2012年8月5日日曜日

運慶の十二神将

昨年の「空海と密教美術」展を観覧した後、U案内人の勧めで本館の特集陳列「運慶とその周辺の仏像」を仏像クラブの面々で見に行った。そのときは運慶の二つの大日如来について熱くかたりあったが、そには東博所蔵の「浄瑠璃時の十二神将」も展示されていたが、あまり注目しなかった。当時の「東博ニュース」には「その充実した造形は運慶作の可能性をあらためてかんがえるべきかもしれません」と書かれていたが、私はそこまで踏み込む理由がなぜなのか、長い間解らなかった。しかし先月購入したとんぼの本「運慶」(新潮社)にあの山本勉先生が加筆されている「新発見!運慶仏はまだあらわれる」のコーナーを読んでその意味が解った。山本先生によると、明治39年の毎日新聞に載った「運慶の十二神将」という記事に、京都の浄瑠璃時の十二神将のことが書かれているとのこと。しかも十二神将像の「腹内」に「大仏師運慶」の銘文があったという情報が研究者によって先生のところにもたらされた。またこの問題はこれだけにとどまらず、興福寺南円堂の四天王運慶説にも影響を与えるという。もしかしたら、現在31体が確認されている運慶仏に一挙に、16体もの運慶仏が加わる新発見になるかもとのこと。詳しい調査が待たれる。今年の特集陳列では展示されていないが、また東博で展示があったとき足を運んでみようと思う。

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