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2019年6月1日土曜日

八王子・清鏡寺の十一面観音

今週の日曜日真夏のような暑さの中仏像クラブで初めての八王子の仏像巡り
を行った。当初予定したお寺が連絡が取れずに八王子大塚の清鏡寺に連絡しご住職不在であったが快く拝観に応じていただいた。清鏡寺は帝京大学のある八王子大塚の近くで、階段の上の観音堂で連絡をとり本堂の中のガラスケースになっている収蔵庫を見せていただいた。ガラスケースの中には二体の仏像が安置されており、本尊の秘仏千手観音は平安後期以降の作。そして客仏の像高90センチあまりの十一面観音を拝観できた。ブログによると近年修理され近世の彩色が除去され金を基調とした古色に仕上がられている。観音は鎌倉期の仏像らしく理知的な顔立ちをしており手に持つ水瓶や衣文の襞を多く刻んだ入る装飾性に優れた仏像だ。本尊の千手観音も小像ながら真数千手で仏像クラブの面々も食い入るように見ていた。八王子に行き資料館の白鳳仏を見てから遅めのランチを本格的割烹料理屋の1Fの食堂ランチをいただき会員から話が出た八王子芸者のお練り巡業を見て一同満足して帰路についた。難航していたお寺選びだったが思ったよりいい仏像に出会えやはり開催してよかったと思う。

2019年3月24日日曜日

蓮花寺の十一面観音

今週のお彼岸の中日に仏像クラブで目黒碑文谷と大田区蒲田の仏像を見に出
かけた。朝はあいにくの小雨交じりの天気で初めに目黒区碑文谷の円融寺に向かい、黒不動を見る予定だったが、二重のガラスで生憎光ってよく見えなかったので、早々に大田区蒲田蓮沼の蓮花寺に行くことになった。蓮沼に着くころには青空が広がり春の日差しの中、本日御開帳の十一面観音を見に近くの蓮花寺に向かった。お寺に着くと檀家の法事の最中で12時までとの案内でしばらく境内で待たせてもらった。蓮花寺は寺伝によると恵心僧都による開創で鎌倉時代に蓮沼法師が中興したという。蓮沼法師は以前仏像クラブでも出かけた荏原郷の地頭であったが訳あって出家したとのこと。法事も終わり間近で拝観することができたが、像高90センチの観音様だが、穏やかな目をして心洗われる気持ちになった。秘仏のため保存状態もよく口元に紅が造立当時の面影を残す。親切なお寺の女性に取次を頼み御朱印をいただいてお寺をあとにした。蒲田の寿司屋で特上の寿司をいただきながら今見た観音様について熱く語る仏像クラブの面々だった。


2018年12月15日土曜日

東京日野の仏像巡り

今週の日曜日に仏像クラブで東京日野の仏像巡りに出かけた。紅葉のラス
トチャンスの高幡不動と以前、七福神で訪れたことがある安養寺を巡るコースだ。高幡不動は関東随一の巨像不動で平安時代作の丈六仏。地方仏師による作で、総重量は1トンあるという。不動堂には身代わり不動があり、そちらを参拝してから奥殿の寺宝を参拝した。ここには境内奥の大日堂に以前あった平安時代の大日如来もあり、奥へ進むと不動三尊が間近に見れた。鐘楼近くの紅葉を鑑賞してから昼食を済ませ、2時に安養寺に向かった。今回は初めて他のグループと一緒の鑑賞となった。ご住職の説明によると阿弥陀三尊はもとは廃寺の万願寺にあり、平安時代の端麗であり細部の手法も見事な武蔵野で一、二を争う優秀作だ。安養寺は仏像の質・量ともに多いお寺で七福神で見た平安時代の毘沙門天や江戸時代の作だが、非常にいいお顔をしている観音・勢至菩薩今回は見れなかった地下にある江戸時代の薬師如来などがある。間近に拝観させていただいたときに私がご住職に以前ネットで見た大日如来の場所を聞いたので、普段お会いできない鎌倉時代の大日如来を見せていただいた。小像ながら気品があり重厚な厚みのある作品で仏像クラブの面々も大満足だった。多摩にはまだまだ名仏があるようなので今後も探して訪ねたいと思った。

2018年11月4日日曜日

多摩武蔵野仏像巡り

本日、文化の日「東京都文化財ウィーク」の指定文化財特別公開として東京
昭島市拝島の「普明寺大日堂」と東村山市の正福寺地蔵堂に仏像クラブで出かけた。拝島駅より大日堂に着くと住職の説明が始まっていた。大日堂の創建は平安時代で天正年間に北条氏の重臣石川土佐守によって娘の眼病平癒のため再興されたとのこと。中には定朝式の平安時代後期の大日如来が祀られており、身を浄めて堂内内陣に入った。像高1メートル半の寄木造りでU案内人によると唇に薄く朱が残っていたとのこと。本来は平安時代の釈迦如来と江戸時代の阿弥陀如来が祀られているが京都仏像修理所にて修理中で写真のみの展示だった。寺院関係者によるとこれから大日如来が修理にだされ平成33年まで修理にかかるとのこと。三尊が揃ったら、また見に行きたいとおもった。その後ボランティアの案内で仁王門の鎌倉時代の金剛力士像や天井後や装飾がきれいな日吉神社を巡った。東村山に向かい昼食後2時半からの正福寺地蔵堂開帳に立ち会った。正福寺は文化の日を「地蔵まつり」として多くお寺関係者が境内にあつまり賑やかだった。正面の地蔵堂は鎌倉時代の建築で東京にある唯一の国宝建築とのこと。中に江戸時代の地蔵菩薩と奉納の千体地蔵が祀られていた。今回は盛沢山で大満足な東京都文化財ウィークの仏像鑑賞会となった。また今度計画してお参りしたいと皆で話帰路についた。

2018年5月26日土曜日

東京港区のほとけさま

本日は仏像クラブで2回目になるが、港区の仏像巡りを行った。地下鉄白金
高輪駅から魚籃坂を登り魚籃寺へ。ガラス越しに魚籃観音を見て、そっけない住職より御朱印をいただき早々に三田を通って増上寺に向かった。初めて歩いたが三田の界隈は寺町となっていて多くの寺院が立ち並ぶ街だった。成行きで何軒かのお寺を巡り、東京タワーを見ながら増上寺へと向かう。本堂の「大殿」には明治に京都知恩院より寄贈された室町時代の寄木造の仏像だ。法要中であり下外陣からの拝観となったが双眼鏡で見ると顔つきがほっそりとした阿弥陀如来で金箔で阿弥陀定印を結んでいる。増上寺にはほかに安土桃山時代の釈迦三尊や十六羅漢があるが三解脱門上に祀られているため拝観はかなわなかった。大門外の居酒屋で食事をしながら今日の仏像について語り合う仏像クラブの面々だった。


2018年4月14日土曜日

目黒花まつり仏像めぐり

今週の日曜日は花まつりだったので、仏像クラブで目黒の寺巡りを行った。朝一番に大円寺に向かい花御堂の誕生仏に甘茶をかけ、生身の釈迦如来といわれている清凉寺式釈迦如来をガラス越しに拝観した。大円寺の釈迦如来は元は鎌倉・釈迦堂(廃寺)の本尊で三代執権北条泰時が父義時の供養のために造ったとのこと。造立は鎌倉時代初期で丸々とした顔や太い体つきから慶派仏師の作の可能性がある。ここ大円寺は出開帳のお寺であったため客仏となったとのこと。脇侍の吉祥天・毘沙門天は室町時代の作で重厚で精緻な彫技が目を引く名品である。甘茶のご接待を受け、阿弥陀三尊をガラス越しに見て、次のお寺は五百羅漢寺であったがU案内人が寄り道をして、以前仏像が見ることができなかった、蟠龍寺に向かった。ここも朝から花まつりの法要が行われており、本堂の扉の向こうに平安時代の阿弥陀如来を拝することができた。お寺の幼い娘さんより花まつりの飴をいただきほのぼのとした気分で五百羅漢寺へ向かった。五百羅漢寺では江戸時代製作の釈迦如来と五百羅漢を拝した。小学生のころ訪れたときには薄暗い本堂に多くの羅漢像がある様を見て恐ろしさを感じたのだが、今は近代的な建物のなかに収まったおり、すっかり観光寺院になっていた。最後に目黒不動に参拝し観音堂や地蔵堂をのぞき、不動明王を変化仏である青銅製丈六の大日如来を見て目黒駅前のイタリアンのレストランにより解散した。あらためて目黒は質・量ともに東京一のエリアと感じた。

2017年7月2日日曜日

中野のほとけ様

先週の日曜日、今年の東京仏像さんぽとして東京中野区のほとけ様を見に仏
像クラブで出かけた。梅雨時のあいにくの雨模様だったが、西武新宿線の新井薬師前で集合し、先ずは新井薬師に向かった。新井薬師梅照院は駅から5分ほどの距離にあり、16世紀の天正年間の創建で、本尊の薬師如来は光る梅の木から発見されたことによりつけられたとされている。薬師如来は秘仏のため薄暗い堂内の先にはお前立の江戸期の薬師如来が日光・月光菩薩とともにまつられていた。薬師如来を囲む壁には十二神将像がまつられていた。引き続き菅原道真作と伝承が残る鎌倉期から南北朝期の千手観音を参拝した。素地の風合いをとどめ、卵型のお顔に刻まれた目鼻口元や、厚みをもたせ下腹部を覆う衣文など非の打ちどころなく、千手もほとんど当初のままであるという。実にありがたい美仏だ。ガラス越しでの拝観だったが頭上の化仏と十一面もよく見れてよかった。これが、中野区有形文化財でしかないのが驚かされる。最後のお寺に歩いて向かうそこかしこに、由緒正しき立派なお寺があり中野区の寺の多さに驚く仏像クラブの面々だった。最後の宝仙寺は法事で中からの拝観はかなわなかったが、東中野のジャズが流れるそばパブで天ぷらそばをいただきながら仏像について語る会う仏像クラブの面々だった。

2017年1月8日日曜日

安養寺の毘沙門天

昨日仏像クラブの恒例の七福神めぐりを行った。今年は都心を離れ多摩の日野
市での開催となった。日野市は幕末活躍した新選組のふるさとで七福神めぐりで訪れた石田寺は土方歳三の墓所があり、おみやげに彼の写真がついたしおりをいただいた。日野七福神めぐりを企画したきっかけはネットで安養寺の毘沙門天を見たからで、それによると平安時代後期の寄木造で像高132センチの仏像だ。腰のひねりがS字そのもので映画の「サタデーナイトフィーバー」を思い出すとのこと。これは期待できると思い企画した次第だ。昨日はよく晴れており寒かったが、毘沙門堂の内部は暖房しておりホットした仏像クラブの面々だった。江戸時代の薬師如来のとなりに毘沙門天がいらした。本日は七福神めぐり最終日の土曜日とあって多くの善男善女でにぎわっていたが、間近で配することができた。私は毘沙門天の獅子噛といわれるベルトの装飾に注目した。踏まれる邪鬼もなかなか味があり、これはまさしく重文レベルの仏像だ。(現在は日野市指定文化財)クリアファイルを販売していたので色紙に印を押してもらうついでに購入した。毘沙門堂内では参拝者にお茶とお菓子が振舞われており休憩ができて有難かった。無料で配布されていた冊子にはご本尊の阿弥陀如来の写真も掲載されており再度訪れたいと思った。三番目のお寺なので足早に毘沙門堂を後にし、平安時代の不動明王が祀られている高幡不動に向かった。

2016年10月15日土曜日

港区のほとけさま

今週の日曜日に港区のほとけさまを見に仏像クラブで、出かけた。日曜日の午前中は東京はあいにくの大雨でコンビニで休憩をとりながらお寺に向かった。長谷寺(ちょうこくじ)にある麻布観音は江戸中期の仏像が東京大空襲で焼失し昭和52年に現代の彫刻家によって再建された 。予定では三田のお寺に行くはずだったが雨が激しくなったので根津美術館に変更して中国の仏像を観賞した。その後表参道のヘルシーなおそばを食べながら仏像について大いに語る仏像クラブの面々だった。

2016年3月26日土曜日

千手院の五智如来

今週の月曜日の振替休日に仏像クラブの面々と東京根岸の千手院を訪れた。
私はかねてより「東京仏像さんぽ」という本を愛読しており、平成24年の護国寺や毎年行っている七福神巡りなどで参考にして仏像クラブの計画を練っていた。今回の千手院も作者が「圧倒的な装飾の五智如来」と紹介しているので期待して訪れた。お寺につくと本堂の千手観音がご開帳で、双眼鏡で覗くと元禄ごろ作られた細かい42本の手を持つ千手観音が祀られていたのでそちらを先に参拝した。肝心の五智堂は鍵がかかっており中に入れないと慌てていたら、若い僧侶が現れ五智堂の中に入れてもらった。暗いお堂に電灯がつけられ、五体の如来像がずらりと並んでいた。左から阿閦如来(あしゅくにょらい)多宝如来・大日如来・阿弥陀如来・釈迦如来で坐像の台座には過剰とも言える細かな装飾が彫られている。仏像は江戸時代の製作のため新しい感じはいなめないが、悟りを開いた如来らしい深遠な視線でこちらをみつめていた。お寺の方にお礼を言って近くのこごめ大福で有名な和菓子屋へ向かった。昼食をとった日暮里の串カツ屋で串カツをつまみながら本日の仏像についておおい語った仏像クラブの面々だった。

2015年9月20日日曜日

養玉院如来寺

本日、仏像クラブで品川の西大井にある養玉院如来寺に出かけた。如来寺は元は芝高輪にあったお寺で、江戸時代の寛永年間に創立され、瑞應殿(ずいおうでん)にある五智如来は「芝の大佛(おおぼとけ)」として庶民に親しまれていた。養玉院は対馬宗家の菩提寺で寛永年間に寛永寺の塔頭三明院が前身とのこと。大正12年に如来寺と合併して今の場所に、移ったとお寺のしおりに記載してあった。御住職の奥様らしき女性の話によると、そのあとすぐ関東大震災があり、芝あたりも焦土に帰したとのこと。奇跡的に残った五智如来は高さ3メートル強の大日如来をはじめ、「大井の大佛」の名にふさわしい迫力があった。二体の天燈鬼は以前は興福寺の天燈鬼と同じく灯籠を持っていたが、東日本大震災の影響だろうか、今はなかった。お彼岸なので本堂の拝観は無理と事前に言われていたが、奥様の御好意で短い間だったが拝観させていただいた。本堂の釈迦如来と仏弟子二人の三尊像で、右が迦葉(かしょう)左が阿難とのこと。中国風の仏である養玉院の本尊は、中国明人の仏師の手によるものだが、エキゾッチックですばらしい仏だった。仏像クラブの面々も、大満足の様子で、鮫洲のあなご天丼を頬張りながら、本日見た仏像についておおいに語り合った。