2018年9月23日日曜日

特別展「安達一族と鎌倉幕府」前編

先々週になるが県立金沢文庫に特別展「安達一族と鎌倉幕府」を見に行っ
た。入口で間もなくボランティアによる展示解説が始まると言われたので、勝林寺の釈迦如来も気になったが先に聞くことにした。安達一族とは鎌倉幕府滅亡まで最後まで残った御家人で頼朝挙兵の際も仕え蒙古襲来絵巻にも載っていた鎌倉最大の御家人とのこと。真言密教にも多くかかわり、高野山で私が宿坊した「金剛三昧院」を創建した御家人であることが展示品を見ながらの解説でよくわかった。御家人として代々「秋田城介」を名乗り鎌倉の甘縄に屋敷や菩提寺を持つほか秋田の他全国に領地をもっていた。会場には秋田城内にあった寺院に祀られた本尊と同型の宮城県の天王寺から如意輪観音と四天王が出展されており初めてみる四天王寺式の仏像が珍しかったが、驚いたことに製作年が平安時代から安土桃山時代と仏の瀬谷さんでも特定できなかったことだ。なかなか知る機会がない鎌倉史の一面が知れて有意義な展覧会だった。

2018年9月17日月曜日

勝林寺釈迦如来坐像

先週の日曜日に県立金沢文庫で展覧会を見たおりに、仏の瀬谷さんが雑誌
で紹介していた関東最古の平安仏である勝林寺釈迦如来に出会った。写真で見たより小さい仏像だが、仏の瀬谷さんの解説によると「重厚な表情をみせる大きな頭部、力強い厚みのある体躯、腕前などの翻羽式の深い衣文は、平安時代初期彫刻としての特徴と魅力を存分にうかがえる。」とのこと。また名作誕生展で見た「元興寺薬師如来」を座像にして改変したようだと言っているが、元興寺薬師如来の重厚さには到底及ばないと思った。勝林寺は豊島区のお寺だが、仏像クラブでも東京仏像さんぽを行っていて感じたが、東京のお寺には平安の美仏が隠れている。今後も機会を見て隠れた東京の美仏を探してみようと思った。

2018年9月15日土曜日

平成30年新指定国宝・重文展④(薬師寺の増長天)

平成30年新指定国宝・重文展の隠れた目玉が薬師寺東院堂四天王の重文指
定だろう。鎌倉時代後期の仏像で京都五条坊門の隆賢・定秀作。当時は東大寺大仏殿に運慶・快慶が作った巨大な四天王像が存在しそれを手本として製作されたと考えられる。同じく大仏殿様四天王像として造られた海住山寺の四天王像と彩色・像様がそっくりで、東大寺大仏殿の四天王は最終的にこのようなかたちになったことがうかがえる。東博には平成15年に開催された「大和古寺のほとけたち」以来の出展だと思う。その際は当時東博の学芸員だった山本勉先生が図録解説を記載しており、「多種の顔料をもちいた極彩色をほどこし、盛上げ文様や繧繝彩色、さらに各種の切金文様も認められる。」と解説している。山本学芸員によると鎌倉時代初期の運慶作品より太づくりで軽快さにかけると言っているが、重厚で迫力がある仏像に感じた。いつか薬師寺を再訪しじっくりと味わいたいと思う。

2018年9月8日土曜日

播磨・但馬・丹波仏像鑑賞旅行⑤(普門寺の千手観音)

今回の旅行の初日に最後に向かったお寺が播州赤穂にある普門寺だ。駅前
の観光案内所で道を聞いて地図をもらった。連日の猛暑にかかわらず案内所の職員は赤穂浪士のコスプレをしているのがおかしくあったが、気にせづ普門寺に向かった。途中で名物の塩味饅頭を売っている店により詳しい道を聞いたので迷わずお寺についた。応対に出たご住職は尼さんで本堂に案内してくれた。本尊は屋島寺と同じく十一面千手観音だが、屋島寺ほど黒くはなくほぼ木の素地の色に近い、腕はお決まりの42本で左右三列に継ぎ足している。感じの良い尼さんだったので、子供のころ知り合いのうちに親子三代で遊びにいった思い出を聞いてもらい、お礼をいい寺をあとにした。帰りに季節限定の「水まんじゅう」を購入して姫路に戻った。

2018年9月1日土曜日

特別展「仁和寺と御室派の仏像」⑨(屋島寺の千手観音)

初春に行った「仁和寺と御室派の仏像」展の最後のコーナーが「秘仏」の
コナーで普段お会いできない、「秘仏」が大集合していた。その中で目立たない存在だったが興味がわいたのがこの「屋島寺の千手観音」だ。源平合戦で名高い古戦場である屋島は四国を学生時代に旅行したことはあるが、そこのお寺にこのような素晴らしい千手観音があるとは知らなかった。現在は宝物館でいつでも拝観できるようだ。42本の腕で千本の腕を表し、頭上に十一の頭上面をいただく平安時代の十一面千手観音座像だ。一木造りらしく、体に厚みがあり腕は左右19本ずつを前後3列に配する非常にバランスの取れた仏像だ。いつか四国を訪れた際、屋島を再訪したいと思う。