2011年9月22日木曜日

空海のみほとけたち⑨(高野山の大日如来)

今回の空海展では、東寺の大日如来は出展されていない。仏像曼荼羅と称しているが、中心になる大日如来がないのである。そのかわり高野山霊宝館から平安時代の大日如来が出展されている。高野山の西塔に祀られていたもので、金剛界の大日如来のため智拳印(ちけんいん)の印相を結んでいる。智拳印では人差し指が人を表し、それを仏が包み込む仏の智慧を表している。この大日如来は空海の死後作成され青い髻が東寺の五菩薩像と似ている。おそらく宝冠があったと思われる痕跡があり、力強い眼差しが印象的だ。高野山の大塔・西塔に安置されていた五仏のうち唯一現存している貴重な仏だ。第二会場の入口にありとても印象に残った仏像だった。

2011年9月17日土曜日

高野山と紀州の仏像めぐり⑤(金剛三昧院の愛染明王)

この夏の旅行で泊まった高野山の宿坊は金剛三昧院だ。ここは北条政子の創建で境内には国宝の多宝塔がある立派な寺院だ。宿泊の決め手となったのが伝運慶作の「愛染明王」があるという事だ。着いた早々お寺の方より説明があり朝6時半から「朝のお勤め」があるので参加するようにとのこと。その際仏像に参拝できるとの説明だった。朝、講堂に集まり僧侶の読経と声明が静かな寺に響き渡った。しばらくすると宿泊客は本堂に招かれ、「愛染明王」とご対面できた。政子が頼朝の死後等身大の愛染明王を彫らせたと伝えらえる。写真で想像していたより大きくりっぱな仏像だ。愛欲の煩悩を悟りに変え、人との縁を結ぶ。手元から五色の紐が本堂の外まで伸びているのが象徴的だ。朝食後、境内を僧侶が案内してくれて、多宝塔のなかには大日如来が祀られているとの説明だった。北条政子・大日如来・愛染明王と聞いて私は春先に見た「運慶展」の「大威徳明王」を思い出した。運慶の最晩年の作と言われるこの像は大日如来・愛染明王と三体セットで実朝の乳母の自念仏となったとの記録がある。実朝の乳母に渡したのは、この愛染明王の試作品いわゆる試みの仏像で、完成品はここ金剛三昧院に実朝の母政子に運慶が造ったと考えられないだろうか。まだ見ぬ金剛三昧院の運慶作大日如来・大威徳明王に思いをはせながら高野山を後にした。

2011年9月10日土曜日

空海のみほとけたち⑧(仁和寺の阿弥陀三尊)

空海と密教美術展の第二展示会場の中ほどに仁和寺の阿弥陀三尊がある。像高90センチの仏像だが、U案内人が仁和寺の霊宝館で見るよりも大きく見えると言っていた。中ほどの好位置にあり、ライティングがみごとなのは、東博ならではのことだろう。この仏像は定印の阿弥陀如来に立像の観音と勢至の両菩薩が侍立する最古の作例だとのこと。仁和寺の金堂に祭られていた本尊で当初の本尊は丈六像すなわち3メートルほどの像高との説もあり製作年代が特定されていない。丈六の阿弥陀三尊が残っていればさぞかしすばらしい仏像であったと平安時代の京に思いをはせた。

2011年9月2日金曜日

高野山と紀州の仏像めぐり④(霊宝館の深沙大将)

高野山霊宝館でめずらしい仏像にであった。首の周りに骸骨の首輪をしてたたず深沙大将(じんじゃたいしょう)。どこかでみたような気がしたが、調べたら西遊記の沙悟浄(さごじょう)のモデルだという。快慶の作で、同じ霊宝館にある執金剛神像とついでつくられたとのこと。東大寺復興に尽力した「俊乗坊重源」に深く帰依した快慶が、師が大好きな玄奘三蔵のインド求法に際し出現した怪異な姿の護法神を製作したといわれている。手のひらを大きく広げ力んでいる姿は、快慶作東大寺南大門金剛力士像を彷彿(ほうふつ)とさせると感じた。