2018年12月29日土曜日

特別展京都大報恩寺快慶・定慶のみほとけ④(伝菅原道真作千手観音)

上野で開催されていた特別展「快慶・定慶のみほとけ」のトップを飾る展示
がこの千手観音だ。大報恩寺自体は鎌倉時代に藤原秀衡を祖父にもつ義空により創建されているが、創建以前の仏像も収蔵されている。千手観音のその一つで、図録では歯切れが悪く「元々別のお寺にあったもの」というだけではっきりしなかったが、最近購入した雑誌では「菅原道真が梅の古木で彫ったと伝わる」と断言している。大阪道明寺にも同様な伝説をもつ十一面観音があり伝説の域をとどまるので図録はあえて記載しなかったのであろう。制作は平安時代前期であるが、神護寺薬師如来像のように胸や腹の肉付きを強調するのではなく、頬こそ肉どり豊かだが、腰高であることもあって重量感を感じさせない。平安時代後期の繊細で穏やかな仏像の過渡期の表現とういう見方も興味深い。展示の冒頭から興味を沸かせる千手観音だった。

2018年12月22日土曜日

特別展京都大報恩寺快慶・定慶のみほとけ③(快慶の十大弟子)

展覧会場では行快の釈迦如来の周りに釈迦の10人の弟子「十大弟子」が展示
されていた。10体揃って寺外初公開で、快慶の主導で快慶の弟子と運慶系の仏師が鎌倉時代に製作した快慶最晩年の名作だ。図録によると頭部の作風より運慶系の4体と快慶一派の6体にわけられるという。運慶系はゆがみやくぼみがあり人体の生々しさが表現されており、快慶一派は女子一番人気の阿難陀(アーナンダ)を代表するように球形に単純化されている。私が一番気に入ったのは快慶の墨書が足ほぞより発見された神通第一の目犍連(モクケンレン)で衣に快慶お得意の切金で彩色を凝った彩色を施している。老いの描写を気品のある表現にまとめあげる力量と出来栄えから快慶その人の作であること間違いないという。会場は作品保護のため照明をおとしていたためよく解らなかったが、行快作の墨書がある持律第一の優婆離の背中の衣も切金で素晴らしい彩色が施されていた。今回の展覧会で二度とない機会にじっくり十大弟子が鑑賞できてよかったと思う。

2018年12月15日土曜日

東京日野の仏像巡り

今週の日曜日に仏像クラブで東京日野の仏像巡りに出かけた。紅葉のラス
トチャンスの高幡不動と以前、七福神で訪れたことがある安養寺を巡るコースだ。高幡不動は関東随一の巨像不動で平安時代作の丈六仏。地方仏師による作で、総重量は1トンあるという。不動堂には身代わり不動があり、そちらを参拝してから奥殿の寺宝を参拝した。ここには境内奥の大日堂に以前あった平安時代の大日如来もあり、奥へ進むと不動三尊が間近に見れた。鐘楼近くの紅葉を鑑賞してから昼食を済ませ、2時に安養寺に向かった。今回は初めて他のグループと一緒の鑑賞となった。ご住職の説明によると阿弥陀三尊はもとは廃寺の万願寺にあり、平安時代の端麗であり細部の手法も見事な武蔵野で一、二を争う優秀作だ。安養寺は仏像の質・量ともに多いお寺で七福神で見た平安時代の毘沙門天や江戸時代の作だが、非常にいいお顔をしている観音・勢至菩薩今回は見れなかった地下にある江戸時代の薬師如来などがある。間近に拝観させていただいたときに私がご住職に以前ネットで見た大日如来の場所を聞いたので、普段お会いできない鎌倉時代の大日如来を見せていただいた。小像ながら気品があり重厚な厚みのある作品で仏像クラブの面々も大満足だった。多摩にはまだまだ名仏があるようなので今後も探して訪ねたいと思った。

2018年12月8日土曜日

特別展京都大報恩寺快慶・定慶のみほとけ②(行快の釈迦如来)

大報恩寺展の見どころの一つが寺内で現在は別々に安置されている秘仏で
本尊「釈迦如来像」と釈迦の10人の弟子「十大弟子像」を同じ空間で展示だ。十大弟子は師匠の快慶・釈迦如来像は弟子の行快と胎内墨書より判明している。行快の作品を初めてみたのが奈良博仏像館で大阪金剛寺降三世明王のその見開きの大きい目の迫力に圧倒された。その後京博で大日如来と不動明王を見たがいずれも素晴らしい作品だった。釈迦如来像も同様な迫力ある作品になっている。十大弟子が師匠の快慶で釈迦如来像が弟子の行快が作成したことがひとつの謎となっている。快慶が釈迦如来と十大弟子を作ったが何らかの原因で失われ、行快が再興した説が有力だが、快慶の苦労人の半生を考えたとき晩年大報恩寺の本堂の造仏を任された際、自ら脇役にまわって、本尊制作責任者を弟子に譲り快慶の死後、行快が個性を発揮して制作したという説がある。私は断然後者を支持したいと思う。知れば知るほど興味が尽きない仏像だった。





2018年12月1日土曜日

特別展京都大報恩寺快慶・定慶のみほとけ①

先週の金曜日三連休の初日、友人3人と東博で開催された「特別展京都大報
恩寺 快慶・定慶のみほとけ」に出かけた。会場は思ったほど混んでなく、並ばずに平成館2階の会場へ向かった。入場してまず展示されていたのが、大報恩寺創建前の平安前期に製作された千手観音だ。どこの寺にあったかは不明だが、近くには平安前期に創建された桓武天皇ゆかりの寺院があったという。音声ガイドを聞きながらなのでよくわかったが、あの大報恩寺で見た六観音も足利義満が創建した北野経王堂から移座されたという。その後が4年前の春、京都非公開文化財特別公開で見た、大報恩寺の本尊釈迦如来が中央にその周りに快慶の晩年期の秀作十大弟子が並ぶ大きな部屋へ入った。行快の釈迦如来は京都でみたときは大きく見えたが、案外小さく保存状態もよいので間近に見れてよかった。逆に快慶の十大弟子は大報恩寺の収蔵庫で見たときより大きく、どれも迫力ある表情で迫ってきた。次にわれわれを迎えてくれたのが、肥後定慶六観音だ。会期の後半は光背を外した姿で展示されており、京都で見れなかったお背中まで360(サブロクマル)拝観出来てよかった。一緒に行ったU案内人も「定慶恐るべし」と初めて見る六観音に感動した様子だった。最期に気になるお地蔵さんを見てからわれわれは会場をあとにし、御徒町で海鮮鍋をつつきながら、今見てきた仏像について熱く語り合った。

2018年11月23日金曜日

神仏のかたち展①

今回の旅行の訪問先を検討しているとき、いつもユニークな展覧会を開催す
る大津市歴史博物館で「神仏のかたち展」が開催されることを知った。今回の近江のメインは甲賀三大佛と決めていたので、対岸の大津京駅だし訪問先の候補にはなっていたが、行くかどうかは決めかねていた。しかし開催詳細や出品一覧をみて俄然行くことに決めた。湖都大津十社寺・湖信会とは大津市に多くの方が訪れるように比叡山延暦寺・石山寺・三井寺をはじめとする十社寺の連絡協議会でお寺で非公開の秘仏が出展され、その中には一度も見たことがない三井寺の訶梨帝母像やわざわざ訪ねたが会えなかった浮御堂で有名な満月寺の聖観音などが展示されることを知り甲賀三大佛を巡る前に訪ねることとした。通いなれている大津市歴史博物館だが、路に迷い遅めについたので、大急ぎでの拝観となった。大津市歴博は仏像に「運慶仏みたいにちょっとムチムチしています」などのキャッチコピーがついた展示が特徴でポイント解説として文章が写真に添えられ分かりやすく親しみがあるのが特徴だ。甲賀でタクシーを予約している関係で急ぎ駅に向かった。

2018年11月17日土曜日

六道珍皇寺の薬師如来

延暦寺で「至宝展」を見た後すぐさま京都に戻り銀閣寺道で下車、白沙村
荘や光雲寺など東山の京都非公開文化財特別公開を見て、朝日新聞にも出ていた六道珍皇寺を見るため清水道で下車、京都らしい商店街を下って六道珍皇寺へ向かった。お寺の入口に「六道の辻」という石碑が立っていた。平安時代、東山山麓は鳥辺野と呼ばれる葬送の地で、六道珍皇寺のあたりは、六道への分かれ道になっていたという。重文の薬師如来は入口近くの小さなお堂にあり、敷居の下から覗き見る拝観の方式となっている。いつもの若い案内人が施無畏印で結跏趺坐しているという説明を一生懸命にしゃべっていて好感がもてた。このお寺の特徴は閻魔大王が祀られていること。夜、閻魔庁に仕えた平安時代の貴族小野篁の像も特別公開されていた。本堂では「熊野観心十界図」という地獄絵の説明を聞いて、小野篁が地獄に通った「冥途通いの井戸」と「黄泉がえりの井戸」を拝観してお寺をあとにした。京都の不思議を体感できるお寺だった。

2018年11月11日日曜日

三十三年に一度の大開帳

京都・近江旅行の最終日の最後のお寺は「日本最大座仏観音秘仏本尊十一面
観世音菩薩三十三年に一度の大開帳」という長いタイトルがついた、いちいの観音櫟野寺だ。櫟野寺は訪れるのは二度目だが、通常の1日の御開帳は近隣の町の人のお祝いだったが、三十三年目は甲賀市のイベントになっている。駅にはポスターが張っており臨時送迎バスもでて、お寺の入り口はお祝いの門が立っていた。薄汚かった仁王門のガラスもきれいになっており、東博の展覧会のおかげで立派な本堂に建て直しされ、中に入ると誇らしげに住職の説教が始まっいた。本堂から収蔵庫は見れない造りになっており、窓からご本尊の顔を仰ぎ見る仕掛けとなっている。今日は御開帳日のためチケットをもぎりしてもらい中に入った。前にも感じたが狭い厨子の中では東博のような大きさを感じることは出来なかったが照明も展覧会のノウハウを取り入れて良くなっていた。これが滋賀県の田舎のお寺と感じさせない宗教空間となっていた。御朱印を頂いて臨時バスで駅に着き、一時間に一本の電車を待って京都に戻り新幹線で帰宅した。

2018年11月10日土曜日

比叡山延暦寺至宝展

今日から京都近江の仏像巡りに来ている。朝、京都に着いたら真っ先に向か
ったのは比叡山延暦寺だ。現在延暦寺国宝殿では「延暦寺至宝展」が開催されており、普段非公開や初公開の仏像が目白押しだ。中でも素晴らしかったのが、初公開の平安時代の四天王だ。普段は非公開の法華堂に保管されいるため拝めない仏像だ。持国天・増長天・広目天・多聞天それぞれよかったが、私は「動」の持国天よりか「静」の増長天のほうが断然よかった。力強さの中に穏やかさがあるなど、平安後期の作風がよく表れている。長年秘仏になっていたためか、赤黒い色も新鮮だった。他にも江戸時代だが、六観音の座像がずらりと並んでおり興味深かった。帰りに至宝展のカレンダーを購入して京都の雑踏に向かった。

2018年11月4日日曜日

多摩武蔵野仏像巡り

本日、文化の日「東京都文化財ウィーク」の指定文化財特別公開として東京
昭島市拝島の「普明寺大日堂」と東村山市の正福寺地蔵堂に仏像クラブで出かけた。拝島駅より大日堂に着くと住職の説明が始まっていた。大日堂の創建は平安時代で天正年間に北条氏の重臣石川土佐守によって娘の眼病平癒のため再興されたとのこと。中には定朝式の平安時代後期の大日如来が祀られており、身を浄めて堂内内陣に入った。像高1メートル半の寄木造りでU案内人によると唇に薄く朱が残っていたとのこと。本来は平安時代の釈迦如来と江戸時代の阿弥陀如来が祀られているが京都仏像修理所にて修理中で写真のみの展示だった。寺院関係者によるとこれから大日如来が修理にだされ平成33年まで修理にかかるとのこと。三尊が揃ったら、また見に行きたいとおもった。その後ボランティアの案内で仁王門の鎌倉時代の金剛力士像や天井後や装飾がきれいな日吉神社を巡った。東村山に向かい昼食後2時半からの正福寺地蔵堂開帳に立ち会った。正福寺は文化の日を「地蔵まつり」として多くお寺関係者が境内にあつまり賑やかだった。正面の地蔵堂は鎌倉時代の建築で東京にある唯一の国宝建築とのこと。中に江戸時代の地蔵菩薩と奉納の千体地蔵が祀られていた。今回は盛沢山で大満足な東京都文化財ウィークの仏像鑑賞会となった。また今度計画してお参りしたいと皆で話帰路についた。

2018年10月27日土曜日

特別展 仏像の姿(かたち)③(四天王寺阿弥陀両脇侍)

仏像クラブの年間計画になかったこの展覧会をあえて追加したきっかけにな
ったのが、この四天王寺の阿弥陀如来の踊る両脇侍像だ。このヨガをしているような片足を挙げるポーズの仏像をぜひ見てみたいと感じた。最近BS日テレの「ぶらぶら美術館」に三井記念美術館の清水館長が出演し、女性学芸員とともに運送会社のトラックに便乗し東・西日本のお寺や博物館を巡って借りてきた肝いりの仏像ばかり展示したとのこと。お話によると両手は後補でもとは平等院の雲中供養菩薩のようなもので平等院像より古い平安時代の仏像とのこと。図録によると昭和9年にお堂の厨子から発見されたが阿弥陀如来とは材質が違うので本来一具ではなかったと考えられる。片足を後ろ斜めに上げ、軽やかに舞う姿は日本の仏像では異色とのこと。後ろ姿を直接見えないのが残念だが、話題になったので四天王寺でも公開されるのではないか。ヨガポーズの菩薩像に見入ってしまった。

2018年10月21日日曜日

快慶展⑦(八葉蓮華寺の阿弥陀如来)

昨年春に行った奈良博開催の「快慶展」には80体以上の快慶仏が集合したた
め、第七章「安阿弥様の追求」のころには少々ばて気味になっており集中力が途切れてきていた。快慶は多くの三尺阿弥陀を残しておりここにあげる八葉蓮華寺の阿弥陀如来の快慶無位時代の名作と言われるがあまり印象に残っていなかった。近頃見た写真でその素晴らしさを確認したぐらいだ。そういえば、「TV見仏記」の「大阪ひっそりおわす編」のカンテレドーガの表紙の写真がこの八葉蓮華寺の阿弥陀如来であることからも名仏であることは確かであろう。図禄によると信西入道の孫・恵敏が願主となって造像されたことが納入品からわかった。恵敏は大寺院の要職を務め阿部文殊院文殊菩薩や東大寺僧形八幡像の願主にもなった僧だ。球体を感じさせる丸みのある頭部や、やや切れ上がった目尻、小さめにあらわされた口元などの特徴が印象的だ。秘仏のためめったに拝めない貴重な仏像に会うことができたことに感謝したい。

2018年10月13日土曜日

特別展「仏像の姿(かたち)」②四天王寺の十一面観音

「仏像の姿(かたち)」展が開催されている三井ホールの1Fにはこの展覧
会の目玉である不動明王と弥勒菩薩とこの四天王寺十一面観音の顔のアップのパネルがディスプレイされており入館者を楽しませてくれている。四天王寺は聖徳太子創建のお寺だが、この十一面観音は鎌倉時代作の寄木造で頭に十面の頭上面を表し、左腕は曲げ持物を持つようなポーズをしており右手は垂下し手を正面に向けて、すべての指をを伸ばし、蓮華座の上に立つ。図録によると頭体幹部は左右二材矧ぎとする寄木造と言うが、それを感じさせないきれいな出来の仏像だ。頭髪や唇に一部彩色があるが、それ以外は素地仕上げのところもよい。展示ケースの一番端での展示のため、横からのお顔をあまり見られないのが残念だったが、展覧会場には中央に休憩用の椅子も設けられており、ケース近くで見るよりこの仏像は少し離れて見るのが断然よい。U案内人と二人でうっとりとしばしこの十一面観音を眺めていた。

2018年10月6日土曜日

特別展「仏像の姿(かたち)」①

先月のことになるが、仏像クラブで日本橋の三井記念美術館に特別展「仏像
の姿(かたち)」を見に行った。入ってすぐに展示していたのが「県立金沢文庫」の展覧会でみた覚園寺の迦陵頻伽だ。他のメンバーは初めて見たらしく少し大きな声を出して美術館の警備員に注意されるほど色めきだった。その後は初めて見る仏像が多く、展覧会のパンフレットにもなっている個人蔵の「見えを切る不動明王」や四天王寺の片足を挙げて踊る阿弥陀三尊の両脇侍像など初めて見る仏像ばかりだった。副題に「微笑む・飾る・踊る」とあるように仏像の表情や彩色・装身具による荘厳や甲冑に着けられた獅噛などの表象を、動きとポーズでは体幹の支点や捻り、手足の動きによる歩み、走り、踏みしめ、蹴り上げ、などの動作に注目した展覧会でかなり面白い構成になっており飽きさせなかった。U案内人も興奮したらしく、一緒に仏像を近くから少し離れた表情を見て感動していた。個々の作品の素晴らしさは次回順次紹介していくが、今までの三井記念美術館で開催された仏像展の中で一番面白い展覧会であった。



2018年9月29日土曜日

特別展「神仏人 心願の地」①

先週のことになるが、実家に帰省したおりに近くの多摩美大美術館に特別展
「神仏人 心願の地」を見に行った。この夏旅行した際、訪れることができなかった加東市の清水寺や朝光寺の仏像が美術館で拝観できると知り出かけた。入場券を買うと講演が今から始まると言われたので、地下1階の講演室に向かった。講演は「加東市の仏像と文化財保護の試み」という題で仏像修復士の櫻庭氏が加東市の仏像の現状と修復の過程から最新の3Dプリンターによる修復方法までパワオを見せながらの解説でとても興味深かった。彼も桑原薬師堂修復の「仏像の町医者」牧野氏のように個人で活動しており、展示品にもなっている、東古瀬地区の解体寸前の地蔵菩薩の修復や朝光寺の鬼追踊の面の3Dプリンター化などを現物を交えて1時間半熱弁を振るった。講演が終わり展示品を見たがあの解体寸前の地蔵菩薩や清水寺の毘沙門天、朝光寺の千手観音が展示されており、特に朝光寺の千手観音がすばらしかった。大満足し少し疲れを覚え展覧会場を後にし、実家に戻った。

2018年9月23日日曜日

特別展「安達一族と鎌倉幕府」前編

先々週になるが県立金沢文庫に特別展「安達一族と鎌倉幕府」を見に行っ
た。入口で間もなくボランティアによる展示解説が始まると言われたので、勝林寺の釈迦如来も気になったが先に聞くことにした。安達一族とは鎌倉幕府滅亡まで最後まで残った御家人で頼朝挙兵の際も仕え蒙古襲来絵詞にも載っていた鎌倉最大の御家人とのこと。真言密教にも多くかかわり、高野山で私が宿坊した「金剛三昧院」を創建した御家人であることが展示品を見ながらの解説でよくわかった。御家人として代々「秋田城介」を名乗り鎌倉の甘縄に屋敷や菩提寺を持つほか秋田の他全国に領地をもっていた。会場には秋田城内にあった寺院に祀られた本尊と同型の宮城県の天王寺から如意輪観音と四天王が出展されており初めてみる四天王寺式の仏像が珍しかったが、驚いたことに製作年が平安時代から安土桃山時代と仏の瀬谷さんでも特定できなかったことだ。なかなか知る機会がない鎌倉史の一面が知れて有意義な展覧会だった。

2018年9月17日月曜日

勝林寺釈迦如来坐像

先週の日曜日に県立金沢文庫で展覧会を見たおりに、仏の瀬谷さんが雑誌
で紹介していた関東最古の平安仏である勝林寺釈迦如来に出会った。写真で見たより小さい仏像だが、仏の瀬谷さんの解説によると「重厚な表情をみせる大きな頭部、力強い厚みのある体躯、腕前などの翻羽式の深い衣文は、平安時代初期彫刻としての特徴と魅力を存分にうかがえる。」とのこと。また名作誕生展で見た「元興寺薬師如来」を座像にして改変したようだと言っているが、元興寺薬師如来の重厚さには到底及ばないと思った。勝林寺は豊島区のお寺だが、仏像クラブでも東京仏像さんぽを行っていて感じたが、東京のお寺には平安の美仏が隠れている。今後も機会を見て隠れた東京の美仏を探してみようと思った。

2018年9月15日土曜日

平成30年新指定国宝・重文展④(薬師寺の増長天)

平成30年新指定国宝・重文展の隠れた目玉が薬師寺東院堂四天王の重文指
定だろう。鎌倉時代後期の仏像で京都五条坊門の隆賢・定秀作。当時は東大寺大仏殿に運慶・快慶が作った巨大な四天王像が存在しそれを手本として製作されたと考えられる。同じく大仏殿様四天王像として造られた海住山寺の四天王像と彩色・像様がそっくりで、東大寺大仏殿の四天王は最終的にこのようなかたちになったことがうかがえる。東博には平成15年に開催された「大和古寺のほとけたち」以来の出展だと思う。その際は当時東博の学芸員だった山本勉先生が図録解説を記載しており、「多種の顔料をもちいた極彩色をほどこし、盛上げ文様や繧繝彩色、さらに各種の切金文様も認められる。」と解説している。山本学芸員によると鎌倉時代初期の運慶作品より太づくりで軽快さにかけると言っているが、重厚で迫力がある仏像に感じた。いつか薬師寺を再訪しじっくりと味わいたいと思う。

2018年9月8日土曜日

播磨・但馬・丹波仏像鑑賞旅行⑤(普門寺の千手観音)

今回の旅行の初日に最後に向かったお寺が播州赤穂にある普門寺だ。駅前
の観光案内所で道を聞いて地図をもらった。連日の猛暑にかかわらず案内所の職員は赤穂浪士のコスプレをしているのがおかしくあったが、気にせづ普門寺に向かった。途中で名物の塩味饅頭を売っている店により詳しい道を聞いたので迷わずお寺についた。応対に出たご住職は尼さんで本堂に案内してくれた。本尊は屋島寺と同じく十一面千手観音だが、屋島寺ほど黒くはなくほぼ木の素地の色に近い、腕はお決まりの42本で左右三列に継ぎ足している。感じの良い尼さんだったので、子供のころ知り合いのうちに親子三代で遊びにいった思い出を聞いてもらい、お礼をいい寺をあとにした。帰りに季節限定の「水まんじゅう」を購入して姫路に戻った。

2018年9月1日土曜日

特別展「仁和寺と御室派の仏像」⑨(屋島寺の千手観音)

初春に行った「仁和寺と御室派の仏像」展の最後のコーナーが「秘仏」の
コナーで普段お会いできない、「秘仏」が大集合していた。その中で目立たない存在だったが興味がわいたのがこの「屋島寺の千手観音」だ。源平合戦で名高い古戦場である屋島は四国を学生時代に旅行したことはあるが、そこのお寺にこのような素晴らしい千手観音があるとは知らなかった。現在は宝物館でいつでも拝観できるようだ。42本の腕で千本の腕を表し、頭上に十一の頭上面をいただく平安時代の十一面千手観音座像だ。一木造りらしく、体に厚みがあり腕は左右19本ずつを前後3列に配する非常にバランスの取れた仏像だ。いつか四国を訪れた際、屋島を再訪したいと思う。

2018年8月25日土曜日

播磨・但馬・丹波仏像旅行④(大国寺の薬師如来)

城崎温泉でロープウェイを待って温泉寺に拝観した関係で丹波篠山に着いたのが13時を過ぎていた。駅から町の中心部まで行き、お目当てのそば屋で遅めの昼食を済ませて、駅に戻りタクシーで大国寺に向かった。当初は別の町のお寺を検討していたが、「ふるさとの仏像をみる」という本に大国寺が載っていたり、HPを見て事前に予約して向かった。約束の時間が夕方4時だったが少し早くつき、女性からご住職がもうすぐ帰られるとのことで、境内の写真を撮りながらまっていた。本堂に入ると平安時代後期の大日如来に見える薬師如来と両脇に大日如来、阿弥陀如来、持国・増長天が配されていた。金色に輝く仏像は平安時代後期の寄木造の仏像だ。住職のお話によると大国寺の名前は大国主命からきており、本地垂迹説によれば変化仏が薬師如来にあたり学名では大日如来、信仰では薬師如来という説明だった。お寺の背景も考えず学名をつける学者に憤りながら時間の許す限り住職と語りあった。次の観光客が来たので御朱印をいただき大国寺を後にし、京都で夕飯をとり横浜へ帰宅した。

2018年8月18日土曜日

播磨但馬丹後仏像旅行③(弥勒寺の弥勒三尊)

弥勒寺のことを知ったのは「新TV見仏記」であった。平安時代に書写山を
作った性空上人の隠居所で「書写山の奥ノ院」と言われている。姫路からタクシーで9:00に弥勒寺に着いた。タクシーの運ちゃんが道を聞いた農作業をする若い女性が住職の奥様らしく、みうらじゅんが「本堂はかなり渋い建物であった」と見仏記に書いてあった本堂を開けていただき中に入った。弥勒三尊が中にあり本尊は一日目に円教寺で見た阿弥陀と同じ表情であった。きれいな奥様は不慣れと言いながら、脇侍を大妙相と法苑林(ほおおんりん)とさわやかに教えていただいた。本堂も室町時代の建物らしく格子天井がみごとで国の重要文化財になっている。いつまでもいたかったが日本一の布袋さんの像があるというので奥様に教えていただき、タクシーをそちらに回して歩いて見に行った。笑顔の布袋さんがお賽銭箱を上にもっているので、TVでやっていたようりょうで何度かトライして4度目に入った。今回の旅行で思い出に残る弥勒寺であった。

2018年8月11日土曜日

播磨但馬丹波仏像観賞旅行②(温泉寺の十一面観音)

今日で播磨但馬丹波仏像観賞旅行も最終日。宿から歩いてすぐの温泉寺に向かう。ロープウェーの中間駅に温泉寺本堂があり乗客は私以外誰も降りず、一人本堂に向かった。くだりのロープウェーの時間と宿に約束したシャトルバスの時間を気にしながら急いで拝観した。短い時間ながら二メートルの大きさと井上先生が言う鉈彫霊木化源の仏像だと横からの拝観でわかった。霊木化現とは霊木で彫られた観音が完全にその正体を現しきる前の一過程を彫った仏像のこと。井上先生が示唆した通りだが、案内の女性も天平時代と誇らしげに話していた。他に小ぶりだが、千手観音も見事な仏像だった。ロープウェーが見えたので、急いで下山し、麓の薬師堂で御朱印を頂き急いで宿のシャトルバスに乗り込んだ。

2018年8月9日木曜日

播州但馬丹波仏像観賞旅行①(円教寺の阿弥陀如来)


今日から兵庫県の美仏巡りを行っている。今日は播磨の名刹書写山円教寺に向かった。ここ円教寺常行堂はハリウッド映画「ラストサムライ」のロケ地になっており、トムクルーズが姫路の銘菓「書写千年杉」というバームクーヘンを大人買いしたという。事前に拝観を予約していたので大講堂と常行堂を円教寺の若いお坊さんの案内で見てまわった。大講堂の釈迦三尊も素晴らしかったがなんと行って常行堂の阿弥陀如来が良かった。写真で見るより顔が美しくうっとりする。古佛の井上先生も注目しており、保存状態の良さや明日訪れる弥勒寺像との稀有な親近性について論じている。二メートル半の平安仏が重文にもなっていないことが不思議だ。播磨にはまだまだ隠れた美仏が潜んいると確信して書写山をあとにした。

2018年8月5日日曜日

特別展「仁和寺と御室派のみほとけ」⑧(遍照寺の十一面観音)

今年の早春にいった「仁和寺と御室派のみほとけ」展でほっとする仏像に出
会った。それは京都遍照寺の十一面観音だ。友人も同様に感じたのか、少しじっくりと見たいということで、二人でその仏像をゆっくり鑑賞した。最近になってこの仏像の作者がだれなのかを知りほっとしたわけがわかった。作者は寄木造の発明した定朝の師であり父親の康尚(こうじょう)であった。康尚は山本勉先生によると「僧ではあるが寺院の所属から離れて、独立した工房を営む最初の仏師」だという。現存する作品としては同聚院の不動明王が有名だが本像は仰月形の細い目、下頬の張った顔立ちが特徴の一木造で、翻羽式衣文があらわされており天皇家の血筋をひく高位の僧侶の依頼で康尚が古用な仏像として製作したのではないだろうか。山本勉先生も慎重にだが、面相はますますやさしく、おぼろともいうべき夢幻的なものから康尚周辺の仏師と書かれており、和洋の仏像の完成形としての魅力がわれわれの足を止めたのかもしれない。次の秘仏のコーナーも気になるので離れがたいが次の作品に向かった。


2018年7月28日土曜日

特別展名作誕生⑥(阿弥陀寺の薬師如来)

この春開催された「名作誕生展」では平成18年に開催され見逃した「仏像~一木に込められた祈り展」で出展された仏像も多く出展されていた。この阿弥陀寺の薬師如来もそのひとつだ。ウェブによるとその解説では「幅が広く、あごの出が少ない寸詰まった顔立ち特色があり、表情に霊的な雰囲気が漂う。」と書かれており、神護寺の薬師如来などの怖い顔の仏像を想像していたが会場の明るい照明からはそのようには感じなかった。この展覧会では名作のつながりをテーマにしており阿弥陀寺像も唐招提寺の薬師如来の左袖の木彫らしい表現のつながりを図録で解説している。中国人の仏師が製作した薬師如来像ではひだの彫りが浅く中国の石製の仏像を彫ったようだが、阿弥陀寺像では深く自在な表現をする日本の木彫像のノミの切れ味を楽しむような表現が見られる。京都の城陽市にある阿弥陀寺をいつか訪ねる機会があれば霊的表情と左袖の表現に注意して拝観したいと思う。


2018年7月21日土曜日

仏像クラブ信州仏像鑑賞会

昨年訪れた信州のお寺を仏像クラブの面々を引き連れて、今週の日曜日に日
帰りで訪問した。予定していたお寺が住職不在のため、昨年訪問した白洲正子の「十一面観音巡礼」に書かれている青木村の大法寺と松代の清水寺を訪れた。長野新幹線で上田に向かい、駅前で待ち合わせし路線バスで最寄りの当郷というバス停で下車した。日曜日の長野地方はよく晴れて連日の猛暑が続いており暑い中道に迷いながら、大法寺についた。大法寺は藤原鎌足の子「定恵」が大宝年間(飛鳥時代)に創建した古刹で、境内にある「見返りの塔」と呼ばれる三重塔が有名。三重塔観光後、手前にある「観音堂」にお寺の方に導かれて須弥壇の後ろに向かい十一面観音を拝観した。白洲正子によると「穏やお顔が地蔵様に似ているのは、地蔵と十一面を一体とみなす思想の現れであろう」とのこと。お寺のかたの説明では目を閉じているのが特徴と言われている。ゆっくり拝観したかったがタクシーを待たせているので松代清水寺に向かった。清水寺では東日本最古の千手観音・地蔵菩薩・聖観音を拝観し松代の国民宿舎で温泉と昼食をすませ、松代観光を行った。長野から新幹線で帰る前に長野の美味しい天ぷらやおそばをいただき、仏像から文学まで幅広く語り合った仏像クラブの面々だった。猛暑とともに記憶に残る仏像鑑賞旅行であった。




2018年7月12日木曜日

特別展名作誕生⑤(大倉集古館普賢菩薩)

特別展名作誕生の第1章テーマ2は祈る普賢だ。ここでの目玉は二つ普賢菩薩
の国宝が揃うコーナーだろう。一つは大倉集古館の普賢菩薩騎象でもう一つは東博所蔵の絵画国宝第一号の普賢菩薩像だ。文殊菩薩とともに、釈迦如来の脇役として白象に乗った姿で表されることが多い普賢菩薩。低い地位に見られていた女性が成仏するための本尊として、平安後期に流行した。この作品は円派仏師の作で寄木造で装飾が美しい。ご親切な美術愛好家のお年寄りが話しかけてきて、截金文様が普賢菩薩や白象に施されていることが良く見えると教えていただき、友人とともにまたとない機会なのでじっくり鑑賞した。一緒に展示されている院政期の代表作普賢菩薩像が画面から抜け出したように感じた。どちらの国宝も素晴らしくその場に釘付けになったが、壇蜜絶賛の若冲の絵画も気になったので次の展示テーマに向かった。

2018年7月8日日曜日

平成30年国宝・重文展③(三十三間堂の千手観音)

今回の国宝・重文指定の目玉は何と言っても三十三間堂の千手観音1001体の
国宝指定だろう。文化庁が戦前・戦後を通じて一貫して修復作業を行い、この度1001体目の千手観音が修理を終えてお寺に納入されたニュースは記憶に新しい。これを機会に文化庁が千手観音の国宝指定に踏み切ったのだろう。三十三間堂は平安時代に後白河法皇が平清盛に命じて造営され、鎌倉時代にいったん火災で焼失したが、後嵯峨上皇によってすぐさま再建されたのが鎌倉後期。千手観音の1001体のうち創建時のものは124躯、鎌倉時代再興のものが876躯。室町期の補作が1躯。創建時の千手観音には西村公朝によると運慶作の千手観音もあったとのこと。再興にあたっては慶派の棟梁・湛慶が中心となって、慶派・円派・院派の三派仏師が総力をもってあたったとのこと。今回の展示から1001体が並ぶ様子を想像するのは難しいが、平成20年にU案内人と三十三間堂を訪れており、そのときの様子を思い出しながら展示品を鑑賞した。いつか機会があればまた訪れたいと思う。

2018年6月30日土曜日

特別展名作誕生④(孝恩寺の薬師如来)

名作誕生展の出品リストを見て是非とも見たいと思ったきっかけが大阪孝恩
寺の薬師如来だ。大阪孝恩寺は異形仏群の宝庫として井上先生の「古佛」でもたびたび取り上げられ行基菩薩開創の寺として知られている。「古佛」によると「本像の表現のうち、もっとも強烈な印象を受けるのは、頭髪部である」と書かれているように盛り上がっており、肉髻が大きい。会場では像高160センチあまりなので頭部の異様さが目立たないが「古佛」では顔のアップの写真があり肉髻の大きさがよくわかる。井上先生も「仏像のような高度な精神的はたらきによって作り出されるものは宗教者とそれに寄り添う仏師の存在が必要」とのこと。仮にそれを「チーム行基」と名付けると全国にあまたある行基作の仏像は「チーム行基」の製作によるものではないか。いつか大阪の孝恩寺を訪ねて行基菩薩の仏像とじっくり向き合う時間が持ちたいと思いながら次の展示品に向かった。

2018年6月23日土曜日

平成30年国宝・重文展②(雲中供養菩薩)

平成23年に宇治の平等院を修復前に訪ねたおり、隣接する「鳳翔館」という展示施設で「雲中供養菩薩」の展示に感動し写真集まで購入した。「雲中供養菩薩」平安時代大仏師定朝の晩年の作品で平等院鳳凰堂の壁に整然と配置されていた、阿弥陀如来の来迎時のおつきの観音菩薩などの菩薩を表した仏像で、像高は50~80センチのものが多くみな雲の上にのっている。この像は文化庁によって保存されていたもので写真集や雑誌でも目にしていなかった。芸術新潮で山本勉先生が指摘しているようにこの像が平等院にあったかは分からないが、文化庁解説では「平等院にあった1躯だと考えられる」とのこと。山本先生の解説によると雲中供養菩薩は背景に雲の絵が書かれていたと想像され、上半身から下半身に材が薄くなり浮彫的表現がなされており、背景の絵と合わせて2次元のアニメーションのところどころに3Dとなるイメージではないかと言っている。この以外と大きい仏像を見ながら創建当時の平等院を想像して次の作品に向かった。

2018年6月16日土曜日

特別展名作誕生③(山口・神福寺十一面観音菩薩)

山口・神福寺の十一面観音を知ったのはブックオフで購入した芸術新潮で
「仏像-一木に込めれれた祈り展」の特集記事でだった。この仏像は「真壇像」と言って本来の材であるビャクダンでつくられた壇像だ。壇像はもともときわめてインド的色彩の濃いものだが、インドにも中国にも古い仏像はなく、日本に数体伝わるのみで、法隆寺の九面観音・談山神社の十一面観音そしてこの山口・神福寺の十一面観音だ。東博東洋館で見た「三蔵法師の十一面観音」も装飾が細かく超絶技巧だったが、この海を越えた仏像も顔に痛みがあるものの、素晴らしい装飾で彫られている。唐時代の仏像で直立した姿勢でうごきはとぼしいものの、装身具や天衣のにぎやかさはそれをおきなってあまりある。この仏像に直接出会えたことの喜びをかみしめながら次の展示品に向かった。

2018年6月8日金曜日

金沢文庫運慶展⑦(瀬戸神社の舞楽面 陵王)

以前、仏像クラブで訪れたことがある金沢八景駅からほど近い瀬戸神社とい
う古い社に伝わるのがこの舞楽面だ。瀬戸神社の社伝に源頼朝または実朝の所蔵で北条政子により寄進されたという。平成23年の金沢文庫運慶展で初めて見たが、今回は運慶作と図録に「仏の瀬谷さん」が記載しておりその後の研究の成果だろうか。同じような面が鶴ヶ岡八幡宮にもあるが、頭上の龍は両手をがっしりと握って、力強い。この龍が上野東博「運慶展」に出展された四天王の装飾に似ていることが、彼を運慶作と断言させた理由らしい。ただ雑誌の対談でも舞楽面の運慶の作例がないことや、最晩年作になってしまう点、面の裏の墨書「運慶が夢想により作った」が逆に慶派一門の造像に運慶が指導して作らせたということも考えられるとあくまでも慎重だった。東国での造像の可能性を秘めた舞楽面だった。

2018年6月2日土曜日

平成30年新指定国宝・重文展

5月5日は土曜日で東博は開館時間延長日だったので、「名作誕生展」を
17時過ぎまで見てから本館で開催されている「平成30年新指定国宝・重文展」に向かった。指定された仏像は本館11室に集結しているので、そちらに向かうと入口のガラスケースには追加指定された山形・本山慈恩寺の釈迦三尊が展示されていた。私が注目したのがキシリトールガムに使われた東寺の夜叉神だ。国宝・重文展では雄夜叉のみの展示になっており像高2メートルだが大きく見えた。その隣には薬師寺東院堂安置の四天王のうち増長天が展示されていた。鎌倉時代の作で強靭な肉体と怒りの形相で表されている。奈良では東院堂を見逃してしまったので、いつか四天王すべて見てみたいと思う。反対側には快慶展で見た三尺阿弥陀や東北岩手一関の東川院の観音菩薩があり、ガラスケースのコーナーには初めて見る僧形の「雲中供養菩薩」が展示されており、奥には国宝指定の三十三間堂の千手観音1001躯のうち3躯が展示され充実した内容となっていた。心地よい疲れを覚えて東博をあとにした。

2018年5月26日土曜日

東京港区のほとけさま

本日は仏像クラブで2回目になるが、港区の仏像巡りを行った。地下鉄白金
高輪駅から魚籃坂を登り魚籃寺へ。ガラス越しに魚籃観音を見て、そっけない住職より御朱印をいただき早々に三田を通って増上寺に向かった。初めて歩いたが三田の界隈は寺町となっていて多くの寺院が立ち並ぶ街だった。成行きで何軒かのお寺を巡り、東京タワーを見ながら増上寺へと向かう。本堂の「大殿」には明治に京都知恩院より寄贈された室町時代の寄木造の仏像だ。法要中であり下外陣からの拝観となったが双眼鏡で見ると顔つきがほっそりとした阿弥陀如来で金箔で阿弥陀定印を結んでいる。増上寺にはほかに安土桃山時代の釈迦三尊や十六羅漢があるが三解脱門上に祀られているため拝観はかなわなかった。大門外の居酒屋で食事をしながら今日の仏像について語り合う仏像クラブの面々だった。


2018年5月20日日曜日

特別展名作誕生②(成相寺の薬師如来)

今回の名作誕生展では展覧会に出たことがない仏像も多く展示されていた。
一番気に入ったのがこの成相寺の薬師如来だ。成相寺は淡路島にあるお寺で図録によると高野山の僧実弘により再建されたことが伝えられるがそれ以前から寺院の存在は確認されているとのこと。盛り上がった頭部や、やや険しい表情、脚部に現れる衣の襞をY字形に整える表現などはこの展覧会のテーマである「つながる日本美術」からみると唐招提寺薬師如来に端を発し、元興寺像など、各地に広まった薬師如来像にならう姿であるとのこと。衣の襞は彫りが浅く体躯の厚みも薄くなっている。平安時代中期から穏やかな表現の仏像が増えていくが既にその傾向がうかがえる。私も友人も今回の展覧会一番気に入った仏像の原因がその点にあるかもしれない。大倉集古館普賢菩薩の普賢菩薩も気になるので次の展示に向かった。

2018年5月12日土曜日

特別展名作誕生①

先週のGWの後半、上野の東博に「特別展名作誕生 つながる日本美術」を
鑑賞に出かけた。昨年の「運慶展」や正月の「仁和寺展」のように仏像が多く出展されるのではないので興味がなかったが、サイトで詳細を知り多くの珍しい仏像が出展されるまたとない機会であることを知り急遽でかけた。サイトによると最初のコーナーは「祈りをつなぐ」で鑑真ゆかりの木彫や美麗な普賢菩薩など仏教美術の白眉を展示しており名作誕生と個々のつながりを追っていく展示となっている。平成18年に「特別展仏像 一木にこめられた祈り」が開催され多くの素晴らしい仏像が上野に集まったようだが、私は鑑賞できなかった。あとから芸術新潮でその詳細を知り残念に思っていたが、今回はその縮小リメイク版になっており、そこで出展されていた仏像や新たに見いだされた仏像も展示されていた。白壇で製作された仏像とそれに似せて作ったカヤの一木造りのつながり、鑑真が中国の工人に造らせた仏像とそれにつながる平安前期の名作仏像が分かりやすく展示されてよかった。宗達や若冲などの名作も一緒にみられ少々つめこみすぎた感はいなめないが、見ごたえのある展覧会となっていた。東博ではこの時期開催の「平成30年新指定国宝・重文展」も開催されており、壇蜜の音声ガイドをじっくり聞きたかったが素晴らしいと評判の図録を購入して平成館をあとにし、本館に向かった。

2018年5月5日土曜日

特別展仁和寺と御室派のみほとけ⑦(神呪寺の如意輪観音)

最近の私の旅の目的はその土地の秘仏を御開帳日に見ることとなっている。
大阪弾丸ツアーでは日本三大如意輪のひとつである観心寺如意輪観音の御開帳日が土日になったときに合せて行ったし、近くは三重県伊勢の千手観音の御開帳日にも三重を旅行した。要は秘仏好きであり尚且つその中でも如意輪好きなのである。今回の仁和寺展は正に秘仏のオンパレードであり、ここに紹介する神呪寺(しんのうじ)の如意輪観音も日本三大如意輪のひとつとのこと期待していた。神呪寺の如意輪観音も観心寺像と同じく六臂で右側第一手を頬にあて「いかにして衆生を救うか考えているところ」だが観心寺像のように目を見開き一生懸命考えているのではなくけだるそうに頬づえをしているように見えるところが一気に会場の雰囲気を和ませる癒し系の仏像だ。第二手は宝珠を手に乗せ第三手は下方に伸びているが数珠は無くしたようだ。左側の第一手は人差し指を天に向け輪宝をのせており、お寺では写真のように縦にのっているが、会場では間違えたのか横になっていた。第二手は蓮華を持ち、そして三番目の手は腕を伸ばし手を伏せて蓮台の上面をおさえている。この仏像の最大の特徴は観心寺像のように足裏を合わせるポーズが一般的だが、左脚部が右大腿部に乗っていることだ。会場の最後のほうにこの仏像を展示する東博学芸員の心憎い演出にはまり会場をあとにした。

2018年4月30日月曜日

特別展仁和寺と御室派のみほとけ⑥(観音堂)

今回の仁和寺と御室派のみほとけ展の最大の見所が江戸時代に再建された観
音堂の展覧会場での再現だろう。普段非公開の観音堂を修復を期に中にある千手観音・降三世明王・不動明王・二十八部衆・風神・雷神像を展示、壁画の写真を背景に展示する試みだ。また写真撮影もOKとのこと、期待していた。会場は物凄い人で皆さん撮影に夢中だった。私もなんとか撮影しその後写真でじっくり味わった。江戸時代の再建時に降三世明王は東寺講堂より二十八部衆は三十三間堂からほぼ忠実に再現している。図録によると日光中禅寺や輪王寺を手掛けた七条仏師二十三代である康音の作風に通じるところがあるという。最近の東博の傾向としては必ず撮影スポットが設定される。今後の展覧会でも期待したいと思う。

2018年4月28日土曜日

運慶展⑩(円成寺大日如来)

運慶展は昨年の11月に終了したが、最近になっても運慶の話題にはことかか
ない。JR東海の「うましうるわし奈良」キャンペーンで今月から円成寺が取り上げられ毎日デジタルサイネージで円成寺の大日如来が見られたり、真如苑真燈寺の大日如来の一般公開が目的の半蔵門ミュージアムが開館したり忙しい。円成寺の大日如来はお寺と金沢文庫展と今回で3回目だったが、展覧会の冒頭の展示だったので印象に残った。オールアバウト運慶によると玉眼を嵌入した意志的なまなざし、上半身をややそらし気味にして印を結ぶ両腕との間隔を広くとった豊かな空間性など、才気あふれる青年仏師の作品にふさわしい溌剌とした雰囲気をたたえる。JR東海のキャンペーン情報によると多宝塔でガラス越しにしか拝観できなかった大日如来が相応應殿に移り、周りを東京芸大復刻の四天王が囲んでおり、真横からもじっくり拝観できるという。また奈良に行く機会があったら円成寺を訪れたいと思う。

2018年4月21日土曜日

金沢文庫運慶展⑥(大善寺の天王立像)

金沢文庫運慶展で曹源寺の十二神将の横に展示されていたのが、この大善寺
の天王立像だ。大善寺は鎌倉御家人三浦氏の衣笠城跡の麓にある寺でこの天王像は寺で毘沙門天として祀られており、近年存在が明らかになった像だ。一見して平泉金色堂の毘沙門天や昨年訪れた白水阿弥陀堂の二天像に似ていると仏の瀬谷さんが作品解説で書いている。大袖を翻して左右の腕を上下させ、大きく腰を捻って、右足を屈して岩座上に立つ。先月に仏像クラブで訪問した永福寺跡は寺院様式を平泉の影響があったことが知られているが、仏像様式流入があったことが本像より明らかといえようと仏の瀬谷さんが推論している。頼朝創建時には平泉金色堂で見られる金色に輝いていたことだろう。

2018年4月14日土曜日

目黒花まつり仏像めぐり

今週の日曜日は花まつりだったので、仏像クラブで目黒の寺巡りを行った。朝一番に大円寺に向かい花御堂の誕生仏に甘茶をかけ、生身の釈迦如来といわれている清凉寺式釈迦如来をガラス越しに拝観した。大円寺の釈迦如来は元は鎌倉・釈迦堂(廃寺)の本尊で三代執権北条泰時が父義時の供養のために造ったとのこと。造立は鎌倉時代初期で丸々とした顔や太い体つきから慶派仏師の作の可能性がある。ここ大円寺は出開帳のお寺であったため客仏となったとのこと。脇侍の吉祥天・毘沙門天は室町時代の作で重厚で精緻な彫技が目を引く名品である。甘茶のご接待を受け、阿弥陀三尊をガラス越しに見て、次のお寺は五百羅漢寺であったがU案内人が寄り道をして、以前仏像が見ることができなかった、蟠龍寺に向かった。ここも朝から花まつりの法要が行われており、本堂の扉の向こうに平安時代の阿弥陀如来を拝することができた。お寺の幼い娘さんより花まつりの飴をいただきほのぼのとした気分で五百羅漢寺へ向かった。五百羅漢寺では江戸時代製作の釈迦如来と五百羅漢を拝した。小学生のころ訪れたときには薄暗い本堂に多くの羅漢像がある様を見て恐ろしさを感じたのだが、今は近代的な建物のなかに収まったおり、すっかり観光寺院になっていた。最後に目黒不動に参拝し観音堂や地蔵堂をのぞき、不動明王を変化仏である青銅製丈六の大日如来を見て目黒駅前のイタリアンのレストランにより解散した。あらためて目黒は質・量ともに東京一のエリアと感じた。

2018年4月7日土曜日

特別展仁和寺と御室派のみほとけ⑤(仁和寺の阿弥陀三尊)

仁和寺の阿弥陀三尊はいまから10年前の平成20年の御室桜が咲く4月にU案
内人と訪れたれたとき霊宝館で拝観したがあまり印象に残っていなかった。今回は東博での展示でまたこの展覧会メインの仏像になっているのでドラマッチクな演出があると秘かに期待していた。観音堂の喧騒を離れて静かに仏像鑑賞ができるようになり、いきなりの御本尊の登場である。図録によると阿弥陀三尊は創建当初の法会の本尊で像高が90センチ腹前で「阿弥陀の定印」という印相を結んで座す姿である。「阿弥陀の定印」は心静かに精神を集中した状態に入るときの手のかたちで、本像はその最古例とのこと。記録によれば当初は阿弥陀三尊の周りに梵天・帝釈天と四天王が祀られていた。お顔付は中尊・観音・勢至菩薩ともにふっくらとした一木造りで平安の雅を感じさせる名品である。期待の照明に照らされ厳かに金色に輝く阿弥陀三尊に酔いしれた。

2018年4月1日日曜日

鎌倉地蔵めぐり

今週の日曜日(3月25日)に仏像クラブで久しぶりに鎌倉を訪れた。今回は
U案内人の提案で鎌倉の野仏地蔵を巡り、明王院の「梅かまくら特別参拝」に参加するコースを設定した。朝、鎌倉駅に集まり六地蔵を見てから枝垂桜が見ごろな本覚寺に向かう。青空に映えるきれいな桜をみてから、最近公園として整備した源頼朝創建の永福寺跡に向かう。段葛の桜はまだだったが、鶴ヶ岡八幡宮の桜は満開近かった。永福寺はかつて宇治平等院のような浄土式庭園があり、解説文によると中央が二階大堂、左が阿弥陀堂、右が薬師堂となっており仏の瀬谷さんの意見では運慶の仏像があったという。昼食を金沢街道のレストランですませ、一同明王院へと向かう。中には多くの善男善女が参拝にきており、TV見仏記に出演したご住職が護摩供養の話や仏像の説明をされていた。いざ護摩供養が始まると各人がお経の本を持ち護摩の火がたかれる中読経をする厳粛な時間を過ごした。近くでみる肥後定慶の不動明王は素晴らしくたくましく雄大な作風を示し、運慶様式を正確に受け継いでいることがうかがえる。良く晴れた鎌倉の空の下はじめはゆるめに始まった鑑賞会だったが、最後は護摩供養で締め充実した時間を過ぎして満足した仏像クラブの面々だった。

2018年3月31日土曜日

金沢文庫運慶展⑤(保寧寺の阿弥陀三尊)

金沢文庫運慶展に前に仏像クラブで訪ねた埼玉県加須市の保寧寺の阿弥陀三尊が出展されていた。見知らぬわれわれに収蔵庫のカギを快く貸していただき仏像を堪能したことが印象的だった。作者の宗慶は瑞林寺地蔵菩薩に小仏師として参加したことからも運慶の兄弟子にあたるとのこと。両頬の張りが強く肉付きがあり肩の張ったガッシリとした体躯は宗慶の作風と言われている。運慶が永福寺の仏像を製作して関東を去ったあと慶派と鎌倉御家人との関係を維持してきたと思われる。先日鎌倉の永福寺跡の礎石を眺めながらそのようなことを思った。宗慶にはまだ知られていない作品が埋もれているように感じ会場をあとにした。

2018年3月24日土曜日

特別展仁和寺と御室派のみほとけ④(葛井寺の千手観音)

先日無事に閉幕した「特別展仁和寺と御室派のみほとけ」は1月から開催し
ていたが仏像クラブで訪問したのは2月の葛井寺の千手観音が来てからとなった。平成21年4月18日に葛井寺を訪問しご開帳された千手観音を拝観したが、その日は大法要にあたり経を唱えながら一心に祈っている女性の姿が印象的だった。会場では間近に露出展示でみられしかも360(サブロクマル)で鑑賞できてよかった。千手観音の造像は仏教文化が花開いた奈良時代。天平彫刻の名品である。この千手観音は本当に1000本あるいわゆる真数千手でしかもそれぞれに目が描かれている千手千眼観音だ。真数千手としては奈良唐招提寺の千手観音が有名だが953本しか現存しておらず、葛井寺像は日本の古代中世の作品としては、千本の手が認められる唯一の像とのこと。材質は奈良時代の貴重な脱活乾漆づくりで、聖武天皇の発願にて造像された。前回、仏像クラブで鑑賞した時見落とした頭上の化仏の「大笑面」を見たが、穏やかな微笑みをうかべており平安時代になると笑いとともに恐ろしさあわせもつ「暴悪大笑面」と一線を画す表現になっており天平彫刻のおおらかさを感じた。いつまで見ていたかったがグッズのコーナーで千手観音のポスターを購入し名残惜しいが会場をあとにした。

2018年3月17日土曜日

金沢文庫運慶展④(修善寺の大日如来)

今回の金沢文庫運慶展では、運慶の兄弟弟子の作品も展示されていた。伊豆
修善寺の大日如来は運慶の兄弟弟子「実慶」の作品で仏像の胎内から実慶の墨書を「吉備文化財研究所」の牧野氏が発見した。2011年11月の鎌倉国宝館での展覧会出展を書いた「仏像クラブブログ」では仏像の表面が修復されてなく精彩にかく雰囲気であったが、今回はとてもきれいになっており驚いた。昨年秋に東博運慶展で見た円成寺大日如来のように髻を高く結い上げるのが慶派の特徴だとわかる。仏の瀬谷さんも言う通り運慶が永福寺にいたころ製作された鶴ヶ岡八幡宮寺の大日如来や真如苑真澄寺の大日如来に通じる作品と言っている。失われた運慶作品をこの大日如来でしのぶことができる。じっくりと鑑賞して会場をあとにした。

2018年3月10日土曜日

特別展仁和寺と御室派のみほとけ③(道明寺の十一面観音)

今回の展覧会では国宝の仏像4体が出展されるが、仁和寺2体と大阪の葛井
寺と今回取り上げる道明寺の十一面観音だ。道明寺の創建は飛鳥時代で土師氏の氏寺として建立され、土師氏に菅原姓を賜りのちに菅原道真が寺伝によると道真の叔母が住んでいることでしばしば道明寺を訪れこの仏像を刻んだと伝えられている。道真が30代で造ったかは分からないが、像の印象は若々しさを感じ、井上正氏も「清純な相貌と溌溂たる肉身に加えて、その衣の神秘的な動きを忘れることはできない」といっている。図録によると冠や後頭部の垂髪の形状などの形式が中国・唐時代の彫像に通じている。着衣の衣文は私が京都で見に行った法菩提院の菩薩半跏像に通じるうごめくような触感を表す一方、肉身にはかたい弾力を感じさせた。大阪弾丸ツアーの際最後に印象に残った名仏に再会できここちよい思いをして次の作品に向かった。

2018年3月4日日曜日

金沢文庫運慶展③(瀧山寺の梵天)

運慶の梵天には平成24年に瀧山寺を訪問してから6年越しの再会である。
平成23年の金沢文庫運慶展で帝釈天、昨年の東博運慶展で聖観音、今回の金沢文庫運慶展で梵天と関東に3度出展されたことになる。等身大の聖観音に比べ増高1メートル弱だが間近にガラスケース越しに表裏が見え、よかった。事前に山本勉先生の「運慶仏像の旅」を読んで必見ポイントを押さえてからの鑑賞となった。山本勉先生の必見POINT1は「額に第三の目」。鎌倉時代製作の密教像の本作は多面多臂(ためんたひ)で表され運慶作品では唯一のもの。必見POINT2は「頭の上に女性の顔」梵天の妻弁財天を表す。必見POINT3「正面とは異なる表情」後世の補色で分かりずらいが、正面の顔と微妙に違う。必見POINT4「軽やかな天衣」天衣を肩から外して腕に垂らしているありさまは優美で艶やか。金沢文庫運慶展をまだ鑑賞されていない方はこれらのポイントを押さえて見られることをお勧めする。会場には昨年の東博運慶展で聖観音がつけていた装身具が展示されており、より間近にみれてよかった。

2018年2月24日土曜日

特別展仁和寺と御室派のみほとけ②(仁和寺の薬師如来)

今回の「特別展仁和寺と御室派のみほとけ」では国宝の仏像が4体出展されて
いるが、その仏像が揃うのが2月14日からというので、開催から一ヶ月経ってからの訪問となった。その中で一番最初に展示されているのがこの仁和寺の薬師如来だ。像高は11センチで空海が唐よる招来した薬師如来が火災で焼けたため、平安後期、白河院の意向で御室(おむろ)覚行法親王が円派仏師の円勢・長円につくらせた貴重な白檀で製作された仏像だ。台座を含めて22センチ弱の小像ながら日光・月光菩薩と十二神将が彫られており食い入るように会場で見つめた。会場は照明を落としてあったのでよくわからなかったが截金(きりがね)文様が施された豪華な院政期の仏像だ。仏像は後半と油断していたが思わぬところで名仏に出会え後半に期待しながら会場を進んだ。