2026年1月22日木曜日
2025年12月27日土曜日
亀岡・京都仏像巡り⑤(神蔵寺の日光・月光菩薩)
寶林寺から亀岡駅へ戻り電話で予約しておいたタクシーに乗り込み神蔵寺に向かった。神像寺は伝教大師最澄開祖の寺院で源頼光が平安時代に帰依した28塔の僧坊を持つ由緒ある寺だったが、安土桃山時代に明智光秀の丹波平定の兵火で焼けてしまい、江戸時代に再興され現在にいたっている。紅葉まっさかりの本堂裏手の薬師堂に向かうと収蔵庫形式になっており中央厨子は閉まっており薬師如来は拝めなかったが、矜持の向かって右の日光菩薩と月光菩薩をガラス越しに拝観した。それぞれ日輪・月輪を載せた蓮茎を持ち、腰を本尊側に捻り、本尊側の足に重心を落とし、反対の足を遊足として立つ。両菩薩とも、寄木造で漆箔仕上げとし、条帛・天衣・裳を着用している。それぞれ頭上に高髻を結い、束ね目、髪筋ともに表す両菩薩は、面長で、厳しい眼差しを感じさせる面相を示す。自然な動勢を示す肉付きの抑揚や流れるような着衣の表現など、鎌倉時代の写実的な作風を示している。私が見た限りではとても地方仏師の作に思えず髻などが慶派に似ていることから、慶派または慶派に学んだ地元仏師の作だろう。御朱印を住職からいただき、紅葉名所積善寺にタクシーで寄ってから亀岡をあとにした。亀岡にはまだまだ素晴らしい仏像があると感じたのでまた来年も再訪したいと思った。
2025年12月12日金曜日
亀岡・京都仏像巡り2025④(大雲寺の十一面観音立像)
11月に行った亀岡・京都仏像探訪は初めて見る仏像ばかりだ。ここに挙げる大雲寺十一面観音立像はクラウドファンディングでNET上で話題となった仏像だ。祇園から出町柳に出て叡山電鉄とバスを乗り換え岩倉実相院バス停で下車。はじめて岩倉の地に降り立ったが、周囲を山々に囲まれた小盆地で古くは貴族に愛された風光明媚な場所とのこと。ここらへんにくると遅れていた紅葉もそこかしこにみれ石座神社の紅葉などを見ながら大雲寺に向かう。大雲寺の表札があったので進むと普通の民家で玄関から十一面観音の仮本堂に続いている。すでに団体客が来ていたので遠慮していると前にどうぞとのことで仏像を拝観した。住職からいただいたお寺の案内文によると、十一面観音立像は奈良時代行基の作で長谷観音と同じ御衣木を使用しているとの伝承。私の見た目では貞観仏のようなすごみがないが下半身は確かに古仏らしく衣紋も複雑で平安前期から中期の作か。平安鎌倉には観音霊場として栄えたらしく大雲寺の創建は円融天皇の勅願で971年に創建された。室町時代に細川・三好の戦火に巻き込まれ十一面観音の頭が一部溶けてないことが見て取れた。京都にはまだまだ見たことがない秘仏があると思いながらお寺を後にし、真正極楽寺に向かった。
2025年11月21日金曜日
亀岡・京都仏像巡り2025③(寶林寺薬師・阿弥陀・釈迦三尊)
亀岡で昼食を取り、嵯峨野線で千代川駅に向かい、そこから京阪京都交通バスで神前ふれあいセンターで下車し歩いて5分ほどで寶林寺についた。亀岡市文化資料館のデータベース彫刻欄に載っていた数多くの仏像のなかで、寶林寺のサイトを調べ連絡をとり拝観の運びとなった。お寺の境内は紅葉の盛りでモミジがいろ鮮やになっているなかを収蔵庫に向かった。なかにあったのは平安時代後期定朝様の阿弥陀如来・薬師如来と鎌倉時代の釈迦如来だ。この三尊は明智光秀の丹波進行に伴う兵火により廃寺となった天台宗宝釈寺で祀られたもので、その後一時村人により隠され、その後神社の神宮寺に祀られていたが、明治の廃仏毀釈で当山に遷されたものとのこと。三体とも像高は140センチ前後の半丈六の寄木造でいずれも重文で保存状態はよく阿弥陀如来は体のバランスがよく、頭の螺髪は細かく丁寧に刻まれている。胸・腹部に厚みがないのは円派仏師が好んで「定朝様」の作風を感じさせる。薬師如来は上半身に比べ両脚の幅が広くふくよかな体格、目鼻の小ぶりな様子は円派仏師の影響を思わせる。円派に学んだ丹波在地仏師の手になる可能性もある。釈迦如来は鎌倉時代の円派による作と思われ、目尻がつり上がり引き締まった表情だ。このように貴重な仏像が亀岡にあることに驚かされた。パンフレットも丁寧に作成されありがたかった。亀岡仏像巡りにはまりそうな予感がして寺を辞し、次の仏像に向かった。
2025年11月16日日曜日
亀岡・京都仏像巡り2025①(穴太寺の釈迦如来大涅槃像)
今日(11月14日)から京都亀岡の仏像を巡っている。初日の今日は京都から嵯峨野線に乗り換え、初めて亀岡に降りたった。朝霧がたち込む道をバスで穴太寺に向かう。西国三十三所観音霊場の穴太寺は創建1300年以上の歴史を誇る、丹波屈指の古刹で、日本遺産に認定されている。平日なので、空いている境内の庭と多宝塔を見てから本堂に向かった。観音菩薩は秘仏のため拝観できないが、脇侍の釈迦如来大涅槃像がお目当てだ。釈迦には布団がかけられ、参拝者が自分の痛いところを布団を取って撫でることができる,撫でホトケとなっている。私は肩を痛めており、布団を剥がすのが恐れ多いので、かぶせたまま撫でた。境内は紅葉が盛りで京都より標高が高いので、見頃だった。歩いてバス停に戻り京弁当の食べさせる料理店に向かった。亀岡には驚くほど仏像の宝庫でこれからも紅葉と仏像巡りにまた訪れたいと思った。
亀岡・京都仏像巡り2025②(真正極楽寺御開帳)
亀岡京都仏像巡りの最期は真如堂こと真正極楽寺に決めていた。旅行の日程も真如堂の阿弥陀如来の結願日の今月15日に合わせて決めたほど、旅の目的となっていた。本堂に着いて秘仏拝観の列に並ぶと南無阿弥陀仏と書かれた「ちゃんちゃんこのような「笈摺」(おいづる)を寺男に着せられ、その格好で1段高い厨子の目の前に立たせてくれる、千手観音・本尊阿弥陀如来・不動明王と参拝する法然が始めたお十夜の法用に参加した。真如堂は少し小高い神楽丘に位置し、平安時代初期に藤原詮子離宮の跡地にたてられ、創建当初に制作された阿弥陀如来は「うなづきの弥陀」と言われ白毫を入れて円仁が完成させようとしたら阿弥陀が首をふり「京のすべての人特に女性をお救いくださいと頼むとうなずいたという由来のある立像としては最古と言われている。阿弥陀如来は量感を押さえた柔らかな彫口を持ち、針葉樹の一木造。着衣の表現や白毫がない点は一世紀以上遡る平安時代前期の頃の彫像の表現が採用されている。このことは本尊の造像に古像が参照されたことを強く示唆するものであり、最澄自刻の薬師如来か円仁招来の阿弥陀如来の可能性があると思われる。お寺で配られたパンフレットには慈覚大使円仁作と書かれている。いま盛りの紅葉を見ながらその様ことを考え家路についた。
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