2021年7月18日日曜日
2021年7月10日土曜日
特別展「聖林寺十一面観音~三輪山信仰のみほとけ」②(大御輪寺地蔵菩薩)
会場では十一面観音の存在感が他を圧倒しているため目立たないが、大神神社の神宮寺であった大御輪寺で十一面観音の横に不動明王と一緒に祀られていたのがこの地蔵菩薩である。奈良博の山口学芸員によると地蔵菩薩と言うよりも神像として祀られていたのだろう。像高172センチ余りのヒノキの仏像で明治の初めの神仏分離令のおり一度聖林寺に入りその後法隆寺に移され釈迦三尊と背中合わせに祀られていたが、その後法隆寺大宝蔵院に移された仏像だ。一木造りで翻羽式衣文や茶杓型衣文を交えた着衣表現は平安時代の特徴をあらわし、制作は遷都まもない平安時代初期に制作されたのであろう。一木彫像の実在感にあふれ、大ぶりな目鼻立ちは平安時代初期の特徴を表しているとのこと。確かにすばらしい仏像で会場で鑑賞したがまた十一面観音の前に戻ってしまう二人であった。
2021年7月3日土曜日
特別展「聖林寺十一面観音~三輪山信仰のみほとけ」①
今週の日曜日、U案内人と東博開催の特別展「聖林寺十一面観音~三輪山信仰のみほとけ」を鑑賞しに出かけた。昨年から事前予約制となった東博だがスムーズに入場することができた。開催場所は東博本館1Fの特別5室、音声ガイドを借りて開催のあいさつをゆっくり聞いていたが、U案内人は中央にある十一面観音のガラスケースに吸い寄せられていた。私もつられて十一面観音の前に立ちガラス越しであるが、わずか数センチの近さで拝観した。私は2010年に聖林寺を訪れて少し離れた展示ケース越しに拝観したが、東博ではみうらじゅんがいう360(さぶろくまる)鑑賞でき、後ろも鑑賞できるようになっている。随筆家白洲正子が奈良に十一面観音を訪ねた際、聖林寺を訪れ「さしこんで来るほのかな光の中に、浮かび出た観音の姿を忘れることが出来ない。それは今この世に生れ出たという感じに、ゆらめきながら現れたのであった。その後何回も見ているのに、あの感動は二度と味わえない。世の中にこんな美しいものがあるのかと、私はただ茫然とみとれていた。」とエッセイ「十一面観音巡礼」に書いている。他の観音にない男性的な感じに白洲正子は引き寄せられたのだろう。雑誌でお孫さんの白洲信哉氏と対談した金沢文庫のほとけの瀬谷さんが「ゆらめきながら現れた」の一文に注目し「十一面観世音神呪経」に十一面観音が出現する時に仏像がゆらぐと書かれていて、それが十一面観音の造形化に影響を与えていると指摘していた。U案内人をみると初めて見た聖林寺十一面観音にいたく感動したらしく会場を出て他の仏像の展示を見ているとき椅子に崩れ落ちるほど感動したらしい。私も東京初公開の十一面観音の展示の素晴らしさに感動し、何度もU案内人と見入ってから会場をあとにした。
2021年6月20日日曜日
特別展「横浜の仏像」㉒(林際寺地蔵菩薩)
「横浜の仏像展」は横浜のみほとけを紹介する展覧会だがこの林際寺地蔵菩薩は静岡県河津にあり、その由来については山本館長の講演で詳しく語られていた。南北朝時代に鎌倉で活躍した仏師朝栄により関東管領上杉憲方の寄進により武蔵金沢能仁寺に造営されたと像内墨書に記載されていることが平成30年上原美術館の調査であきらかになった。文化庁の調査により何らかの事情で建長寺塔頭に移されたこの仏像が江戸時代寛文年間に林際寺に移されたことが林際寺過去帳から明らかになったと語られた。この地蔵菩薩は鎌倉から南北朝に流行った法衣垂下像ではないが、図録によると法衣垂下だった痕跡が残っているという。鎌倉幕府滅亡により流出した仏像がまだ他県のお寺にひっそりと祀られているのではないか。発見を期待したい
2021年6月5日土曜日
特別展「横浜の仏像」㉑(慶珊寺の十一面観音)
鎌倉地方様式として山本館長が紹介した遊戯坐(ゆげざ)像としてみほとけちゃんねるで紹介されたのが慶珊寺の十一面観音だ。 山本館長の説明によると鎌倉時代の鎌倉幕府滅亡の前年に院派の院誉によってつくられた像で、もとは十一面観音の化仏がついていたが今は欠落してあとだけが残っているとのこと。左手を地面につけるくつろいだ雰囲気の仏像で京都にはない鎌倉地方独特の宗風(中国風)の仏像だ。製作者がわかる銘文が胎内の文字がスライドで映され興味深かった。建長寺地蔵菩薩の法衣垂下像ととともに鎌倉地方を代表する仏像だ。リラックスしたポーズがとても癒された仏像だった
登録:
投稿 (Atom)




