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2022年9月23日金曜日

東林院の弥勒菩薩

 

8月23日に南淡路からタクシーで徳島に移動し、途中車中から鳴門の渦潮を忙しく観光しながら、徳島駅に向かった。ローカル線なのでタクシーを乗り換え東林院に向かった。このお寺を知ったのはみうらじゅん・いとうせいこう出演の新テレビ見仏記で訪問したからだ。観光のお寺ではないが恰幅のいいご住職が快く迎えてくれた。東林院は四国八十八ケ所第一番札所霊山寺の奥ノ院という位置づけだが訪れる人もなく住職に何で知ったか驚かれた。東林院は天平時代行基により創建されたとういう伝説があるものの、平安時代に空海が訪れ真言密教の寺として再興された寺院とのこと。客仏の弥勒菩薩は平安時代後期の寄木造の像高1メートル足らずの座像だ。印相は手のひらをこちらに向ける説法印の変形か、金箔もよく残っている。絵葉書がないので住職に断って写真撮影させていただいた。ご住職の好意で便がいい駅まで送っていただき、お礼を言ってお寺を後にした。おかげさまで徳島にも早くつき、昼食の徳島ラーメンをいただき、午後の井戸寺に向かった。

2022年8月30日火曜日

淡路徳島仏像巡礼③(丈六寺の聖観音)

若い時分,四国の香川・徳島・高知と巡り徳島の丈六寺にも行ったことがある。(たぶん見仏記の影響だが)淡路徳島仏像巡礼3日目(8月24日)徳島駅からバスに乗り丈六北で降りた。しばらく歩くとやすらぎの小路という町の住民が整備し、鯉を放し飼いにしている気持ちいい道をいくと丈六寺に着いた。重文の三門の横をくぐると境内に着いた。案内する人もいない境内をまずは観音堂へと進む。木の格子から薄暗い観音堂内部を見ると奥に座っいるのは懐かしい4メートル弱の聖観音だった。灰色にすすけた観音は見仏記によるとOKサインを出し左手を股の間に置いて握っていた。観音の驚くほど大きな左手の甲から蓮が飛び出している様は私には自然に見えたが、見仏記ではそそり立ったぺニスを誇示するかのようだとのこと。案外的を得た答えかもしれない。薄暗いので、よく見えなかったが、横の立て看板には光背には飛天もついており、全体が燃え上がる怪しい炎になっている。素晴らしい観音に再会し感動し、くりで御朱印を頂きこの旅の最後の巡礼を締めくくった。徳島に戻りスダチサワーと新鮮な刺身、美味しい煮魚で旅を満喫し帰路に着いた。

2022年8月27日土曜日

淡路徳島仏像巡礼②(井戸寺の十一面観音)

淡路徳島仏像巡礼の2日目(8月23日)、四国八十八ヶ所札所17番札所井戸寺に向かった。徳島駅で次の電車の時間を聞こうとしたら、府中(コウ)駅行きはあと1分で出ますという回答でいそいで電車に乗り込んだ。府中駅を携帯で調べる間もなく到着し、親切なご婦人の誘導で50分かけ井戸寺に到着。この井戸寺には見仏記でみうらじゅんいとうせいこうも訪れており、みうらさんにいたっては女性的を通りこし女性としか見ておらす、当時はグラビアアイドルや往年は洋画スターに例えている、見仏記を頼り仏像を説明すると像髙は二メートル弱の大きさの十一面観音、そして日光月光菩薩だった。平安時代の作といわれる、少々寸詰まりではあるものの存在感を豊かにあらわしていた。特徴的なのはなんといっても唇で、鼻と同じくらいの高さまで上唇を突きだしているのだ。つまり地方仏の特徴を女性的表現とらえ表している。いまでは明石海峡も鳴門海峡もクルマでさっと渡れる時代だがむかしは舟でしか渡れなかった仏師が想像で都の仏を作るのは致し方ないと思った。仏像の彩色は井上正先生によると鼠色の地粉地に丹が置かれ赤白檀を意識した彩色になっている。タクシーと電車を乗り継ぎ今夜の宿に猛暑の中向かった。

2022年8月24日水曜日

淡路徳島仏像巡礼①(淡路国分寺の釈迦如来)


今日(8月22日)から淡路徳島仏像巡礼に出ている。新見仏記でみうらじゅんいとうせいこうが淡路島の仏像を見ているので、いつかは行こうと思っていたが、今年の夏実現した。まず最初に向かったのが、天平時代?の釈迦如来が祀られている淡路国分寺だ、ここはホームページも開設しており、事前に拝観の申し込みをすると、若い声の住職が、拝観を快諾いただいた。タクシーで到着し案内をこうと予想通り若い住職が、応対してくれた。彼が力説していたのが現在の国分寺で釈迦如来を祀っているのは、当寺だけ。学者に南北朝時代の再建だというが土地の人たちは天平仏だと固く信じており、一つだけ残された飛天像からもかつて栄えた国分寺をしのぶことができる貴重な遺品だという。私も天平仏と信じたいが、飛鳥寺の例もあり、ひょっとしたらと思って、お寺をあとにした。