2020年6月21日日曜日

覚園寺十二神将

覚園寺十二神将は運慶作十二神将が大倉薬師堂被災し、二代目として院派の
朝祐が室町時代に制作したものだ。茅葺の薬師堂に足利尊氏の銘記が残るように足利将軍家や鎌倉公方と密接な関係があったことが、伺える。像高190センチ余りの仏像が多いなかやや小ぶりな戌神(いぬがみ)は製作時期が違うという説がある。大倉薬師堂の創建者北条義時にまつわる伝説について年配のお坊さんよりより詳しい話を聞くことができた。鎌倉三代将軍実朝が勅使を鶴ヶ岡八幡宮に迎える際、刀持ちの役をする予定だった北条義時が戌神の夢のお告げを見たが、気にせづ八幡社に向かうおり犬が目の前にあらわれずっと見ていたそうだ。その後気分がすぐれず変わってもらい危うく実朝暗殺の難を逃れたとのこと。覚園寺の戌神は髪をまいたヘアースタイルが鎌倉国宝館の十二神将に似ており初代の復興像と考えられる。じっくりと十二神将をU案内人とみて、あじさいを鑑賞しながらお寺をあとにした。

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