2018年12月29日土曜日

特別展京都大報恩寺快慶・定慶のみほとけ④(伝菅原道真作千手観音)

上野で開催されていた特別展「快慶・定慶のみほとけ」のトップを飾る展示
がこの千手観音だ。大報恩寺自体は鎌倉時代に藤原秀衡を祖父にもつ義空により創建されているが、創建以前の仏像も収蔵されている。千手観音のその一つで、図録では歯切れが悪く「元々別のお寺にあったもの」というだけではっきりしなかったが、最近購入した雑誌では「菅原道真が梅の古木で彫ったと伝わる」と断言している。大阪道明寺にも同様な伝説をもつ十一面観音があり伝説の域をとどまるので図録はあえて記載しなかったのであろう。制作は平安時代前期であるが、神護寺薬師如来像のように胸や腹の肉付きを強調するのではなく、頬こそ肉どり豊かだが、腰高であることもあって重量感を感じさせない。平安時代後期の繊細で穏やかな仏像の過渡期の表現とういう見方も興味深い。展示の冒頭から興味を沸かせる千手観音だった。

2018年12月22日土曜日

特別展京都大報恩寺快慶・定慶のみほとけ③(快慶の十大弟子)

展覧会場では行快の釈迦如来の周りに釈迦の10人の弟子「十大弟子」が展示
されていた。10体揃って寺外初公開で、快慶の主導で快慶の弟子と運慶系の仏師が鎌倉時代に製作した快慶最晩年の名作だ。図録によると頭部の作風より運慶系の4体と快慶一派の6体にわけられるという。運慶系はゆがみやくぼみがあり人体の生々しさが表現されており、快慶一派は女子一番人気の阿難陀(アーナンダ)を代表するように球形に単純化されている。私が一番気に入ったのは快慶の墨書が足ほぞより発見された神通第一の目犍連(モクケンレン)で衣に快慶お得意の切金で彩色を凝った彩色を施している。老いの描写を気品のある表現にまとめあげる力量と出来栄えから快慶その人の作であること間違いないという。会場は作品保護のため照明をおとしていたためよく解らなかったが、行快作の墨書がある持律第一の優婆離の背中の衣も切金で素晴らしい彩色が施されていた。今回の展覧会で二度とない機会にじっくり十大弟子が鑑賞できてよかったと思う。

2018年12月15日土曜日

東京日野の仏像巡り

今週の日曜日に仏像クラブで東京日野の仏像巡りに出かけた。紅葉のラス
トチャンスの高幡不動と以前、七福神で訪れたことがある安養寺を巡るコースだ。高幡不動は関東随一の巨像不動で平安時代作の丈六仏。地方仏師による作で、総重量は1トンあるという。不動堂には身代わり不動があり、そちらを参拝してから奥殿の寺宝を参拝した。ここには境内奥の大日堂に以前あった平安時代の大日如来もあり、奥へ進むと不動三尊が間近に見れた。鐘楼近くの紅葉を鑑賞してから昼食を済ませ、2時に安養寺に向かった。今回は初めて他のグループと一緒の鑑賞となった。ご住職の説明によると阿弥陀三尊はもとは廃寺の万願寺にあり、平安時代の端麗であり細部の手法も見事な武蔵野で一、二を争う優秀作だ。安養寺は仏像の質・量ともに多いお寺で七福神で見た平安時代の毘沙門天や江戸時代の作だが、非常にいいお顔をしている観音・勢至菩薩今回は見れなかった地下にある江戸時代の薬師如来などがある。間近に拝観させていただいたときに私がご住職に以前ネットで見た大日如来の場所を聞いたので、普段お会いできない鎌倉時代の大日如来を見せていただいた。小像ながら気品があり重厚な厚みのある作品で仏像クラブの面々も大満足だった。多摩にはまだまだ名仏があるようなので今後も探して訪ねたいと思った。

2018年12月8日土曜日

特別展京都大報恩寺快慶・定慶のみほとけ②(行快の釈迦如来)

大報恩寺展の見どころの一つが寺内で現在は別々に安置されている秘仏で
本尊「釈迦如来像」と釈迦の10人の弟子「十大弟子像」を同じ空間で展示だ。十大弟子は師匠の快慶・釈迦如来像は弟子の行快と胎内墨書より判明している。行快の作品を初めてみたのが奈良博仏像館で大阪金剛寺降三世明王のその見開きの大きい目の迫力に圧倒された。その後京博で大日如来と不動明王を見たがいずれも素晴らしい作品だった。釈迦如来像も同様な迫力ある作品になっている。十大弟子が師匠の快慶で釈迦如来像が弟子の行快が作成したことがひとつの謎となっている。快慶が釈迦如来と十大弟子を作ったが何らかの原因で失われ、行快が再興した説が有力だが、快慶の苦労人の半生を考えたとき晩年大報恩寺の本堂の造仏を任された際、自ら脇役にまわって、本尊制作責任者を弟子に譲り快慶の死後、行快が個性を発揮して制作したという説がある。私は断然後者を支持したいと思う。知れば知るほど興味が尽きない仏像だった。





2018年12月1日土曜日

特別展京都大報恩寺快慶・定慶のみほとけ①

先週の金曜日三連休の初日、友人3人と東博で開催された「特別展京都大報
恩寺 快慶・定慶のみほとけ」に出かけた。会場は思ったほど混んでなく、並ばずに平成館2階の会場へ向かった。入場してまず展示されていたのが、大報恩寺創建前の平安前期に製作された千手観音だ。どこの寺にあったかは不明だが、近くには平安前期に創建された桓武天皇ゆかりの寺院があったという。音声ガイドを聞きながらなのでよくわかったが、あの大報恩寺で見た六観音も足利義満が創建した北野経王堂から移座されたという。その後が4年前の春、京都非公開文化財特別公開で見た、大報恩寺の本尊釈迦如来が中央にその周りに快慶の晩年期の秀作十大弟子が並ぶ大きな部屋へ入った。行快の釈迦如来は京都でみたときは大きく見えたが、案外小さく保存状態もよいので間近に見れてよかった。逆に快慶の十大弟子は大報恩寺の収蔵庫で見たときより大きく、どれも迫力ある表情で迫ってきた。次にわれわれを迎えてくれたのが、肥後定慶六観音だ。会期の後半は光背を外した姿で展示されており、京都で見れなかったお背中まで360(サブロクマル)拝観出来てよかった。一緒に行ったU案内人も「定慶恐るべし」と初めて見る六観音に感動した様子だった。最期に気になるお地蔵さんを見てからわれわれは会場をあとにし、御徒町で海鮮鍋をつつきながら、今見てきた仏像について熱く語り合った。