2021年12月29日水曜日

特別展「最澄と天台宗のすべて」③(願興寺の薬師如来)

 

2015年夏に願興寺を訪れたが、秘仏の薬師如来は拝観できなかった。特別展「最澄と天台宗のすべて」では全国の天台系寺院の秘仏が出展されるということで、東京展のポスターには法界寺秘仏薬師如来とともに、東京展のみの出展の願興寺薬師如来が使われていた。願興寺は最澄が自刻の薬師如来を安置したことに始まる古刹と伝わるが、境内から発見された瓦から寺の創建は飛鳥時代末から奈良時代初頭にさかのぼる。本像は頭体主要部分を前と後ろに分ける寄木造で最澄の時代よりのちの製作で仏師定朝が完成させた技法が用いられている。6年越しに秘仏に出会い大満足の展覧会であった。

2021年12月18日土曜日

浅草寺のみほとけ②(大威徳明王)

 

特集「浅草寺のみほとけ」は今週末で長い展示期間を終えるが、どの仏像も自由におおらかに作られた造形だと思った。ここに紹介する「大威徳明王」はインドではヤマータンカと呼ばれ、その名のとおり冥界の王ヤマ神を調伏するため、文殊菩薩が変化した明王とされる。そのためヤマ神の乗り物である水牛に坐した姿で表される。有名の平安時代の東寺大威徳明王はその姿を忠実に再現した像となっている。ところが鎌倉時代の浅草寺にかかると大威徳明王がまたがる水牛は普通の牛になり、直立した状態で表されている。足が6本あるため、日本では六足尊ともよばれているが、この点は忠実に彫られている。大威徳明王が6脚すべてを左右に垂らす姿勢も類例が少なく、東博解説では「なにか特殊な典拠があったかもしれません」と解説しているがこれも私は自由な表現とみた。非常に興味深い仏像群であった。

2021年12月11日土曜日

京都・奈良2021④(唐招提寺の弥勒仏)

 

霊山寺の拝観を終え、バスと電車を乗り継ぎ西ノ京駅に向かった。近鉄西ノ京駅は薬師寺の境内の近くにあるが、昼食を済ませてから唐招提寺に向かった。唐招提寺境内も紅葉が進んでおり、絶景スポットの写真を撮りながら仏像を拝観した。2010年に訪問してから10年ぶりに本尊毘盧遮那仏や薬師如来・千手観音を拝観したが古色蒼然とした八世紀の仏像に圧倒された。毘盧遮那仏は像高3メートルで圧倒された。いとうせいこう氏も見仏記の中で仏像の質感を皮膚とたとえながら「我々と同じく皮膚をもったまま千年の時を経ている像を前に、親しみと畏怖の念をいだかざるを得ない」といっている。金堂を出て講堂に向かうと鎌倉時代の弥勒仏と奈良時代の釈迦のようなヒゲをもつ弥勒仏と奈良時代の持国天・増長天が祀られていた。弥勒仏は寄木造で奈良時代の本尊を模してつくられたとのこと。鎌倉時代の本尊の脇侍が奈良時代の天部というところに面白みを感じた。鑑真和上のお身代わりや宝蔵の仏像を見て。飛鳥園の写真集を購入して急いで薬師寺に向かった。



2021年12月4日土曜日

特別展「最澄と天台宗のすべて」②(法界寺薬師如来)

 

特別展「最澄と天台宗のすべて」は東京・九州・京都の三会場でそれぞれ展示が違うが、秘仏の法界寺薬師如来は東京・京都のみの展示だ。東博の皿井学芸員によると天衣に彩られた截金文様をよくみなさんに見てもらうため小さな展示ケースを選んだ。お寺では側面しか見れないが展覧会では像高88センチ余りの仏像の背中に広がる金糸の文様がよく見えた。比叡山の絶対秘仏最澄の自刻像を模して制作されたと伝えられている。右手を胸の高さに挙げて手を前に向け、左腕を前方に曲げ前に差し出し挙を上に向けるという姿は鎌倉時代に天台座主慈円が実見した延暦寺根本中堂の本尊、最澄自刻の薬師如来の姿に近い。根本中堂には二尺の素木仕上げの七仏薬師も納められた。この像が七仏薬師になぞられたとも、そのひとつが法界寺の薬師如来に相当するとも伝えられている。この仏像に出会えただけでも展覧会に来てよかったと思った。