2018年6月23日土曜日

平成30年国宝・重文展②(雲中供養菩薩)

平成23年に宇治の平等院を修復前に訪ねたおり、隣接する「鳳翔館」という展示施設で「雲中供養菩薩」の展示に感動し写真集まで購入した。「雲中供養菩薩」平安時代大仏師定朝の晩年の作品で平等院鳳凰堂の壁に整然と配置されていた、阿弥陀如来の来迎時のおつきの観音菩薩などの菩薩を表した仏像で、像高は50~80センチのものが多くみな雲の上にのっている。この像は文化庁によって保存されていたもので写真集や雑誌でも目にしていなかった。芸術新潮で山本勉先生が指摘しているようにこの像が平等院にあったかは分からないが、文化庁解説では「平等院にあった1躯だと考えられる」とのこと。山本先生の解説によると雲中供養菩薩は背景に雲の絵が書かれていたと想像され、上半身から下半身に材が薄くなり浮彫的表現がなされており、背景の絵と合わせて2次元のアニメーションのところどころに3Dとなるイメージではないかと言っている。この以外と大きい仏像を見ながら創建当時の平等院を想像して次の作品に向かった。

2018年6月16日土曜日

特別展名作誕生③(山口・神福寺十一面観音菩薩)

山口・神福寺の十一面観音を知ったのはブックオフで購入した芸術新潮で
「仏像-一木に込めれれた祈り展」の特集記事でだった。この仏像は「真壇像」と言って本来の材であるビャクダンでつくられた壇像だ。壇像はもともときわめてインド的色彩の濃いものだが、インドにも中国にも古い仏像はなく、日本に数体伝わるのみで、法隆寺の九面観音・談山神社の十一面観音そしてこの山口・神福寺の十一面観音だ。東博東洋館で見た「三蔵法師の十一面観音」も装飾が細かく超絶技巧だったが、この海を越えた仏像も顔に痛みがあるものの、素晴らしい装飾で彫られている。唐時代の仏像で直立した姿勢でうごきはとぼしいものの、装身具や天衣のにぎやかさはそれをおきなってあまりある。この仏像に直接出会えたことの喜びをかみしめながら次の展示品に向かった。

2018年6月8日金曜日

金沢文庫運慶展⑧(瀬戸神社の舞楽面 陵王)

以前、仏像クラブで訪れたことがある金沢八景駅からほど近い瀬戸神社とい
う古い社に伝わるのがこの舞楽面だ。瀬戸神社の社伝に源頼朝または実朝の所蔵で北条政子により寄進されたという。平成23年の金沢文庫運慶展で初めて見たが、今回は運慶作と図録に「仏の瀬谷さん」が記載しておりその後の研究の成果だろうか。同じような面が鶴ヶ岡八幡宮にもあるが、頭上の龍は両手をがっしりと握って、力強い。この龍が上野東博「運慶展」に出展された四天王の装飾に似ていることが、彼を運慶作と断言させた理由らしい。ただ雑誌の対談でも舞楽面の運慶の作例がないことや、最晩年作になってしまう点、面の裏の墨書「運慶が夢想により作った」が逆に慶派一門の造像に運慶が指導して作らせたということも考えられるとあくまでも慎重だった。東国での造像の可能性を秘めた舞楽面だった。

2018年6月2日土曜日

平成30年新指定国宝・重文展

5月5日は土曜日で東博は開館時間延長日だったので、「名作誕生展」を
17時過ぎまで見てから本館で開催されている「平成30年新指定国宝・重文展」に向かった。指定された仏像は本館11室に集結しているので、そちらに向かうと入口のガラスケースには追加指定された山形・本山慈恩寺の釈迦三尊が展示されていた。私が注目したのがキシリトールガムに使われた東寺の夜叉神だ。国宝・重文展では雄夜叉のみの展示になっており像高2メートルだが大きく見えた。その隣には薬師寺東院堂安置の四天王のうち増長天が展示されていた。鎌倉時代の作で強靭な肉体と怒りの形相で表されている。奈良では東院堂を見逃してしまったので、いつか四天王すべて見てみたいと思う。反対側には快慶展で見た三尺阿弥陀や東北岩手一関の東川院の観音菩薩があり、ガラスケースのコーナーには初めて見る僧形の「雲中供養菩薩」が展示されており、奥には国宝指定の三十三間堂の千手観音1001躯のうち3躯が展示され充実した内容となっていた。心地よい疲れを覚えて東博をあとにした。

2018年5月26日土曜日

東京港区のほとけさま

本日は仏像クラブで2回目になるが、港区の仏像巡りを行った。地下鉄白金
高輪駅から魚籃坂を登り魚籃寺へ。ガラス越しに魚籃観音を見て、そっけない住職より御朱印をいただき早々に三田を通って増上寺に向かった。初めて歩いたが三田の界隈は寺町となっていて多くの寺院が立ち並ぶ街だった。成行きで何軒かのお寺を巡り、東京タワーを見ながら増上寺へと向かう。本堂の「大殿」には明治に京都知恩院より寄贈された室町時代の寄木造の仏像だ。法要中であり下外陣からの拝観となったが双眼鏡で見ると顔つきがほっそりとした阿弥陀如来で金箔で阿弥陀定印を結んでいる。増上寺にはほかに安土桃山時代の釈迦三尊や十六羅漢があるが三解脱門上に祀られているため拝観はかなわなかった。大門外の居酒屋で食事をしながら今日の仏像について語り合う仏像クラブの面々だった。


2018年5月20日日曜日

特別展名作誕生②(成相寺の薬師如来)

今回の名作誕生展では展覧会に出たことがない仏像も多く展示されていた。
一番気に入ったのがこの成相寺の薬師如来だ。成相寺は淡路島にあるお寺で図録によると高野山の僧実弘により再建されたことが伝えられるがそれ以前から寺院の存在は確認されているとのこと。盛り上がった頭部や、やや険しい表情、脚部に現れる衣の襞をY字形に整える表現などはこの展覧会のテーマである「つながる日本美術」からみると唐招提寺薬師如来に端を発し、元興寺像など、各地に広まった薬師如来像にならう姿であるとのこと。衣の襞は彫りが浅く体躯の厚みも薄くなっている。平安時代中期から穏やかな表現の仏像が増えていくが既にその傾向がうかがえる。私も友人も今回の展覧会一番気に入った仏像の原因がその点にあるかもしれない。大倉集古館普賢菩薩の普賢菩薩も気になるので次の展示に向かった。

2018年5月12日土曜日

特別展名作誕生①

先週のGWの後半、上野の東博に「特別展名作誕生 つながる日本美術」を
鑑賞に出かけた。昨年の「運慶展」や正月の「仁和寺展」のように仏像が多く出展されるのではないので興味がなかったが、サイトで詳細を知り多くの珍しい仏像が出展されるまたとない機会であることを知り急遽でかけた。サイトによると最初のコーナーは「祈りをつなぐ」で鑑真ゆかりの木彫や美麗な普賢菩薩など仏教美術の白眉を展示しており名作誕生と個々のつながりを追っていく展示となっている。平成18年に「特別展仏像 一木にこめられた祈り」が開催され多くの素晴らしい仏像が上野に集まったようだが、私は鑑賞できなかった。あとから芸術新潮でその詳細を知り残念に思っていたが、今回はその縮小リメイク版になっており、そこで出展されていた仏像や新たに見いだされた仏像も展示されていた。白壇で製作された仏像とそれに似せて作ったカヤの一木造りのつながり、鑑真が中国の工人に造らせた仏像とそれにつながる平安前期の名作仏像が分かりやすく展示されてよかった。宗達や若冲などの名作も一緒にみられ少々つめこみすぎた感はいなめないが、見ごたえのある展覧会となっていた。東博ではこの時期開催の「平成30年新指定国宝・重文展」も開催されており、壇蜜の音声ガイドをじっくり聞きたかったが素晴らしいと評判の図録を購入して平成館をあとにし、本館に向かった。

2018年5月5日土曜日

特別展仁和寺と御室派のみほとけ⑦(神呪寺の如意輪観音)

最近の私の旅の目的はその土地の秘仏を御開帳日に見ることとなっている。
大阪弾丸ツアーでは日本三大如意輪のひとつである観心寺如意輪観音の御開帳日が土日になったときに合せて行ったし、近くは三重県伊勢の千手観音の御開帳日にも三重を旅行した。要は秘仏好きであり尚且つその中でも如意輪好きなのである。今回の仁和寺展は正に秘仏のオンパレードであり、ここに紹介する神呪寺(しんのうじ)の如意輪観音も日本三大如意輪のひとつとのこと期待していた。神呪寺の如意輪観音も観心寺像と同じく六臂で右側第一手を頬にあて「いかにして衆生を救うか考えているところ」だが観心寺像のように目を見開き一生懸命考えているのではなくけだるそうに頬づえをしているように見えるところが一気に会場の雰囲気を和ませる癒し系の仏像だ。第二手は宝珠を手に乗せ第三手は下方に伸びているが数珠は無くしたようだ。左側の第一手は人差し指を天に向け輪宝をのせており、お寺では写真のように縦にのっているが、会場では間違えたのか横になっていた。第二手は蓮華を持ち、そして三番目の手は腕を伸ばし手を伏せて蓮台の上面をおさえている。この仏像の最大の特徴は観心寺像のように足裏を合わせるポーズが一般的だが、左脚部が右大腿部に乗っていることだ。会場の最後のほうにこの仏像を展示する東博学芸員の心憎い演出にはまり会場をあとにした。

2018年4月30日月曜日

特別展仁和寺と御室派のみほとけ⑥(観音堂)

今回の仁和寺と御室派のみほとけ展の最大の見所が江戸時代に再建された観
音堂の展覧会場での再現だろう。普段非公開の観音堂を修復を期に中にある千手観音・降三世明王・不動明王・二十八部衆・風神・雷神像を展示、壁画の写真を背景に展示する試みだ。また写真撮影もOKとのこと、期待していた。会場は物凄い人で皆さん撮影に夢中だった。私もなんとか撮影しその後写真でじっくり味わった。江戸時代の再建時に降三世明王は東寺講堂より二十八部衆は三十三間堂からほぼ忠実に再現している。図録によると日光中禅寺や輪王寺を手掛けた七条仏師二十三代である康音の作風に通じるところがあるという。最近の東博の傾向としては必ず撮影スポットが設定される。今後の展覧会でも期待したいと思う。

2018年4月28日土曜日

運慶展⑩(円成寺大日如来)

運慶展は昨年の11月に終了したが、最近になっても運慶の話題にはことかか
ない。JR東海の「うましうるわし奈良」キャンペーンで今月から円成寺が取り上げられ毎日デジタルサイネージで円成寺の大日如来が見られたり、真如苑真燈寺の大日如来の一般公開が目的の半蔵門ミュージアムが開館したり忙しい。円成寺の大日如来はお寺と金沢文庫展と今回で3回目だったが、展覧会の冒頭の展示だったので印象に残った。オールアバウト運慶によると玉眼を嵌入した意志的なまなざし、上半身をややそらし気味にして印を結ぶ両腕との間隔を広くとった豊かな空間性など、才気あふれる青年仏師の作品にふさわしい溌剌とした雰囲気をたたえる。JR東海のキャンペーン情報によると多宝塔でガラス越しにしか拝観できなかった大日如来が相応應殿に移り、周りを東京芸大復刻の四天王が囲んでおり、真横からもじっくり拝観できるという。また奈良に行く機会があったら円成寺を訪れたいと思う。

2018年4月21日土曜日

金沢文庫運慶展⑦(大善寺の天王立像)

金沢文庫運慶展で曹源寺の十二神将の横に展示されていたのが、この大善寺
の天王立像だ。大善寺は鎌倉御家人三浦氏の衣笠城跡の麓にある寺でこの天王像は寺で毘沙門天として祀られており、近年存在が明らかになった像だ。一見して平泉金色堂の毘沙門天や昨年訪れた白水阿弥陀堂の二天像に似ていると仏の瀬谷さんが作品解説で書いている。大袖を翻して左右の腕を上下させ、大きく腰を捻って、右足を屈して岩座上に立つ。先月に仏像クラブで訪問した永福寺跡は寺院様式を平泉の影響があったことが知られているが、仏像様式流入があったことが本像より明らかといえようと仏の瀬谷さんが推論している。頼朝創建時には平泉金色堂で見られる金色に輝いていたことだろう。

2018年4月14日土曜日

目黒花まつり仏像めぐり

今週の日曜日は花まつりだったので、仏像クラブで目黒の寺巡りを行った。朝一番に大円寺に向かい花御堂の誕生仏に甘茶をかけ、生身の釈迦如来といわれている清凉寺式釈迦如来をガラス越しに拝観した。大円寺の釈迦如来は元は鎌倉・釈迦堂(廃寺)の本尊で三代執権北条泰時が父義時の供養のために造ったとのこと。造立は鎌倉時代初期で丸々とした顔や太い体つきから慶派仏師の作の可能性がある。ここ大円寺は出開帳のお寺であったため客仏となったとのこと。脇侍の吉祥天・毘沙門天は室町時代の作で重厚で精緻な彫技が目を引く名品である。甘茶のご接待を受け、阿弥陀三尊をガラス越しに見て、次のお寺は五百羅漢寺であったがU案内人が寄り道をして、以前仏像が見ることができなかった、蟠龍寺に向かった。ここも朝から花まつりの法要が行われており、本堂の扉の向こうに平安時代の阿弥陀如来を拝することができた。お寺の幼い娘さんより花まつりの飴をいただきほのぼのとした気分で五百羅漢寺へ向かった。五百羅漢寺では江戸時代製作の釈迦如来と五百羅漢を拝した。小学生のころ訪れたときには薄暗い本堂に多くの羅漢像がある様を見て恐ろしさを感じたのだが、今は近代的な建物のなかに収まったおり、すっかり観光寺院になっていた。最後に目黒不動に参拝し観音堂や地蔵堂をのぞき、不動明王を変化仏である青銅製丈六の大日如来を見て目黒駅前のイタリアンのレストランにより解散した。あらためて目黒は質・量ともに東京一のエリアと感じた。

2018年4月7日土曜日

特別展仁和寺と御室派のみほとけ⑤(仁和寺の阿弥陀三尊)

仁和寺の阿弥陀三尊はいまから10年前の平成20年の御室桜が咲く4月にU案
内人と訪れたれたとき霊宝館で拝観したがあまり印象に残っていなかった。今回は東博での展示でまたこの展覧会メインの仏像になっているのでドラマッチクな演出があると秘かに期待していた。観音堂の喧騒を離れて静かに仏像鑑賞ができるようになり、いきなりの御本尊の登場である。図録によると阿弥陀三尊は創建当初の法会の本尊で像高が90センチ腹前で「阿弥陀の定印」という印相を結んで座す姿である。「阿弥陀の定印」は心静かに精神を集中した状態に入るときの手のかたちで、本像はその最古例とのこと。記録によれば当初は阿弥陀三尊の周りに梵天・帝釈天と四天王が祀られていた。お顔付は中尊・観音・勢至菩薩ともにふっくらとした一木造りで平安の雅を感じさせる名品である。期待の照明に照らされ厳かに金色に輝く阿弥陀三尊に酔いしれた。

2018年4月1日日曜日

鎌倉地蔵めぐり

今週の日曜日(3月25日)に仏像クラブで久しぶりに鎌倉を訪れた。今回は
U案内人の提案で鎌倉の野仏地蔵を巡り、明王院の「梅かまくら特別参拝」に参加するコースを設定した。朝、鎌倉駅に集まり六地蔵を見てから枝垂桜が見ごろな本覚寺に向かう。青空に映えるきれいな桜をみてから、最近公園として整備した源頼朝創建の永福寺跡に向かう。段葛の桜はまだだったが、鶴ヶ岡八幡宮の桜は満開近かった。永福寺はかつて宇治平等院のような浄土式庭園があり、解説文によると中央が二階大堂、左が阿弥陀堂、右が薬師堂となっており仏の瀬谷さんの意見では運慶の仏像があったという。昼食を金沢街道のレストランですませ、一同明王院へと向かう。中には多くの善男善女が参拝にきており、TV見仏記に出演したご住職が護摩供養の話や仏像の説明をされていた。いざ護摩供養が始まると各人がお経の本を持ち護摩の火がたかれる中読経をする厳粛な時間を過ごした。近くでみる肥後定慶の不動明王は素晴らしくたくましく雄大な作風を示し、運慶様式を正確に受け継いでいることがうかがえる。良く晴れた鎌倉の空の下はじめはゆるめに始まった鑑賞会だったが、最後は護摩供養で締め充実した時間を過ぎして満足した仏像クラブの面々だった。

2018年3月31日土曜日

金沢文庫運慶展⑥(保寧寺の阿弥陀三尊)

金沢文庫運慶展に前に仏像クラブで訪ねた埼玉県加須市の保寧寺の阿弥陀
三尊が出展されていた。見知らぬわれわれに収蔵庫のカギを快く貸していただき仏像を堪能したことが印象的だった。作者の宗慶は瑞林寺地蔵菩薩に小仏師として参加したことからも運慶の兄弟子にあたるとのこと。両頬の張りが強く肉付きがあり肩の張ったガッシリとした体躯は宗慶の作風と言われている。運慶が永福寺の仏像を製作して関東を去ったあと慶派と鎌倉御家人との関係を維持してきたと思われる。先日鎌倉の永福寺跡の礎石を眺めながらそのようなことを思った。宗慶にはまだ知られていない作品が埋もれているように感じ会場をあとにした。

2018年3月24日土曜日

特別展仁和寺と御室派のみほとけ④(葛井寺の千手観音)

先日無事に閉幕した「特別展仁和寺と御室派のみほとけ」は1月から開催し
ていたが仏像クラブで訪問したのは2月の葛井寺の千手観音が来てからとなった。平成21年4月18日に葛井寺を訪問しご開帳された千手観音を拝観したが、その日は大法要にあたり経を唱えながら一心に祈っている女性の姿が印象的だった。会場では間近に露出展示でみられしかも360(サブロクマル)で鑑賞できてよかった。千手観音の造像は仏教文化が花開いた奈良時代。天平彫刻の名品である。この千手観音は本当に1000本あるいわゆる真数千手でしかもそれぞれに目が描かれている千手千眼観音だ。真数千手としては奈良唐招提寺の千手観音が有名だが953本しか現存しておらず、葛井寺像は日本の古代中世の作品としては、千本の手が認められる唯一の像とのこと。材質は奈良時代の貴重な脱活乾漆づくりで、聖武天皇の発願にて造像された。前回、仏像クラブで鑑賞した時見落とした頭上の化仏の「大笑面」を見たが、穏やかな微笑みをうかべており平安時代になると笑いとともに恐ろしさあわせもつ「暴悪大笑面」と一線を画す表現になっており天平彫刻のおおらかさを感じた。いつまで見ていたかったがグッズのコーナーで千手観音のポスターを購入し名残惜しいが会場をあとにした。

2018年3月17日土曜日

金沢文庫運慶展④(修善寺の大日如来)

今回の金沢文庫運慶展では、運慶の兄弟弟子の作品も展示されていた。伊豆
修善寺の大日如来は運慶の兄弟弟子「実慶」の作品で仏像の胎内から実慶の墨書を「吉備文化財研究所」の牧野氏が発見した。2011年11月の鎌倉国宝館での展覧会出展を書いた「仏像クラブブログ」では仏像の表面が修復されてなく精彩にかく雰囲気であったが、今回はとてもきれいになっており驚いた。昨年秋に東博運慶展で見た円成寺大日如来のように髻を高く結い上げるのが慶派の特徴だとわかる。仏の瀬谷さんも言う通り運慶が永福寺にいたころ製作された鶴ヶ岡八幡宮寺の大日如来や真如苑真澄寺の大日如来に通じる作品と言っている。失われた運慶作品をこの大日如来でしのぶことができる。じっくりと鑑賞して会場をあとにした。

2018年3月10日土曜日

特別展仁和寺と御室派のみほとけ③(道明寺の十一面観音)

今回の展覧会では国宝の仏像4体が出展されるが、仁和寺2体と大阪の葛井
寺と今回取り上げる道明寺の十一面観音だ。道明寺の創建は飛鳥時代で土師氏の氏寺として建立され、土師氏に菅原姓を賜りのちに菅原道真が寺伝によると道真の叔母が住んでいることでしばしば道明寺を訪れこの仏像を刻んだと伝えられている。道真が30代で造ったかは分からないが、像の印象は若々しさを感じ、井上正氏も「清純な相貌と溌溂たる肉身に加えて、その衣の神秘的な動きを忘れることはできない」といっている。図録によると冠や後頭部の垂髪の形状などの形式が中国・唐時代の彫像に通じている。着衣の衣文は私が京都で見に行った法菩提院の菩薩半跏像に通じるうごめくような触感を表す一方、肉身にはかたい弾力を感じさせた。大阪弾丸ツアーの際最後に印象に残った名仏に再会できここちよい思いをして次の作品に向かった。

2018年3月4日日曜日

金沢文庫運慶展③(瀧山寺の梵天)

運慶の梵天には平成24年に瀧山寺を訪問してから6年越しの再会である。
平成23年の金沢文庫運慶展で帝釈天、昨年の東博運慶展で聖観音、今回の金沢文庫運慶展で梵天と関東に3度出展されたことになる。等身大の聖観音に比べ増高1メートル弱だが間近にガラスケース越しに表裏が見え、よかった。事前に山本勉先生の「運慶仏像の旅」を読んで必見ポイントを押さえてからの鑑賞となった。山本勉先生の必見POINT1は「額に第三の目」。鎌倉時代製作の密教像の本作は多面多臂(ためんたひ)で表され運慶作品では唯一のもの。必見POINT2は「頭の上に女性の顔」梵天の妻弁財天を表す。必見POINT3「正面とは異なる表情」後世の補色で分かりずらいが、正面の顔と微妙に違う。必見POINT4「軽やかな天衣」天衣を肩から外して腕に垂らしているありさまは優美で艶やか。金沢文庫運慶展をまだ鑑賞されていない方はこれらのポイントを押さえて見られることをお勧めする。会場には昨年の東博運慶展で聖観音がつけていた装身具が展示されており、より間近にみれてよかった。

2018年2月24日土曜日

特別展仁和寺と御室派のみほとけ②(仁和寺の薬師如来)

今回の「特別展仁和寺と御室派のみほとけ」では国宝の仏像が4体出展されて
いるが、その仏像が揃うのが2月14日からというので、開催から一ヶ月経ってからの訪問となった。その中で一番最初に展示されているのがこの仁和寺の薬師如来だ。像高は11センチで空海が唐よる招来した薬師如来が火災で焼けたため、平安後期、白河院の意向で御室(おむろ)覚行法親王が円派仏師の円勢・長円につくらせた貴重な白檀で製作された仏像だ。台座を含めて22センチ弱の小像ながら日光・月光菩薩と十二神将が彫られており食い入るように会場で見つめた。会場は照明を落としてあったのでよくわからなかったが截金(きりがね)文様が施された豪華な院政期の仏像だ。仏像は後半と油断していたが思わぬところで名仏に出会え後半に期待しながら会場を進んだ。


2018年2月18日日曜日

特別展仁和寺と御室派のみほとけ①

本日(17日)仏像クラブで東博開催の「特別展仁和寺と御室派のみほとけ」
に行ってきた。春のような暖かい午前中開館とほぼ同時に入場したので、少し入口で待たされた。この展覧会は先月から開催されているが、大阪の秘仏葛井寺の千手観音が今週水曜日から出開帳とのことで、この時期の鑑賞会となった。展示の前半は空海や天皇の書などが多かったが、これまた水曜日から公開の仁和寺平安時代の秘仏薬師如来が像高10センチの小さな仏ながら七仏薬師や日光・月光菩薩・十二神将まで間近にみることができた。後半はカメラを取り出して観音堂の展示に向かった。普段非公開の江戸時代の再興像が東京で鑑賞できカメラスポットになっており写真撮り放題だ。私も興奮を抑えつつ観音菩薩や二十八部衆の写真を撮った。その後は御室派のみほとけのコーナーで北は仙台から南は福岡まで多くの御室派のみほとけが並んでいた。金沢文庫でおなじみの龍華寺の菩薩像も出展されており、U案内人ははじめて見たらしくえらく感動した様子だった。最後は秘仏のコーナーで大阪葛井寺の千手観音や道明寺の十一面観音が展示されておりまさに仏像の目白押しといった感じだ。帰りの上野のそばやでいつもの天丼とそばの定食を食べながら熱く語る仏像クラブの面々だった。

2018年2月11日日曜日

金沢文庫運慶展②(曹源寺の十二神将)

今回の金沢文庫運慶展では最新の資料に基づき今は失われてしまった鎌倉の
運慶作品に関連する仏像の展示がされているのが一つの特徴だ。2Fに上がって康慶の地蔵菩薩の横に並んでいるのが、東博でお馴染みの曹源寺の十二神将だ。仏の瀬谷さんが「かなチャンネル」で紹介していたが、ここは今は失われた源頼朝創建の永福寺のコーナーで、薬師堂にあった十二神将を御家人の三浦氏の依頼で縮小リメイクしたものだ。中央にひときわ大きく立つのが巳神で像高が91センチ。他が60~80センチの像でひときわ目立ってみえる。近頃文化庁の奥建夫氏が発表した論文では源実朝が巳刻に生まれたため安産祈願を行った曹源寺で、その守護神として製作された運慶工房の製作だという。仏の瀬谷さんが「オールアバウト運慶」でのべていたが、明らかに他と出来が違い運慶の手が入っていたのではないかとのこと。3月に永福寺跡を訪問するが、等身大の十二神将が薬師如来の周りにたたずんでいるのを想像しながら見学したいと思う。

2018年2月3日土曜日

金沢文庫運慶展①

先週の土曜日県立金沢文庫で開催されている「特別展 運慶」を見に行っ
た。今回は仏の瀬谷さんの「運慶と鎌倉仏像」「芸術新潮オールアバウト運慶」を基に展示構成がなされていた。展示品が多いのか1Fの入口から特別展の展示がはじまり江戸時代に製作された東大寺金剛力士像の雛形で、あの西村公朝氏が古道具屋で見つけた慶派の流れをくむ仏師が弟子に与えたものという。鎌倉国宝館の戌神を見てから2階にあがり康慶の地蔵菩薩や鎌倉永福寺薬師堂の十二神将の模刻像である曹源寺の十二神将や永福寺出土の仏像断片を鑑賞してから、今回のメインの仏像である瀧山寺の梵天を鑑賞した。後半は運慶の兄弟弟子宗慶・実慶の素晴らしい仏像を鑑賞した。今回の展覧会は平成22年の金沢文庫運慶展、昨年の東博運慶展の完結編と位置付けており、運慶のすべてがわかる展覧会だった。また仏の瀬谷さん執筆の「芸術新潮オールアバウト運慶」を熟読したことによりより展示構成が理解しやすく良かった。来月仏像クラブで公開されている鎌倉永福寺の跡地を見学する予定なので事前に金沢文庫運慶展の鑑賞を勧めたいと思う。


2018年1月27日土曜日

快慶展⑥(キンベル美術館の釈迦如来)

快慶展ではこの展覧会で里帰りしたアメリカの美術館所蔵の作品を見るこ
とができた。その代表格がアメリカボストン美術館の快慶初作の釈迦如来であろう。ここで紹介するアメリカ・キンベル美術館の釈迦如来は保存状態もよくいっぺんで惚れてしまった快慶仏だ。展覧会でも一押しの作品で展覧会パンフにしては珍しい縦長でその美しさを強調したつくりになっている。奈良出発前の関東では入手できず、展覧会では会場の入口で真っ先に手に取ったほどの出来栄えだ。像高は80センチ余りと快慶お得意の三尺阿弥陀より小ぶりであるが、光背も当初のもので木製の二重円相光に金属製の周辺部がつきそれはみごとだ。今回は出展されなかったが以前「新TV見仏記」で放送していた高野山光臺院の阿弥陀如来を彷彿とさせるつくりだ。まだ見ぬ快慶の三尺阿弥陀に思いを馳せながら、展覧会最後の章の三尺阿弥陀のコーナーに向かった。

2018年1月20日土曜日

運慶展⑨光得寺の大日如来

昨年の運慶展には毎年夏に東博で見られた光得寺の大日如来も出展されて
いた。他の出展作品に比べて小ぶりで会場では目立たなかったが、山本勉先生や仏の瀬谷さんの文章を熟読すると運慶にとって大きな意味を持つ作品とのこと。運慶は初作の円成寺大日如来を製作したころから空海作東寺大日如来に強いあこがれをもっていた。しかしその当時から東寺の大日如来は秘仏で講堂内には入れてもらえなかった。しかし東寺の仏像修理を運慶一門が担うことになり、あこがれの大日如来に対面したのちにこの光得寺像は製作されたという。足利義兼追善のために製作されたが、そこで運慶は思う存分東寺講堂の大日如来の再現を行ったことが伺える。仏の瀬谷さんも「小像ながらも強度に満ちた豊満なたたずまいは、東寺のオリジナルに接し得たがゆえの運慶の感動と確信に由来するのではないか、などど想像を誘われてしまいます。」と言っている。今月から始まった金沢文庫「運慶展」にも出展されているので運慶の熱い思いを感じつつ拝観したいと思う。

2018年1月13日土曜日

快慶展⑤(西方寺の阿弥陀如来)

昨年の快慶展では通常非公開な仏像も多数展示され代表格は京都遣仰院の
阿弥陀如来だろう。ここで紹介する快慶三尺阿弥陀の名作西方寺の阿弥陀如来も三重新大仏寺や奈良長谷寺など快慶ゆかりの寺院に近い桜の美しい山添村の人々によって今日まで護られてきた。多摩美大の青木先生によると緊張感と穏やかさをたたえたその表情は遣仰院阿弥陀如来像とともに若き日の快慶の代表作である。快慶展で三尺阿弥陀だけの若き日から晩年の写真を並べたクリアファイルを購入したが、この西方寺のあと幾分ふくよかさがなくなっていくが金泥塗など快慶お得意の着衣表現により進化していったと思う。展覧会の最後のコーナーでこのような名仏に出会うことができ最後まで飽きさせない展示にここちよい疲れを感じて会場をあとにした。

2018年1月7日日曜日

運慶展⑧興福寺北円堂の四天王

昨年開催された「運慶展」で画期的な展示は何といっても興福寺北円堂の
無著・世親像の周りに興福寺南円堂安置の四天王像を配したところだろう。以前はこの四天王は東金堂に安置され、慶派一門の定慶作とする説があったが、金沢文庫の仏の瀬谷さんが北円堂安置説を唱えるようになり、今ではほぼ運慶指導のもと四人の息子たちが製作したことが定説化されつつある。瀬谷さん解説の芸術新潮「オールアバウト運慶」によると彼が着目したのが本来黒又は濃い青でぬられるべき多聞天の肌が白いことだった。そこで改めて着目したのが、北円堂再建に関与した解脱上人貞慶の存在。平成24年に金沢文庫で開催された解脱上人貞慶展の展示解説を仏の瀬谷さんから直接聞いたとき上人が弥勒信仰の持ち主だということを熱く語っていたが、「オールアバウト運慶」では篤い舎利信仰の持ち主で舎利の色として「白玉色」を強く意識していたことがわかったとのこと。宝塔を頭上に高々と掲げた多聞天のポーズも宝塔=舎利容器と考えれば腑に落ち、北円堂の諸像には、舎利信仰を称賛するための一貫した演出が施されているとの瀬谷さんの解説だった。確かにこの説は納得できるものであり私も彼の主張に耳を傾けざるおえないと感じた。ここに新たな運慶作の発見を感じつつ第一会場をあとにした。

2018年1月1日月曜日

金剛輪寺の大黒天

昨年の秋の京都滋賀旅行の2日目、西明寺の次に愛のりタクシーで向かった
のが金剛輪寺だ。旅行前にネットでお寺情報を調べていたところ、関西系のテレビニュースで金剛輪寺の紅葉が見頃と大黒天御開帳が取り上げられていて、実にラッキーなタイミングでの拝観となった。愛のりタクシーを降りて長い石畳が敷かれた石段を上ると、いま盛りの紅葉でいっぱいの境内に入った。特にニュースで言っていた「血染めの紅葉」は本堂横の真っ赤な楓を指すようで素晴らしかった。興奮を抑えつつ本堂にあがった。お目当ての大黒天は小さな厨子の中に祀られていた。像高74センチ余りで、平安時代の一木造りで日本最古の大黒天とのこと。鎌倉長谷寺で見る大黒天のように打出の小槌は持たず、甲冑を身に着け宝杵(ほうしょ)を持ちいかめしい表情を浮かべている。大黒天はヒンズー教のシヴァ神の化身を仏教に取り入れたものだから日本に伝わったのも当初はこのかたちだったのだろう。昼食に「僧兵うどん」を食べて金剛輪寺をあとにした。