2023年6月10日土曜日

異国のみほとけ④(ミャンマーパガンの釈迦降魔成道像)


1997年4月にビルマの竪琴で有名なミャンマーに旅立った。NHK「美の回廊をゆく」で紹介されたパガン万塔を見に行くためだ。その当時ミャンマーのガイドブックは「地球の歩き方」しか売っておらずそれを熟読して向かった。その中のパガン紹介文には「バガンは仏教遺跡の町だ。エーヤワディー川の左岸に広がる約40平方キロメートルの土地に、11世紀に建てられた無数のパゴダや寺院が点在している。あるものは大きく、あるものは小さく、鮮やかな白色をしたものもあれば、赤茶けた地肌をさらしたものもある。照りつける太陽のもと、廃墟となったパゴダの群れの中に身を置いてみると、時の流れの重さと人の一生のはかなさがひしひしと感じられる。」ミャンマー三日目にあこがれの「ダマヤンジー寺院」に向かった。12世紀に王位に就こうとした王の次男が父王と兄王子を暗殺し、罪滅ぼしにパガンで最大のこの寺院をたてようとしたが、スリランカの暗殺兵に殺され、建設途中で放置されたとのこと。すでに仏像が納入されていたので荒れたお堂の中に安置されている。降魔成道像もそのひとつで千年ちかくたった仏像ながら鮮やかな彩色が残っている。ダマヤンジーの東の祠堂に安置されている。蓮華上に結跏趺坐し与願印の左手、触地印の右手、半眼という典型的な釈迦の降魔成道像である。光背には殺した兄と自分が父王を敬って合掌する姿を鎮魂を込めて造らせたのだろうか。いつかまた訪れたい寺院のひとつだ。


 

2023年5月28日日曜日

特別展「東福寺」④(万寿寺の金剛力士像)

 

三聖寺から東福寺に伝えられた鎌倉時代の伝運慶の金剛力士像である。運慶研究の第一人者山本勉氏は四天王の多聞天については運慶作品の可能性を示唆しているが、同じ東福寺金剛力士像についての言及はなかった。ニコ生美術館でしつこいほど出品作三聖寺古図で説明していたが、南に描かれていた、山門に安置されていた仏像だ。写実的筋肉表現、迫力ある形相、動きのある体勢など慶派仏師の特色を示す。通常南面する門の左側に阿形像、西側に吽形像が置かれるが、この像は逆である。その点は東大寺金剛力士像と共通する。ただし顔の向きからして、二躯は南を正面して置かれたとみられ、門の両側で向かい合って置かれる東大寺像と異なる。展覧会の最後に置かれていたので少ししか見なかったが、なかなかの出来栄えから運慶の息子や弟子の作品であろう。


2023年5月21日日曜日

特別展「東福寺」④(迦葉・阿難像)

 

明治14年の火災の翌日早速遷仏場ににもってこられたのが、釈迦本尊と迦葉阿難像だ。東福寺山内の万寿寺からもってこられた三体の仏像は元は廃寺となった三聖寺の仏像で禅宗寺院では釈迦から迦葉・阿難と仏教教団が引き継がれ達磨大師が中国に禅宗をもたらし、中国僧から道元・栄西・円爾にもたらされた。迦葉は釈迦より年長者である日釈迦が無言で華をつまんでみせたが他の弟子はわからなかったが迦葉だけはにっこり釈迦の心を理解したという。手塚治虫のブッダではカッサバ仙人であらわされているが、本像では眉がふさふさに伸び厚みのある浮彫で表し、目は大きく見開き、目尻が垂れる。鼻は鷲鼻、皺の多い老人僧として表現されておりニコ生美術館で浅見学芸員が唇と顎との間のある筋肉が貝のような皺と表現されていると紹介されていた。手塚治虫のブッダでは悪党アーナンダで登場する阿難の鼻の高さにも触れ、女子にもてる美男子とニコ生サポーター受けするコメントで紹介されていた。図録の解説では宋風の影響を受けた彫刻とあっさり表現されている。いろいろ興味がつきない展示だったが、四天王も気になるのでその場をあとにした。

2023年5月14日日曜日

三浦三十八地蔵尊御開帳巡礼

 

5月13日土曜日仏像クラブで三浦三十八地蔵卯年御開帳巡礼のため、京急馬堀海岸駅に集合した。駅で卯年御開帳記念ウォークの地図付きパンフを各自もって最初のお寺は29番札所馬堀の由来になった浄林寺だ。室町時代の創建のお寺で本尊は阿弥陀三尊、馬頭観音などを見てお地蔵さまに参拝、御朱印をいただいた。お目当ての大泉寺に歩いて向かったが集中豪雨に会い何とかたどり着いた。大泉寺の地蔵尊はこの卯年御開帳のポスターになっており、大きい印象を持っていたが見ると以外に小さいが室町時代初期のしっかりした造形を形作っている印象だった。昼食は予定を変更し旅館もやっているレルトランで和定をいただいた。横須賀観光を経て希望者のみ運慶仏の地蔵菩薩がある満願寺に向かった。ナビのおかげでたどりつくことができたが、やはり運慶の岩戸地蔵はすばらしかった。観音もともに像高185センチの大作で仏の瀬谷さんがいった頼朝創建説を再確認できた。帰りはバスで京急北久里浜に戻り帰路に就いた。

2023年5月7日日曜日

特別展「東福寺」③(二天像)


昨日(5日)、再度東博に特別展「東福寺」を見に行った。予備知識なしで鑑賞した3月とは違い、ニコ生美術館で東博学芸員の二時間の解説を聞いて臨んだので、細部の見どころまで逃さず鑑賞できた。明兆の達磨図蝦蟇・鉄拐図が白衣観音図に変わっていたり、十六羅漢図の展示が終了していたりと多少の展示替えはあったが、仏像のコーナーは変更ないので問題なかった。改めて333センチ余りの二天像の大きさをすぐ近くで感じることが出来てよかった。東福寺でみた本尊は元は廃絶した三聖寺にあったといわれているが、三聖寺の二天像は室町時代に焼失しているのが再興像というには作風が明らかに慶派で、鎌倉時代に制作されどこからか東福寺に運ばれたものだという。1089ブログに書かれていたが、明治初めまで7.5mの釈迦如来座像。また観音・弥勒座像と四天王が今の二天像とほぼ同じ大きさであったというのは驚きだ。残念ながら写真は残っていないが、あの東福寺の法堂の大きさに収まる仏像がひしめいていたようだ。あらためて東福寺の圧倒的スケールを感じさせる仏像だった。
 

2023年4月29日土曜日

鳥越・蔵前美仏めぐり


 先週の土曜日久し振りに仏像クラブで浅草にでかけた。今度もU案内人の企画で鳥越の長寿院の見返り阿弥陀と蔵前の仙蔵寺に予約を入れ拝観に行った。見返り阿弥陀と言えば京都の永観堂が有名だが、こちらのほとけさまは私には見返っているようにはみえず、少し横を向いていた。鎌倉時代の仏像で快慶の弟子行快の製作とのこと。お顔もユニークで人によりおこっているように見えたり笑ているように見えるとんこと。住職は微笑んでいるように見えるとのことでした。昼食後仙蔵寺は二時の約束だったので浅草の甘味処で御菓子を購入したり東本願寺の中に入って遠くから阿弥陀様を拝観した。鎌倉時代の美仏だったが法事で近寄れずに残念だった。午後の仙蔵寺も若い僧侶が案内してくて、銅色の大日如来や平安時代後期の薬師如来・三面大黒天や弁財天などを拝観した。説明になかったが三面大黒天は大黒天。毘沙門天・弁財天の三尊が合体した珍しい仏像だった。U案内人によるとこれで浅草の仏像はおしまいとのことだったが、こいだけお寺が集中している地区も珍しい、昨年と今年で二回仏像を堪能して大満足な仏像クラブの面々だった。田原町近辺で三々五々に帰宅した。


2023年4月15日土曜日

特別展「東福寺」②(仏手)


東福寺の発願は1236年時の権力者九条道家によりなされたが、彼の息子は鎌倉将軍頼経で時の四条天皇は外孫、他の息子たちも高位の公卿となっていたという。この道家は大きいもの好きのようで、入口の円爾像の絵画が267センチ第三章でみた達磨・蝦蟇鉄拐図が269センチ今週から展示された白衣観音図が326センチ二天像が333センチと336センチとスケールが大きいことがわかる。ここに紹介する仏手は立てば15メートル座像でも7.5メートルの旧本尊の右手で東福寺に行ったときは薄汚れていたが、今回金箔が一部残っていることがわかるほどに修復され面目一新された。そでもこの本尊は2代というから驚かされる。写真を撮ってよいとのことなのでスマホで撮り会場をあとにした。


 



2023年4月1日土曜日

特別展「東福寺」①

先週のことになるが、春分の日の休日を利用して東博に特別展「東福寺」を見にでかけた。絵画中心の展覧会のため当初は行く予定はなかったが、運慶工房作多聞天をはじめとした仏像も少なからず展示していることを知り、行くことにした。最初からお坊さんの絵ばかりで辟易したが、鎌倉時代の絵師吉山明兆の極彩色の五百羅漢図のコーナーから俄然興味が出てきた。仏教と道教の経典を焼くシーンや毘沙門天の子が踏み外した足を支えたシーンなどが興味深かった。吉山明兆が描いた265センチの達磨図・蝦蟇鉄拐図は迫力があり見ごたえがあった。4月11日からは326センチの白衣観音が展示される予定。見てみたい。最期は仏像のコーナーで運慶工房作多聞天や336センチの二天像が展示され大満足な展示だった。最期に217センチの仏手の写真を撮り、グッズコーナーでブラインド十六羅漢図漫画風トートバックや多聞天の木製スタンドを購入しここちよい疲れを覚えて東博をあとにした。


 


2023年3月19日日曜日

特別企画「大安寺の仏像」⑩(楊柳観音)


 東博開催、特別企画「大安寺の仏像」も本日(19日)をもって終了とのこと。それを締めくくる東博学芸員による1089ブログが配信されたのでここに抜粋して紹介する。大安寺は日本最初の国立寺院で藤原京から平城京に移転後中国・インド・ベトナムの僧が来日し,国際色豊かな寺院だった。楊柳観音は慈悲の仏ですが、このように厳しい表情の仏は、密教の仏であることが多い。楊柳観音の厳しい表情から、この像が密教の存在を背景に造られた像であることを物語っている。バランスよく整ったプロポーションが目をひく。胸矢下半身の程よい張り、腰のわずかなくびれなどが美しさを際立たせる。顔は口を開ける動きに連動して頬が貼り、こめかみの筋肉が盛り上がっていることがわかる。胸飾りや腹の帯は一木造りのやり直しの聞かない作業で胸の飾りの花や珠のかたちを繊細に彫りだされている。腹の帯は斜めの格子状の文様が密に刻まれている。鑑真の一行のなかに鏤刻(るこく。金属や木に文字・絵などを彫りこむ)の工人がいた。本像に見られる緻密な彫りの背景には、彼ら工人がもたらした鏤刻の技術があるこもしれない。大安寺の仏像では、身体表現を意識した奈良時代彫刻の伝統と、大陸からの新しい形式が融合している。

2023年3月11日土曜日

令和5年 新指定国宝・重文展②(京都 上徳寺の阿弥陀如来)

新指定国宝・重文展では往々にして作品保護のため壊れやすい光背を外して展示されているケースがみられ、あの願成就院不動明王も光背なしの展示だった。ここに紹介する京都上徳寺の阿弥陀如来も文化庁HPや図録では素晴らしい火焔光背が展示されなく残念であった。上徳寺は京都五条にあり京都冬の旅2023の公開寺院となっているが、本尊は国宝重文展に出展のため一時期京都を離れて拝観することが出来た。印相が通例とは逆で深く自由な衣文の彫り口や張りのある肉付けより13世紀前半の製作とみられる。下半身のV字は印相とともに中国・宋時代の画像から採り入れたもので、鎌倉時代に奈良で活躍した善派仏師の作例にままみられ、同派の仏師によって造られたとみられる。問題の唇に水晶を貼装するいわゆる玉唇の技法はきわめて珍しいもので、生身信仰に関連するものと考えられる。鎌倉時代の優品で図像や作風に特色ある一作として注目される。毎年見ていた五条の街並みにそのような仏が隠されている、京都の奥深さに感動した作品だった。



 

2023年2月19日日曜日

特別企画「大安寺の仏像」番外編(興福寺北円堂の四天王)

 


企画「大安寺の仏像」には出展がないが、

もし実現すればより素晴らしい展覧会になっていた仏像を紹介するそれは興福寺北円堂の四天王だ。鎌倉時代の修理墨書で造立は791年と特定され元大安寺伝来とのこと。つまり桓武天皇の在位中で平安遷都の前の時期で、天智天皇発願の釈迦如来もあり行教らも活躍した大安寺にとって華やかころの四天王だ。片足を曲げて邪鬼の頭を踏みつけたり、片手を腰に当てたり高く頭上に掲げたりと前の時代よりしぐさに変化が現れ、身振りも大きくなっている。目を大きく見開き、口をへの字に結んで仏敵を威嚇する表情が滑稽さを感じさせる持国天。北円堂の八角須弥壇の四方隅に安置される四天王像の1体だ。檜材を荒堀し、麻布を貼りつけた上に木屎漆(木粉などを混ぜた漆)を盛って彩色を施す。邪鬼を両足で踏みつけ、肩をいからせ、両手を交差させたポーズをとる。その他の四天王もとても個性的で北円堂と言えば弥勒如来・無著・世親に目を奪われるが今度行く機会があれば四天王もじっくり見てみたいと思う






2023年2月11日土曜日

令和五年新指定国宝・重文展

 

今週の日曜日、4年ぶりに東博で開催された令和五年新指定国宝・重要文化財展に出かけた。新指定国宝・重文展には思いれがあり、あこがれていた高野山の快慶作深邪大将や仏像を始めた当初から愛してやまない宝山寺の制多迦童子やTV見仏記で取り上げられた新薬師寺のおたま地蔵に出会ったのも新指定国宝・重文展だった。今年の会場は平成館で特別展の開催期間中でもないので、ひっそりとしており落ち着いて鑑賞できた。企画展示室の入ってすぐのガラスケースの中に、京都福知山の観音寺不動明王が展示されていた。脇侍の制多迦童子らの展示は見送られたらしく残念だった。京都上徳寺の阿弥陀如来は唇に水晶を貼りつける「玉唇」が見どころだったがガラスケースの中の展示だったのでよくわからなかった。京都聞名寺の阿弥陀三尊は後期(2月14日)からの展示で見れなかった。重要文化財に指定されてもこの展覧会に出展されない仏像もあり、瀧山寺の日光月光菩薩などみたい仏像も展示されてなく、満足度はそれ程高くなかった。しかし、感染症蔓延のこの時期によく開催してくれたことを関係者に感謝して大安寺の仏像が待つ東博本館に向かった。




2023年2月4日土曜日

特別企画「大安寺の仏像」⑤(増長天)


両足を開き、顎を引いて正面を向いて直立し、布をまとった肩に頭がどっしりとすわる姿には力強さが込められている。肉付きのよい頬や家宅結んだ口元が、より一層落ち着きを感じさせる。髪筋を疎らに彫り、結い上げた髻が大きく広がる点が特徴的で、甲の装飾性は比較的控えめですが、腰に巻いた帯の下には木の葉のような文様が彫り表されている。今度の日曜日に東博で4年ぶりに開催される新指定・国宝・重文展のついでに大安寺の仏像を再訪する予定だ。今度もじっくり写真を撮ってきたいと思う。

2023年1月21日土曜日

特別企画「大安寺の仏像」④(多聞天)

 

東博の11室では一番見せたい仏像を大きなガラスケースで入口に展示するのが恒例となっているが、大安寺の四天王で一番出来が良いといわれる多聞天が今回の特別企画の入口を飾っている。上歯で下唇を噛む忿怒の表情を示し、右手を挙げて左手を腰にあて、右足を曲げて岩座の上に立つ姿は動きに富んでいる。体つきが均整のとれた姿で、甲に刻まれた緻密な浮彫文様や編靴は唐時代の彫刻表現の影響と考えられる。中国洛陽にある竜門石窟は唐時代則天武后の遺品といわれるが、確か菩薩を守る四天王に同様な表現があったと記憶している。このように大安寺の木彫群は、天平彫刻の伝統と大陸からの新しい表現との融合がみられる重要な存在だとのこと。



2023年1月14日土曜日

特別企画「大安寺の仏像」③(伝広目天)



 奈良博では4体ひとまとめに展示されていた四天王が東博の「大安寺の仏像」展では別々のところに展示され紹介冊子では一体づつ解説付きなのも仏像ファンには嬉しい限りだ。この広目天は右肩と左肘から先が後補だがそれを感じさせないない出来栄えだ。目を大きく見開き、開いた口から歯をのぞかせる忿怒の表情。太い体つきに重厚さが感じられる一方、甲などに文様を立体的に彫りだす装飾性も備えている。膝下でくくった袴の端が脛当てにかかる形式は、奈良時代後期の神将像にみられる。現状持物はないが、本来、太刀をつく姿であったとうい見解もありとのこと。調べてみるといろいろ奥が深いので3月中旬まで開催されているので今度見る機会があればそこら辺を意識してみたいと思う。




2023年1月7日土曜日

特別企画 大安寺の仏像②(伝聖観音)



東博で開催された大安寺の仏像展は昨年開催された「大安寺のすべて」展を意識した展示となっていた。奈良博では作品保護のため薄暗い照明となっていたが、東博でスポットライトを仏像にあてて、大安寺の仏像の特色である細かい胸飾りがはっきりと見えて、仏像の魅力を最大限に引き出した展示となっている。また台の上の展示のため像高180センチ前後の大安寺の仏像を仰ぎ見る展示もよかった。ニコニコ美術館で踏割蓮華座をセグウェイと騒いでいた聖観音も胸飾りがすばらしくおもわず拡大写真を撮ってしまったほどだった。頭部から足元の楕円形踏む板まで一材から彫りだす一木造りで肩幅が広く胴は締まり、堂々とした体つきに表されている。胸や腕の飾りも同じ木から彫りだし、装飾性に富んだ華やかな表現は奈良時代の特色とのこと。腰に付けた裙の折り返し部分や脚部の間に衣の縁を細かく折りたたみ,脚部の下に鎬だった襞が密刻まれている。東博で再度出会うことでその仏像魅力を再発見する展示だった。


 

2023年1月3日火曜日

特別企画 大安寺の仏像①


 本日、2023年1月2日に東博に特別企画「大安寺の仏像」を見に行った。奈良博特別展「大安寺のすべて」を5月に見たが、今回は総合文化展のチケットで大安寺の仏像が鑑賞でき、しかも個人撮影ならOKと破格の特別企画だ。いつもの11室が会場なので入口のガラスケースには四天王のうち最もビジュアルが美しいといわれる、多聞天がおり、中に入ると太刀など持物を持っていただろうと思われる広目天、秘仏の仏像を除いてほぼ奈良博と同じで圧倒的に迫ってきた。詳細は次回にするが正月早々すばらし仏像に出会えてよかった。この総合文化展の半券で上野の東叡山寛永寺の根本中堂にも入場でき初めて初詣に寛永寺に向かった。寛永寺に戻ってから休憩をはさみ上野の森美術館で開催の「兵馬俑と古代中国」展を鑑賞。こちらも個人撮影OKとのことで兵馬俑を携帯で撮って美術展を楽しんだ。これから毎年恒例で博物館詣でをしたいと感じ暮れなずむ上野を後にした。