2022年7月30日土曜日

特別展「最澄と天台宗のすべて」⑪(長源寺薬師如来)

 

この展覧会通じてのテーマとして「最澄自刻の薬師如来はどのよな姿だったか」というのがある。根本中堂に今も祀られていると伝えられるが絶対秘仏のため誰も見たことない。のちの時代の天台寺院で多くの模刻像が造られたが、それぞれ個性が出ており見ごたえがあった。ニコニコ美術館で淺湫学芸員が説明していたが、仏像の螺髪は通常互い違いに彫られるがこの仏像は一直線に彫られており、そこが自刻の薬師如来らしいいとの説明だった。実際の仏像は150センチ余りの堂々とした体躯の仏像だった。最澄自刻の薬師如来は朱衣金体だったと伝えられるが、この仏像は漆箔で覆われている。長源寺は京都府岩倉のお寺なので京博ならではの仏像だろう。今後も京博の展覧会は注目していきたい。


2022年7月23日土曜日

特別展「運慶 鎌倉幕府と三浦一族」①

 

今週の日曜日、4月の浅草以来久々の開催になるが、仏像クラブで三浦観音崎にある横須賀美術館に出かけた。京急の浦賀から観音崎に向かい雨のなか横須賀美術館に向かうと風光明媚は海岸沿いに横須賀美術館が建っていた。入口に向かうと今回の800年遠忌記念特別展で見れる仏像のパネルが迎えてくれた。品のいいご婦人がこの特別展の見どころが書かれた小冊子を配っていたが、後でニコニコ美術館でこの展覧会の解説をした富田学芸員だとわかった。展示室1では運慶以前の三浦半島の文化の紹介で飛鳥時代・奈良時代の瓦が展示されており、三浦地方がその時代できわめて先進的な文化があったことや三浦義明の像などが展示されていた。展示室2では運慶の浄楽寺毘沙門天や不動明王、以前、金沢文庫運慶展に出品された清運寺毘沙門天が展示されており、県立金沢文庫と共同開催するこの特別展も仏の瀬谷さん色が強い構成となっている。圧巻は何度もお寺に足を運んだ満願寺の観音菩薩・地蔵菩薩で広々とした展示室でより大きく見えた。他にもここ三浦だから見られる仏像が多く展示されており見どころが多かった。大雨の中、浦賀に戻り有名な中華料理広香居で餃子や炒飯をいただきながら大いに語る仏像クラブの面々だった。

2022年7月16日土曜日

特別展「大安寺のすべて」⑩(四天王のうち持国天)

大安寺に伝わる四天王は作風の相違から当初の組み合わせとはみなしがたいものの、いずれもカヤとみられる針葉樹の一材から彫りだす構造で、重厚な体つきや各所に文様を彫りだす点も共通性がある。大安寺の菩薩像と同じく後補部が多く伝持国天・伝増長天は肩より先、他の四天王も後補であるため手の構えが当初とは異なり、現在の名称も入れ替わっている可能性が考えられる。ニコニコ美術館でN藤研究員もっともすぐれた出来栄えが多聞天と言っていたが、確かにそうだと感じた。だがそこが写真家のみせどころで、あえて駄作という印象の持国天をすばらしくみせている。持国天は四天王のうち最も像高が高く頭髪の毛筋彫りや腰にベルト状の帯を回すなど他の四天王との差異が目立つ。伝広目天のポーヅから東大寺戒壇院厨子の神将像と同じ鞘裁きから早良親王のもと大安寺の復興がなされた8世紀までさかのぼる説がある。謎に満ちた四天王だった。
 

2022年7月8日金曜日

特別展「最澄と天台宗のすべて」⑩(横川中堂の聖観音)


 初めて比叡山を訪れたのは2014年の秋だった。その際、比叡山山内を走るバスで横川中堂に向かい、目に鮮やかな紅葉の中、お堂の奥のガラスケースに安置している聖観音に参拝した。京博開催の「最澄と天台宗のすべて」展に行こうと思ったきっかけは東京で出展されないこの聖観音を間近に鑑賞できるまたとない機会だったからだ。京博1Fの仏像コーナー多くの仏像とともにガラスケースに入った聖観音を拝した。以前は間近に拝めなかった仏像の愛らしい表情に魅了された。左手で未敷蓮華を執り、その蓮華に指を捻じた右手をそえて、花弁を開こうとする姿の観音像は全国天台寺院で見られるがその根本像である。脇侍に毘沙門天を付けたのが円仁、不動明王を鬼大師こと良源が付け加えて三尊形式にしたとのこと。円仁安置の当初像とも伝えられるが定朝風の彫りの浅い穏やかな作風は平安時代後期のものと考えられる。帰りに聖観音の絵葉書と京博お馴染みの聖観音全身像の「手拭い」を購入して大満足して会場をあとにした。

2022年7月2日土曜日

東大寺戒壇院千手堂の千手観音


 奈良で展覧会を見に行く予定だったGWの旅行で余った時間で見たい仏像を探していたが、小学館から「古寺行こう」と隔週ブックが発刊され、修理のため拝観停止した戒壇堂に代わり、東大寺戒壇院千手堂が2023年まで公開されている情報が載っていた。東大寺は秘仏が多く12月の法華堂執金剛神立像や10月の快慶作僧形八幡神などがある。いくつかは展覧会で見たがこの千手観音は初めて見る。千手堂に入ると中央の鎌倉時代の黒漆塗厨子の中に像高74センチの全身が金色に荘厳された千手観音像を装飾性に富む四天王像が取り囲む。千手観音はヒノキの寄木造で金泥を塗り、華麗な装飾を施されている。その像容から鎌倉時代後期の作と認められている。鎌倉時代後嵯峨院が東大寺僧に宮中の二間観音を下賜したと記録にありそれがあたるのか。京都から奈良に下賜されたならば院派仏師の製作かもしれない。円成寺のバスの時間も気になるので三好和義氏撮影の千手観音のクリアファイルと御朱印をいただき東大寺をあとにした。