2021年2月27日土曜日

特別展「横浜の仏像」⑤(光明寺の菩薩像)


 山本勉先生は無名の仏像から運慶作品を見入出す観察眼をお持ちだ。それがこの講演でも遺憾なく発揮されたのが南区光明寺の菩薩像に関する紹介の場面だった。講演では鑑真来朝から平安前期の金銅仏・乾漆像から木彫仏への劇的な変遷が語られ中央の木彫は整理・洗練されているが、地方の木彫は個性・野趣あふれる仏像との説明だった。光明寺菩薩像は保存状態が悪くいかにも野趣あふれる仏像だが中央の比較する仏像は京都遍照寺の十一面観音だという。遍照寺の十一面観音は仁和寺と御室派のみほとけ展で友人とうっとりながめるほど美しい仏像だがとても今回展示の菩薩像と共通点が見いだせなかった。ところが帰って図録をよく読むと、髻を結い、その正面に宝冠を付け、条帛・天衣を懸け下半身に折り返し付きの裙を着ける菩薩像とのこと。発見の逸話として法事で訪れた光明寺の玄関先に置いてあり、その価値を見出した山本先生は審議委員をやっている横浜市に法事そっちのけで仏像調査に入ったとの話であった。図録の執筆者も保存状態は良好でないが、古代彫刻ならではの充実した存在感にはとくに賞すべきものがあると記載してあった。さすが山本先生と感心した仏像だった。

2021年2月23日火曜日

特別展「横浜の仏像」④(龍華寺の菩薩像)


 山本勉先生の「横浜仏像史」の講演で2番目に紹介されたのが、おなじみの県立金沢文庫預託中「龍華寺の菩薩像」だ。山本先生はまずこの仏像の発見の歴史からひも解く。龍華寺の境内に福寿院という子院がかつてありそこの本尊として江戸時代の寛延のころ(1750年)祀られていた記録があり、平成10年に龍華寺宝蔵解体時に発見。翌年脱活乾漆の天平仏なので横浜市指定文化財に指定され保存修理が始まり平成14年に完成したとのこと。また修理前と修理後の写真のパネルで足の付け根から腰のあたりと腕先が補われていることも説明された。また最近の情報として大阪市立美術館で開催された「天平礼賛」という展覧会で兵庫の金蔵寺の阿弥陀如来と一緒に展示されたことをふれ、耳の形がそっくりなことから金蔵寺阿弥陀如来の脇侍ではなかったかという説も紹介された。何らかしら事情で同じ御室派の龍華寺所蔵となったとのこと。私もその記事を気になっていたが、山本先生の講義でより深く理解することができた。私は先生の講義内容をメモを取りながら食い入るようにスライドを見ながら聴講した。また展示品を通じて講義内容を逐次紹介したいと思う。


2021年2月20日土曜日

特別展「横浜の仏像」③(證菩提寺の薬師如来)

 

本日、U案内人と横浜歴史博物館を再訪した。山本勉先生の講演を初めて聞きにいくためだ。登壇した山本先生が横浜の仏像展を通じて仏像史を語るテーマで約一時間半語りつくした。展覧会の構成は時代別になっており前回紹介した松蔭寺如来像を通じて中国南北朝時代の技術(止利様式)や初唐様式など展覧会の展示物を通じた講演だった。栄区の證菩提寺を訪れたのは2012年12月だった。法事があり本堂の阿弥陀如来は見れなかったが収蔵庫にある平安時代の阿弥陀如来を見ることができた。横浜の仏像展では平安時代の薬師如来と阿弥陀三尊、南北朝時代の聖観音と出展されている。證菩提寺は源頼朝創建の寺として知られているが、ここで紹介する薬師如来は山本先生によると證菩提寺開創以前に薬師如来をまつるお堂があり、行基の作との伝説がある。一木造りの技法や全体のおだやかな雰囲気で野趣あふれる仏像との解説だった。講演ではこの仏像発見のエピソードが語られ證菩提寺の阿弥陀三尊調査のおり傍らに置いてあった厨子から発見されたとのこと。その他多くの出展されている仏像について語られたのでおりを見て紹介したいと思う。出展仏像の絵葉書を買い横浜の喫茶店で横浜の仏像について多いに語った仏像クラブの面々だった。





2021年2月13日土曜日

特別展 横浜の仏像②(松蔭寺如来坐像)


横浜の仏像展は山本先生の監修で構成されているが、時代別に横浜の仏像が陳列されている。「仏像史の曙光 」のコーナーは飛鳥時代・奈良時代の貴重な仏像が並んでいる。まず最初に紹介するのが、松蔭寺如来坐像だ。山本先生も図録掲載の「横浜仏像序説」の中で「飛鳥時代末期にさかのぼる金銅仏の遺品である。鋳造技法も中央の作例に遜色なく、市域はもちろん神奈川県下でも最古の仏像として貴重このうえない」と述べている。像高は25センチ余りと小像ながら裳掛座・短い腕・体の比率に比べて大きい手や足は止利派の金銅仏に見られ、童顔童形の金銅仏とも共通性が見られる。東博法隆寺宝物館で多くの小金銅仏を鑑賞したが、その仏像に様式が似ていると感じた。また図録執筆者の神奈川県歴博の神野氏に国宝深大寺釈迦如来に代表される初唐様式も入っており止利派と初唐様式の折衷的な仏像とみられるとのこと。またミズノ先生の言われている河西回廊のある涼州式偏袒右肩(りょうしゅうしきへんだんうけん)も初唐様式の特徴でこの仏像でもあらわされている。どのような経緯で古代の横浜に伝わった興味がつきない。まだまだ見たことがない仏像が続くので次の展示に向かった。


2021年2月6日土曜日

特別展 横浜の仏像①

 
今週の日曜日横浜市歴史博物館に特別展「横浜の仏像」しられざるみほとけたちを見にいった。コロナ禍の緊急事態で開催されるか心配だったが、監修する山本勉先生のツイッターでも順調に準備される様子があり、安心してでかけた。横浜に歴史博物館があることを初めてしったが、最寄りの横浜市営地下鉄センター北駅に降り立つと横浜の仏像の写真パネルやポスターがあり一人盛り上がりながら、横浜歴史博物館へ向かった。玄関の柱にも仏像写真があり体温を測り連絡先を書いて入場した。最初に出迎えてくれたのが、泉区向導寺の阿弥陀如来で顔と胴体が離れていたものを今回の展示のためくっつけてあった。写真撮影をしQRコードのアンケートに答えるとマグネットがもらえるのでそれにこたえてから展示室に向かった。山本勉先生の監修らしく飛鳥時代から南北朝時代まで横浜の仏像がワンフロアで体系的に鑑賞できるようになっている。それぞれの時代に「仏像史の曙光」「運慶仏の時代」など個性的にタイトルがつけれていた。個々の仏像の説明は次回とするが、初めて見る仏像や仏像クラブで訪れたなつかしの仏像の晴れ姿に感動した。1Fの売店で図録とさきほどアンケートに答えたマグネットをいただいて歴史博物館をあとにした。今月20日には山本勉先生の講演があるし、まだ来ていない弘明寺十一面観音や慶珊寺(けいさんじ)十一面観音も2月9日より展示されるので、また訪れたいと思う。