2017年5月21日日曜日

快慶展②遣迎院の阿弥陀如来

快慶展で楽しみしていたのが、お寺で非公開の仏像だ。遣迎院の阿弥陀如来もその一つで京都のお寺にひっそりと祀られいた。奈良国立博物館の山口学芸員によると快慶の三尺(約90センチ)阿弥陀は今知られているだけで15件あり、この仏像は醍醐寺弥勒菩薩の2年後に造られたとのこと。運慶を思わせるような肉感的阿弥陀如来で、快慶お得意の金泥下地上のキリかねが肉眼で確認できて素晴らしい美仏だ。多摩美術大学の青木先生によると遣迎院の阿弥陀如来の納入品結縁交名からは壇之浦で滅亡した平家一門から重源、栄西、歌人の西行の名まであるという。快慶展では結縁交名の実物も見ることができた。快慶を巡るネットワークは信西の盟友平清盛の一門から西行まで実に幅広かったことが伺えることに驚く。仏像の彩色の素晴らしさに立ち尽くし、いつまでも見たかったが他の作品も気になるので次の展示に向かった。

2017年5月6日土曜日

福智院の地蔵菩薩

快慶展の日帰り旅行を計画していく中で、当初から訪ねたいと考えたのが奈
良町の隣の福智院の地蔵菩薩だ。新TV見仏記でみうらじゅん・いとうせいこうが訪ねた像高2メータ70センチの巨大な鎌倉時代の仏像だ。拝観を希望するものは鐘を2度鳴らす段取りになっており、鳴らすと見仏記に登場した次世住の奥様が現れお堂をあけていただいた。丁寧にお茶を振舞いいただき地蔵菩薩の説明をしていただいた。見仏記によると地蔵菩薩の足の組み方は安座という形になっていて「すぐに立って救いに行く」という姿なのだという。慶派の康慶がリードして作らせたと言われ、肌色に赤い衣を着ていたらしかった。奥様の説明によると宣字座という箱型の台座は本来如来が使用するが福智院のお地蔵様は56億7千万年後に如来となることを約束されているいわゆる弥勒信仰のもとに許されているとのこと。光背は千仏光背で大小あわせて560体あり化仏6体と坐像本体を足せば567体になるという。化仏の太山王と閻魔大王も間近で拝観させていただいた。見仏記でこのお寺のことを知ったとお伝えしたところうれしそうにされている奥様の笑顔が印象的だった。いい仏像に出会い心穏やかになりお寺をあとにした。

2017年5月4日木曜日

天平乾漆群像展

快慶展を見終わって昼食を済ませ、午後は興福寺で開催されている「阿修羅
天平乾漆郡像展」を見に行った。興福寺の国宝館が1年間休館しているため、展示していた阿修羅を初めとする八部衆・十大弟子から鎌倉時代再興の金剛力士や天燈鬼・龍燈鬼が仮金堂に安置され今はなき西金堂の宗教空間イメージを一部試みに視覚化したとのこと。仮金堂に安置されていた四天王も一緒に展示されていた。向かって右から左へと拝観するコースになっており郡像のため仏像と仏像が重なって見える奥行きがある展示になっており、奥の仏像は持ってきた双眼鏡越しによく拝観できた。興福寺曼荼羅に描かれている仏像配置とは少しずつ違い前列にあるはずの定慶の金剛力士が多聞天の横に置かれたり、最後列にあるはずの人気の阿修羅が最前列にあったりと西金堂の配置とは同じではなかったが気にならなかった。阿修羅が合掌していた問題も左肩が脱臼している様子も確認でき、満足してお堂を出た。もう1周してもよかったが、東金堂の仏頭帰還や北円堂の特別開帳も気になり早々に仮金堂をあとにした。


2017年5月2日火曜日

快慶展①

本日、奈良国立博物館に快慶展を観賞しに出かけた。早朝にたち、奈良には9時半過ぎに着き奈良国に向かった。じっくり観賞するために音声ガイドを借り入場すると、いきなり醍醐寺三宝院弥勒菩薩が迫ってきた。ボストン美術館所蔵の弥勒菩薩が快慶の初作と言われているが、いきなり二作目で後白河院追善という大きい仕事を任されている不思議さを感じた。解説にもその点が書かれており、院ないし藤原一門に通じる血筋ではないかとしている。同じ部屋には私が舞鶴で見た金剛院の深沙大将と執金剛神が展示されており、こちらの方がよっぽど初作っぽい。いくつか気になった作品があったが既に見ている作品の良さを再発見したり、初めて見る作品の素晴らしさを理解するのに時間がかかったりあっという間11時を過ぎていた。詳しくは作品ごとに書くつもりだが、最後の部屋まで飽きさせない展示は学芸員の面目躍如というところだろう。心地よい疲れたを感じなら仏像館に向かった。