2012年11月17日土曜日
2012年4月7日土曜日
多田寺の十一面観音
平成2年の夏に近江・若狭の仏像を訪ねた。4日目に「海の奈良」といわれるほど多くの仏像がある小浜を巡った。この夏はとにかく暑い夏で、まず最初に訪れた多田(ただ)寺に向かうと外で涼をとらえているご住職とめぐり合い本堂の中に快く入れていただいた。そこには素晴らしい仏像が集っていた。中央に薬師立像、四隅を護るのは四天王で左右に6体ずつの十二神将がある。薬師の左手に十一面があり、右には月光菩薩がある。柔らかな顔の十一面は孝謙天皇の姿を写したと言われる。その孝謙天皇の願いによって日光菩薩の位置に安置されたとのこと。孝謙天皇はかの道鏡を天皇の位につけようとはかり和気清麻呂に阻止された、気の強い女性を思わせるのでこのような伝説が生まれたのではないか。晩年の女帝は、深く仏教に帰依し鑑真に唐招提寺を送ったことでも知られている。この十一面のお顔を見ているとおだやかな晩年をすごされた女帝の姿を写したのではないかと想像され、飽くことなく十一面のお顔をながめ次のお寺にレンタサイクルで向かった。
2012年3月24日土曜日
羽賀寺の十一面観音
福井県小浜市を訪れたのは今から20年以上前の平成2年の夏のことだった。小浜は「海の奈良」と呼ばれるほど仏像が多い地で、そこかしこの寺に古仏が祀られている。レンタサイクルを借りて回ったのだが、小浜の市内から離れた地点にあるのが羽賀寺だ。美しい十一面観音が祀られているお寺だ。檜皮葺屋根の小ぢんまりした御堂があり、暗い堂内に入ると、中央の厨司に入った十一面観音にまずは目をひきつけれらた。平安時代作の見事な十一面観音だ。かの白洲正子も絶賛した観音様で華奢なお姿に彩色がよく残っている。この世のものとは思われないほど長い右手。安定感がありながら決して太って見えない胴回り。そして、うっすらと微笑みながら威厳を保つ表情に、かの白洲正子も「元正天皇の御影とされたのも、さもあらんと思われる」と礼賛した。元正天皇はあの山田寺を建立した蘇我倉山田石川麻呂の娘で、平城京遷都の時代の帝で、仏教をあつく敬っていたという。そうしてあらためてこの観音像をみると滅んでいった蘇我氏の悲しみやはかなさを一身に背負ってこの人里離れた寺に威厳を保ちながら立っている様から、後世の人が元正天皇の姿に似せて彫ったという伝説が生まれたのではないか。小浜の地から古の奈良の都に思いをはせて、いつまでも観音像の前にたたずんでいた。
2012年3月10日土曜日
高野山と紀州仏像めぐり⑦(慈光円福院の十一面観音)
昨年の猛暑の中高野山と紀州の仏像めぐりをしたとき、和歌山市の慈光円福院の十一面観音を見にいった。和歌山駅につき昼食をすませてから慈光円福院に向かったが道に迷い散々だったがやっとの思いで寺についた。予約していたので、上品な壮年女性が待っていてくださり、厨子を開けてくださった。材はカヤで一木造だ。エキゾチックできびしい顔立ちや、頭上をめぐる天冠台(冠をのせる台)の特異な形式は中国の檀像を、日本人が消化吸収してゆくさまをありありとしめす像といえる。後で「見仏記」を読んでわかったのだが、十一面観音の中指の先が善男善女に触られて光っていたという。十一面観音は概して手が長くつくられるが、その本当の意味は膝下まだあるその手の先、中指に衝動的に触れたくなり、その指にすがり、救われたいと願い、ひれ伏す者のためにこそ十一面観音の手はいつでも長く垂れているとのこと。実際に観音様の前で親切に冷たい麦茶をいただき、こころ穏やかになった。またどこかの十一面観音を見に行くときは人々の触れられた痕跡が観音の指に残っているか確認したいと思う。
2011年10月14日金曜日
海龍王寺の十一面観音
2010年の春に佐保・佐紀路の三観音を訪ねるため奈良を訪れた。佐保・佐紀路の三観音とは不退寺の聖観音、海龍王寺の十一面観音、法華寺の十一面観音だ。いずれも静かな佇まいの古刹で奈良中心部の喧騒がうそのようだ。落ち着いた雰囲気の参道を抜けると本堂があり、厨子入りの十一面観音はそこに祀られていた。目の下がぷっくりとふくらんでおり、鎌倉時代の作ながら長いあいだ秘仏であったためよく金が残っている。左手に持っている宝瓶からは蓮が二本でており、衣の柄には金や墨で造った唐草や格子の文様を切金で表したこった細工だ。典型的な美人の観音様だ。キメ細かな素肌を思わせる、キラキラ輝くお顔に真っ赤な紅。なまめかしいウエストラインに色気を感じる。ご住職に御朱印をいただいたが、「妙智力」と記載されていた。解説の紙が添えられており、「観音様のすばらしい智慧の力は普く世間の苦しみを救いたまう」との意。今回は日帰りの奈良であったが、心が浄化され穏やかになっているのをひしひしと感じた。
2011年5月8日日曜日
白洲正子神と仏、自然への祈り展④(正子が出会えなかった十一面観音)
先月訪れた「白洲正子神と仏、自然へに祈り展」で私が一番印象に残った仏像が福井・大谷寺の「十一面観音坐像」だ。阿弥陀如来・聖観音と三尊で展示されていたが、中央でひときわ輝いていた。いずれも平安時代の作で秘仏であったため保存状態よく金箔も残っていた。大谷寺は役行者と同時代の高僧泰澄大師が創始者の古刹で、白洲正子も訪れたがこの十一面観音は見れなかったとのこと。本展覧会は正子のお孫さんがプロデューサーとして関わっておられ、祖母の果たせなかったこの仏像への思いを本展覧会で果たされたようだ。頭上面を二段におく十一面観音は歴史を感じさせる優品で、目鼻立ちはいたって穏やかで、頬や胸に適度のふくらみがあり、衣文を浅く刻み、全体的に温和な表情だ。私は何度もその前に立ち、正子がこの仏像に出会っていればどんな文を残したのだろうかと思った。
2011年5月5日木曜日
白洲正子神と仏、自然への祈り展③(細面な十一面観音)
今回の展覧会では、ほとんど素朴で味わい深い仏像ばかりであるが、この十一面観音は南山城・海住山寺から来たため、洗練された美しさがある。U案内人はそこが気に入ったのか写真で見るより細面で美しい観音様だと絶賛していた。普段は奈良国立博物館にあり、毎年10月にだけお寺で公開される観音様だ。像高は50センチもみたないかわいらしい仏でカヤの一木作りで壇像彫刻を代表する洗練された十一面観音だ。とてもバランスがとれた体つきで、作者の高度な技量を感じさせる名品だ。とくに衣文が流れるように下にたれておきながら重厚さを併せ持つところなどは小気味いい。すこし腰をひねってたつすがたに魅了された。展覧会場でひときわ異彩を放っていた仏像だった。
2011年4月29日金曜日
白洲正子神と仏、自然への祈り展②(神像のような十一面観音)
白洲正子神と仏、自然への祈り展で私が期待していた仏像が、神奈川伊勢原宝城坊の薬師三尊、海住山寺の秘仏十一面観音とこの三重観菩提寺の十一面観音だ。残念ながら伊勢原宝城坊の薬師如来は地震の影響か出展されなかったが、この仏像は三十三年に一度の御開帳が昨年にあたり、そのまま展覧会に出展されることになった。思ったより顔が小さかったが、2メートルある堂々とした観音だ。白洲正子も代表作「十一面観音巡礼」のなかで「***神秘的な印象を受けた。仏像というよりも神像に近い感じだ。」とのべている。私が見入っているとU案内人がぽつりと「くちびるに色が残っている」とつぶやいた。平安仏だがいまでも色が残るのは秘仏だからだろう。ふだんは木津川沿いの古刹観菩提寺の厨子の中にあり、展覧会に出展されなければまずおめにかかれない仏像だ。私は飽くことなくこの十一面観音をながめていた。
2011年4月24日日曜日
白洲正子神と仏、自然への祈り展①(ノーブルな十一面観音)
昨日、暴風雨の中世田谷美術館の「白洲正子神と仏、自然への祈り」展に仏像クラブのメンバーで行ってきた。この展覧会は随筆家白洲正子が後半生を通して出会った仏像・神像や面など120点を一堂に会し白洲正子の紀行文とともに見られるユニークな展覧会だった。私はこの展覧会のために白洲正子の「十一面観音巡礼」を読み込んでいたのでゆかりの仏像や神像を目の当たりにできてとてもよかった。展示構成は「自然信仰」「かみさま」「西国巡礼」「近江山河抄」「かくれ里」「十一面観音巡礼」「明恵」「道」「修行の行者たち」「古面」とエッセイの表題ごとになっている。展示品の横には必ず白洲正子のエッセイの一文が添えられており多くの文章と展示品を鑑賞しながらであったためゆっくりと鑑賞できた。NHK「日曜美術館」でも番組をやっていたので展覧会場の様子がわかっていたのでよかった。特に「十一面観音巡礼」のコーナーではいずれも正子独自の美意識に基づいた観音がところせましと並んでいて圧巻だった。中でも正子個人で所蔵していた平安時代の十一面観音はすばらしくテレビで言っていたが、「ノーブル」(気品があり高貴なさま)であるという言葉がぴったりな作品である。化仏が顔も判別できないほどすりへっており、それがこの仏像になんと言えない「気品」を漂わせている。帰りに二子玉川の高島屋のそばやで昼食をとりながら、白洲正子の愛した仏像について熱く語る仏像クラブの面々だった。
2011年1月22日土曜日
葛井寺(ふじいでら)の十一面千手千眼観音
近鉄の藤井寺でおり葛井寺はすぐ近くにあった。ここには天平時代造立の千手観音があり、毎月18日が御開帳の日にあたり、多くの参拝客が詰め掛けていた。特に4月18日は大法要にあたり敬謙な信者が熱心に祈りをささげる場となっている。私の隣の女性も経をとなえながら祈っていたが、こちらは仏像を興味本位で見にきているのがなんだか申し訳なく感じた。気をとりなおして仏像をみると頭に十一の化仏をいただく十一面観音で、聖武天皇の発願と伝えられている脱活乾漆像(だっかつかんしつ)。 まばゆい光背のごとく円形に広げられた千の慈悲の手は左右各19本の大手と左501本右500本の小手がある真数千手観音だ。大手には輪宝や宝鉢・羂索(けんさく)などの持物をもち、全体がバランスよくまとまっており仏師の力量を感じる。手前で合掌する真手は指先が触れあう刹那のかたちで、天平の匠が生み出した祈りの美だ。慈悲あふれる穏やかな眼差しもこの仏像の魅力のひとつだろう。境内にでると、うららかな春の光が満ち溢れていて、藤の花も満開でとても穏やか気分で寺をあとにした。
2011年1月15日土曜日
湖北向源寺の十一面観音
約20年ほど前になるが、夏季休暇を利用して若狭・近江の十一面観音をめぐる旅にでた。その旅行でいまでも印象に残っているのが最終日に出会った向源寺の十一面観音だ。JR高月駅から歩いて10分ほどすると、「向源寺」につく。寺には多くの善男善女が観音様を拝みにつめかけていた。小さな収蔵庫のなかに官能的なお姿でたっておられたのが印象的だった。平安時代初期いわゆる貞観仏のひとつで、おおぶりな頭上面が特徴的だ。あとで知ることになるが、後ろには「暴悪大笑面」がついておられるが当時は気がつかなかった。かの白洲正子も「信仰のある村では、とかく本尊を飾り立てたり、金ピカに塗りたがるものだが、そういうことをするには観音様が美しすぎた。」と絶賛している。私はいつまでも飽くことなく観音を眺めていた。
2010年12月30日木曜日
法輪寺の十一面観音
法隆寺・中宮寺を拝観したあと、斑鳩を散策しながら古民家風の食堂で昼食をとってから法輪寺へ向かった。法輪寺は聖徳太子の御子・山背大兄王の発願の寺だ。境内は人気がなく静かなたたずまいだった。本堂の中は薄暗かったが、飛鳥時代のご本尊である薬師如来をはじめすばらしい仏たちが露出展示で居並んでおられた。ご本尊もすばらしいが、私が特に気に入ったのがこの平安時代に造られた十一面観音だ。あとで知ることになるが、この十一面観音はかの白洲正子が「十一面観音巡礼」で絶賛した仏だ。4メートル近い巨体は、正に「丈六」と呼ぶにふさわしい仏像で、お顔もふつうより男性的に造られ、全体からうける感じが力強い。私には目が大きくいわゆるギョロ目な観音様だと感じた。三重塔やこれらの仏たちの対面はこの旅行の中の忘れられない風景として深く私の心に残るだろう。
2010年11月20日土曜日
遷都1300年奈良現地レポート(ハリウッドテンプル)
奈良旅行最終日の最後のお寺はハリウッド(聖林)寺だ。寺は狭い坂の途中にあり、しばらくすると小さな門があった。本堂には大きな地蔵があり脇のガラスケースにも、南北朝時代の味のある毘沙門天や阿弥陀三尊があり見逃せない。左手の廊下を上がると目的の十一面がある。収蔵庫の入り口からあの憧れの十一面観音が見えた。遠目からでも美しいそのお姿はガラスケースごしだが素晴らしかった。普通のお寺より照明が明るいため,お姿がはっきり見えるのがまたよかった。肉厚な胸の下が突然細くなり全体的にはスレンダーな仏だ。金箔が細かくひび割れた顔を仰ぐ。威厳に満ちた男性的な面差しの頭上に十の仏面をいただく。私はその場に座り込み飽きることなく観音像を眺めていた。
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