2026年8月27日木曜日

特別展「神仏の山 吉野・大峯」④(勝手神社勝手明神)


 2024年5月に吉野を訪ね桜本坊へ行く途中に勝手神社を通ったが、このように素晴らしい神像があるとは知らなかった。今回初公開の勝手神社勝手明神は鎌倉時代の快慶派仏師慶観の作。図録には現存する五体と平成13年の火災で焼失した8体の写真も公開されており悔やまれる。ヒノキとみられる針葉樹の割矧ぎ造りで、両腕や両脚部以下に別材を矧いでおり、兜を別にかぶせる点、両腕を蟻枘で接合する点に特色がある。表面は全身に布貼りした上に、彩色と截金を交えて多様な文様がほどこされる。持物の刀は茎(なかご)「刀身の柄に入った部分」に『備前長船守元』の刻銘があり、同銘の類品から十四世紀末ころの作とみられる。武神にふさわしい精悍な顔だちで、勇壮な姿には神威が感じられる。承久の乱の前を前に後鳥羽上皇が1206年からほぼ毎年武具類を奉納したという記録から山口学芸員は1210年代あたりに造立の契機があったと考えたいとのこと。鎌倉幕府にも知れないで密かに神社に秘されていたことは興味深く、後醍醐天皇が吉野朝を開いた意味も納得できる。秘された歴史を感じながら次の作品に向かった。


2026年8月16日日曜日

弘法大師生誕1250年記念 特別展「空海と真言の名宝」③(東寺の二間観音)


 8月7日(金)に日本橋で「真如堂の名宝」展を見た後、先月にも行った「空海と真言の名宝」展に向かった。前回は予定があったので仏像中心に急いでまわったが、今回は夜間拝観日にあたり午後8時までの入場時間であるため、前回借りなかった音声ガイドを聞きながらの拝観となった。話題になっている高野山深沙大将のドクロが光る演出を確認したり、単眼鏡でより細部まで鑑賞しているうちに、第一章だけで1時間を費やした。急遽購入した単眼鏡の威力が発揮したのが東寺の二間観音だ。空海が進言して始まった秘儀「後七日御修法」のうち観音供の本尊で鎌倉時代に製作された、像高25センチ足らずの聖観音・梵天・帝釈天の三尊が宮中でおこなった場所にちなんで「二間観音」と呼ばれている。製作年代は諸説あるが、建長8年(1256年)に円派仏師・隆円が造立した記録が有力だ。隆円は三十三間堂の千手観音再興像をもっとも多くつくった円派仏師の棟梁的存在。二間観音は白檀製で衣に切金文様を施しており美しい。今回は単眼鏡でその切金文様を余すところなく鑑賞できた。金属製の精緻な光背は当時のもので当代一流の工人たちの技術が結集されている。NHKの番組で話題になった宝冠の後ろに隠れている化仏は単眼鏡をもってしても僅かに確認できる程度の小ささでその超絶技巧に驚かされた。南北朝の動乱のおり後醍醐天皇が吉野に持ち出したが、その後三種の神器とともに返還されたエピソードも興味深い。音声ガイドを聞きながらじっくり鑑賞し次の展示に向かった。

2026年8月9日日曜日

特別展「京都・真如堂の名宝」①(福田寺地蔵菩薩)


 今年の春に龍谷ミュージアムで開催された展覧会が三井記念美術館でも開催されていたので、先週の金曜日猛暑の中でかけた。この展覧会では真如堂の檀家である三井家の展示に多くのスペースがさかれ、仏像は真如堂の仏像と同時代の仏像が同じ大きな部屋に展示してあった。改めて見ても福田寺の地蔵菩薩は異彩を放っていた。2019年に福田寺を訪れているが龍神目当てで地蔵菩薩・釈迦如来の拝観は依頼していなかった。解説では左手を屈臂して宝珠を捧げ、右手は屈臂して第一・三・四指を捻ずる。(寺では錫杖を持つ)台座蓮肉も含め全体をヒノキの一材から彫出しており、体躯のみ背面から内繰り、長方形の蓋板を当てている。現状古色に覆われているが、当初は彩色を施さない素地仕上げであったかと思われると記載されている。今回の出展にあたりはじめて調査がはいったと思われる無指定の地蔵菩薩だ。寺の縁起では福田寺創建のおり行基菩薩が彫ったという寺伝が残されている。図録には体躯は腰から脚部にかけて量感に富み、大脚部の衣文を省略して肉付きを強調するところは京都・神護寺薬師如来をはじめとした八世紀から九世紀の立像にしばしば見られる形式を踏襲している。製作は九世紀から十世紀初めと思われるとのこと。やはりこの地蔵菩薩に他にない迫力を感じたのは神護寺薬師如来を初めて拝観した感覚と同じだった。真如堂本尊を遡る古例な仏像であることは間違いないであろう。

2026年8月1日土曜日

弘法大師生誕1250年記念 特別展「空海と真言の名宝」②(安祥寺の五智如来)


「空海と真言の名宝」展に出展される仏像は88点と多いので順不同で紹介する。最近の仏像展の傾向として最後に写真撮影可能なエリアがありそこに置かれていたのが、京博でおなじみの安祥寺五智如来だ。この五智如来は明治のころから京博に預託されており、もとは現在焼失した多宝塔に祀られていたが、明治の火災のおりには京博に預託され難を逃れたいわくの仏像だ。安祥寺の創建は平安時代前期の848年。安祥寺資財帳にも五智如来がいつ造像されたか記載がないが、多くの研究者が検討を加えており、創健者であり空海の孫弟子である恵運僧都が唐から帰国した嘉承元年(848年)から貞観元年のあたりとみてよいとのこと。大日如来像は目が鋭く、まるく張った頬、単純化した肉取り、大まかにとらえた衣の襞など力強い表現である。肩から肘までを含め体部が一材から彫出する。ネットで騒がれていた大日如来のヘアの質感が押したら戻ってきそうな不思議なムニムニ感の秘密の種明かしをすると、形状は木彫で表わされているが、その上に木屎漆を用いているためとのこと。その技法は奈良時代の造仏工房の流れを汲む官営工房が用いたと考えられ、製作年代は安祥寺発願者が仁明天皇の皇后藤原順子とのこと、仁明天皇崩御の嘉承3年(850年)あたりから造像され五智如来完成が880年頃ではないかと考えられる。金箔は後世の補修だが貞観以前に製作された平安仏の貴重な作品であることは間違いないだろう。


 

2026年7月25日土曜日

弘法大師生誕1250年記念 特別展「空海と真言の名宝」②(願興寺の聖観音)


 2014年年末に多摩市の多摩美術大学美術館に「四国遍路と土佐のほとけ」展を見に行って、その主催が出した「いにしえの祈りのかたち四国の仏像」(淡交社刊)という写真集のなかで気になっていたのが、この願興寺聖観音だ。それが今度の空海と真言の名宝展に出展されるという情報を事前に知り、第一会場の空海ゆかりの名宝のコーナーに向かった。聖観音は奈良時代の作で、四国でも最古級の仏像で、地方仏の数少ない脱活乾漆造の名仏だ。髻は高く毛筋は丁寧に表わされ、目や口は写実的で穏やかな表現であり、清純なおとめをおもわせる顔つきでややうつむいている。胸や腹部の起伏はなだらかで均整がとれ、胸の瓔珞や腕の飾りは華やかでこの仏像をひときわ美しいものとしている。背面を含めて衣文は丁寧に表わされ、細く鎬立った衣文など細部は檜材をひいたおがくずを漆で練った木屎をへたで盛り上げたあと磨いて作り上げた木屎漆の技法が使われていることから、この仏像の製作は平城京であっただろう。奈良時代の古代寺院から受け継いだ客仏か不明だが小ぶりの仏像であるが、天平彫刻の優美さを備えた、作例の少ない脱活乾漆造の優品の一つであるとのこと。じっくりと鑑賞していたかったが、快慶の深沙大将も気になるので次の展示に向かった。