2013年9月28日土曜日

康弁の龍燈鬼

興福寺国宝館は慶派仏師の作品の宝庫だが、なかでもユーモラスなのが、運
慶の三男康弁が造った龍燈鬼だろう。胎内より康弁作との書付がでた仏像だ。みうらじゅん氏によると、四天王に踏まれていた邪鬼が、「ソロデビュー」したのがこの天燈鬼・龍燈鬼だそうだ。龍燈鬼は頭上の灯籠をのせ、上目づかいにそれを見る表情がなんともユーモラスだ。のこぎり状の眉は銅版を切ったもの、眼はもちろん牙も水晶製だ。あごにはひげを生やした穴があるという。康弁にはこの像の他に現存する作品は知られない。若くして早世したのか、慶派を放逐されたかはわからないが、彼の作品をもっと見たかった。いずこの寺にひっそりと残されている彼の作品が発見される日を夢見て阿修羅の待つ八部衆のコーナーに進んだ。

2013年9月21日土曜日

厨子入り木造弥勒菩薩半跏像

今回の仏頭展で第一会場の最初の展示がこの「厨子入り木造弥勒菩薩半跏像
」だ。会場ではスペースの関係か仏像が前、厨子が後ろに展示していた。髪を垂髪に結い、中央に宝珠形を透かし彫りにした銅性鍍金の宝冠を戴く。今年の五月に興福寺国宝館に行ったとき気がつかなかったが、すばらしい仏像だ。銅成鍍金で吹玉の垂飾をあしらった華麗な胸飾・瓔珞(ようらく)をつける。あとで図録を見て解ったが、多種多様な截金や彩色文が像全体を埋め尽くしていてみごとだ。慶派の多い興福寺だがこの美しさは院派だろうか。うしろの厨子には無著・世親をはじめとするインドの祖師から四天王・維摩・文殊から三蔵法師までが描かれており、すばらしかった。最初から圧倒されながら次の展示に移動した。

2013年9月14日土曜日

興福寺板彫十二神将

今回の「国宝興福寺仏頭展」では、日本の国宝十二神将四つのうち二組の十二
神将が出展されている。ひとつは慶派が製作した鎌倉時代の東金堂の十二神将。もうひとつがここで紹介する板彫十二神将だ。大きさは1チメートルあまりで、厚さわずか3センチの檜材の板にレリーフされている。十二神将とはもともとインドの神様が仏教に帰依して薬師如来の守護神となったもの。因達羅大将はサンスクリット語でインドラで帝釈天のこと。宮毘羅(くびら)大将は金比羅大権現と日本人になじみの神様が姿を替えたもので、それぞれ見ごたえがある。平安時代後期の興福寺薬師如来は、かの定朝が作成したとの説があり興味がつきない。今回の展覧会では柱にガラスケースをつけて拝観する展示方法がとられていて、かつて台座の周りに貼り付けていた平安時代のご本尊を想像させる仕組みとなっている。平家の焼き打ちの際、はずされて持ち出されたために今に伝えられている。当時のことを想像しながら拝観し、慶派の十二神将が待つ三階にエレベーターで向かった。

2013年9月8日日曜日

国宝興福寺仏頭展

本日(9月7日)上野の芸大美術館で開催されている、国宝興福寺仏頭展に仏
像クラブの面々と出かけた。会場は地下一階と三階に分かれており、地下に向かうとまず出迎えてくれたのが、鎌倉時代につくられた厨子入り木造弥勒菩薩半跏像だ。その後ろに納めれていた厨子も展示されており、絵がみごとだった。奥へ進むと板彫十二神将のコーナーがあり、柱状の展示ケースに収められておりどれもみごとだった。いよいよ第二会場の三階にエレベーターで進むと、そこには山田寺の仏頭と東金堂の十二神将が控えており、すべて露出展示で360度から鑑賞できるようになっている。音声ガイド番外編の仏頭大使1号みうらじゅん氏が語っていたが、東金堂では正面からしかみれず、普段暗く隠れている十二神将があるが、会場では一体一体の仏像が360度堪能できる。バックルや鎧の飾りなどの違いがよく見れてよかった。なかでも、因達羅大将がすばらしく仏像クラブの面々も大絶賛していた。興奮冷めやらぬ会場をあとに帰路についた。