2026年3月30日月曜日
2026年3月24日火曜日
京の冬の旅2026③(華光寺の毘沙門天)
京の冬の旅で西陣興聖寺の次に向かったのが、京の冬の旅初公開の華光寺だ。華光寺のある千本出水は京の下町のような雰囲気がある町で千本出水のバス停を降り出水通りを西に向かうと寺町になり、今回公開の福勝寺の隣が日蓮宗の華光寺だ。お寺の檀家の若い女性が本堂の日蓮さんの説明を受けてから隣の部屋に安置されている毘沙門天を鑑賞した。華光寺は豊臣秀吉の庇護を受けて天正年間に創建されたお寺だが、秀吉公が伏見城に祀っていた毘沙門天を寄進したとのこと。鞍馬寺の平安時代後期の毘沙門天と同木で作られたと伝わる毘沙門天は右手に三叉戟を執り、左手は腰に託し、足元で邪鬼を押さえつけた勇ましい姿だった。個人的な感想としては鞍馬寺毘沙門天の芸術性が高く素晴らしい仏像だが、こちらは京都の平安仏としては保存状態も悪く稚拙に感じた。出水の七不思議といって各寺に残された華光寺では「時雨松」「五色椿」が残されており、興味がわいた。隣の福勝寺も気になるので早々にお寺をあとにした。
2026年3月13日金曜日
たたかう仏像③(加彩神将像)
たたかう仏像展では静嘉堂@丸の内所蔵の十二神将とその鎧の源流である中国の神将像を展示している。秦の始皇帝兵馬俑から始まる俑の埋葬出土品は唐時代に確立し日本の仏像の鎧に受け継がれていく。ポスターにもなっている加彩神将俑は片方が兜を被り、片方が髻を露出する開口・閉口一対の俑。閉口像では胸甲や腹部の下甲、膝裙、吊腿などに朱、白、黒、淡紅、淡青色によって花紋及び唐草文がびっしりと表され、胸甲の覆輪部などに金箔が貼られている。覆輪部の金箔は浄瑠璃寺十二神将子神像にもはっきりと表されるが、前盾のように唐式甲制と異なる奈良時代に一般化された「天平甲制」がみられるのは興味深い。閉口像、開口像ともに胸甲の中央に円花文を表すのは日本の神将像が両胸に立体的に円花文を表す前駆形といえる。甲冑は、両像で異なる形式がとられている開口像では上半身の前後に別々の甲を着ける。おへそを守る腹護には小礼文を描き肩には獣面を表す。両像とも左右の眼が向く方向が上下左右に微妙にずらしているある。これは七世紀後半から八世紀の神将俑一般にみられる特徴だが、東大寺戒壇院四天王や法華堂執金剛神が同様に眼のつくりをしており、このどこから見ても微妙に眼があわない恐ろしい眼のかたちは相当拡がりを想定できる。普段見慣れている日本の神将像の源流がここにあるという展示だった。
2026年3月6日金曜日
京の冬の旅2026②(興聖寺弥勒菩薩)
祇園で食事を済ませ、西陣にある臨済宗興聖寺に向かった。興聖寺は西陣に佇む禅刹で秀吉に仕え、武将で茶人・古田織部との縁から「織部寺」とも呼ばれている。見所は本堂の掛軸「達磨大師図」だ。にらみつける力強いまなざしが印象的とのことだが、私の興味は掛軸で隠された本尊の釈迦牟尼仏や脇侍の達磨像や弥勒菩薩だ。藤堂高虎寄進の達磨像はさほど関心がなく、江戸時代作の見老菩薩の端正な顔立ちに目がいった。弥勒菩薩には珍しい宝冠をかぶり宝塔を持ち結跏趺坐する。静かな本堂の雰囲気によくあっていた。今回の「京の冬の旅2026」のコンセプトは大河ドラマ主人公・豊臣秀長&秀吉ゆかりの社寺の特別公開だ。ふだん目を向けられない寺院を訪れることができる。御朱印をいただき次の公開寺院に向かった。
2026年3月3日火曜日
~冬の奈良でお寺・神社巡り~ 路地ぶらならまち・きたまち2026年2月②(徳融寺子安観音)
五劫院を出てきたまち空海寺・念聲寺へ向かった。念聲寺の阿弥陀如来三尊は大原三千院と同じく両脇侍はやまと座りをし、阿弥陀如来は施無畏与願印を表す。江戸時代創建の寺なれど本尊は少し前の時代と感じた。昼食後、興善寺・金躰寺とならまちの寺を巡り、徳融寺についた。元興寺の塔頭である徳融寺に残されているのは子安観音と薬師如来を拝観した。ともに伝平安時代の木造で薬師如来は日光・月光菩薩が扉に描かれた厨子に収まった、おおきな仏像で飛天が舞うきらびやかな光背で興味をそそられたが、なんといっても注目は隣の間にある子安観音だ。平安時代のヒノキの一木造で像高189センチ。赤子を両手で捧げ持つ珍しいお姿。奈良市観光協会の方によると元は聖観音だったものを室町時代の補作で子安観音に作り替えたとのこと。まるで赤子を見守る母親のような慈悲深い目をしており、今回の奈良旅でこの仏像に出会えてよかったと思った。まだまだ奈良には有名・無名の仏像が多くあると確信した。またの機会に訪れたいと思いながら近鉄特急に乗り込み奈良をあとにし京都へ向かった。
2026年2月24日火曜日
~冬の奈良のお寺や神社巡り~路地ぶらならまちきたまち2月①
先月に引き続き路地ぶらならまちきたまちの仏像巡りをしに奈良に来た。今月は以前訪れた五劫院の五劫思惟阿弥陀如来から拝観だ。以前は薄暗い本堂に安置してしたアフロな仏だったが、今日訪れた五劫院は立派でアフロ仏も出世したなと思った。五劫院の五劫思惟阿弥陀如来は東大寺を再興した、重源上人が中国から招来したという伝承が、あるが確かにアフロ仏は作例が少ないが、五体ほどあり模刻像が作られたとも考えられる。早々に御朱印を頂きたい次の寺に向かった。次回にするが、今回も小安観音などユニークな仏像に出会い充実した奈良旅だった。
京の冬の旅2026
本日(2月23日)は六波羅蜜寺と京の冬の旅2026特別公開寺院に出かけた。先に六波羅蜜寺を見て、今回の最初の公開寺院方広寺に向かった。翌週にひな祭りを控えた京都の町をそぞろ歩き、ブラタモリでやっていた、大きな石垣を過ぎて受付で拝観料を払って中に入る。方広寺は以前焼ける前の江戸期の大仏をみたが、今回の盧遮那仏は同じく江戸期の作、三代目の盧遮那仏の十分の一とのこと。他に左甚五郎作の大仏殿の欄間に施された龍や大黒天を見て、豊国神社によった。午後のお寺は次回にするが、充実した京都旅であった。
2026年2月13日金曜日
永青文庫令和7年度早春展「アジアの仏たち」
本日(2月12日)、天気もいいので東京目白にある永青文庫令和7年度早春展「アジアの仏たち」を見に出かけた。地下鉄東西線の早稲田から20分ほど歩くと、岡の上に昭和初期に建設された4階建ての建物が永青文庫だった。ここは戦国大名細川幽斎から江戸期の大名屋敷に伝わる宝物、戦前の貴族院で細川首相の祖父にあたる細川護立氏の日本・インド・中国の美術品が展示されている博物館だ。今回はインド・中国の仏像・ヒンズー教の神像などに特化した展覧会となっている。展示室は4階にエレベーターであがり、昭和初期の重厚な階段を降りて展示品を鑑賞するしかけとなっている。4階にはいきなり「細川ミラー」といわれる国宝「金銀錯資料文鏡」(中国戦国時代前4世紀~3世紀)が特別展示され虎を狩猟する武人の絵が刻まれた素晴らしい鏡だった。4階はインドグプタ朝からパーラ朝時代の石像美術のコレクションでヒンズー教美術と仏教美術最盛期のコレクションばかりだった。3階は中国の石彫美術で北魏時代の重要文化財「菩薩半跏思惟像」(掲載の仏像)をはじめ、現在東博に細川護立氏から寄贈され東洋館に展示されている宝慶寺石仏群のうち、永青文庫に残った重要文化財如来座像は目をみはるものだった。白い大理石の白玉像で欠けやすい大理石で造形的にも技術的に優れた名品だった。最後に2階の金銅仏をみて受付で細川ミラーの絵はがきを購入して帰路についた。大倉集古館の時にも思ったが都内にはまだまだユニークな博物館・美術館があり今後も可能な限り訪問したいと思った。
2026年2月7日土曜日
興福寺伝来の四天王像
路地ぶらならまち・きたまち2026年1月の拝観を終えてならまちから奈良国立博物館に向かった。お目当ては「なら仏像館」で昨年末から今年の三月まで期間限定の特別公開されている興福寺伝来の四天王を鑑賞するためだ。この四天王は明治時代まで興福寺に伝来した一具で、広目天がいまも興福寺に残るほかは、滋賀・MIHO MUSEUM、増長天と多聞天が奈良博所蔵となっている。増長天と多聞天の明治時代の修理から100年あまり経過したので、剥落止めなどの修理を施しそれが完成したため、面目を改めた増長天・多聞天を特別公開するとともに28年ぶりに四天王像が一堂に会する展示だった。明治時代の古写真によると興福寺の路傍に雑然と並んでいる興福寺の仏像のなかに快慶の処女作ボストン美術館所蔵の弥勒菩薩とともに増長天・広目天・多聞天の姿があったが、四天王すべてが幸いに国内に残り危うく海外流出を免れたことは幸いだ。四天王は安置堂宇が不明ながら優品として知られており、4躯とも体幹部を一木から彫り出した体躯には充実感がみなぎり、瞳に黒光りする異材を使用し、広目天の邪鬼を塑土で成形するなどの奈良時代から平安時代にみられる古様という技法が用いているのが特色。制作時期は鎧に銅製の装飾を施す、康慶の南円堂四天王像との類似から11世紀から13世紀初頭まで諸説あるが、いまだ定説をみないとのこと。会場ではひとつひとつじっくり鑑賞できたが、像高155センチから170センチの小像ながら迫力があり、特に写真の多聞天は出来映えがよかったと思う。奈良博では時々このような注目すべき展示を短期間で行っているが、注意して今後も見ていきたいと思った。
2026年1月31日土曜日
~冬の奈良のお寺や神社巡り~路地ぶらならまち・きたまち2026②(阿弥陀寺の三駆一佛観音)
午前中のきたまちお寺巡りでくたくたになりながら、ならまちにある「旬菜ひより」でランチをとり、ならまちのはずれにある阿弥陀寺に向かった。ここは南北朝時代に元興寺の一庵としてはじまったお寺だ、この塔頭に悲田院がありここが路地ぶらならまち・きたまち2026の公開寺院となっている。院内で説明者によると奈良時代に光明皇后が創建した興福寺悲田院を遷したものと伝えられ、当時の遺構は残っていないとのこと。そこに祀られているのが、三駆一佛観音。奈良市観光協会の人はいつ作られたかわからないとの説明だったがで月刊サライの記事によると「木造・漆箔、像高79.8センチ、室町時代末・16世紀後半頃。左腕の先に阿弥陀如来立像、右腕の先に薬師如来立像が「生えて」あるいは「湧き出て」いる様子を表すきわめて珍しい姿。観音、阿弥陀、薬師の功徳を一身に表しているとも考えられる。後世の修補で造像当時の金色が甦っている。(後略)」とのこと。阿弥陀寺住職ブログでこの記事が載っていることを知り事前に予習した成果がいかせた。路地ぶらの仏像は国重文から無指定まで多岐にわたり予習しがいがあった。この経験を来月も役立てたいと思う。
2026年1月26日月曜日
~冬の奈良のお寺や神社巡り~路地ぶらならまち・きたまち2026①
本日、関西が大雪の中奈良市観光協会主宰、「路地ぶらならまち、きたまち」という仏像拝観イベントに参加するため奈良に向かった。新幹線は遅れたが、止まることがなかったため、予定通り午前中はきたまちの三か寺、午後はならまちの六か寺となら仏像館を見て回った。最初に訪れのが、西福寺で、藤原時代からある古刹。ここに平安時代末の仏像が六体あるのには驚いた。収蔵庫にある阿弥陀、薬師、釈迦はなんと国重要文化財だ。きたまちの他の寺を巡り昼食後はならまちのお寺を小雪の中巡った。ならまちのお寺については詳しくは次回にするが、最期になら仏像館で興福寺の四天王が、特別公開されていたので、それを見て帰路についた。路地ぶらならまちきたまちではこのイベントがなければ誰にも目に触れることない貴重な仏像が見れてよかった。来月もあるので京冬の旅、京都非公開文化財特別公開初春公開とあわせて見に行きたい。
2026年1月22日木曜日
京都非公開文化財特別公開2025秋(曇華院門跡大随求菩薩)
亀岡の寺探訪の翌日朝食をイノダコーヒー本店でいただき,まず向かったのが、京都非公開文化財特別公開公開寺院の曇華院門跡に向かった。京福嵐山本線「鹿王院駅」から歩いてすぐにあった。曇華院門跡は室町時代の創建で二代将軍足利義詮の婦人で足利義満の母親の娘を持つ、順徳天皇のひ孫、智泉尼による開基の歴史を持つ。寺院内には源氏絵具合わせなど貝殻に絵が描かれた遊び道具も展示され、皇女の門跡寺院の雰囲気が醸し出す雅な寺院だった。本堂のなかで説明者が寺院の縁起などを説明していたが、朝日新聞にものっていた大随求菩薩についてはいわれも不明とのこと。小さな厨子に像高10センチ足らずの大随求菩薩だが、清水寺随求堂の大随求菩薩と同様、頭上に化仏を付す宝冠を戴き、八本の腕にはそれぞれ五鈷杵、剣、斧、法輪、経巻、幢、戟という持仏を持つ。(一部亡失)室町から江戸にかけてのいずれかの皇女の念持仏とおもわれる。毎回新しい発見がある京都非公開文化財特別公開から目が離せないと思い次の寺院に向かった。
2026年1月15日木曜日
たたかう仏像②(加彩鎮墓獣)
静嘉堂@丸の内は中央が広間になっており、四方に展示室がある構成のため第四章「救済の最前線」を見てから、第三章「仏像の鎧の源流」を鑑賞した。この鎮墓獣の俑は唐時代のもので、人面と獅子面が一対になっている。人面は顔のみで体は足に鹿ないし牛のような樋爪を呈す。図録によると鎮墓獣を一対として武人俑と共に墓中に安置することは、北魏時代以来行われているとのこと。いかにも鮮卑卓抜族が好みそうな俑だ。人面の鎮墓獣は北魏時代の胡漢融合文化の産物、あるいは鎮墓獣に理知的な性格を付与するために生まれたとの説もあるが、定説をみない。目が斜視で大きな鼻厚い唇でどうしても理知的には見えないが、左右の目線を逸らしているが七世紀後半から八世紀の俑の特徴とのこと。たしかに展示されている唐時代の俑に共通してみられた。人面獣の渦巻く頭上の髪は独角からの発展形とも考えられる。背中には鉾の先端のような形状があり、体部に朱、白、黒によるC字型とヤシの葉のパルメット型で構成された雲気文を画かれている。鎮墓獣については以前東博東洋館で見たが静嘉堂@丸の内の俑も同様に細かい彩色が施され興味深かった。人面獣・獅子面獣から一気に俑の世界に引き込まれた。十七年ぶりの公開とのことじっくり鑑賞した。
2026年1月7日水曜日
たたかう仏像①
本日(1月6日)静嘉堂@丸の内開催の「たたかう仏像」を見に東京駅まで出かけた。本展は静嘉堂@丸の内所蔵の浄瑠璃寺旧蔵十二神将と仏像の鎧のルーツといえる中国・唐時代の神将俑と共に展示することで、仏像を「たたかう」という視点から捉え、仏像の知られざる側面に迫るとのこと。平日ですいていたので、音声ガイドを借りてゆっくりと見てまわった。絵画では元時代の十王図が地獄の様々な光景が画かれて面白かった。中国の俑は東博東洋館で以前みたが、静嘉堂のコレクションもなかなか見応えがあり唐時代の加彩鎮墓獣人面と獅子面は発掘された当時の墳墓での埋葬の様子の写真と共に展示されて興味深かった。いつもの浄瑠璃寺十二神将は手本となった図像との比較ができてよかった。静嘉堂@丸の内の展示の工夫がありとても楽しめた展覧会だった。詳しくは後日記載するが、ミュージアムショップで展覧会の図録とクリアファイルを購入し、イルミネーションが美しい丸の内をあとにした。
2026年1月2日金曜日
龍峰寺千手観音令和8年御開帳
本日、2026年元旦、実家に帰省する途中に御開帳の海老名龍峰寺に参拝した。海老名駅から徒歩25分の高台に龍峰寺の立派な社があった。御朱印を頼んだ社務所の女性に教えられて、収蔵庫の千手観音と再会した。2020年の秋に神奈川歴史博物館で特別展「相模川流域のみほとけ」で初めて出会ったが、その当時の学芸員神野氏の図録解説には奈良時代から平安時代の作と書かれており、にわかに信じがたかったが、その点を確認する訪問だった。桾の膝前に見える翻羽式衣紋、裙の正面打ち合わせ部の渦文、背面で一度たるませてから両肩に懸かる天衣等に単なる鎌倉時代の古像の模刻では片付けられない迫力があった。相模国風土記に書かれている清水寺の千手観音と同時に本像を作らせたという記載が信じられる迫力があった。元旦からいいほとけを見て海老名をあとにした。
登録:
コメント (Atom)











