2017年7月30日日曜日

璉珹寺の阿弥陀如来

5月に奈良に行ったとき、福智院へ向かう道すがら「璉珹寺御開帳」と達筆
で筆で書かれた紙を何度も見かけた。「璉珹寺」とは「見仏記」でみうらじゅん氏がイラストを描いた半身裸の阿弥陀如来がいらっしゃるお寺だと気づき、福智院の後急遽訪問することにした。お寺にはご開帳の日らしく大勢の檀家の方々が詰めかけており、本堂に招かれた。中には中央に半裸の阿弥陀如来、右には観音菩薩が祀られていた。阿弥陀如来は顔も体も白っぽい肌色に塗られていて艶めかしく、下半身にはいたハカマは絢爛たる柄物。顔の造作は大きく、ゆえにおおらかさや慈愛が強調されている。頭髪のゆるいうねりは縄状で清凉寺式なのだが、それがこの仏の場合パーマのようにも感じられて女性的に見える。一説には光明皇后がモデルだともいわれるのは当然のことだろう。本尊の右に、黑く締まった体つきの観世音立像があり、こちらは少し吊り目で精悍な顔つきをしていた。お寺のかたによると東博で開催された仏像~一木に込められた祈り展に出展されたことがあるとのこと。みうらじゅん氏によれば「ダルビッシュ系」だそうだ。思いがけずいい仏に出会え結縁できたことに満足して奈良駅に向かった。

2017年7月24日月曜日

福島いわき仏像巡り:前編

先週の土曜日仏像クラブで福島県いわきの仏像鑑賞会を行った。仏像クラブが創立10年を迎えて、初めて東北地方へ遠征をおこなった。メンバーのアドバイスでジャンボタクシーを手配して、長隆寺・薬王寺・白水阿弥陀堂と巡った。最初に訪れた長隆寺はSNSで初めて知ったのだが、鎌倉時代の快慶風の地蔵菩薩がまつられている。野趣溢れる参道をあがりご住職に連絡し地蔵堂を開けていただいた。中央の厨子には像高177センチの立派な地蔵菩薩が祀られていた。縁起によると鎌倉円覚寺の長老より南北朝時代に贈られたもので、鎌倉時代の快慶の作と伝えられているとのこと。秘仏になっていたのか衣の色が良く残っており、袖を装飾的に波立たせるなど快慶的な特徴も見いだせるが、解体修理を行ってみないと断定はできないと感じた。仏像クラブの面々はいわきにこのような素晴らしい地蔵菩薩があることに感動したらしく熱心に写真に収めていた。その次に向かったのが薬王寺で、鎌倉時代の文殊菩薩をはじめ重要文化財の寺宝を持つ寺だ。別冊太陽「みちのくの仏像」にも掲載されている仏像で慶派の作とのこと。左手に経巻、右手に剣をとっていたものと思われるが、持物は失われている。増高42センチだが迫力のある獅子に乗っており、慶派の作とみて間違いないだろう。突然の訪問にもこころよく応じていただいた次世住にお礼を申し上げ、白水阿弥陀堂に向かう仏像クラブの面々であった。

2017年7月16日日曜日

特別展タイ~仏の国の輝き~①

先週の土曜日に東博で開催されている「特別展タイ~仏の国の輝き~」を鑑
賞しに出かけた。梅雨明けまぢかの猛暑でうだるような暑さだったが、待つこともなく平成館の涼しい会場に入ることができた。会場は第一会場と第二会場に分かれており、第一が仏像中心で古代からスコータイまで、第二がアユタヤとラタナコーシン(バンコク)の工芸品・絵画を中心とした展示構成になっている。会場に入ってすぐ今回の展覧会のポスターになっていた、みうらじゅん氏お勧めの「ナーガ上の仏陀」に会える。ほとんどの作品が露出展示となっており、作品との距離が近く360鑑賞できる作品もあり、この仏像など大蛇の尻尾まで後ろに描かれている。他にも観音菩薩など大乗仏教の仏像も展示されており、第1章だけでこれは面白いと感じた。第二章「スコータイ 幸福の生まれ出づる国」では微笑みの仏たちがいっぱいで、ウォーキングブッダも登場。癒しを感じる空間になっている。第三章のアユタヤでは金象や神様に捧げる靴・金冠などのまばゆい工芸品が多く展示されていた。江戸時代にシャムで活躍した山田長政関連の展示品など日本との関わりが展示されており、最後のコーナーでは「ラタナコーシン インドラ神の宝蔵」と題し、ラーマ二世王作の大扉が展示されていた。日本の資金協力で修復されたバンコク中心部の寺院を飾る大扉を扉ごと日本に持って来て展示されている。表面には猿・鳥・虫などの彫刻が施されており興味深かった。見ごたえがあり1時間半ぐらい鑑賞でき、快い疲れを感じ会場をあとにした。


2017年7月7日金曜日

三浦半島大開帳奉修②(最宝寺薬師如来)

4月のことになるが、三浦半島二大霊場大開帳奉修の京急のキャンペーンポ
スターに載っていた野比の最宝寺に三崎のマグロを食べたあと向かった。つつじが満開なお寺の境内を通って薬師堂の中に入り拝観した。横須賀市教育委員会によると最宝寺は鎌倉に創建された天台宗のお寺で創建当時の本尊とのこと。像の構造は玉眼入りの寄木造、像高は86センチ左手の薬壺と彩色は後世のもの。面立ちは眼尻の切れ上がった切れ長の目で張りのある引き締まった威厳のある相をしている。全体に鎌倉後期の宗風の影響が顕著であるが、建長寺の地蔵菩薩にみられる法衣垂下の特徴は見られないが、衣文のひだの重なりが良くまとめられている。中世の薬師如来像が現存する例は鎌倉でも少なく、優作として貴重なものとのこと。三浦は何度も仏像クラブで訪れたが、まだまだ優作の仏像があることに感動し、お寺をあとにした。




2017年7月2日日曜日

中野のほとけ様

先週の日曜日、今年の東京仏像さんぽとして東京中野区のほとけ様を見に仏
像クラブで出かけた。梅雨時のあいにくの雨模様だったが、西武新宿線の新井薬師前で集合し、先ずは新井薬師に向かった。新井薬師梅照院は駅から5分ほどの距離にあり、16世紀の天正年間の創建で、本尊の薬師如来は光る梅の木から発見されたことによりつけられたとされている。薬師如来は秘仏のため薄暗い堂内の先にはお前立の江戸期の薬師如来が日光・月光菩薩とともにまつられていた。薬師如来を囲む壁には十二神将像がまつられていた。引き続き菅原道真作と伝承が残る鎌倉期から南北朝期の千手観音を参拝した。素地の風合いをとどめ、卵型のお顔に刻まれた目鼻口元や、厚みをもたせ下腹部を覆う衣文など非の打ちどころなく、千手もほとんど当初のままであるという。実にありがたい美仏だ。ガラス越しでの拝観だったが頭上の化仏と十一面もよく見れてよかった。これが、中野区有形文化財でしかないのが驚かされる。最後のお寺に歩いて向かうそこかしこに、由緒正しき立派なお寺があり中野区の寺の多さに驚く仏像クラブの面々だった。最後の宝仙寺は法事で中からの拝観はかなわなかったが、東中野のジャズが流れるそばパブで天ぷらそばをいただきながら仏像について語る会う仏像クラブの面々だった。