2016年5月28日土曜日

新指定国宝・重文展③浄山寺の地蔵菩薩

GWに開催された「新指定国宝・重文展」で私が楽しみしていたのが埼玉浄山寺
の地蔵菩薩だ。「神奈川仏教文化研究所」のサイトをみると昨年無指定から県指定となった地蔵菩薩が今年の3月に国指定とスピード出世した平安前期の県内最古の仏像だという。いままでは毛呂山町の桂木寺釈迦如来が埼玉で1番古い仏像だったが、東日本大震災の時壊れて早稲田大学に修理をしてもらって平安時代前期の仏像だと判明したようです。像高は92センチ弱で穏やかな表情をしていますがなんと言っても衣文が深くダイナミックに彫りこんだ抑揚重文な表現とのこと。ガラスケース越しの拝観であったが衣文のすばらしさが平安前期の雰囲気を持った仏像だった。毎年の国宝・重文の発表ではいろいろな発見があるが来年の御開帳では是非お寺を訪ねてみたいと思った。

2016年5月22日日曜日

聖地チベット-ポタラ宮と天空の至宝展の思い出①十一面千手千眼観音

国宝阿修羅展が開催された平成21年の秋に上野の森美術館で聖地チベット-ポ
タラ宮と天空の至宝展を見に行った。会場に展示されている仏像はどれも今まで見たことがないチベット密教の仏たちで興味深く鑑賞できた。怪しげな目線で腰をひねらせて立つ高さ160センチの弥勒菩薩像や魅力的な緑のターラー女神像などが会場ところせましと展示されておりチベット密教の世界に引き込まれた。圧巻だったのがパンフレットの表紙を飾る十一面千手千眼観音で像高77センチの17世紀作の銅造鍍金の仏像だが、なんと言っても十一面が5段につみあがった様が印象的だった。手は宝珠や弓矢をとる本手8本と小手992本の真数千手観音で小手それぞれの手の平に目が描かれていた。この展覧会のことを思い出したのは最近購入した「新モンゴル紀行」という本で東洋のミケランジェロといわれる仏師ザナバザルの仏教美術を目にしたからだ。いつかモンゴルに仏教美術を鑑賞しに出かけたいものだ。

2016年5月15日日曜日

新指定国宝・重文展②(宝山寺の制多迦童子)

先日拝観した宝山寺の制多迦童子をはじめて知ったのが、平成20年8月に購
入した「美仏巡礼」という雑誌だった。そこで慶派の松本明慶氏が次代の国宝として運慶の六波羅蜜寺「地蔵菩薩」・快慶の醍醐寺「弥勒菩薩」とともに紹介されていた。その仏像が東京で見られるとのことで、期待していたが、期待を裏切らない出来栄えの仏像だった。童子の右顔と左顔では印象がちがうなと思ったが、松本明慶氏によると「顔の正面に向かって右側は子供の顔に見える一方で、左側から眺めると思慮深い大人の顔に見えることでしょう。子供と大人、動と静が共存しています。」とのこと。この仏像の作者は文化庁の解説によると宝山寺を創建した湛海(たんかい)律師の仏像製作を支えた院達(いんたつ)という仏師とのことだが、松本明慶氏によると「湛海律師自身がプロデュサーやディレクターの役割を担って製作したと思われます。」とのこと。童子像には見事な截金が施されていたが明慶氏は「仏師が木に彫ったあとの工程で活躍する塗師らの集団も、湛海律師が徹頭徹尾指揮したことで、彼が思い描く世界をそこに実現できたのだと思います。」とのこと。湛海律師の関与を大きくとり上げた内容になっていた。今回重要文化財展このほか矜羯羅童子も出品されていたが他に指定された不動明王を含めての五体の仏像と倶利伽羅竜王像についても指定されたが、出品は二童子だけだったことが残念だ。この仏像に出会えたことを感謝して会場をあとにした。

2016年5月7日土曜日

平成28年新指定国宝・重文展

本日(5月6日)「平成28年新指定国宝・重文展」を見に東博に出かけた。今年は
国宝4件、重文48件の指定がされたが、彫刻が集まる本館第11室のみの鑑賞となった。入口の単独のガラスケースには水-神秘のかたち展で出展された「長快の十一面観音」が置いてあったが、水展であった光背がはずされての展示のため迫力をそがれたかっこうだ。意外によかったのが、大阪清泰寺の伝文殊・伝普賢で解説によると奈良国博の薬師如来に顔つきや身体構成が似ていると書かれていたが、確かに頬の下膨れの感じが似ていた。埼玉浄山寺の地蔵菩薩の衣文のすばらしさや、MOA美術館の像高43センチ足らずの十一面観音の細工の細かさに驚嘆しながらお目当ての宝山寺の制多伽童子・矜羯羅童子の前に進む。制多伽童子は写真で見るより迫力があり衣の截金もすばらしかった。横を向く矜羯羅童子の奇抜さに圧倒された。帰りに法隆寺国宝館の伎楽面の部屋が開いていたので入場してから東博を後にした。毎年見ごたえがある国宝・重文展だが今年もいい仏がそろったとの感想を持った。

2016年5月4日水曜日

秋篠寺の梵天

平成25年に「なら仏像館」を訪れた際、奇託品の秋篠寺梵天に出会った。秋篠
寺は「東洋のミューズ」といわれる伎芸天で有名なお寺だが、この梵天も同じく頭部は奈良時代の脱活乾漆造、体は鎌倉時代の木造という仏像だ。お寺の伝承では梵天になっているが、体は甲(よろい)をつけた上に条帛(じょうはく)をかけ裙(くん)をつけており、帝釈天を思わせる仏像だ。秋篠寺には帝釈天も伝わっており、よくある取り違えのように思われる。当時はうす暗いガラスケースのなかでの展示だったが、すばらしい造形に圧倒された記憶がある。こちらの日本仏像展に出展されるとの事、鎌倉時代の仏師の技術の高さに多くのイタリア人が感嘆することだろう。

2016年5月2日月曜日

鎌倉来迎寺の如意輪観音に再会する

昨日(4月30日)によい天気だったので、鎌倉西御門(にしみかど)にある
来迎寺に拝観に出かけた。仏像クラブでは2回ほど拝観したことがあるが、「新TV見仏記」のDVDを見たとき、みうらじゅん・いとうせいこう氏が有名な如意輪観音と共に、地蔵菩薩・跋陀婆羅尊者(ばだばらそんじゃ)のについても紹介しており、再訪して確かめないわけにはいられなかったからだ。来迎寺はおどり念仏で有名な一遍上人の遊行寺の末寺で、本尊は阿弥陀如来だが見るべき仏像は客仏の地蔵菩薩や如意輪観音だ。「新TV見仏記」で御住職が室町に造られたこの地蔵菩薩のことを「法衣垂下像」の鎌倉の代表的地蔵として奈良博の「鎌倉の仏像展」に出展されたことや跋陀婆羅尊者はお風呂の神様であることなどが語られていた。たしかに地蔵菩薩は台座を覆い隠すように法衣がたれさがっており、尊者像も靴をはきお風呂のお湯をかき回す棒をもたれていた。いつもの如意輪は鎌倉地方にのみはやった「土紋」(どもん)をつけており、美術史的にも貴重な二体が同時に見られるありがたいお寺だった。帰りに御朱印をいただいてつつじ咲く鎌倉をあとにした。