特別展「横浜の仏像」⑳光傅寺の地蔵菩薩
山本館長の講演の講演は終盤になるほど盛り上がり、最後の「中世仏の展開」に至った。鎌倉大仏が鋳造され、金沢北条氏により称名寺が創建された鎌倉幕府滅亡、南北朝動乱の時代、中央仏師はすでに鎌倉幕府の庇護を受けた慶派には目立った人物はなく、室町幕府に重用された院派・円派が活躍したとのこと。一方鎌倉では東国運慶派と呼ばれる仏師集団が活躍し東国善派・東国院派と造像を競っていたという。鎌倉地方様式の特徴は中央よりも宋・元風(中国風)への傾斜が顕著で、東慶寺観音菩薩に見られる遊戯座像や建長寺地蔵菩薩に見られる法衣垂下(ほうえすいか)が代表的な形式とのこと。代表的な表面装飾は浄智寺韋駄天に見られる土紋、共通する構造技法は浅い上げ底式内刳りを挙げている。ここで紹介する光傅寺の地蔵菩薩は東国運慶派の作品で大仏師が康増で小仏師に増慶らの名が体部の墨書に書かれている。山本館長の解説では堅実で素朴な造形がこの一派の特徴とのこと。とはいえ円応寺初江王を造った幸有も東国運慶派の一人であるので、落ち着いたら今度鎌倉国宝館に行ったときにそのような見方で初江王を見てみたいと思う。
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