2011年3月26日土曜日

黒石寺の薬師如来

平成21年の夏岩手を旅した際、黒石寺を訪れた。最近はお寺でもホームページを開設しているところが多く、黒石寺にはHP上で訪問する旨のメールを事前に出しており、お待ちしていますとの返事をもらっていた。お寺についてのが少し早かったので、電話して案内をお願いした。収蔵庫の中に黒々とした薬師如来が居られた。堂内は外の夏の日差しのせいで暗く感じ、目が慣れるにつれて仏像の全体像が浮かび上がった。吊りあがった目、突き出した唇異相の迫力が印象的だった。見仏記には顔が長いと書いてあったがさほど感じなかったが、パンチパーマのようなボコボコと髪が固まった、いわゆる螺髪(らほつ)の粒は大きかった。「九世紀の貞観仏(じょうがんぶつ)の規範となった仏像です。」とお寺の方が誇らしく語っていたのが印象的だった。坂上田村麻呂の蝦夷征伐の時期に作られた。蝦夷の長アテルイなる人物とかかわりがある仏像だという説もある。本堂には日光・月光菩薩と大きな四天王がありこれまた東北的な素朴で力強い作品だ。黒石寺はここには確かにひとつの文化があったと感じさせる寺院だった。

2011年3月19日土曜日

興福寺の金剛力士像

平成20年奈良を訪れた際、興福寺国宝館に向かった。当時は蛍光灯の下ガラス張りで仏像を拝観する方法がとられていて、あの100万人が見た阿修羅像もいまいち迫力がなくあまり印象に残らなかった。しかし鎌倉時代の金剛力士だけは別だった。あうんの金剛力士像に目を奪われた。首すじに血管が表現され慶派のリアリズムを追及した表現がよく現れている。あうん双方の金剛の前では誰もが息を詰めてしまうだろう。仏師定慶の作だといわれている。この
定慶は作品が多く残っているが、運慶の父康慶との師弟関係もはっきりしない謎の仏師だ。東金堂の十二神将など定慶の作だといわれている。運慶に勝るとも劣らない力量がある。興福寺国宝館は昨年リニューアルして露出展示や照明などが変わったため、より迫力が仏像が鑑賞できる。機会があればまた訪れてみたいと感じた。

2011年3月13日日曜日

興福寺南円堂の不空羂索観音(ふくうけんさくかんのん)

平成20年秋に奈良を訪れた。きっかけは西国三十三ケ所巡礼特別御開帳で南円堂の不空羂索観音が通常10月17日だけしか御開帳されないのだが、この年は約1ケ月開帳されるというからだ。興福寺不空羂索観音は大仏師運慶の父康慶の数少ない作品のひとつで鎌倉時代の仏像だ。さすが御開帳とあって善男善女が多く参拝に来ており、南円堂に列ができていた。お堂の中に入ると、国宝の不空羂索観音を中心にそれを四天王が囲む配置となっている。本尊の不空羂索観音は像高4メートル近くで、台座・光背を合わせるとゆうに5メートルをこえる巨像だ。御開帳の日のため手から五色の糸で作られた羂索が伸ばされており参拝客と結縁するしかけとなっている。本像は平家の焼き討ちにあった天平時代の不空羂索観音を九条兼実の指導で正確に再興したとのこと。光背や台座の形も天平の古典様式が踏襲されている。うねりの強い目鼻立ちや大きな耳輪、指先のつめの先まで天平仏の風が示されている。われわれは諸仏に圧倒され立ち去りがたい思いを胸に南円堂を後にした。

2011年3月5日土曜日

法隆寺の阿弥陀三尊

法隆寺の阿弥陀三尊の阿弥陀三尊に出会ったのは2009年の「国宝阿修羅展」だった。その後、阿修羅展を再訪したときと昨年法隆寺の大宝蔵院で鑑賞できた。この阿弥陀三尊は阿修羅にかかわりがある光明皇后の母「橘三千代」の念持仏と伝えられている。大海に蓮の花が咲く大海原から阿弥陀如来と勢至菩薩・観音菩薩が蓮の花の上に現れるすばらしい構図だ。阿弥陀如来の手には水かきがあり人々の願いをあまねく救う。阿修羅展では展覧会の照明もあいまって、劇的な印象を受けた。後ろの屏風にも阿弥陀如来を敬う観音などの菩薩が表されて、観音が天蓋に登っていく様が描かれているのを会場で双眼鏡で覗き込んだ。飛鳥時代の傑作で国宝に指定されている。穏やかな表情の仏にいつまでも酔いしれた。