2020年3月28日土曜日

特別展「毘沙門天」④京都弘源寺の毘沙門天

会社の帰りにJR東海の品川駅に隣接するJR東海ツアーズで京都のパンフ
レットをもらうのを日課にしているが、春と秋に必ずあるのが京都嵯峨野天龍寺塔中の弘源寺の毘沙門天御開帳のパンフレットだ。今年の春も予定通り5月17日まで行われるが、そのパンフレットの写真の毘沙門天があまりにも写りが悪いのでお寺に拝観に行ってなかった。今回の毘沙門天展で初めてお会いしたが、その素晴らしい動きの表現に引き込まれた。図録によると腰を思いきり右にひねり、上半身は大きく左に傾き、袖が上に翻る。激しい動きを示すが、左足先を強く左方向へ伸ばし、しっかりと邪鬼を踏みしめるため、下半身に盤石の安定感がある。冑をかぶるが耳前からは焔髪がこれも勢いよく翻る。足ほぞに江戸時代の修理銘が記載されており運慶の多聞天のある東福寺の四天王の一具であると記載されているが多聞天が二つになり、鎌倉時代の四天王の一具が平安時代の毘沙門天というのもおかしくなる。比叡山延暦寺の塔頭寺院にあったという話もあり室町時代創建の弘源寺に来る以前にどこにあったか不明な仏像だ。いつか弘源寺を訪ねて拝観したいと思った。

2020年3月21日土曜日

10年ぶりに再会した元興寺如意輪観音

十輪院拝観後向かったのが南都七大寺の元興寺。元興寺は日本初の本格的
寺院法興寺が起源で平城京に移された寺院だ。曼荼羅が本尊の本堂の拝観をサッと済ませて宝物館に向かった。平安時代の阿弥陀如来を拝観してお目当ての如意輪観音に向かった。実は10年前の三井記念美術館で開催された「奈良の古寺と仏像展」で初めてこの如意輪観音に出会い魅力に引き込まれた。その後数々の如意輪観音と出会うため鎌倉来迎寺・飛鳥橘寺・室生寺と巡ってきた。このブログにもいつか元興寺を訪ねて再会したいと書いていた。如意輪観音は鎌倉時代の作で質の良いヒノキ材を用いた寄木造で玉眼を嵌入(かんにゅう)頭髪や唇に彩色をするほかは素地仕上げの壇像風の仏像だ。髻には丁寧に髪筋を刻み、俯きかげんに少し下を向けた顔には、切れ長の目やくっきりと引き締まった鼻や口元が気品漂う表情を醸し出している。如意宝珠や輪法などのそれぞれ持物をもった複雑な腕の動きと体のバランスも良く、鎌倉仏らしい端正さと調和美をもった秀作だ。10年ぶりの思いとげて満足して奈良をあとにした。

2020年3月20日金曜日

特別展「毘沙門天」③(華厳寺の毘沙門天)

2月中に毘沙門天展に行こうと思ったきっかけはこの毘沙門天が3月1日まで
の展示だったからだ。結果的には臨時休館のあおりで会期を待たずに閉館してしまったので、華厳寺毘沙門天のお導きだったと思う。西国33ケ所巡礼の結願のお寺である華厳寺に参拝したことがあり岐阜県の山の中にあり、みるべき仏像はないのではと思っていたが、会場の参加者の中にはお寺で毘沙門天を拝観した方もいたようだ。華厳寺毘沙門天は像高160センチを超える堂々した体つきで榧と思われる一木造りで平安時代の作。その像高からか会場でいちにを争う強烈な印象の仏像だ。連なった眉の下に睨み付けるような眼を開き、口元をへの字に曲げた意志的な表情を見せる。刀や矢から首筋を守る錣(しろ)のつきかたや鎧の胸当ての表現がしなやかである。鎧の下の衣装はまるで翻羽式衣文を表すようで作者の表現の巧みさに舌をまいた。御線香の煙で黒くなっているが、彩色が塗られていたとのこと。この仏像の素晴らしさに立ちすくんでしまったがもっと多くのひととのご縁ができること祈りつつ会場をあとにした。

2020年3月14日土曜日

特別展 出雲と大和④(大安寺の多聞天)

東博臨時休館のあおりで会期途中で終了してしまった特別展「出雲と大和」
だが、みるべき仏像が多く展示されていた。大安寺の多聞天もその一つで像高140センチあまりの奈良時代の仏像だ。大安寺は舒明天皇勅願の7世紀に建立された天皇の寺第一号の百済大寺(くだらおおでら)で、高市大寺・大官大寺と所在と名称を変え平城遷都に伴い現在地に移された寺院だ。遷都1300年の春、奈良を訪れたとき大安寺を訪問したがお寺の説明では中国やインドの僧が数多く活躍した国際色豊かなお寺だったとのこと。本像も天平後期における新たな唐代彫刻の影響により造立された。図録によると大安寺に伝わる木造四天王の一つで最も作風が優れていると評価される仏像だ。兜をかぶり、目を怒らせ上歯で下唇を噛み忿怒の相を示す。忿怒の表情に伴い隆起した筋肉を的確に表され、右手を挙げ、左手を腰にあてて右足を挙げ岩座を踏む姿に動きがみられる。甲に唐草文や宝相華文(ほうそうげもん)などの文様を浮彫状に表す装飾性に富む仏像だ。10年ぶりに大安寺で最も印象に残った仏像に再会してじっく鑑賞していたかったが、出雲の四天王も気になるので次の展示に向かった。

2020年3月7日土曜日

特別展「毘沙門天」②(如法寺毘沙門天)

毘沙門天は四天王の多聞天が単独で祀られ毘沙門天と呼ばれるようになった
のは奈良時代からだといわれているが、その唯一の作例が四国愛媛県大洲市の古刹如法寺の毘沙門天だ。毘沙門天展最初の展示で像高30センチ足らずの小像だが興味深い木造乾漆造りの仏像だ。寺伝によると楠木正成念持仏と伝えられており江戸時代に信貴山の修験者より大洲藩士が譲り受けた畿内からもたらされた記録がある。ヒノキとみられる木心に布張りを行い乾漆を盛上げ両腕は金属心を入れこれに乾漆を盛上げ、毘沙門天の黒目と邪鬼の黒目に金属製の異材を嵌入(かんにゅう)している。足が短く肥満な造形は「出雲と大和」展で見た大安寺の多聞天に似て唐風である。裳裾(もすそ)を垂らさない軽快な服装は奈良時代の毘沙門天の特徴だ。邪鬼は一匹だと思っていたが2匹でひとつはのけぞり今一つは突っ伏して踏まれており興味がつきない。毘沙門天の世界に引き込まれた導入にふさわしい仏像だった。