2018年4月21日土曜日

金沢文庫運慶展⑦(大善寺の天王立像)

金沢文庫運慶展で曹源寺の十二神将の横に展示されていたのが、この大善寺
の天王立像だ。大善寺は鎌倉御家人三浦氏の衣笠城跡の麓にある寺でこの天王像は寺で毘沙門天として祀られており、近年存在が明らかになった像だ。一見して平泉金色堂の毘沙門天や昨年訪れた白水阿弥陀堂の二天像に似ていると仏の瀬谷さんが作品解説で書いている。大袖を翻して左右の腕を上下させ、大きく腰を捻って、右足を屈して岩座上に立つ。先月に仏像クラブで訪問した永福寺跡は寺院様式を平泉の影響があったことが知られているが、仏像様式流入があったことが本像より明らかといえようと仏の瀬谷さんが推論している。頼朝創建時には平泉金色堂で見られる金色に輝いていたことだろう。

2018年4月14日土曜日

目黒花まつり仏像めぐり

今週の日曜日は花まつりだったので、仏像クラブで目黒の寺巡りを行った。朝一番に大円寺に向かい花御堂の誕生仏に甘茶をかけ、生身の釈迦如来といわれている清凉寺式釈迦如来をガラス越しに拝観した。大円寺の釈迦如来は元は鎌倉・釈迦堂(廃寺)の本尊で三代執権北条泰時が父義時の供養のために造ったとのこと。造立は鎌倉時代初期で丸々とした顔や太い体つきから慶派仏師の作の可能性がある。ここ大円寺は出開帳のお寺であったため客仏となったとのこと。脇侍の吉祥天・毘沙門天は室町時代の作で重厚で精緻な彫技が目を引く名品である。甘茶のご接待を受け、阿弥陀三尊をガラス越しに見て、次のお寺は五百羅漢寺であったがU案内人が寄り道をして、以前仏像が見ることができなかった、蟠龍寺に向かった。ここも朝から花まつりの法要が行われており、本堂の扉の向こうに平安時代の阿弥陀如来を拝することができた。お寺の幼い娘さんより花まつりの飴をいただきほのぼのとした気分で五百羅漢寺へ向かった。五百羅漢寺では江戸時代製作の釈迦如来と五百羅漢を拝した。小学生のころ訪れたときには薄暗い本堂に多くの羅漢像がある様を見て恐ろしさを感じたのだが、今は近代的な建物のなかに収まったおり、すっかり観光寺院になっていた。最後に目黒不動に参拝し観音堂や地蔵堂をのぞき、不動明王を変化仏である青銅製丈六の釈迦如来を見て目黒駅前のイタリアンのレストランにより解散した。あらためて目黒は質・量ともに東京一のエリアと感じた。

2018年4月7日土曜日

特別展仁和寺と御室派のみほとけ⑤(仁和寺の阿弥陀三尊)

仁和寺の阿弥陀三尊はいまから10年前の平成20年の御室桜が咲く4月にU案
内人と訪れたれたとき霊宝館で拝観したがあまり印象に残っていなかった。今回は東博での展示でまたこの展覧会メインの仏像になっているのでドラマッチクな演出があると秘かに期待していた。観音堂の喧騒を離れて静かに仏像鑑賞ができるようになり、いきなりの御本尊の登場である。図録によると阿弥陀三尊は創建当初の法会の本尊で像高が90センチ腹前で「阿弥陀の定印」という印相を結んで座す姿である。「阿弥陀の定印」は心静かに精神を集中した状態に入るときの手のかたちで、本像はその最古例とのこと。記録によれば当初は阿弥陀三尊の周りに梵天・帝釈天と四天王が祀られていた。お顔付は中尊・観音・勢至菩薩ともにふっくらとした一木造りで平安の雅を感じさせる名品である。期待の照明に照らされ厳かに金色に輝く阿弥陀三尊に酔いしれた。

2018年4月1日日曜日

鎌倉地蔵めぐり

今週の日曜日(3月25日)に仏像クラブで久しぶりに鎌倉を訪れた。今回は
U案内人の提案で鎌倉の野仏地蔵を巡り、明王院の「梅かまくら特別参拝」に参加するコースを設定した。朝、鎌倉駅に集まり六地蔵を見てから枝垂桜が見ごろな本覚寺に向かう。青空に映えるきれいな桜をみてから、最近公園として整備した源頼朝創建の永福寺跡に向かう。段葛の桜はまだだったが、鶴ヶ岡八幡宮の桜は満開近かった。永福寺はかつて宇治平等院のような浄土式庭園があり、解説文によると中央が二階大堂、左が阿弥陀堂、右が薬師堂となっており仏の瀬谷さんの意見では運慶の仏像があったという。昼食を金沢街道のレストランですませ、一同明王院へと向かう。中には多くの善男善女が参拝にきており、TV見仏記に出演したご住職が護摩供養の話や仏像の説明をされていた。いざ護摩供養が始まると各人がお経の本を持ち護摩の火がたかれる中読経をする厳粛な時間を過ごした。近くでみる肥後定慶の不動明王は素晴らしくたくましく雄大な作風を示し、運慶様式を正確に受け継いでいることがうかがえる。良く晴れた鎌倉の空の下はじめはゆるめに始まった鑑賞会だったが、最後は護摩供養で締め充実した時間を過ぎして満足した仏像クラブの面々だった。

2018年3月31日土曜日

金沢文庫運慶展⑥(保寧寺の阿弥陀三尊)

金沢文庫運慶展に前に仏像クラブで訪ねた埼玉県加須市の保寧寺の阿弥陀
三尊が出展されていた。見知らぬわれわれに収蔵庫のカギを快く貸していただき仏像を堪能したことが印象的だった。作者の宗慶は瑞林寺地蔵菩薩に小仏師として参加したことからも運慶の兄弟子にあたるとのこと。両頬の張りが強く肉付きがあり肩の張ったガッシリとした体躯は宗慶の作風と言われている。運慶が永福寺の仏像を製作して関東を去ったあと慶派と鎌倉御家人との関係を維持してきたと思われる。先日鎌倉の永福寺跡の礎石を眺めながらそのようなことを思った。宗慶にはまだ知られていない作品が埋もれているように感じ会場をあとにした。