2021年1月23日土曜日

特別展「相模川流域のみほとけ」⑦(茅ケ崎宝生寺阿弥陀三尊)

 

昨年いった相模川流域のみほとけ展では身近な町の珍しい仏に出会うことができた。昨年の夏、定年退職記念に旅行した広島での隠れたテーマが「一光三尊像に出会う」だった。尾道では法事のため厨子が閉まっており見ることができなかったり鞆の浦では修復のため脇侍が出されており出会えなかった。予備知識なしに「鎌倉時代の仏像」のコーナーで鑑賞しているとその仏像は突然現れた。思わず、「梵篋印(ぼんきょういん)」と叫んでしまった鎌倉時代の善光寺式阿弥陀三尊で光背がないので一光三尊像ではないが、もとは光背もあったかもしれない。相模国風土記には高麗仏との記述があり中央に阿弥陀立像。横に観音と勢至。広島で出会えなかった「チャングムの誓い」に朝鮮王朝の挨拶の仕方ででてくる両手を横にしてちがいに合せる梵篋印(ぼんきょういん)を組んでいるではないか。また宝冠はシンプルな帽子のようなものをかぶっており探し求めた仏像だった。鍍金の仏像だがほとんど剥げており、当初は東博法隆寺宝物館でみたような金色相に覆われただろう。図録によると勢至菩薩に火を受けたあとが見られるとのこと。やはり鍍金に覆われた当初の一光三尊像が見たかったと思いながらひとり興奮して次の作品に向かった。







2021年1月17日日曜日

即成院の阿弥陀如来と来迎二十五菩薩


 昨年の10月になるが京都東山の泉涌寺道を朝から歩いていたら以前拝観したことがある即成院を門の前で見かけたので、お参りした。わずかに色づきだした紅葉をみながら本堂へむかった。即成院は平等院を創建した藤原頼通の子、橘俊綱が伏見桃山に創建した「臥見堂の迎摂(ごうしょう)像」として世に知られていた。豊臣秀吉の伏見城建設の際、移転を命じられ、明治の廃仏毀釈で廃寺となり仏像は天皇家ゆかりの泉涌寺に預けられ明治20年に現在の地に移った。その流転のなか本尊は別の寺の仏像にかわり二十五菩薩も15体は江戸時代に平安時代のスタイルを忠実に模した後補となったが、違和感はなかった。この二十五菩薩はそれぞれ楽器を持ち、笛・琴・笙から箜篌とよぼれるハーブを手にした菩薩もいるという。前と変わったのが人気のある菩薩はパネルで写真のアップが飾られておりより楽しめた。中にはなにも持たない菩薩もおりみうらじゅん氏も気になったのか写真集「ぐっとくる仏像」の表紙になっている。如意輪観音風の菩薩を内陣拝観でじっくりみて、昨今の「御朱印ブーム」に」あやかって造られた鳳凰の特別朱印をいただいて次の戒光寺に向かった。



2021年1月9日土曜日

快慶展⑯「東大寺の地蔵菩薩」

 

2017年5月に奈良博で開催された特別展「快慶」で東大寺の地蔵菩薩に再会した。この仏像を初めてみたのが2010年に開催された東大寺大仏展だ。大仏が出品されないのに上野で奈良大仏をテーマにしたユニークな展覧会だが、そこにひっそりと快慶の東大寺阿弥陀如来とこの地蔵菩薩が展示されていた。友人が台座の美しさに思わず声をあげたことを思い出したが、奈良博山口学芸員の図録解説によると後補でもとは湧雲上の台座であったという。製作年代は師匠の重源がなくなる前後の法橋時代だ。切れ長の眼を持ち秀麗な顔立ちや整理のゆきとどいた衣の表現は、快慶が追及した形式の美の極致をしめし、腰をわずかに左にひねり、右足を前方に出す立ち姿と、それに呼応してゆらめく着衣とが、地蔵来迎の現実感をより確かにものにしている。ここに形式的整理と写実的な表現とが見事に融合した、快慶様式の完成をみることができると山口学芸員も大絶賛の仏像だ。また機会があれば出会いたい仏像のひとつだ。





2021年1月3日日曜日

特別展「相模川流域のみほとけ」⑥(寒川安国寺の大日如来)

 

U案内人が注目した仏像にこの寒川安国寺の大日如来があった。近年、表面の漆地や面部が修理されているので見た目にはわからなかったがまぎれもなく平安時代後期の定朝様式の仏像だ。「ミズノ先生の仏像のみかた」によると、仏像は2種類にわけられ「虚の体型」「実の体型」があるという。天平時代の伝日光・月光や神護寺薬師如来に代表する平安時代前期の仏像は胸をぐっと張って堂々とした体になっておるのに対し平等院阿弥陀如来のように人間の理想の体型を追い求めた「虚の体型」となり、運慶が登場する鎌倉時代は「実の体型」にもどるという。本像は宝冠をかぶり胸前で智拳印を結んでいるが胸板は薄く定朝様式だということがわかる作品だ。U案内人がそこまで見抜いて注目の仏像にあげたかわからないが名仏師により製作された仏像であろう。



2020年12月31日木曜日

悲田院の阿弥陀如来

泉涌寺を出て、今回の京都非公開文化財特別公開の目玉である泉涌寺塔頭悲田院の阿弥陀如来を見にいった。快慶作と分かったのが最近のことなので今回初めての特別公開となった。もとは平安期に創建した法性寺を荒廃したため鎌倉期に九条兼実が再興した「後法性寺殿」にあったと伝えられている。悲田院では客仏扱いのため本堂の隅に置かれて展示されていたので、かえってより近く拝観できてよかった。2017年の奈良博快慶展では光背なしの展示のため今回が初めて見る光背付きの阿弥陀如来であった。光背の赤色がみごとで、目を見張った。髻が高く表現されており元は宝冠阿弥陀如来であることがわかる。宝冠阿弥陀如来は3種類あり真言系の紅頗梨色(ぐはりしき)阿弥陀如来、天台系の常行三昧の本尊、そのどちらでもない阿弥陀如来である。紅頗梨色は赤色を意味するが日本では赤色の作例はほとんどない。悲田院の阿弥陀如来が後法性寺殿にあったならば天台の寺院のため常行三昧の本尊として祀られていたであろう。快慶が若いころに制作した仏像なのでわざと光背に赤い色を用いて造ったのかもしれない。裏道を通って東福寺に向かうため、悲田院をあとにした。