする四菩薩は平安時代の一木造りの名品でペースト状の木屎漆を塗って毛筋彫りをほどこすなど、天平時代の技法を引き継いでいる。四菩薩それぞれいいのだがやはりグッときたのが金剛業菩薩だった。最近読んでいる「ミズノ先生の仏像みかた」の著者水野先生によると「五菩薩の両ひざが台座の蓮華座からはみ出ているのは奈良時代までにはなかった新しい形で、像が身を乗り出してくるような動きと力を感じさせます」とのこと。仏像の迫力を会場で感じたのはそのことが理由だと納得した。知れば知るほど魅力的な仏像曼荼羅だった。


2019年5月12日日曜日

令和京都非公開文化財特別公開③(積善院の不動明王)

令和京都非公開文化財特別公開で訪問するお寺を物色していたとき、朝日新
聞デジタルの聖護院・積善院の記事が目に留まった。見出しに「法難を越えめぐり合った積善院の不動明王像公開へ」とあり積善院は聖護院八ツ橋でおなじみの聖護院の塔中だという。東福寺塔中同聚院訪問を予定していたので、京阪最寄駅から歩いて10分の聖護院を訪問先に決めた。同聚院で康尚の不動明王を拝観してから京阪で神宮丸太町駅で降り途中聖護院八ツ橋の店で道を聞きながら聖護院へ到着した。聖護院は拝観者も多くお目当ての不動明王もよく拝観できなかったので早めに積善院へ向かった。京都非公開文化財特別公開でおなじみの学生風の女性がファイルを見せながら手際よく説明してくれた。ここには明治の神仏分離令と修験道廃止令を経て四つの寺が合併され、積善院に集めまつられるようになったという。積善院の本尊は平安時代後期の秀作とされる重文の不動明王。その後ろに光格天皇勅願の高さ4メートルの準提観音が安置されており難陀竜王の兄弟が脇を固める。他には役行者と最近十二一重の衣の下から江戸時代の姿が見つかった弁財天も祀られていた。令和京都非公開文化財特別公開の最後に素晴らしい仏像に出会えて、帰りに聖護院八つ橋のお土産を買って京都駅に向かった。



2019年5月6日月曜日

令和京都非公開文化財特別公開②(安祥寺の十一面観音)

令和の時代になったこの春、京都山科にある、あるお寺が仏像ファンの注目を浴びることとなった。そのお寺とは平安時代初期に藤原順子皇太后により創建された安祥寺だ。まず3月に安祥寺の五智如来が国宝に指定され、現在開催中の「特別展東寺」出展の観智院五大虚空蔵菩薩も元は安祥寺にあった仏像とのこと。4月の京都非公開文化財特別公開で安祥寺の十一面観音や四天王が公開されるとの発表があった。私はそれらの仏像を京都と上野で見ることになるが、まず向かったのが非公開文化財特別公開で沸く安祥寺だ。私が春に京都に出かけようと計画したきっかけがこの安祥寺の十一面観音だ。京都に着き山科駅におり毘沙門堂への道しるべを頼りに進み琵琶湖疎水を眺めながらまっすぐ安祥寺の参道に向かった。新緑が眩しい森の中に安祥寺本堂が立っていた。安祥寺は普段は非公開なお寺だが、この日は本堂の中に入れて秘仏の十一面観音の厨子も開いていた。入口でもらった朝日新聞の京都非公開文化財特別公開特集記事の見出しにも「凛とのびやか252センチの一木彫像」との見出しがあり充分見ごたえがある観音像だ。御厨子の左横の扉も開いており、斜め横から見る観音像の美しさに息をのんだ。一木造りの観音像だが前傾姿勢をとっている。ネットによると大きく歪曲した榧(かや)材の霊木を使用したと考えられるとのこと。また以前は乾漆との併用の仏像で奈良時代後期の製作で今は廃寺となった山科寺に国宝の五智如来とともに安置されていたという。高齢ながらかくしゃくとしたご住職からありがたく令和元年の御朱印をいただき感動冷めやらぬ中、隋心院に向かった。

2019年5月1日水曜日

令和元年京都非公開文化財特別公開①

今日、令和時代が始まる日に非公開文化財特別公開を見に京都に来ている。
今年の春の公開では通常非公開の安祥寺の十一面観音が公開される他、随心院の秘仏如意輪観音も公開される。安祥寺の十一面観音に感動し令和の御朱印を頂き随心院に向かった。随心院は小野小町の伝説に彩られ小町をモチーフにした屏風も飾られていたが、目的は仏像なので、本堂に向かう。秘仏如意輪観音や快慶の金剛薩埵は本日は特別に間近から拝観となった。黒い線香の色の下の金箔が確認できるほどだ。如意輪観音は空海が唐から持ってきた曼荼羅に描かれている密教的な六臂の観音で非常に官能的な表現で表されている。鎌倉で如意輪観音にひかれた私とU案内人はその後も多くの如意輪観音に出会うのだが、官能的表現とは主に二つで、中宮寺像で名高い思惟のポーズと片膝をたてている点にある。またしても心に残る如意輪観音と出会えて、やはり非公開文化財特別公開に来て良かったと思った。

2019年4月30日火曜日

平成31年国宝・重文展①

仏像クラブで東寺展鑑賞後、最後に向かったのが「平成31年国宝・重文展」
だ。仏像は例年の通り本館11室に展示されているので、14室の「密教彫刻の世界」鑑賞後移動した。今年は京都国立博物館に寄託されている安祥寺の五智如来のうち3体(大日如来、阿弥陀如来、不空成就如来)が展示されていた。文化庁の解説から平安前期の仁寿から貞観のころの製作という。いわゆる貞観仏で神護寺の薬師如来と同時期の製作となるが、特徴である近寄りがたい怖さは感じられず、とても穏やかな密教仏だ。安祥寺は皇后藤原順子の寄進により創建、伽藍が整備され、今は荒廃した上寺に収められていたのがこの五智如来だ。女性の寄進により製作された仏像なので穏やかな顔つきをしているのであろう。そのほかに唐招提寺から薬師と獅子吼(ししく)菩薩はきていたが一緒に国宝にしてされた衆宝王菩薩や増長天は来なかった。重文では見仏記でおなじみに香薬師寺おたま地蔵も景清地蔵とともに展示されていた。詳しくは次回紹介したいと思う。東寺展・密教彫刻の世界・国宝・重文展と非常に充実した展示に満足し昼食によったそばやで大いに語り合った仏像クラブの面々だった。

2019年4月28日日曜日

特集密教彫刻の世界

平成館で東寺展を拝観したあとわれわれ仏像クラブ一行が向かったのが本館
14室に展示されている特集密教彫刻の世界だ。こちらでは東寺展の関連特集と位置付けられており、東博の館蔵品を中心に中国・日本・チッベットの仏像が展示されていた。VRシアターで見た「三蔵法師の十一面観音」でおなじみの多武峰伝来の中国唐時代の十一面観音から東寺の大日如来の鎌倉時代の姿を模した運慶の光得寺大日如来などが展示されていた。U案内人が見過ごしそうになるのを呼び止めて鑑賞した、チベットの仏像も展示されていた。平成29年に東洋館で見た「特集チベットの仏像と密教の世界」の出展品の一部が展示されていた。チャクラサンヴァラ父母仏立像は男女抱擁する姿の仏像で父母仏の代表的な作品のひとつだ。インドにおける女神信仰の高まりを受け、仏に配偶者を考え出したことにより父母仏が造られるようになった。守護尊が妃と交わることで曼荼羅の世界を構成する仏たちを生み出すと考えられていた。小冊子「東博ニュース」で学芸員は「壮大な密教仏の世界をご体感いただければ幸いです。」と結んでいる。密教仏の世界を堪能し次の11室での「国宝・重文展」に向かった。

2019年4月21日日曜日

特別展 国宝東寺①

本日(20日)仏像クラブで現在上野の東博で開催中の特別展「国宝東寺」を
鑑賞しに出かけた。平成23年にも東博では「空海と密教美術」展が開催されたが、今回は副題に「空海と仏像曼荼羅」とあるように空海の思想に寄った展示となっている。それをもっともよく表しているのが第一章「空海と御七日御修法(ごひちにちみしほ)」で宮中で空海が行った国家安泰を祈る修法を再現したところだろう。次の曼荼羅のコーナでは保存状態のよい西院曼荼羅は26日からなので、恵果阿闍梨から空海に授けられた曼荼羅の2回目の複写本が展示されていた。平成になりかなり修復したあとが見られ痛みは激しいが何とか両界曼荼羅の大日如来の姿が確認できた。第三章「東寺と信仰の歴史」のコーナーからがぜん興味わく展示が並び、鎌倉時代の八部衆のお面や兜跋毘沙門天、U案内人がよかったと言った「西寺の地蔵菩薩」など東寺展ならではの展示が並んだ。最期の章はU案内人と訪れた東寺観智院で見た五大虚空蔵菩薩と空海の立体曼荼羅の世界だ。帝釈天は撮影OKとのことで多くのカメラマンに囲まれまるで今回購入したフィギュアと見間違えるようだった。今回の展覧会では平安時代の密教美術が中心だったので、金堂の桃山時代の日光・月光や十二神将が展示されていないのが残念だった。帰りにフェリシモおてらぶ製作の金剛杵ペンケースを購入して東博本館で関連展示されている「密教彫刻の世界」に向かった。

2019年4月14日日曜日

運慶展⑬(浄瑠璃寺の十二神将)

運慶展の最後を飾るのが浄瑠璃寺の十二神将だ。運慶展開催前に静嘉堂文庫より運慶没後の年号が入った墨書がみつかり問題となった仏像だ。十二神将との出会いは東博11室からであった。明治期に東博に5躯、静嘉堂文庫美術館に7躯分けて保管されるようになった。その後静嘉堂文庫美術館でも修理が終わった4躯の十二神将の展覧会が平成28年に開催され仏像クラブで見に行ったが、最後に残った亥神の頭部から問題の墨書が見つかった。展覧会場では70センチ強の像がひとつひとつガラスケースに収まり照明も当てられ十二神将すべてが揃う様は圧巻だった。図録では静嘉堂文庫の発表にも触れ、運慶の子息や周辺の慶派仏師の作との説明だが、運慶没後のわずか5年後であることから運慶が構想し定慶ら息子たちに造らせたとは考えられないだろうか。浄瑠璃寺の薬師如来の周囲に江戸時代までは並べらていたとのことで、いつか薬師如来と一緒に拝観できる日を夢見て展覧会場をあとにした。


2019年4月7日日曜日

快慶展⑩「青蓮院の兜跋毘沙門天」

兜跋毘沙門天と言えば現在東博で開催中の特別展「東寺」に出展されている
平安時代の仏像を思い起こさせるが、鎌倉時代に何と快慶の手でつくられたのがこの青蓮院の兜跋毘沙門天だ。宝冠をかぶり、外套状の金鎖甲を着け、二鬼を従えた地天女が両足を捧げ持つお馴染みのポーズで表されている。東寺像と違い瓔珞に銅製鍍金であらわされているのもこの像の特徴だ。図録で奈良博の山口氏によると細部まで神経のゆきとどいたまとまりのよい作風に快慶の特色がはっきりとあらわれているとのこと。昨年東博で開催された「大報恩寺展」で快慶と弟子行快の耳の形の違いについて学んだが、この青蓮院像でも毘沙門天と地天女に行快の彫り癖が表れているとのこと。このことからも快慶の一番弟子は行快ということに気づかされる作品だった。

2019年3月31日日曜日

運慶展⑫(東福寺の多聞天)

快慶展から2年運慶展から1年半が経とうとしているが、いまだにすべての
作品を紹介できないほど、多くの仏像を見た。今回紹介する東福寺の多聞天も運慶作ではないかと言われる仏像だ。NHKの「運慶とは何者だ」という番組内でもこの多聞天が取り上げられ、CTスキャンの結果玉眼の抑え木が無著像と似ているという事実が紹介された。運慶展の図録ではその点が触れられていないが、新たに読み返してみると他にも着衣の部分で運慶作品を示唆することがある。それはすね当てをほとんど覆うように袴を足首近くまで下す点で、興福寺の南円堂の多聞天や金沢文庫運慶展で見た曹源寺の巳神にも見られるとういことだ。山本勉先生も高野山八大童子に似た運慶風が顕著と別冊太陽「運慶」で説明しておりまず運慶作と見て間違いないのではと思う。東福寺を訪ねる機会があればまたじっくりと拝観したいと思う。

2019年3月24日日曜日

蓮花寺の十一面観音

今週のお彼岸の中日に仏像クラブで目黒碑文谷と大田区蒲田の仏像を見に出
かけた。朝はあいにくの小雨交じりの天気で初めに目黒区碑文谷の円融寺に向かい、黒不動を見る予定だったが、二重のガラスで生憎光ってよく見えなかったので、早々に大田区蒲田蓮沼の蓮花寺に行くことになった。蓮沼に着くころには青空が広がり春の日差しの中、本日御開帳の十一面観音を見に近くの蓮花寺に向かった。お寺に着くと檀家の法事の最中で12時までとの案内でしばらく境内で待たせてもらった。蓮花寺は寺伝によると恵心僧都による開創で鎌倉時代に蓮沼法師が中興したという。蓮沼法師は以前仏像クラブでも出かけた荏原郷の地頭であったが訳あって出家したとのこと。法事も終わり間近で拝観することができたが、像高90センチの観音様だが、穏やかな目をして心洗われる気持ちになった。秘仏のため保存状態もよく口元に紅が造立当時の面影を残す。親切なお寺の女性に取次を頼み御朱印をいただいてお寺をあとにした。蒲田の寿司屋で特上の寿司をいただきながら今見た観音様について熱く語る仏像クラブの面々だった。


2019年3月17日日曜日

快慶展⑨知恩寺阿弥陀如来

奈良博で開催された特別展「快慶」では銘記は内部からなかったが、
作風から快慶作と思われる仏像も出展されていた。平成18年に新たに見いだされた京都百万遍知恩寺の阿弥陀如来もそのひとつだ。この仏像を初めて見たのは大津市歴博で開催された「比叡山展」でその頃は後世の補色で黒っぽい色をしていたが、快慶展出展のおりにはその色もなく快慶得意の金泥塗のきれいな仏像となっていた。主催者の山口奈良博学芸員によると、肉付きのよい面部や厚みのある体躯、着衣部にほどこされた截金(きりがね)文様の趣致もふくめ、遣迎院像に極めて近いとのこと。よく見ると快慶作と判別できる耳の彫り方をしており、展覧会では同じ会場に展示されたいたのでわかるように工夫されていた。二度とない機会にじっくりと鑑賞すればよかったと今になって後悔している。

2019年3月10日日曜日

運慶展⑪(清水寺の伝観音・勢至菩薩)

2017年に東博で開催された「特別展運慶」の第二会場には運慶作とは確定し
ていないが、作風が運慶との可能性がある仏像が息子たちの作品と一緒に展示されていた。山本勉先生も別冊太陽「運慶」でとりあげていたのが、京都清水寺の伝観音菩薩と勢至菩薩だ。最近購入した「慶派の仏たち」の著者根立氏によると頬の張りや堂々とした体つきに運慶風が見られる。特に着衣の処理が横須賀の浄楽寺の観音・勢至菩薩にそっくりとのこと。山本先生も円成寺の大日如来までさかのぼるごく初期の運慶作品の可能性を指摘している。最近見仏記を読み直してみたが京都清水寺の記載してある「ゴールデンガイド篇」にみうらじゅんのイラストでこの伝観音菩薩を発見した。前回U案内人といった清水寺は夜桜見物だったので本尊しか拝めなかったが、秘仏のオンパレードとの記載もありあらためて仏像目当てで清水寺を訪れたいと思った。

2019年3月3日日曜日

快慶展⑧(隋心院の金剛薩埵)

一昨年奈良で開催された快慶展には快慶作の仏像だけを集めた展覧会だった
が、京都山科小野の隋心院からは金剛薩埵像が出展されていた。実は私は平成21年に隋心院を訪れ金剛薩埵像を拝観していた。目の前にずらりと九体の仏像が並んでおりその中の一つが金剛薩埵像だった。黒く細い胴、堅固不壊なる菩薩心を表す金剛五鈷杵を右手にもって胸に当て、左手に衆生を驚覚歓喜させる金剛五鈷鈴を持つ姿で表現されていたが、展覧会では宝冠は外され持物を持たない姿で展示されていた。確かに快慶の彫刻を見るには後補の持物はいらないが金剛薩埵の尊格を理解するのにはやはり持物を持たせた方が良かった。展覧会の功罪を考えさせられる仏像であった。

2019年2月23日土曜日

妙傅寺の弥勒菩薩半跏像

昨年の秋に訪れた大津市歴史博物館で開催された「神仏のかたち」展では
大津市湖信会十社寺の仏像が展示されていたが、それに交じって大津市歴博に寄託されている京都市八瀬にある妙傅寺(みょうでんじ)の弥勒菩薩半跏像も出展されていた。一昨年の正月のNHKのニュースで「古代朝鮮仏発見」というテロップで紹介されたようだが、私はそのニュースを見逃しており、あとからネットニュースで知った。専門家が調査したところ前髪を中央で二つに分けたところや、足の中央にあるとぐろ巻きの飾りなどから七世紀の古代朝鮮で製作されたもので間違いないであろうとのこと。木彫の仏像が多く並ぶ展示会場において銅造鍍金の仏像は珍しく像高50センチあまりの小像だが、異彩を放っており会場で目立っていた。図録によると「面相は妖艶な表情を持ち、左肩から腹部には隋や唐時代の菩薩像に見られる珍しい衣をつけています」と記載してあった。仏像のかたちがテーマの美術展のため図録にも工夫があり、仏の瀬谷さんが芸術新潮の運慶仏特集で使用した図版吹き出し解説が用いられており、わかりやすかったが大阪大と東博のチームが言っている髪型や中央の飾りの解説はなかった。朝鮮三国時代の仏像は東博の特別展「ほほえみの御仏」以来2度目だがもっと多くの古代朝鮮の仏像を見てみたい気持ちになった。古代朝鮮と古代日本のつながりに思いを馳せながら会場をあとにした。

2019年2月17日日曜日

特別展「京都大報恩寺快慶・定慶のみほとけ」⑥(定慶の地蔵菩薩)

昨年東博で開催された特別展「大報恩寺快慶・定慶のみほとけ」の最後の展示がこの
大報恩寺に伝わる地蔵菩薩だ。主催者の皿井主任研究員によると「作者不明で、京都市の指定にさえなっていないお地蔵様ですが、顔の輪郭や鼻梁が強調されている鼻、直線的な上まぶた、耳の形まで准胝観音そっくり。(中略)観音像と地蔵像は一対でつくられることも多く、定慶作と考えても良いのではと思っています。」とのこと。私も展覧会場に入る前にこの文章を読んでいたので准胝観音と地蔵菩薩を会場で見比べて拝観したが定慶作と思った。観音と地蔵一対といえば三浦にある満願寺の観音地蔵を思い出すが、息子の定慶が父運慶の作品を意識して残したことも考えられる。京都の奥深さを感じさせる作品だった。

2019年2月10日日曜日

十楽寺の阿弥陀如来

昨年の11月に甲賀三大佛を巡ったとき2番目に訪れたのが十楽寺であった。お寺の方の話では予約は不要だが団体が拝観するがそれでよければどうぞとのことだった。櫟野寺から20分とのことで私は歩いて20分と勘違いしていた。そのあとネットで甲賀三大佛HPを見たら櫟野寺からかなり遠いことがわかり当日出発前にタクシー運転手にスケジュール変更をしてもらい十楽寺を回ってから櫟野寺へ向かうコースに変更した。十楽寺に着き本堂に入ると日本最大級の平安時代の阿弥陀如来の座像が安置されていた。絵葉書などなく写真を撮ってよいとのことだった。阿弥陀如来や法隆寺と十楽寺にしかない釈迦が袖の下から誕生する摩耶夫人の立像を写真に収めた。団体と一緒の拝観のため御朱印をもらうのに時間がかかったがその分この寺にはみるべき十一面観音や救世観音座像などもありお寺をじっくり拝観できた。甲賀の里にはこの様な仏がひっそりと祀られているのを感じ櫟野寺へ向かった。


2019年2月2日土曜日

比叡山延暦寺至宝展②(六観音)

昨年の秋「京都・滋賀旅行」で最初に訪れた比叡山で開催された「比叡山延
暦寺至宝展」で江戸時代の六観音に出会った。大報恩寺の六観音と違い座像の宝冠を被った仏像だった。六観音は六道からの救済を目的に制作されたが、大報恩寺の六観音は真言の六観音なので、如意輪・准胝・十一面・千手・馬頭・聖観音だが、比叡山至宝展の六観音はどれも同じのように見えた。六観音が初めて登場したのが中国・隋の時代でその時にはすべて聖観音で作られていたとのこと。江戸時代だが見ごたえのある仏像だった。

2019年1月27日日曜日

特別展顕れた神々~中世の霊場と唱導~:後編(佛法紹隆寺の普賢菩薩)

県立金沢文庫で開催された特別展「顕れた神々~中世の霊場と唱導~」には
何点か神像のような仏像も出展され、昨年金沢文庫「運慶展」に出展された話題となった不動明王がある佛法紹隆寺から普賢菩薩が出展されていた。以前、信州の仏像写真集に掲載されたお寺を巡り信州を旅したことがあったが、1回の旅では見切れない仏像の多さを感じた。前回の旅では長野善光寺近辺の寺々を巡ったので諏訪地区にある仏法紹隆寺は訪れなかった。普賢菩薩はもとは諏訪大社の妙法院に伝来していた像で、鎌倉時代に制作された。佛法紹隆寺は諏訪大社の別当や諏訪高島藩主の祈願所などを務めていた古刹のため伝来したと思われる。長野市の長谷寺の御住職のお話だとまだまだみるべき仏像があるみたいなので、またいつか訪れたいと思う。

2019年1月19日土曜日

特別展顕れた神々~中世の霊場と唱導~:前編

県立金沢文庫で今週の月曜日まで開催されていた特別展「顕れた神々~中世
の霊場と唱導~」に今週日曜日に出かけた。閉会間近ということで、図録は購入することができなかったが、解説もかかれておりよく理解できた。1階には前田青邨、白洲正子旧蔵の十一面観音が伊豆山権現の青銅の神像の横に展示されてあった。平成23年の世田谷美術館開催の「白洲正子展」に出展されたとき鑑賞して以来の再会だ。当時は図録にも詳細が記載されていなかったので解らなかったが、金沢文庫発行の補助解説冊子によると平安時代の作で神仏習合により神像と仏像のそれぞれの特徴が混在したような仏像の代表作として展示されていた。十一面観音は素木造りで細部が省略された仏像。頭部の化仏がのっぺらぼうなのは当時摩滅したと思っていたが、ネットによると仏が今まさにあらわれようとする瞬間を表した霊木仮験の表現とのこと。展覧会のタイトルにふさわしい仏像だ。その他春日神と箱根神の可能性がある東博の文殊菩薩に似た阿弥陀寺の文殊菩薩も展示されていた。多くは神や神の志現を表した絵画作品が展示されたいたが仏の瀬谷さんが「カナチャンTV」で日本のすべての神様にお出ましいただいたと豪語する展示内容となっていた。学芸員の説明は最後のほうしか聞けなかったがこじんまりまっとまった金沢文庫らしい展覧会だった。

2019年1月13日日曜日

特別展「京都大報恩寺 快慶・定慶のみほとけ」⑤(定慶の六観音)

私が初めて大報恩寺を訪れたのは、平成21年紅葉真っ盛りの京都で、霊宝殿で見た六観音の素晴らしさに感動し、そのあと本堂釈迦如来の御開帳のおりにも拝観した。昨年東博で大報恩寺展が開催されより深く知ることができた。大報恩寺には由来不明の仏像が多く、この六観音もそのひとつであるが、展示では近くの足利義満創建の北野経王堂の洛中洛外図の展示もあり、この六観音が北野経王堂から移座されていることを示唆している。会場では六観音の光背を外した展示がされており右から如意輪・准胝・十一面・馬頭・千手・聖観音となっている。作品は肥後定慶の統率のもと門下の仏師と快慶一門や他の慶派の仏師が総動員で鎌倉時代に製作された。このなかで准胝観音のみ定慶の墨書があり彼自身が携わって製作されたとのこと。学芸員の皿井氏によると「運慶と作風が非常によく似ていて、頬のふっくらした丸み、その柔らかさまで伝わってくるような立体、質感表現の巧みさは運慶八大童子にも見られる」とのこと。カメラスポットである聖観音像の写真をとり、最後の展示に向かった。

2019年1月4日金曜日

大池寺の釈迦如来

昨年の11月に櫟野寺の開帳に行こうと櫟野寺HPを調べていたら甲賀三大佛
の紹介ページにリンク出来たので、今回は櫟野寺だけではなく三大佛も一緒に見ようと計画していた。そのことをU案内人に話すと大池寺には学生時代に訪問し、小堀遠州の庭にいたく感動したとのこと。こちらは仏像がメインだが庭も素晴らしいらしいので写真に収めてこようと思った。JR西日本のローカル線で三雲駅におりタクシー会社の小さな事務所でタクシーに乗り換え大池寺に向かった。よく整備された参道を通り、入口から本堂へ向かう途中に蓬莱庭園と呼ばれる庭に面した部屋で一休みした。息をのむような美しい庭で中央にサツキの大刈込がある凝った庭の造りになっており、ちょうど紅葉が見ごろで、もみじが真っ赤に染まっていた。仏像は本堂にあり、行基作と伝えられた丈六の釈迦如来があり見ごたえがあった。甲賀三大佛の最初で幸先がよくよいお寺を参拝できてこの後期待が高まり、タクシーを待たせてあったので、お寺をあとにした。