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2019年4月14日日曜日

運慶展⑬(浄瑠璃寺の十二神将)

運慶展の最後を飾るのが浄瑠璃寺の十二神将だ。運慶展開催前に静嘉堂文庫より運慶没後の年号が入った墨書がみつかり問題となった仏像だ。十二神将との出会いは東博11室からであった。明治期に東博に5躯、静嘉堂文庫美術館に7躯分けて保管されるようになった。その後静嘉堂文庫美術館でも修理が終わった4躯の十二神将の展覧会が平成28年に開催され仏像クラブで見に行ったが、最後に残った亥神の頭部から問題の墨書が見つかった。展覧会場では70センチ強の像がひとつひとつガラスケースに収まり照明も当てられ十二神将すべてが揃う様は圧巻だった。図録では静嘉堂文庫の発表にも触れ、運慶の子息や周辺の慶派仏師の作との説明だが、運慶没後のわずか5年後であることから運慶が構想し定慶ら息子たちに造らせたとは考えられないだろうか。浄瑠璃寺の薬師如来の周囲に江戸時代までは並べらていたとのことで、いつか薬師如来と一緒に拝観できる日を夢見て展覧会場をあとにした。


2019年3月31日日曜日

運慶展⑫(東福寺の多聞天)

快慶展から2年運慶展から1年半が経とうとしているが、いまだにすべての
作品を紹介できないほど、多くの仏像を見た。今回紹介する東福寺の多聞天も運慶作ではないかと言われる仏像だ。NHKの「運慶とは何者だ」という番組内でもこの多聞天が取り上げられ、CTスキャンの結果玉眼の抑え木が無著像と似ているという事実が紹介された。運慶展の図録ではその点が触れられていないが、新たに読み返してみると他にも着衣の部分で運慶作品を示唆することがある。それはすね当てをほとんど覆うように袴を足首近くまで下す点で、興福寺の南円堂の多聞天や金沢文庫運慶展で見た曹源寺の巳神にも見られるとういことだ。山本勉先生も高野山八大童子に似た運慶風が顕著と別冊太陽「運慶」で説明しておりまず運慶作と見て間違いないのではと思う。東福寺を訪ねる機会があればまたじっくりと拝観したいと思う。

2019年3月10日日曜日

運慶展⑪(清水寺の伝観音・勢至菩薩)

2017年に東博で開催された「特別展運慶」の第二会場には運慶作とは確定し
ていないが、作風が運慶との可能性がある仏像が息子たちの作品と一緒に展示されていた。山本勉先生も別冊太陽「運慶」でとりあげていたのが、京都清水寺の伝観音菩薩と勢至菩薩だ。最近購入した「慶派の仏たち」の著者根立氏によると頬の張りや堂々とした体つきに運慶風が見られる。特に着衣の処理が横須賀の浄楽寺の観音・勢至菩薩にそっくりとのこと。山本先生も円成寺の大日如来までさかのぼるごく初期の運慶作品の可能性を指摘している。最近見仏記を読み直してみたが京都清水寺の記載してある「ゴールデンガイド篇」にみうらじゅんのイラストでこの伝観音菩薩を発見した。前回U案内人といった清水寺は夜桜見物だったので本尊しか拝めなかったが、秘仏のオンパレードとの記載もありあらためて仏像目当てで清水寺を訪れたいと思った。

2018年4月28日土曜日

運慶展⑩(円成寺大日如来)

運慶展は昨年の11月に終了したが、最近になっても運慶の話題にはことかか
ない。JR東海の「うましうるわし奈良」キャンペーンで今月から円成寺が取り上げられ毎日デジタルサイネージで円成寺の大日如来が見られたり、真如苑真燈寺の大日如来の一般公開が目的の半蔵門ミュージアムが開館したり忙しい。円成寺の大日如来はお寺と金沢文庫展と今回で3回目だったが、展覧会の冒頭の展示だったので印象に残った。オールアバウト運慶によると玉眼を嵌入した意志的なまなざし、上半身をややそらし気味にして印を結ぶ両腕との間隔を広くとった豊かな空間性など、才気あふれる青年仏師の作品にふさわしい溌剌とした雰囲気をたたえる。JR東海のキャンペーン情報によると多宝塔でガラス越しにしか拝観できなかった大日如来が相応應殿に移り、周りを東京芸大復刻の四天王が囲んでおり、真横からもじっくり拝観できるという。また奈良に行く機会があったら円成寺を訪れたいと思う。

2018年1月20日土曜日

運慶展⑨光得寺の大日如来

昨年の運慶展には毎年夏に東博で見られた光得寺の大日如来も出展されて
いた。他の出展作品に比べて小ぶりで会場では目立たなかったが、山本勉先生や仏の瀬谷さんの文章を熟読すると運慶にとって大きな意味を持つ作品とのこと。運慶は初作の円成寺大日如来を製作したころから空海作東寺大日如来に強いあこがれをもっていた。しかしその当時から東寺の大日如来は秘仏で講堂内には入れてもらえなかった。しかし東寺の仏像修理を運慶一門が担うことになり、あこがれの大日如来に対面したのちにこの光得寺像は製作されたという。足利義兼追善のために製作されたが、そこで運慶は思う存分東寺講堂の大日如来の再現を行ったことが伺える。仏の瀬谷さんも「小像ながらも強度に満ちた豊満なたたずまいは、東寺のオリジナルに接し得たがゆえの運慶の感動と確信に由来するのではないか、などど想像を誘われてしまいます。」と言っている。今月から始まった金沢文庫「運慶展」にも出展されているので運慶の熱い思いを感じつつ拝観したいと思う。

2018年1月7日日曜日

運慶展⑧興福寺北円堂の四天王

昨年開催された「運慶展」で画期的な展示は何といっても興福寺北円堂の
無著・世親像の周りに興福寺南円堂安置の四天王像を配したところだろう。以前はこの四天王は東金堂に安置され、慶派一門の定慶作とする説があったが、金沢文庫の仏の瀬谷さんが北円堂安置説を唱えるようになり、今ではほぼ運慶指導のもと四人の息子たちが製作したことが定説化されつつある。瀬谷さん解説の芸術新潮「オールアバウト運慶」によると彼が着目したのが本来黒又は濃い青でぬられるべき多聞天の肌が白いことだった。そこで改めて着目したのが、北円堂再建に関与した解脱上人貞慶の存在。平成24年に金沢文庫で開催された解脱上人貞慶展の展示解説を仏の瀬谷さんから直接聞いたとき上人が弥勒信仰の持ち主だということを熱く語っていたが、「オールアバウト運慶」では篤い舎利信仰の持ち主で舎利の色として「白玉色」を強く意識していたことがわかったとのこと。宝塔を頭上に高々と掲げた多聞天のポーズも宝塔=舎利容器と考えれば腑に落ち、北円堂の諸像には、舎利信仰を称賛するための一貫した演出が施されているとの瀬谷さんの解説だった。確かにこの説は納得できるものであり私も彼の主張に耳を傾けざるおえないと感じた。ここに新たな運慶作の発見を感じつつ第一会場をあとにした。

2017年12月19日火曜日

運慶展⑦満願寺の観音菩薩

満願寺は浄楽寺と同じく横須賀市にあるお寺で仏像クラブでも個人的にも何
度も訪れたお寺で運慶風をよく理解した工房内の仏師が造像したといわれている。会場内では第二会場の後半に2メートル近い観音と地蔵が存在感があり圧巻である。図録には観音像が浄楽寺阿弥陀三尊の観音像に似ている説を紹介し「満願寺像も運慶の手になると考える説がある」と控えめに書かれていた。私はかねてより運慶の作品ではないかと思っていたが、芸術新潮の「オールアバウト運慶」のコラムに書かれていた瀧山寺の聖観音の光背と満願寺観音像の腕釧との共通性が書かれており俄然運慶作と確信した。鎌倉御家人に造像を頼まれていた事実から有力御家人の三浦氏の一族で一の谷ひよどり越えで活躍した佐原義連が創建した満願寺に運慶作品があってもおかしくないのでは。そう確信して会場を後にした。

2017年11月23日木曜日

運慶展⑥(瀧山寺の聖観音)

平成23年、県立金沢文庫で開催された「運慶展」には瀧山寺の帝釈天と
ともに聖観音の装身具も展示されていた。その後、瀧山寺を訪れ聖観音をはじめて拝観した時もつけていなかった。今回の東博開催の「運慶展」ではなんと聖観音に装身具をつけ展示されているとのことで、ひそかに期待していた。聖観音は像高175センチ弱で源頼朝三回忌供養のため頼朝の従兄にあたる僧寛伝が建立し、頼朝等身大の聖観音を造り、像内に頼朝の遺髪(あごひげとも)と歯が収められており作者は運慶・湛慶との記録がある。金沢文庫の「仏の瀬谷さん」によると自由にうねる天衣をはじめ、衣装の表現は高野山の八大童子のそれをさらに洗練された趣とのこと。問題の装身具だが当初は後補のものと考えられていたが、近年その大部分が造像当初のものという見解が示され今回の展示となった。唐草文様の光背としっくりして私も運慶がつけたと確信した。光背は東博法隆寺宝物館にある光背とそっくりで芸術新潮の「オールアバウト運慶」によると頼朝を聖徳太子になぞらえて、東大寺焼き討ちをした平家を廃仏をした物部氏との関係に重ねているという。いろいろ示唆に富む聖観音であった。来年の金沢文庫開催の「運慶展」では瀧山寺の梵天が展示されるとのこと。ここら辺を踏まえてじっくり拝観したいと思う。

2017年11月3日金曜日

運慶展⑤興福寺康慶作四天王

運慶展の第一章「運慶を生んだ系譜」の見どころは康慶の四天王像だろう
。平成21年の春、開催された「国宝阿修羅展」で360度拝観できたが、今回は横一列に並んだ展示だった。東博お得意の露出展示で明るい照明に照らされ布地の柄までハッキリ見える。像高は2メートル近くあり現在は中金堂に安置されているが、もともとは南円堂の不空羂索観音の眷属(けんぞく)として造られた説がある。私も南円堂を拝観したことがあるが、4メートル近い不空羂索観音にふさわしい迫力のあるお像だ。四天王は右手に宝珠、左手に剣を持つ持国天、右手に戟、左手に剣を持つ増長天、右手に羂索、左手に剣を持つ広目天、右手に多宝塔、左手に戟を持つ多聞天である。それぞれ決められた色で塗り分けられて見飽きない仏像だ。来年秋の中金堂落慶のおりにどこに安置されるか楽しみしている。その際はまた奈良を訪れたいと思う。

2017年10月29日日曜日

運慶展④(長岳寺の阿弥陀三尊)

運慶展では第一章「運慶を生んだ系譜」として主に康慶の作品の展示があっ
たが最初に展示されていたのが、初めて玉眼が使用された奈良長岳寺の阿弥陀三尊だった。平成22年秋に長岳寺を訪れて拝観したが玉眼にばかり目を奪われ、その先進性に気付かなかった。展示解説によると肉付きのよい体躯や深く刻まれた丸みのある衣文などに、いちはやく鎌倉彫刻が先取りされているという。特に顕著なのが右ふくらはぎ上に表される三角形状の衣のあしらいで、康慶作興福寺不空羂索観音や願成就院の阿弥陀如来・浄楽寺の阿弥陀如来に継承されていくという。作者は奈良仏師で康助とみられ後継に孫の成朝ではなく康慶を選び慶派誕生のきっかけを作ったことで知られている。定朝様全盛の時代に康慶に己の先進性を継ぐものとして康慶を選んだことが作品でもよく分かった。

2017年10月21日土曜日

運慶展③(六波羅蜜寺の地蔵菩薩)

最近放送されたNHKBS「仏像ミステリー 運慶とは何者だ」では私が
京都で見た六波羅蜜寺の地蔵菩薩のCT映像も放送で初めて発表された。それによると地蔵菩薩の像内納入品に五輪塔とともに大量の紙が収められていることが地蔵菩薩を上から輪切りにした映像が流されていた。この映像と私が以前購入した山本勉先生の著作「運慶に出会う」の解説をまとめるとこのようになる。この地蔵菩薩は八条高倉に運慶自ら建立した地蔵十輪院の本尊で、運慶作品にしては珍しく一木造りであるのは運慶一族に師や先祖を弔うために地蔵菩薩をつくる伝統があったとのこと。中に入っていた大量の紙は昭和初期に調査された際発見された「印仏」で地蔵菩薩を刷った343枚の一部であり得る。このことから山本先生が指摘した運慶の師であり父である康慶の菩提を弔うためにつくられたのであろう。現在のCTの技術から運慶の思いまで類推することができるのは素晴らしいことだ。ただ番組中に女優の壇れいさんが「触れてみたいようだが、触れてわいけないよう」と言っていたようにここは永遠のミステリーにしたいと感じた。

2017年10月14日土曜日

運慶展②(真如苑真澄寺の大日如来)

運慶は平成の時代になってもニュースになる新たな発見がある仏師だ。新出
の大日如来がニューヨークのオークションにかけられたり、最晩年作が金沢文庫で発見されたり、最近では運慶作と思われ今回出展された十二神将のひとつから運慶死後の年号が書かれた墨書が発見されたりと話題に事欠かない。しばらくの間毎年夏の東博での展覧会に出展されていた、運慶作真如苑真澄寺の大日如来にも今回の展示で驚くべき発表がなされていた。文化庁がボアスコープ(棒状の内視鏡)で大日如来の耳穴より挿入し仏像の内部の撮影に成功してたとの発表。また東京国立博物館がCT調査によりX線写真では分かりづらかった心月輪や五輪塔という像内納入品をより明確に撮影に成功した発表。どちらも静止画での説明のためいまいちイメージがつかめなかったが、先週の土曜日NHKBSで放送された「仏像ミステリー運慶とは何者か」でCG動画がながれ全体像がつかめた。真澄寺の大日如来の胎内は黄金で彩られ、5色の五輪塔形木札が梵字とお経で荘厳されており、水晶製の心月輪と五輪塔が収められているという。驚くべきことだ。だれも見れない仏像の内部にこれだけの仕掛けをするのは運慶しか考えられない。ぜひ東博のミュージアムシアター向けにVR作品が製作され大画面でゆっくりと解説が聞けるようになることを期待している。


2017年10月7日土曜日

運慶展①

今週の日曜日、仏像クラブで東京国立博物館平成館で開催の運慶展に出かけ
た。仏像クラブは発足以来、静岡の願成就院や横須賀浄楽寺、遠くは奈良の円成寺や興福寺を訪れ、運慶仏がひとつのテーマになって活動して来た。今回は運慶仏の31体のうち22体が集結するといううたい文句で期待が高まる。会場に入ってすぐに円成寺の大日如来が展示されていた。露出展示で見る初めての運慶の初作に引き込まれた。第一章「運慶を生んだ系譜」では初めて玉眼が使用された長岳寺の阿弥陀三尊が期間限定で展示されており、お寺で見た時よりすばらしく感動した。阿修羅展で見上げた像高2メートルの康慶の四天王や運慶作興福寺仏頭が並び、第二章では運慶の東国で活躍した仏像から京都・奈良での残された仏像が並ぶ。高野山の八大童子はガラスケースで間近に見れてよかったし、興福寺北円堂の無著・世親を囲むように最近運慶作と認められた、南円堂の四天王のコーナーは圧巻だった。第二会場では運慶作の可能性がある清水寺の観音菩薩・勢至菩薩や仏像クラブでおなじみの満願寺の観音・地蔵から運慶の後継の湛慶の毘沙門天や康弁の天燈鬼・龍燈鬼が並び、最後に問題の浄瑠璃寺伝来の十二神将が展示され、まさに息つく暇もない展示にU案内人も快い疲れを感じたと感想をのべていた。帰りにU案内人紹介の御徒町のそばやでおいしいそばを食べながら大いに運慶展の話題で盛り上がった仏像クラブの面々だった。