2017年1月28日土曜日

禅-心をかたちに展③(感応使者立像)

昨年開催された特別展「禅-心をかたちに」の禅のほとけのコーナーでは普段「禅」
とは意識していなかった仏像が集められ興味深かった。十八羅漢や韋駄天、宝冠阿弥陀などが禅寺で見られる仏像だが、ここで紹介する「感応使者立像」もそのひとつだ。なら仏像館の館蔵品であるこの仏像は異形の大黒天像とみなされ、「走り大黒」の名で親しまれてきたが、近年では寺院伽藍の守護尊である伽藍神中の「感応使者」にあたると考えられている。頭巾・袍・袴を着用し、手足を大きく前後に出して疾駆する姿の像。活き活きとした面構えと躍動する体の描写、着衣の巧みな風動表現などに、いかにも鎌倉彫刻らしい溌剌とした感覚が認められる。伽藍神といえば中国宋風の衣装をまとった鎌倉建長寺の仏像が有名だが、こちらは随分趣が異なる。京都東福寺にも似たような像があるというので機会があれば見に行きたいと思った。

2017年1月21日土曜日

禅-心をかたちに展②(方広寺の釈迦三尊)

昨年のことになるが、「禅-心をかたちに」展で静岡浜松の方広寺の宝冠釈迦如
来と再会した。今回は文殊菩薩と普賢菩薩も展示されて三尊での鑑賞となった。製作は南北朝時代院派の院吉・院広の銘がある。慶派全盛の鎌倉時代をすぎ南北朝時代の為政者足利尊氏にいちはやく結びついたのが院派だ。山本勉先生の「別冊太陽仏像」によると、「癖の強い面貌、箱を積み上げたような体形、曲がりのつよい曲線を多用する衣文など、様式的な特徴がきわだっている。」とのこと。鎌倉幕府とつながりがつよかった慶派をきらった足利氏が院派にいままでにない仏像の制作を要望したのだろうか。山本先生も「飛鳥時代以来各時代に特色ある美しさを達成してきた日本の仏像の栄光の歴史を知る者には、いささかなじみにくいものがある。」と言っている。会場ではライティングがすばらしく違和感を感じさせない展示だった。今回は文殊菩薩の獅子と普賢菩薩の象の展示がなかったので、いつか機会があれば方広寺を訪問したいと思う。

2017年1月15日日曜日

つながる美・引き継ぐ心展②(聖従来迎寺の薬師如来)

昨年滋賀県立近代美術館で開催された「つながる美・引き継ぐ心」展の冒頭に
展示されていたのが、聖従来迎寺の薬師如来だ。聖従来迎寺は比叡山の正倉院と呼ばれ多くの寺宝を有しているお寺だが、訪問を計画したがお寺の行事とかさなり行けていないお寺だった。図らずもこの展覧会でお寺の寺宝のなかの寺宝である薬師如来の現物に出会うことができた。銅造の50センチ足らずの仏像だが屈指の歴史を誇る像で、その造立は奈良時代までさかのぼる。図録によると右手で衣の端を握る形式は全国的に珍しい。琵琶湖より姿を現した像と伝えられ「湖中出現の薬師」とも呼ばれている。信長の比叡山焼き討ちの際、琵琶湖の対岸にある兵主神社(野洲市)に逃れたため今に伝わるのだろう。平成32年3月開館を目指している新美術館ではメインの展示品となるであろう。今から開館が楽しみだ。

2017年1月8日日曜日

安養寺の毘沙門天

昨日仏像クラブの恒例の七福神めぐりを行った。今年は都心を離れ多摩の日野
市での開催となった。日野市は幕末活躍した新選組のふるさとで七福神めぐりで訪れた石田寺は土方歳三の墓所があり、おみやげに彼の写真がついたしおりをいただいた。日野七福神めぐりを企画したきっかけはネットで安養寺の毘沙門天を見たからで、それによると平安時代後期の寄木造で像高132センチの仏像だ。腰のひねりがS字そのもので映画の「サタデーナイトフィーバー」を思い出すとのこと。これは期待できると思い企画した次第だ。昨日はよく晴れており寒かったが、毘沙門堂の内部は暖房しておりホットした仏像クラブの面々だった。江戸時代の薬師如来のとなりに毘沙門天がいらした。本日は七福神めぐり最終日の土曜日とあって多くの善男善女でにぎわっていたが、間近で配することができた。私は毘沙門天の獅子噛といわれるベルトの装飾に注目した。踏まれる邪鬼もなかなか味があり、これはまさしく重文レベルの仏像だ。(現在は日野市指定文化財)クリアファイルを販売していたので色紙に印を押してもらうついでに購入した。毘沙門堂内では参拝者にお茶とお菓子が振舞われており休憩ができて有難かった。無料で配布されていた冊子にはご本尊の阿弥陀如来の写真も掲載されており再度訪れたいと思った。三番目のお寺なので足早に毘沙門堂を後にし、平安時代の不動明王が祀られている高幡不動に向かった。