仏像クラブブログ
2026年1月2日金曜日
2025年12月27日土曜日
亀岡・京都仏像巡り⑤(神蔵寺の日光・月光菩薩)
寶林寺から亀岡駅へ戻り電話で予約しておいたタクシーに乗り込み神蔵寺に向かった。神像寺は伝教大師最澄開祖の寺院で源頼光が平安時代に帰依した28塔の僧坊を持つ由緒ある寺だったが、安土桃山時代に明智光秀の丹波平定の兵火で焼けてしまい、江戸時代に再興され現在にいたっている。紅葉まっさかりの本堂裏手の薬師堂に向かうと収蔵庫形式になっており中央厨子は閉まっており薬師如来は拝めなかったが、矜持の向かって右の日光菩薩と月光菩薩をガラス越しに拝観した。それぞれ日輪・月輪を載せた蓮茎を持ち、腰を本尊側に捻り、本尊側の足に重心を落とし、反対の足を遊足として立つ。両菩薩とも、寄木造で漆箔仕上げとし、条帛・天衣・裳を着用している。それぞれ頭上に高髻を結い、束ね目、髪筋ともに表す両菩薩は、面長で、厳しい眼差しを感じさせる面相を示す。自然な動勢を示す肉付きの抑揚や流れるような着衣の表現など、鎌倉時代の写実的な作風を示している。私が見た限りではとても地方仏師の作に思えず髻などが慶派に似ていることから、慶派または慶派に学んだ地元仏師の作だろう。御朱印を住職からいただき、紅葉名所積善寺にタクシーで寄ってから亀岡をあとにした。亀岡にはまだまだ素晴らしい仏像があると感じたのでまた来年も再訪したいと思った。
2025年12月20日土曜日
企画展「しずおかの古仏たち」③(鉄舟禅寺菩薩座像)
企画展「しずおかの古仏たち」の第1章は「久能寺とその仏像」だ。久能寺は現在日本平と呼ばれる地区のほど近くにあった山でそこにあった天台宗の寺院が戦国時代武田氏の山城久能城の築城にあたり清水に移転し明治に廃仏毀釈で廃寺となったが旧幕臣山岡鉄舟により鉄舟禅寺として再興された寺院だ。往時には寺内に三百以上の僧坊を持つ駿河有数の寺院だった。そこに伝わるのがこの両腕にない菩薩座像で2017年に奈良博で開催された快慶展に出展されていた。奈良博の山口学芸員によると、いちじるしい損傷をこうむりながらも、なお鎌倉時代初頭の清新な作風をしめす菩薩像。ヒノキ材の割矧造で、玉眼を嵌入する。両肩以下を欠失し、両腰部及び両脚部、髻の下縁、左耳上半を含む側頭部の一部などを後補とするほか、像表面は古色に覆われている。頭部から胸部は製作当初の姿を伝えている。顎の張ったふくらみの強い面相や、両目の見開きの精悍な表情は快慶が「安阿弥陀仏」と称した無位時代の作品に通じ(中略)髻は髻頂の髪束を大きく華やかにあらわす形式は安部文殊院菩薩騎獅像あたりから顕著になるが、本像もそうした傾向に沿うもので、快慶の筆頭格の弟子行快の作風に通ずるところがある東大寺聖観音(内山永久寺伝来)に比較的近いかたちが認められる。快慶派の活躍が伊豆山を中心に考えられることから快慶派の作品とみてよいだろう。平安・鎌倉時代の静岡に思いをはせながら次の作品に向かった。
2025年12月12日金曜日
亀岡・京都仏像巡り2025④(大雲寺の十一面観音立像)
11月に行った亀岡・京都仏像探訪は初めて見る仏像ばかりだ。ここに挙げる大雲寺十一面観音立像はクラウドファンディングでNET上で話題となった仏像だ。祇園から出町柳に出て叡山電鉄とバスを乗り換え岩倉実相院バス停で下車。はじめて岩倉の地に降り立ったが、周囲を山々に囲まれた小盆地で古くは貴族に愛された風光明媚な場所とのこと。ここらへんにくると遅れていた紅葉もそこかしこにみれ石座神社の紅葉などを見ながら大雲寺に向かう。大雲寺の表札があったので進むと普通の民家で玄関から十一面観音の仮本堂に続いている。すでに団体客が来ていたので遠慮していると前にどうぞとのことで仏像を拝観した。住職からいただいたお寺の案内文によると、十一面観音立像は奈良時代行基の作で長谷観音と同じ御衣木を使用しているとの伝承。私の見た目では貞観仏のようなすごみがないが下半身は確かに古仏らしく衣紋も複雑で平安前期から中期の作か。平安鎌倉には観音霊場として栄えたらしく大雲寺の創建は円融天皇の勅願で971年に創建された。室町時代に細川・三好の戦火に巻き込まれ十一面観音の頭が一部溶けてないことが見て取れた。京都にはまだまだ見たことがない秘仏があると思いながらお寺を後にし、真正極楽寺に向かった。
2025年12月5日金曜日
企画展 しずおかの古仏たち②(霊山寺金剛力士)
静岡市歴史博物館開催の企画展「しずおかの古仏たち」の展示品は一階のスペースにある静岡市清水区にある霊山寺の金剛力士阿形・吽形からだ。霊山寺は清水平野と駿河湾を見渡す山の中腹にある寺院で奈良時代の僧行基が観音菩薩を納めた駿河七観音の一つで、平安時代中期の千手観音が本尊。仁王門に平安時代~鎌倉時代製作と考えられる金剛力士を吉備文化財修復所が令和5年度から3年かけ修理し、お寺に返還する前に本展にての披露となった。会場には修理前の金剛力士の写真から霊山寺から埼玉に修理の移設の様子。修復の過程がパネルにてわかりやすく展示してあった。特に注目したのが近代以降にガラス製の玉眼が嵌められていたため、本来の彫眼に復元する過程で、それによって金剛力士の迫力が増していた。修理当初は自立するのが難しい脚も木材の補強により力強くなり立派になっていた。修理の過程で金剛力士は頭から体が一本の材で彫り出されており、内刳の手法を用いてない平安時代の一木造に多い製作方法とのこと。衣の下からは像の輪郭が浮き上がり、立体感がある鎌倉時代以降の新しい造形彫刻になっている。吉備文化財修復所のいい仕事に感銘して会場に向かった。
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