2012年1月27日金曜日

称名寺の清涼寺式釈迦如来

先週の県立金沢文庫の展覧会の際、一階の展示室で清涼寺式(せいりょうじしき)釈迦如来を見た。清涼寺式釈迦如来とは京都清涼寺に伝わる三国伝来の釈迦如来を模刻して、全国のお寺に祭られている釈迦如来立像のことで、西大寺の釈迦如来が有名だ。清涼寺式釈迦如来を始めて見たのは、平成21年7月の奈良国立博物館でのこと。その展覧会で清涼寺の釈迦如来を見てその足で西大寺に出向き模刻像を見た。その年の11月に目黒大円寺、平成22年9月にここ称名寺の清涼寺式釈迦如来に出会い11月にまた西大寺に行っている。翌年平成23年4月に鎌倉極楽寺で出会い、11月に京都清涼寺に行っている。ここ毎年のように清涼寺式釈迦如来を見る機会を得ているが、それぞれ特徴があっておもしろい。本家清涼寺釈迦如来はインド的な面立ちをしており、西大寺の釈迦如来はそれを日本的にし、院派が洗練した仏像にしあげている。大円寺も西大寺に通じるいい鎌倉仏で、極楽寺の釈迦如来は顔が丸く親しみがあり、ここ称名寺の釈迦如来はふっくらとしたおおらかな仏像だ。いずれも甲乙つけがたい。全国にはおよそ100体の清涼寺式釈迦如来があるといわれ、また京都の三室戸寺、茨城の福泉寺、東北宮城や四国愛媛にもあり、重要文化財でも20体はあるという。また次の機会でどこかの町での出会いを楽しみにしている。

2012年1月21日土曜日

仏像からのメッセージ展

本日、久しぶりに仏像クラブで県立金沢文庫を訪問した。県立金沢文庫は称名寺の境内にあり、先にお寺の仁王門や浄土式庭園を散策してから県立金沢文庫に向かった。ここ称名寺は金沢北条氏初代北条実時が創建した寺で、奈良西大寺を復興した「叡尊」が鎌倉に下向した折、真言律宗の寺となった。今年は「叡尊」の鎌倉下向から750年目にあたり記念に「仏像からのメッセージ展」が開催された。展示内容は普段見られない仏像の納入品と本像を一緒に展示していたり、仏像の写真と納入品が展示されていた。納入品で思い起こされるのは、運慶の遺作称名寺光明院の大威徳明王だ。像内納入品の奥書に運慶と記載されているにが発見され、運慶の最晩年の作品だと判った。その大威徳明王も今回展示されており、現物の小ささに改めて驚かされる。写真で拡大すると精巧に仏像の表情まではっきりと刻まれている作品だが、それをこのような小さい仏像に表した運慶の天才的力量に圧倒された。他にも西大寺の大黒天や大阪・大通寺の阿弥陀如来立像なども展示されていたが、通好みでとてのユニークな展覧会であった。

2012年1月14日土曜日

露歯の伎芸天

私が初めて秋篠寺を訪れたのは1980年のことだった。予定では山之辺の道を歩く予定だったが、雨天のため東大寺を拝観してから秋篠寺に向かった。その際は伎芸天の素晴らしさに感動し写真を購入してずっと部屋の壁に貼っていた。一昨年の秋、遷都1300年で奈良を訪れた際、30年ぶりに秋篠寺に向かった。薄暗い堂内に入れば、当然まずなんといっても入り口側の角に立つ伎芸天に目が吸い寄せられた。伎芸天の髪はオレンジ色で非常にエキゾチックであり、左に首をかしげる女性的な表情がいい。驚くべきことに頭部は奈良時代の脱活乾漆で体は鎌倉時代だという。みごとに何も違和感なく立っていた。一説には運慶が修復したのではないかと言われている。後で「見仏記」で知ることになるが、伎芸天は上唇の下に歯が覗いている「露歯菩薩」だと書かれている。また中国大同の中心にある下華厳寺にも「露歯菩薩」があり似ているという。あらためてみうらじゅん・いとうせいこうの仏像オタクぶりには感心した。大元帥明王の開帳もやっていたので、立ち去りがたい思いで本堂を離れた。

2012年1月8日日曜日

雲崗(うんこう)石窟の釈迦如来

本日から海外で出会ったみほとけについて紹介する。私のはじめての海外旅行は中国だった。しかも中国の「雲崗(うんこう)石窟」の大きな釈迦如来が見たいためにツアーを選んだ。LOOKJTBツアー名「北京と雲崗の石窟6日間」で中国に向かったのは1987年の春だった。北京で万里の長城を観光してから夜汽車に揺られて大同(タートン)に向かう。夜行列車から見る景色はまさに大陸に来たと感じる地平線と空だけの世界だった。大同市内の観光で若くてかわいいガイドの「伍淋」さんと記念撮影をしていよいよ雲崗石窟へ向かう。第5窟は彫りぬいた洞窟の中に、十七メートルという巨大な坐像があった。周囲の壁という壁に、大小様々な仏がぎっしり彫られている。他の窟も見るべき仏像が多い。太い足を交差させた13窟の弥勒菩薩。足元に靴下をはいた形の釈迦立像がある16窟。白い顔した交脚弥勒のある17窟。それぞれの仏の周りにはいい表情の仏弟子も彫られており夢中でシャッターをきった記憶がある。最後の20窟は露座の大仏である。お顔はどこか西洋的な異民族の顔をしており、北魏が遊牧民族の鮮卑タクバツ族出身とのことからもうなづける。私は時間も忘れてシャターを切り続けた。

2012年1月7日土曜日

深川七福神めぐり

本日は年明け最初の仏像クラブで深川七福神をめぐった。都営地下鉄大江戸線の森下からまず最初の深川神明宮(寿老人)へ向かう。お参りをすませたあと社務所で七福神の朱印をもらう色紙を購入。次の深川稲荷神社(布袋尊)へと向かう。NHKEテレ「仏像拝観の手引」で藪内教授が言っていたが、七福神のうち寿老人・布袋尊・福禄寿は中国由来の仏様になる。次の龍光院(毘沙門天)には時代は新しいがかっこういい毘沙門天に出会った。円珠院(大黒天)の大黒様は昨年見た谷中の大黒天より小さく小ぶりだった。大黒天はインドシバァ神が仏教に取り入れられたもの。先ほどの毘沙門天・大黒天・弁財天はインドの神様。心行寺(福禄寿)冬木弁天堂(弁財天)をめぐり最後に富岡八幡宮では最後のご朱印をいただきみごと七福神めぐりを終えた。ここ深川は東京で一番古い七福神といわれ、お寺も多く江戸の雰囲気が残る町だった。七福神めぐりはお正月にふさわしい行事でインド・中国・日本の神(恵比寿)をすべて取り入れたきわめて日本的な行事だ。来年もまた行きたいと思う。