2014年9月27日土曜日

若狭国分寺の釈迦如来坐像

若狭3日目の3番目に訪れたのが、国分寺だ。車の通りが激しい国道をヒヤヒヤ
しながら国分寺に向った。境内には塀もなく、開放的な寺のたたずまいである。受付にご住職が作務衣姿ででてこられ、本堂に向かい引き戸を開けていただく。真ん中に巨大な釈迦坐像が置かれていた。事前に写真を見ていたときは、ハンサムには到底思えず、見仏記のみうらじゅんのイラストは美化しすぎると思っていたが、実際に見てみると斜め横からの顔がなかなか男前である。木造丈六、寄木造。若狭大仏という異名もある釈迦は光背を背負い、そこに大きな化仏をいくつか付けている。衣には赤が残り、迫力十分の仏像だ。本体は鎌倉時代で頭部は江戸時代の作だ。素朴でのびやかだが、よく見るとヨーロッパ人にも似た顔をしている。魅力的な釈迦如来にうっとりして私はしばらく動けなかった。絵葉書を購入し、親切なご住職に自転車が安心して通れる道を案内いただき、最後の多田寺に向った。

2014年9月23日火曜日

江戸川・江東のふたつの三尺阿弥陀

先週の土曜日仏像クラブで東京下町江戸川区と江東区の二つ阿弥陀如来を見
にでかけた。まず訪れたのが都営地下鉄新宿線の一之江の川向こうにある金蔵寺だ。金蔵寺の開山は室町時代だが、伝来の阿弥陀如来は鎌倉時代前期の作とのこと。一目見て快慶が得意とする三尺阿弥陀の形式だとわかった。快慶工房のだれかが製作したものであろう。金箔が落ちてしまった姿が「法然と親鸞展」で見た浄土宗所蔵の三尺阿弥陀に似ているとU案内人がつぶやいた。私もそう思った。お寺の方のご丁寧な対応に感激し、仏像クラブ一同お礼を言って江東区の因速寺に向った。こちらも三尺阿弥陀で寄木造。衣は黒漆、肉親には快慶得意の金泥塗りが施されていた。修復以前の写真も飾られており、かなり趣が異なるが、金泥塗りの金を抑えた色がよく、ボストン美術館の弥勒菩薩や醍醐寺三宝院の弥勒菩薩を意識して修復がなされたようだ。戦災に見舞われた東京下町で奇跡的に残った二つの阿弥陀如来について昼食を食べたそばやで大いに語り合った仏像クラブの面々だった。

2014年9月13日土曜日

圓照寺の不動明王

若狭2日目の午後に3番目に訪れたのが、圓照寺(えんしょうじ)だ。ここには北
陸で最大の大日如来がある。像高は2メートル半。半丈六の堂々たる平安時代の仏像だ。私が注目したのは本尊近くにある不動明王だ。みうらじゅん氏がベストワン不動明王と言っている、歌舞伎の見得のポーズをとった不動明王だ。出した左足の指でギュッと大地をつかみ、その分右手を腰のあたりに構えて、顔は少し左を見るその姿。ポーズのバランスが完璧だ。見仏記によるとそもそも歌舞伎の見得は仏像から特に不動明王から来ているとのこと。静かな本堂の中一人納得して次のお寺に向った。

2014年9月6日土曜日

仏像のみかた(鎌倉時代編)

8月の最終日である今週、日曜日上野の東博に「仏像のみかた(鎌倉時代
編)」という特別展示を見に行った。おなじみの「菩薩立像」や運慶の「大日如来」の展示だったが、「親と子のギャラリー」との表題がついているように子供向けの解説やわかりやすいように雲にのる観音や波をわたる「渡海文殊」の姿の演出があり、親子で楽しめるような展示だった。また多くの仏像が露出展示で写真撮影ができるようになっており、夏休みの自由研究用に工夫されている。いつも見慣れた仏像も新鮮に見えた。展示作品数も多く11室と14室に分かれていた。この中で私が注目したのは康円作愛染明王の厨子で、諸尊が描かれており興味がつきない。14室の運慶の十二神将を撮影していると、「浄瑠璃寺の関係者と名乗るご婦人に声をかけられ、写真を撮ってもらうことがうれしいとのこと。お寺の方の素直な感想にふれてよかった。法隆寺宝物館がまだ開いていたのでそちらに向かい本館を後にした。