高野山と紀州仏像めぐり⑦(慈光円福院の十一面観音)
昨年の猛暑の中高野山と紀州の仏像めぐりをしたとき、和歌山市の慈光円福院の十一面観音を見にいった。和歌山駅につき昼食をすませてから慈光円福院に向かったが道に迷い散々だったがやっとの思いで寺についた。予約していたので、上品な壮年女性が待っていてくださり、厨子を開けてくださった。材はカヤで一木造だ。エキゾチックできびしい顔立ちや、頭上をめぐる天冠台(冠をのせる台)の特異な形式は中国の檀像を、日本人が消化吸収してゆくさまをありありとしめす像といえる。後で「見仏記」を読んでわかったのだが、十一面観音の中指の先が善男善女に触られて光っていたという。十一面観音は概して手が長くつくられるが、その本当の意味は膝下まだあるその手の先、中指に衝動的に触れたくなり、その指にすがり、救われたいと願い、ひれ伏す者のためにこそ十一面観音の手はいつでも長く垂れているとのこと。実際に観音様の前で親切に冷たい麦茶をいただき、こころ穏やかになった。またどこかの十一面観音を見に行くときは人々の触れられた痕跡が観音の指に残っているか確認したいと思う。
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