2015年9月26日土曜日

蔵王権現と修験の秘宝展②源慶の蔵王権現

三井記念美術館で開催されている「蔵王権現と修験の秘宝展」の目玉は如意輪
寺にある源慶の蔵王権現だ。山本勉先生によると、運慶に仕えた大番頭のような役割の仏師だったとのこと。蔵王権現は像高わずか87センチながら、均整のとれたプロポーション自然な姿態や着衣表現など破綻なくまとめられた造形感覚はみごとだ。右手を振り上げ五鈷杵を持ち、左手は剣印とし、右足を蹴り上げて立つ蔵王権現独自のポーズだ。像表面には当時のものと思われる彩色が残り、肉身色はは群青とし、着衣に截金文様が確認できる。さすが運慶の大番頭の技が冴える一品となっている。蔵王権現は役行者が金峰山で守護仏の出現を祈ったとき、釈迦如来・千手観音・弥勒如来が出現し最後に出現した仏として伝えられている。子ぶりながら迫力が感じられる仏像だった。いつまでも見ていたい気持ちを抑えて、次の作品へと向った。

2015年9月20日日曜日

養玉院如来寺

本日、仏像クラブで品川の西大井にある養玉院如来寺に出かけた。如来寺は元は芝高輪にあったお寺で、江戸時代の寛永年間に創立され、瑞應殿(ずいおうでん)にある五智如来は「芝の大佛(おおぼとけ)」として庶民に親しまれていた。養玉院は対馬宗家の菩提寺で寛永年間に寛永寺の塔頭三明院が前身とのこと。大正12年に如来寺と合併して今の場所に、移ったとお寺のしおりに記載してあった。御住職の奥様らしき女性の話によると、そのあとすぐ関東大震災があり、芝あたりも焦土に帰したとのこと。奇跡的に残った五智如来は高さ3メートル強の大日如来をはじめ、「大井の大佛」の名にふさわしい迫力があった。二体の天燈鬼は以前は興福寺の天燈鬼と同じく灯籠を持っていたが、東日本大震災の影響だろうか、今はなかった。お彼岸なので本堂の拝観は無理と事前に言われていたが、奥様の御好意で短い間だったが拝観させていただいた。本堂の釈迦如来と仏弟子二人の三尊像で、右が迦葉(かしょう)左が阿難とのこと。中国風の仏である養玉院の本尊は、中国明人の仏師の手によるものだが、エキゾッチックですばらしい仏だった。仏像クラブの面々も、大満足の様子で、鮫洲のあなご天丼を頬張りながら、本日見た仏像についておおいに語り合った。

2015年9月19日土曜日

蔵王権現と修験の秘宝展①

先週の土曜日、日本橋の三井記念美術館開催の「蔵王権現と修験の秘宝展」
を見に行った。三井記念美術館では何年かおきに仏像展が開催されており、「奈良の古寺と仏像展」では都の仏、「近江路の神と仏名宝展」では里の仏の展示だったが、今回は山の仏がテーマになっている。この展覧会では平安時代に都の貴族にも山の仏の信仰が盛んだったことを示す、宝物が展示されていたり、蔵王権現や役行者(えんのぎょうじゃ)など今までと趣をことにする仏像が見ることができた。圧巻は源慶作蔵王権現。写真では大きく見えたが、思ったほど大きくなく、87センチしかなかったが、迫力は十分あった。後半は以前訪れたことがある鳥取県の三仏寺の蔵王権現が中心の展示だったが、仏像フィギアでみうらじゅんプロデュースの有名な蔵王権現は壊れやすいためレプリカのみの展示だった。山の仏の展覧会だから地味かなと思っていたが、150センチの聖徳太子像や仏像など案外楽しめた展覧会となっていた。照明も見事で劇的な効果を発揮しており満足して会場をあとにした。

2015年9月12日土曜日

特別展鎌倉×密教の思い出(園城寺の不動明王)

平成23年に仏像クラブで行った鎌倉国宝館開催「特別展鎌倉×密教」ではU案
内人と特別開帳で訪問した明王院の肥後定慶作不動明王がメインで展示されていた。この展覧会により再評価され重文指定されることになるのだが、この不動明王と比較する作品として園城寺の不動明王が展示されていた。当時は肥後定慶作の印象が強く、さして記憶に残らなかったが、昨年訪れた大津市歴史博物館で開催された「特別展三井寺国宝の美」で、はからずも再会することができた。この不動明王がポスターの中央にあり、展覧会の目玉となっていた。あらためて作風を見ると両手足を左右に大きく張った堂々とした構えに気宇の大きさが感じられ、憤怒の表情は控えめに表し、衣文や肉取りを大つかみにとらえ、落ち着いた印象を与える。顔の表情はものすごく太めの眉を吊り上げ、両目を見開いている。作風からして湛慶か肥後定慶の作といわれており、当時の鎌倉国宝館の学芸員も肥後定慶作の比較としてわざわざ鎌倉まで持ってきて展示したのだろう。照明のよい大津歴史博物館でじっくり堪能して京都へ戻った。

2015年9月5日土曜日

美濃の美仏巡り⑥(円興寺の聖観音)

美濃の美仏巡り1日目の最後に訪れたのが、大垣からほど近い青墓という地名
にある円興寺だ。地元のタクシーの運ちゃんも道を迷うほど、訪れる人が少ないお寺だ。私がここを訪れようと思ったのは、井上正氏の「続・古佛」を読んだからだ。「続・古佛」は同じく井上正氏著作の「古佛」の続編で、平安時代の壇像彫刻を独自の視点で「唐」の絵師の影響を受けた風動表現や、ねじれの造形について有名無名の仏像を紹介する本だ。お寺に着き庫裏に向おうとする私を上にある本堂から御住職が声をかけていただいた。早速収蔵庫を開けてもらい、聖観音を拝観した。像高が150センチ足らずで、淡黄色で裾周りに見られる清新な衣文の表現が特徴的だ。若い御住職から井上先生がいらした当時の話を聞き、続・古佛を読んで来た旨などを話した。とても丁寧に応対していただいた、御住職にお礼をいい、お寺をあとにした。