2019年2月23日土曜日

妙傅寺の弥勒菩薩半跏像

昨年の秋に訪れた大津市歴史博物館で開催された「神仏のかたち」展では
大津市湖信会十社寺の仏像が展示されていたが、それに交じって大津市歴博に寄託されている京都市八瀬にある妙傅寺(みょうでんじ)の弥勒菩薩半跏像も出展されていた。一昨年の正月のNHKのニュースで「古代朝鮮仏発見」というテロップで紹介されたようだが、私はそのニュースを見逃しており、あとからネットニュースで知った。専門家が調査したところ前髪を中央で二つに分けたところや、足の中央にあるとぐろ巻きの飾りなどから七世紀の古代朝鮮で製作されたもので間違いないであろうとのこと。木彫の仏像が多く並ぶ展示会場において銅造鍍金の仏像は珍しく像高50センチあまりの小像だが、異彩を放っており会場で目立っていた。図録によると「面相は妖艶な表情を持ち、左肩から腹部には隋や唐時代の菩薩像に見られる珍しい衣をつけています」と記載してあった。仏像のかたちがテーマの美術展のため図録にも工夫があり、仏の瀬谷さんが芸術新潮の運慶仏特集で使用した図版吹き出し解説が用いられており、わかりやすかったが大阪大と東博のチームが言っている髪型や中央の飾りの解説はなかった。朝鮮三国時代の仏像は東博の特別展「ほほえみの御仏」以来2度目だがもっと多くの古代朝鮮の仏像を見てみたい気持ちになった。古代朝鮮と古代日本のつながりに思いを馳せながら会場をあとにした。

2019年2月17日日曜日

特別展「京都大報恩寺快慶・定慶のみほとけ」⑥(定慶の地蔵菩薩)

昨年東博で開催された特別展「大報恩寺快慶・定慶のみほとけ」の最後の展示がこの
大報恩寺に伝わる地蔵菩薩だ。主催者の皿井主任研究員によると「作者不明で、京都市の指定にさえなっていないお地蔵様ですが、顔の輪郭や鼻梁が強調されている鼻、直線的な上まぶた、耳の形まで准胝観音そっくり。(中略)観音像と地蔵像は一対でつくられることも多く、定慶作と考えても良いのではと思っています。」とのこと。私も展覧会場に入る前にこの文章を読んでいたので准胝観音と地蔵菩薩を会場で見比べて拝観したが定慶作と思った。観音と地蔵一対といえば三浦にある満願寺の観音地蔵を思い出すが、息子の定慶が父運慶の作品を意識して残したことも考えられる。京都の奥深さを感じさせる作品だった。

2019年2月10日日曜日

十楽寺の阿弥陀如来

昨年の11月に甲賀三大佛を巡ったとき2番目に訪れたのが十楽寺であった。お寺の方の話では予約は不要だが団体が拝観するがそれでよければどうぞとのことだった。櫟野寺から20分とのことで私は歩いて20分と勘違いしていた。そのあとネットで甲賀三大佛HPを見たら櫟野寺からかなり遠いことがわかり当日出発前にタクシー運転手にスケジュール変更をしてもらい十楽寺を回ってから櫟野寺へ向かうコースに変更した。十楽寺に着き本堂に入ると日本最大級の平安時代の阿弥陀如来の座像が安置されていた。絵葉書などなく写真を撮ってよいとのことだった。阿弥陀如来や法隆寺と十楽寺にしかない釈迦が袖の下から誕生する摩耶夫人の立像を写真に収めた。団体と一緒の拝観のため御朱印をもらうのに時間がかかったがその分この寺にはみるべき十一面観音や救世観音座像などもありお寺をじっくり拝観できた。甲賀の里にはこの様な仏がひっそりと祀られているのを感じ櫟野寺へ向かった。


2019年2月2日土曜日

比叡山延暦寺至宝展②(六観音)

昨年の秋「京都・滋賀旅行」で最初に訪れた比叡山で開催された「比叡山延
暦寺至宝展」で江戸時代の六観音に出会った。大報恩寺の六観音と違い座像の宝冠を被った仏像だった。六観音は六道からの救済を目的に制作されたが、大報恩寺の六観音は真言の六観音なので、如意輪・准胝・十一面・千手・馬頭・聖観音だが、比叡山至宝展の六観音はどれも同じのように見えた。六観音が初めて登場したのが中国・隋の時代でその時にはすべて聖観音で作られていたとのこと。江戸時代だが見ごたえのある仏像だった。