2026年7月14日火曜日

春季特別展「真如堂の名宝」②(真如堂地蔵菩薩)


 第一章真如堂の創建と「うなずきの弥陀」で真如堂本尊の模刻像を鑑賞したのち、第二章真如堂に伝わった仏教美術の精華ではこの展覧会の目玉である新出の阿弥陀如来二躯と真如堂創建当時の十世紀からの名宝が展示されていた。この地蔵菩薩は本尊と同じ時期に製作された仏像で、貞観仏に代表される重厚な作風と森厳な表情の一木造から、温和で優美な作風への転換点の仏像だ。寺伝では比叡山より勧請された十禅師社(日吉神社)の旧仏とされている。針葉樹の一木造で内刳りはなく、木心は像前面に外している。目鼻を頭部の下半に集め、幼児に近い表情を作り、Y字形に表された衣文は翻波式を交えつつも浅く控えめに彫られている。像底に丸孔を穿ち、台座から雇枘を挿す技法で、十世紀後半の作風を示している。ただし頭部は体躯に比べて過大で、頭体ともに奥行きを十分にとる。大衣は偏袒右肩で覆い、下半身に裙を巻く。右手は垂下し、左手は腕前に挙げ宝珠を捧げ持つ。重々しい表現が支配的で保守的な作風から製作時期は十世紀後半にさかのぼるとみられ、真如堂創建に先行する古像とのこと。どこかユーモラスで余り見かけない作風から神仏混淆の仏像だと理解した。

2026年7月5日日曜日

特別展「神仏の山 吉野・大峯」③(大峯山寺蔵王権現)


 特別展「神仏の山 吉野・大峯」の目玉のひとつが大峯山寺蔵王権現の出展であろう。会場でも運送業者の特別チームが蔵王権現を箱に入れかついで下山する動画が公開されていた。大峯山寺は大峰山山上ケ岳頂上に位置する寺院。役行者が金剛蔵王権現を感得し、像に刻んで山上ケ岳山頂にまつったのが大峯山寺の創始とされる。本堂への道筋および本堂裏には、断崖絶壁の岩場など、複数の行場が存在する。吉野が観光地化されているのと大違いだ。その大峯山寺本堂に秘仏本尊としてまつられる蔵王権現。頭体の比例が整い、片足立ちの像容を安定感ある自然な姿にまとめ、布帛の柔らかな質感を巧みにあらわすなど、洗練された作風がうかがえる。開口にともない頬にくぼみを入れ、脇の付け根を水かき状にあらわすなど細部に及ぶ的確な身体描写も見逃せない。炎髪や正面腰以下に着けた獣皮を銅板切り抜きの別製とするなどの進んだ要素から、製作は平安時代末ないし鎌倉時代初頭と推定される。拳を握る左手は金峯山寺本尊蔵王権現中尊と同じで、銅像の蔵王権現は頭体幹部と両膝以下を別材で鋳造し境目を挿し込み鋲でとめているとのこと。表面は漆下地に漆箔をほどこし、白目に白、目頭と目尻、口中にそれぞれ赤色を塗る。その生気に富んだ姿は、大峰山寺伝来の蔵王権現像のなかでも屈指のものであり、特別な由緒をそなえた像であることを想像させるとの図録解説であった。大峰山寺に長い間伝えるには当時の最先端の銅製の技術が使われたと想像できる。この特別展で善男善女が奈良博で普段人を寄せ付けない山上にある蔵王権現に祈りをささげるだろう。



2026年6月30日火曜日

特別展「いわきの古刹長福寺と薬王寺」②(薬王寺文殊菩薩)

 

2017年に仏像クラブで薬王寺を訪れた際、突然の訪問にもかかわらず快く収蔵庫を開けていただき拝観できた文殊菩薩騎像だ。我々が言ったとき薬王寺を代表する仏像として中央に本尊のように安置されていた。仏の瀬谷さんによると薬王寺はいわき地方随一の古刹として栄えた寺院で、その開基は、奈良時代後期から平安時代初期に活躍した徳一法師とされる。金沢文庫に保管されている「宝寿抄」に薬王寺も記載されており、中世には真言律宗のいわきの中心寺院とのこと。文殊菩薩騎像は東日本では比較的珍しい文殊菩薩の鎌倉時代後期まで遡る名作で、鎌倉時代後期に、忍性を中心とする真言律宗による信仰とともに数多く造立されたことは良く知られている、文殊菩薩騎像が造像当初の台座の獅子像もあわせて伝来するのは貴重。薬王寺は戊辰戦争による火災で丈六仏と伝えられる本尊薬師如来像を失われた。あらためて展覧会に展示された文殊菩薩は現地で観たの印象と違い、晴れ晴れしく感じた。またいわきの仏像探訪に出かけたくなった。

2026年6月20日土曜日

令和8年度春季京都非公開文化財特別公開(放生院地蔵菩薩)

奈良・京都仏像巡り2026年初夏の2日目は京都・宇治の放生院・恵心院・興聖寺の三ケ寺を巡った。新緑が美しい宇治川沿いの道を一番目の橋寺放生院に向かう。橋寺放生院を知ったには、2009年出版の「見仏記ゴールデンガイド篇」でだが、その後新TV見仏記でも放送されたので行った気になっていたが、地蔵菩薩の拝観は今回が初めてだ。見仏記によると創建は7世紀初頭で、渡来人秦河勝によるとされる。十三世紀に行われた放生会から放生院と呼ばれた。入口で「京都古文化保存協会」の係のかたに拝観料を払いこぢんまりした本堂に像高1.9メートルの堂々とした地蔵菩薩が立っておられた。鎌倉時代の重要文化財で赤、青、金の載金文様(きりがねもんよう)の袈裟が前面から背面までびっしりと施されている。2015年の修理を、外に運び出せず、堂内で寝かせて作業したとのことだが、より輝きをましてすばらしいにつきる。そんな拝観者の興奮をよそに静かに半眼でこちらをみている地蔵菩薩。みうらじゅん氏が指摘した「いい飛び出し地蔵だよ」の前傾姿勢も間近で拝観できた特別公開ならではのことだ。かなりの前傾姿勢であたかも飛行中であるかのように見えるという説明も納得できる。あらためて前にまわって翻波式衣文の波が小波から下にさがるにつけ大波になってバランスがよく、それに赤・青・金の載金が施されていることがすばらしい。みうらじゅん氏に言わせると「地蔵界でナンバーワンかもね。」も同感できる。ありがたいことに地蔵菩薩の前面と背面の写真をご住職より購入し、興奮冷めやらぬまま次のお寺に向かった。

 

2026年6月13日土曜日

特別展「神仏の山吉野・大峯」②(世尊寺十一面観音)


 今回の展覧会は吉野・大峯にある神社仏閣から多くの貴重な神・仏が展示されているが吉野の古刹世尊寺からはこの十一面観音が出展されていた。世尊寺は2014年に放映された新TV見仏記で知ったが、この十一面観音は2020年に東博で開催された特別展「出雲と大和」で初めて出会った。とても迫力がある奈良時代の像高220センチ余りの大きめな仏像だったがこのブログで紹介するのは今回がはじめてになる。井上正氏「古佛」でもとりあげられた仏像で、世尊寺の前身寺院は「比蘇寺」といい飛鳥時代創建とのこと。大安寺展の時には奈良時代多くの留学僧や日本人僧が修行したアカデミーとして紹介されていたが、比蘇寺は学問山寺であった。この十一面観音はそのころ製作された。等身よりひとまわり大きく、半丈六に近い。頭部が後補で首以下はいかにも古式であり、大きな内刳があり、以外に軽いとのこと。首から上の頭部の製作年代は不明だが、井上氏によると鎌倉時代後半期頃の様式をしめしているとの説もあり同感できる。納入物の経典にも鎌倉時代の年号が記載されている。全体にフラットな顔面と低い鼻、つぶれ気味に膨らむ毛筋の揃いきった髪の表現など十三世紀末あたりの特色と考えてよいだろう。左手は屈臂して蓮華を挿した宝瓶を執る形をなし、右手は垂下して、掌を前にして五指を伸ばす。裳をつけ、帯をまき、条帛・天衣をかけ、腕釧・臂釧をつけて、蓮華上に直立する。作風が同じ奈良時代の興福寺東金堂薬師三尊矜持や薬師寺講堂日光月光菩薩に作風が似ていることから首より下は奈良時代に造立年代を置くことができる。以前、私が訪れた、霊山寺もインドバラモン僧菩提僊那終焉の地であったように、ここ世尊寺も二人の唐僧がすごした古刹であるということに思いが走る。