2018年8月25日土曜日

播磨・但馬・丹波仏像旅行④(大国寺の薬師如来)

城崎温泉でロープウェイを待って温泉寺に拝観した関係で丹波篠山に着いたのが13時を過ぎていた。駅から町の中心部まで行き、お目当てのそば屋で遅めの昼食を済ませて、駅に戻りタクシーで大国寺に向かった。当初は別の町のお寺を検討していたが、「ふるさとの仏像をみる」という本に大国寺が載っていたり、HPを見て事前に予約して向かった。約束の時間が夕方4時だったが少し早くつき、女性からご住職がもうすぐ帰られるとのことで、境内の写真を撮りながらまっていた。本堂に入ると平安時代後期の大日如来に見える薬師如来と両脇に大日如来、阿弥陀如来、持国・増長天が配されていた。金色に輝く仏像は平安時代後期の寄木造の仏像だ。住職のお話によると大国寺の名前は大国主命からきており、本地垂迹説によれば変化仏が薬師如来にあたり学名では大日如来、信仰では薬師如来という説明だった。お寺の背景も考えず学名をつける学者に憤りながら時間の許す限り住職と語りあった。次の観光客が来たので御朱印をいただき大国寺を後にし、京都で夕飯をとり横浜へ帰宅した。

2018年8月18日土曜日

播磨但馬丹後仏像旅行③(弥勒寺の弥勒三尊)

弥勒寺のことを知ったのは「新TV見仏記」であった。平安時代に書写山を
作った性空上人の隠居所で「書写山の奥ノ院」と言われている。姫路からタクシーで9:00に弥勒寺に着いた。タクシーの運ちゃんが道を聞いた農作業をする若い女性が住職の奥様らしく、みうらじゅんが「本堂はかなり渋い建物であった」と見仏記に書いてあった本堂を開けていただき中に入った。弥勒三尊が中にあり本尊は一日目に円教寺で見た阿弥陀と同じ表情であった。きれいな奥様は不慣れと言いながら、脇侍を大妙相と法苑林(ほおおんりん)とさわやかに教えていただいた。本堂も室町時代の建物らしく格子天井がみごとで国の重要文化財になっている。いつまでもいたかったが日本一の布袋さんの像があるというので奥様に教えていただき、タクシーをそちらに回して歩いて見に行った。笑顔の布袋さんがお賽銭箱を上にもっているので、TVでやっていたようりょうで何度かトライして4度目に入った。今回の旅行で思い出に残る弥勒寺であった。

2018年8月11日土曜日

播磨但馬丹波仏像観賞旅行②(温泉寺の十一面観音)

今日で播磨但馬丹波仏像観賞旅行も最終日。宿から歩いてすぐの温泉寺に向かう。ロープウェーの中間駅に温泉寺本堂があり乗客は私以外誰も降りず、一人本堂に向かった。くだりのロープウェーの時間と宿に約束したシャトルバスの時間を気にしながら急いで拝観した。短い時間ながら二メートルの大きさと井上先生が言う鉈彫霊木化源の仏像だと横からの拝観でわかった。霊木化現とは霊木で彫られた観音が完全にその正体を現しきる前の一過程を彫った仏像のこと。井上先生が示唆した通りだが、案内の女性も天平時代と誇らしげに話していた。他に小ぶりだが、千手観音も見事な仏像だった。ロープウェーが見えたので、急いで下山し、麓の薬師堂で御朱印を頂き急いで宿のシャトルバスに乗り込んだ。

2018年8月9日木曜日

播州但馬丹波仏像観賞旅行①(円教寺の阿弥陀如来)


今日から兵庫県の美仏巡りを行っている。今日は播磨の名刹書写山円教寺に向かった。ここ円教寺常行堂はハリウッド映画「ラストサムライ」のロケ地になっており、トムクルーズが姫路の銘菓「書写千年杉」というバームクーヘンを大人買いしたという。事前に拝観を予約していたので大講堂と常行堂を円教寺の若いお坊さんの案内で見てまわった。大講堂の釈迦三尊も素晴らしかったがなんと行って常行堂の阿弥陀如来が良かった。写真で見るより顔が美しくうっとりする。古佛の井上先生も注目しており、保存状態の良さや明日訪れる弥勒寺像との稀有な親近性について論じている。二メートル半の平安仏が重文にもなっていないことが不思議だ。播磨にはまだまだ隠れた美仏が潜んいると確信して書写山をあとにした。

2018年8月5日日曜日

特別展「仁和寺と御室派のみほとけ」⑧(遍照寺の十一面観音)

今年の早春にいった「仁和寺と御室派のみほとけ」展でほっとする仏像に出
会った。それは京都遍照寺の十一面観音だ。友人も同様に感じたのか、少しじっくりと見たいということで、二人でその仏像をゆっくり鑑賞した。最近になってこの仏像の作者がだれなのかを知りほっとしたわけがわかった。作者は寄木造の発明した定朝の師であり父親の康尚(こうじょう)であった。康尚は山本勉先生によると「僧ではあるが寺院の所属から離れて、独立した工房を営む最初の仏師」だという。現存する作品としては同聚院の不動明王が有名だが本像は仰月形の細い目、下頬の張った顔立ちが特徴の一木造で、翻羽式衣文があらわされており天皇家の血筋をひく高位の僧侶の依頼で康尚が古用な仏像として製作したのではないだろうか。山本勉先生も慎重にだが、面相はますますやさしく、おぼろともいうべき夢幻的なものから康尚周辺の仏師と書かれており、和洋の仏像の完成形としての魅力がわれわれの足を止めたのかもしれない。次の秘仏のコーナーも気になるので離れがたいが次の作品に向かった。