2015年4月29日水曜日

甲斐善光寺の阿弥陀三尊

今週の日曜日に山梨県の甲斐善光寺に仏像クラブで出かけた。今年は七年に一度の善光寺式阿弥陀の御開帳の年にあたり、4月から5月まで全国の善光寺で行われる。JRの酒折駅を降り甲斐善光寺に向った。善光寺につくと写真でよく見かける信州善光寺とそっくりの本堂が見えてきた。寺伝によると戦国武将の武田信玄が川中島合戦のおり、信州善光寺に戦火が及ぶのを恐れ、甲斐の地に本尊と宝物を移したという。さっそく本堂にあがると奥の高いところに厨子があり、阿弥陀三尊が祀られていた。甲斐善光寺の阿弥陀三尊は信州善光寺の絶対秘仏の本尊を模したと伝えられていて、像高150センチ足らずで銅造の鎌倉時代の仏像だ。双眼鏡で覗いたU案内人が少年のようなお顔をしているとつぶやいた。私も双眼鏡で覗いたが写真でみるより実際は美少年の顔だちをしておられた。胎内めぐりをして宝物館にある阿弥陀三尊を鑑賞して甲府へ向った。


2015年4月22日水曜日

九州仏③浮嶽(うきたけ)神社

私が九州仏探訪のきっかけとなったのが、井上正氏の『続・古佛』という本に出会ったからだ。サイトで紹介されて知ったのだが、たまたま近くの本屋にあり購入した。浮嶽神社の欄には白黒だが、仏像の写真があり神像のような雰囲気の像だった。その後九州仏展の図録や実際に現地に行って来た人のブログを見て実際に会いたいと思っていた。神社に予約して収蔵庫を開けてもらった。立像の菩薩と地蔵尊、座像の伝薬師如来と阿弥陀仏があり、圧倒的迫力で迫ってくる。右端の如来立像は「続・古佛」によると頭部が小さく、腰以下を長く設定した異常なプロポーションで、唐招提寺木彫像や元興寺薬師如来などにみられる典型的な奈良式のプロポーションに属するとある。このことから著者の井上氏は製作年代を八世紀とみている。地蔵の袖口は、大きな口をあけて風をはらむかのようである。如来坐像は左側面から背面にかけての衣文はダイナッミックな動きを見せる。ここ九州で1番大陸の風を感じた仏像郡だ。じっくりと拝観し次のお寺に向かった。

2015年4月21日火曜日

九州仏②龍岩寺

今日の午前中は大分の宇佐を中心に回った。最初に訪れた龍岩寺は十代のこ
ろ一度訪れたお寺だが、その時の印象が強烈でいまでも覚えている。朝一番でタクシーで向かい山中にある奥院礼堂を目指して、急な山道を登って行くこと10分、木々の間に岩に張り付いた奥院礼堂が見えた。喜びいさんで中に入ったが、中は以前より暗かったが、意外なことに、仏像の座るあたりは明るかった。昨日の大雨で外陣の窓を締め切っていたためだ。格子越しに内陣を覗いて息を飲んだ。三体の巨像が白い体躯から淡い光を放って鎮座している。向かって右から薬師・阿弥陀・不動の三体でどれも三メートル弱の坐像で、しかも簡素な木彫りである。螺髪の表現のない頭はこけし状になっており、彩色もなく彫りの浅い三体はまるで神像のようだ。神仏習合の宇佐にふさわしい仏像だ。三体の目の表現もシンプルながら巧みで、中央の阿弥陀は上まぶたのみが彫りだされ、いわばその影が思索にふけるような半眼に見える。思い切って訪ねてよかったと思った。立ち去りがたい気持ちのまま、宇佐の次のお寺に向かった。

2015年4月20日月曜日

九州仏①真木大堂

本日より九州仏鑑賞の旅に出かけている。きっかけは、昨年U案内人が買って来てくれた九州仏展の図録を見てからだ。本日は仏像の宝庫、国東半島にあるお寺を巡った。午前中に二箇所午後に二箇所周り、最後に真木大堂にたどり着いた。中に入ると中央に阿弥陀仏と四天王。隣は大威徳明王と不動明王と二童子がいらした。阿弥陀如来は指先と耳に若干の金が残る他は、その肌は漆黒に染まっている。四天王はみな一様に外側に開いた格好で置かれ、本尊を守っている。大威徳明王の色の剥げた顔は紫に近い色に染まり、牙をむいている。帰宅して見仏記を読み直してみると、みうらじゅん氏が700年前に火災で燃える前は五大明王全部そろった立体マンダラ状態だったのではないかと発言している。たしかにうなずける。不動明王は二童子を従え、後補の迦楼羅炎(かるらえん)に守られて立っている。大威徳・不動どちらも日本最大の木彫仏との事。ガラスごしながら充分の迫力で迫って来た。明日は宇佐を周り、午後から日本最大の馬頭観音に会いに観世音寺に向かう予定だ。

2015年4月19日日曜日

インドの仏展①

本日(18日)東博に「特別展インドの仏」を見に行った。インドの仏展は古代イン
ド美術コレクションで名高いコルカタ・インド博物館からインド仏教美術の至宝が来日して開かれる展覧会だ。インド仏像大使にみうらじゅん氏・いとうせいこう氏が任命されて話題にもなっている。展示会場は東博平成館休館のため、普段入れない表慶館で開催された。ドーム型の屋根の表慶館の中に入ると日経デジタルの記事にあったいとうせいこう氏が言うところ、「シースルー」と呼ばれる「仏立像」が出迎えてくれた。「仏像誕生以前」のコーナーにはブッダの姿を象徴的に法輪で表したレリーフがあり、みうらさんが「フォーリン(法輪)ラブ」と呼ぶ浮彫が展示してあった。「釈迦の生涯」のコーナーではマーヤ夫人の脇の下から生まれるブッダの姿を表したレリーフや釈迦の出家のシーンを彫刻のように表した浮彫がよかった。表慶館には2階の展示室があり、順路に沿って進むと弥勒菩薩坐像が迎えてくれた。2階も見所が多く、ストゥーパや絵つきの経典などが展示されていた。最後のコーナーが「密教の世界」のコーナーで魔利支天やターラ女神の展示があり、特に気に入ったのがカサルバナ観音立像だった。一時間以上かけて鑑賞したがそれでも時間が足りないほど内容が充実した展覧会だった。記念のグッズの「インドの仏」カレーを購入して会場をあとにした。

2015年4月17日金曜日

運慶国宝仏と再会する

本日(16日)、休暇中を利用して静岡伊豆の国市の願成就院と、かんなみ仏
の里美術館を巡った。願成就院は仏像クラブで数回訪れたことはあったが、昨年国宝に指定されてからは初めてで、山本勉先生とその恩師である水野氏の共著であるお寺発行の解説本を購入するのが目的だった。昨年夏に山本勉先生のツィッターで発刊されていたことは知っていたが、お寺でしか購入できないため手に入れるのが本日になってしまった。歩きなれた道を願成就院に向うと、受付でご住職自ら対応いただき、国宝指定を機にお寺の解説本を一新されたとのこと。郵送の依頼が多く困っているご様子だった。先に解説本を購入してから大御堂に入り国宝運慶仏の阿弥陀如来・毘沙門天・不動明王及び二童子と再会した。以前のように仏像の真下に立つことは出来なくなっていたが、危惧していたようなガラスケースはなく、両脇からではあるが、近くから拝観できた。お堂の照明も増え仏像のお姿もよく見えるようになっていることにホットした。水野氏執筆の大御堂の運慶作諸尊像を読みながら見ていくと、毘沙門天に踏まれている邪鬼が手を伸ばして戟(げき)の柄の尻をつかんでいるとの記述があり、今まで気がつかなかったことに気づかされてより有意義に鑑賞できた。いい解説本が入手でき満足して、新緑に映えるお寺をあとにして「かんなみ仏の里美術館」に向った。

2015年4月12日日曜日

みちのくの仏像展⑤秋田小沼神社の聖観音

今回開催された「特別展みちのくの仏像」の出展作品の多くは、2012年に刊行さ
れた「別冊太陽みちのくの仏像」にて紹介されてている。展覧会図録によるとこの別冊太陽の監修者がこの展覧会にもかかわったとのこと。ここで紹介する小沼神社の聖観音も大きく取り上げられた仏像のひとつだ。小沼神社はその名前の通り、山の中にある小さな沼のほとりにある神社だという。以前ネットで小沼神社の写真を見たが、きれいな緑に囲まれた素敵なところで、神社には十一面観音とこの聖観音が祀られており、特に今回出展された聖観音は神像の雰囲気を醸し出している仏像だと感じた。他の仏像に比べても細身で伸びやかな仏像だ。像高170センチとほぼ等身大の仏でケヤキの一木造りの平安仏。東博でも紹介していたが、頭上にゆきんこのようなめんこい化仏を乗せているのが特徴的だ。以前からみちのくの仏像に注目してきたが秋田にこのような仏像が祀られているとは知らなかった。いつか機会があれば小沼神社を訪れたいと思った。

2015年4月4日土曜日

世田谷観音寺の不動明王及び八大童子

仏像クラブで先週の土曜日午前中に淨眞寺の九体阿弥陀を拝観し、昼食後
希望者のみで世田谷観音寺のご開帳に立ち会った。渋谷乗換えで三軒茶屋に向かい、世田谷観音寺に向った。初めに観音堂に入ると中央に安土桃山時代の聖観音と南北朝時代の院派の日光・月光菩薩が祀られており、しばらくしたあと簡単な読経が流れた。お寺の方のありがたい法話のあと不動堂に向うよう促された。不動堂のなかに入ると、康円の不動明王と八大童子が祀られていた。お寺の僧が護摩をたき、密教法具を振りかざし、檀家の方がお経を読む厳粛な雰囲気が過ぎると、順番に間近で拝観できた。中央の不動明王と八大童子すべてが運慶の弟子康円作。周りを思い思いの姿をした八大童子が囲んでいる。威厳より親しみやすさを重視し、仏と一体の気分になれるよう表現上の工夫が凝らされたいるあたりに、康円の個性が発揮されている。お寺の方のご配慮でゆっくり鑑賞ができ不動堂をあとにした仏像クラブの面々だった。