2022年12月30日金曜日
2022年12月17日土曜日
大原来迎院の薬師如来・釈迦如来・阿弥陀如来
今年の秋の京都非公開文化財特別公開では、大原来迎院が選ばれていた。以前も大原を訪れた際訪れたが、三千院から離れているせいか拝観する人も少なくひっそりと仏を拝観できるいい寺だった。山道は紅葉に染まりその中を来迎院に向かった。本堂に入ると中央に薬師如来、向かって左に阿弥陀如来、右に釈迦如来が三尊形式で安置されていた。いずれも平安時代後期の寄木造で整った穏やかな作風と評されている。開山は慈覚大師円仁で天台声明の根本道場と伝えられている。光背も修理したばかりか輝いており、以前にはなかったパンフレットを大学生が製作したとのこと。ただし案内する人もいなく少し残念だが、感染症蔓延の時期中止にならなくてよかった。そんなことを考えながら京都の町中に帰っていった。
2022年12月10日土曜日
新薬師寺の薬師如来
11月19日(土)に室生寺から奈良に戻りバスで高畑へ向かった。白毫寺に向かおとしたが時間がないので旧新薬師寺の遺構が埋まっている奈良教育大学前を通って、新薬師寺に向かった。新薬師寺は光明皇后が聖武天皇の病気平癒を願って創建されたが、その七仏薬師があった新薬師寺は現在とは別の場所にあったとは聞いていたが、では現在の新薬師寺は誰が立てたのだろう。仏の瀬谷さんは芸術新潮で天武系から天智系へ皇統を奪還した光仁天皇だという。光仁天皇勅願の秋篠寺の本尊が新薬師寺と同じ一尊七仏薬師(光背に化仏を配し、本体と合わせて七仏とする)に似ているとのこと。今回は御朱印をいただくため本堂にとどまっていたため、じっくりと本尊や十二神将を参拝する時間があった。光背は二十円光背で頂上に宝珠。外側にはアカンサスという植物の葉モチーフにするシルクロード由来の文様と六体の薬師如来像を光背に配した。ひとつのお寺でも見どころ多い新薬師寺であった。御朱印をいただいてバス亭に戻った。
2022年11月26日土曜日
京都大原三千院の阿弥陀三尊
11月18日(金)の朝、京都駅から京都バスで大原三千院に向かった。最近流行りの瑠璃光院で多くの善男善女が降りたことで紅葉の盛りであることが分かった。大原に着き参道を三千院に向かう。ものすごい真っ赤や黄色の紅葉が映える参道を写真を撮りながら進んだ。三千院は参道より少し高いのでイチョウの葉はすべて落ちていて、黄色の絨毯ができており三尊像がいる往生極楽院をそめていた。小学館の「古寺行こう」というブックによると、三千院は門跡寺院だが寺名、所在地を変更して明治維新後に移転してきたため、もとさんぞんあった往生極楽院の地にたっている。阿弥陀三尊は平安時代後期の定朝様式の仏像で、像高2.3メートルの座像だ。最大の特徴は像がぎりぎり納まるくらいしかない狭いお堂に低い須弥壇をしつらえ、三尊を配置した構造にある。それによって参拝者との距離が非常に近く、臨終者の枕元に来迎する阿弥陀三尊の姿を目の当たりにするかのような迫力がある。勝林院・来迎院を午前中にみる予定なので、そうぞうに御朱印をいただき、三千院を後にした。
2022年11月20日日曜日
清水寺の迦楼羅
今日から京都奈良の今年二回目の旅行に来ている。今日の夜は清水寺秋の紅葉ライトアップがあるので、夕飯のとりすきフルコースを頂き急いで、タクシーで清水寺に向かった。なんとか最終入場に間に合ったが、人が多いのはいつものことだ。本殿の千手観音と28部衆も金網越しにしか見られなかった。お目当ての迦楼羅様もよくわからなかった。江戸時代初期の清水寺再興造仏に活躍した運慶まっしょうを自称する七条仏所で徳川幕府の御用仏師として起用されたと思われる。清水寺の本堂二十八部衆の製作にあたった宮内郷康音である。当時は仏師界を代表する七条仏所の重要人物が幕府との関わりのなかで清水寺再興仏に活躍したのである。康音再興の奥の院から手を伸ばして、写真を撮り清水寺を後にした。
新薬師寺の頞儞羅大将
今日は奈良に朝早く起きて出かけた。室生口大野からバスで到着するとまさに目がつぶれるほど、真っ赤な紅葉に包まれた室生寺が現れた。仏像の詳細はのちほど、書くが室生寺から取って帰して特急券を車内購入して奈良に向かった。昼食を食べ急いで午後の拝観へ。新薬師寺へ13年ぶりに向かった。香薬師堂のおたま観音は事前予約が必要とのことでお堂は固く閉ざされていた。気を取り直して十二神将と薬師如来を観賞する。いつもは伐折羅大将にばかり目が行くが、隣の頞儞羅大将も迫力あるポージンクをしている。奈良旅は移動に時間かかるので、次回からは奈良に一泊するスケジュールで行きたい。また奈良と大阪が近いので、大阪から入ることでもいいだろう。そんなことを考えながら京都を後にした。
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