2022年11月20日日曜日
2022年11月13日日曜日
大倉集古館普賢菩薩
今月3日の文化の日、初めて大倉集古館に国宝普賢菩薩をみにいった。大倉集古館の普賢菩薩は東博の「名作誕生展」で見ており、スポットライトにあたった截金文様がきれいに残る平安仏だ。前の週に行った神谷町駅から坂をあがると中国風の建物がみえて来た。入場券を購入して上人像などを見てから2Fの展示室に古いエレベーターで向かった。普賢菩薩は東博で見た展示ケースに収まったいたので鑑賞した。ネットに名品図録解説として「普賢菩薩は『法華経』を信仰し受持する者を守護するとされ、その信仰が特に隆盛した平安時代中期から後期にかけて、多くの優れた画像や彫像が製作された。特に女人往生の典拠となった同教は女性貴族の間であつい信仰を集めた。(中略)保存状態は総じて良好で、本体はもちろん、台座の蓮華や象、その下の框にいたるまで造立当初のものである。鮮やかな彩色や着衣の各部にほどこされた細線な截金文様も、この期の華麗な趣をよく残している。頬から顎にかけてふっくらと膨らんだ面貌や、全体が丸みを帯びて小ぶりに造られた体躯の表現などは童子を思わせながら、顔立ちは崇高さえをたたえ、腕前で合掌する姿は敬虔で静謐な趣を際立たせる」山本勉先生は円派と断定しており、平安時代の貴族の女性の思いを一身に受けた菩薩像をいつまでも眺めていた。最近リニューアルされた地下のミュージアムショップで普賢菩薩のクリアファイルを購入し、大倉集古館をあとにした。
2022年11月3日木曜日
増上寺三解脱門
先週の土曜日「増上寺三解脱門公開」にあわせて仏像クラブで港区愛宕の寺社と三解脱門拝観に出かけた。愛宕神社の出世の石段などを巡り増上寺に着くと三解脱門に受付とロッカーが設置されており、U案内人の話ではカメラは持ってきてよいとのことで、身軽になりほぼ垂直な設置された階段を三解脱門にあがった。増上寺三解脱門は東京にありながら、関東大震災にも空襲でも焼けなかった奇跡の門で400年前の江戸が壇上に広がっている。中央に釈迦三尊、周りに十六羅漢が配され壇上にいた説明者によると室町末期から江戸時代にかけての製作とのことだったが、山本勉先生の「仏像」によると宿院仏所の宗院で美術史的には織豊政権から豊臣氏滅亡の慶長20年までの桃山時代、政治的には江戸幕府開設間もない時期につくられたとのこと。宗貞・宗院は奈良金峯山寺の蔵王権現を製作した仏師だが、荒らしい蔵王権現と違い徳川政権誕生で戦国が終了した当時の世相を反映してか穏やかな釈迦如来となっているが、山本先生によると、鎌倉時代初期の快慶作品に学んだ端正なまとまりがあり、奈良の地の長い造像伝統が突然花開いた観があるとのこと。よく見ると肩のあたりに快慶御得意の截金文様がほどこされている。このころは造仏活動も盛んで運慶の末裔七条仏師の東寺での活躍もあり注目すべき仏像は多い。これから東京の仏像も丹念に見ていきたいと思った。
2022年10月23日日曜日
特別展「最澄と天台宗のすべて」⑫(法用寺の金剛力士)
「最澄と天台宗のすべて展」は昨年の10月から今年の5月まで東京・九州・京都で開催されたが、私は東京・京都に参加したため紹介する仏像が多い。こちらの会津、法用寺の金剛力士は会津に行ったとき見そびれた仏像のひとつだ。「最澄と天台宗のすべて展」東京会場の東博第二展示室には像高2メートル以上の巨像が多く、金剛陸士の220センチぐらいの巨像だ。法用寺は奈良時代創建の古刹で天台宗ゆかりの地に立つ。ダイナミックな怒りの表現を伴う金剛力士像の中では威嚇する身振りや顔の表情は控えめで、平安時代後期の作風をよく示している。東北地方で仏像の用材でよく用いられるケヤキの一材から頭体幹部が一木造りで作られている。現在、東博開催中の特別展「東京国立博物館のすべて」に出展されている東博の金剛力士像は木の年代測定によって平安時代後期と作とみられている。地域性と同じ一木造の木像から平安時代後期と推察されるとのこと。会津に出会えなかった仏像に会えた喜びをかみしめ会場をあとにした。
2022年10月15日土曜日
「運慶 鎌倉幕府と三浦一族」④曹源寺十二神将
特別展「運慶 鎌倉幕府と三浦一族」でも金沢文庫運慶展のときと同じく曹源寺十二神将が展示されていた。運慶は浄楽寺の仏像を造ったあと東大寺造仏までの7年間の足跡が不明であることで知られているが、仏の瀬谷さんの考察では永福寺の薬師如来と十二神将を鎌倉殿の命で造っていたという。曹源寺十二神将はそのコピーだという。当時は彼ひとりの独走の説といわれていたが、東博ミュージアムに奥建夫氏(当時文化庁)の説が出て俄然自信を深めたようだ。十二神将のうち巳神だけが頭ひとつ大きく造られており、出来栄えも突出している。誰か巳年生まれの貴人の守護神的意味があるだろうと思われていたが、奥氏は中世には生まれた年より生まれた時刻の干支が重視されていたこと、その貴人が源実朝に他ならないと指摘した。鎌倉殿源実朝の十二神将だという。調子にのった瀬谷さんは永福寺の出土した鬼瓦から永福寺総合プロデュースは運慶だと断言する始末だ。真偽は別としてもそう考えると楽しい展覧会だった。
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