2026年2月7日土曜日

興福寺伝来の四天王像

              

路地ぶらならまち・きたまち2026年1月の拝観を終えてならまちから奈良国立博物館に向かった。お目当ては「なら仏像館」で昨年末から今年の三月まで期間限定の特別公開されている興福寺伝来の四天王を鑑賞するためだ。この四天王は明治時代まで興福寺に伝来した一具で、広目天がいまも興福寺に残るほかは、滋賀・MIHO MUSEUM、増長天と多聞天が奈良博所蔵となっている。増長天と多聞天の明治時代の修理から100年あまり経過したので、剥落止めなどの修理を施しそれが完成したため、面目を改めた増長天・多聞天を特別公開するとともに28年ぶりに四天王像が一堂に会する展示だった。明治時代の古写真によると興福寺の路傍に雑然と並んでいる興福寺の仏像のなかに快慶の処女作ボストン美術館所蔵の弥勒菩薩とともに増長天・広目天・多聞天の姿があったが、四天王すべてが幸いに国内に残り危うく海外流出を免れたことは幸いだ。四天王は安置堂宇が不明ながら優品として知られており、4躯とも体幹部を一木から彫り出した体躯には充実感がみなぎり、瞳に黒光りする異材を使用し、広目天の邪鬼を塑土で成形するなどの奈良時代から平安時代にみられる古様という技法が用いているのが特色。制作時期は鎧に銅製の装飾を施す、康慶の南円堂四天王像との類似から11世紀から13世紀初頭まで諸説あるが、いまだ定説をみないとのこと。会場ではひとつひとつじっくり鑑賞できたが、像高155センチから170センチの小像ながら迫力があり、特に写真の多聞天は出来映えがよかったと思う。奈良博では時々このような注目すべき展示を短期間で行っているが、注意して今後も見ていきたいと思った。

 

2026年1月31日土曜日

~冬の奈良のお寺や神社巡り~路地ぶらならまち・きたまち2026②(阿弥陀寺の三駆一佛観音)

午前中のきたまちお寺巡りでくたくたになりながら、ならまちにある「旬菜ひより」でランチをとり、ならまちのはずれにある阿弥陀寺に向かった。ここは南北朝時代に元興寺の一庵としてはじまったお寺だ、この塔頭に悲田院がありここが路地ぶらならまち・きたまち2026の公開寺院となっている。院内で説明者によると奈良時代に光明皇后が創建した興福寺悲田院を遷したものと伝えられ、当時の遺構は残っていないとのこと。そこに祀られているのが、三駆一佛観音。奈良市観光協会の人はいつ作られたかわからないとの説明だったがで月刊サライの記事によると「木造・漆箔、像高79.8センチ、室町時代末・16世紀後半頃。左腕の先に阿弥陀如来立像、右腕の先に薬師如来立像が「生えて」あるいは「湧き出て」いる様子を表すきわめて珍しい姿。観音、阿弥陀、薬師の功徳を一身に表しているとも考えられる。後世の修補で造像当時の金色が甦っている。(後略)」とのこと。阿弥陀寺住職ブログでこの記事が載っていることを知り事前に予習した成果がいかせた。路地ぶらの仏像は国重文から無指定まで多岐にわたり予習しがいがあった。この経験を来月も役立てたいと思う。

 

2026年1月26日月曜日

~冬の奈良のお寺や神社巡り~路地ぶらならまち・きたまち2026①

本日、関西が大雪の中奈良市観光協会主宰、「路地ぶらならまち、きたまち」という仏像拝観イベントに参加するため奈良に向かった。新幹線は遅れたが、止まることがなかったため、予定通り午前中はきたまちの三か寺、午後はならまちの六か寺となら仏像館を見て回った。最初に訪れのが、西福寺で、藤原時代からある古刹。ここに平安時代末の仏像が六体あるのには驚いた。収蔵庫にある阿弥陀、薬師、釈迦はなんと国重要文化財だ。きたまちの他の寺を巡り昼食後はならまちのお寺を小雪の中巡った。ならまちのお寺については詳しくは次回にするが、最期になら仏像館で興福寺の四天王が、特別公開されていたので、それを見て帰路についた。路地ぶらならまちきたまちではこのイベントがなければ誰にも目に触れることない貴重な仏像が見れてよかった。来月もあるので京冬の旅、京都非公開文化財特別公開初春公開とあわせて見に行きたい。

2026年1月22日木曜日

京都非公開文化財特別公開2025秋(曇華院門跡大随求菩薩)


 亀岡の寺探訪の翌日朝食をイノダコーヒー本店でいただき,まず向かったのが、京都非公開文化財特別公開公開寺院の曇華院門跡に向かった。京福嵐山本線「鹿王院駅」から歩いてすぐにあった。曇華院門跡は室町時代の創建で二代将軍足利義詮の婦人で足利義満の母親の娘を持つ、順徳天皇のひ孫、智泉尼による開基の歴史を持つ。寺院内には源氏絵具合わせなど貝殻に絵が描かれた遊び道具も展示され、皇女の門跡寺院の雰囲気が醸し出す雅な寺院だった。本堂のなかで説明者が寺院の縁起などを説明していたが、朝日新聞にものっていた大随求菩薩についてはいわれも不明とのこと。小さな厨子に像高10センチ足らずの大随求菩薩だが、清水寺随求堂の大随求菩薩と同様、頭上に化仏を付す宝冠を戴き、八本の腕にはそれぞれ五鈷杵、剣、斧、法輪、経巻、幢、戟という持仏を持つ。(一部亡失)室町から江戸にかけてのいずれかの皇女の念持仏とおもわれる。毎回新しい発見がある京都非公開文化財特別公開から目が離せないと思い次の寺院に向かった。

2026年1月15日木曜日

たたかう仏像②(加彩鎮墓獣)

 静嘉堂@丸の内は中央が広間になっており、四方に展示室がある構成のため第四章「救済の最前線」を見てから、第三章「仏像の鎧の源流」を鑑賞した。この鎮墓獣の俑は唐時代のもので、人面と獅子面が一対になっている。人面は顔のみで体は足に鹿ないし牛のような樋爪を呈す。図録によると鎮墓獣を一対として武人俑と共に墓中に安置することは、北魏時代以来行われているとのこと。いかにも鮮卑卓抜族が好みそうな俑だ。人面の鎮墓獣は北魏時代の胡漢融合文化の産物、あるいは鎮墓獣に理知的な性格を付与するために生まれたとの説もあるが、定説をみない。目が斜視で大きな鼻厚い唇でどうしても理知的には見えないが、左右の目線を逸らしているが七世紀後半から八世紀の俑の特徴とのこと。たしかに展示されている唐時代の俑に共通してみられた。人面獣の渦巻く頭上の髪は独角からの発展形とも考えられる。背中には鉾の先端のような形状があり、体部に朱、白、黒によるC字型とヤシの葉のパルメット型で構成された雲気文を画かれている。鎮墓獣については以前東博東洋館で見たが静嘉堂@丸の内の俑も同様に細かい彩色が施され興味深かった。人面獣・獅子面獣から一気に俑の世界に引き込まれた。十七年ぶりの公開とのことじっくり鑑賞した。