2026年4月29日水曜日

准秩父三十四札所観音霊場(清林寺聖観音)


 2026年午年、今年は御開帳が多い。3月に板東三十三所観音霊場の一番札所杉本寺に仏像クラブで参拝したが秩父三十四札所観音霊場や先週の準西国稲毛三十三所観音霊場。本日は准秩父三十四札所観音霊場の内32大善寺33龍福寺34清林寺を巡った。今月30日で終了してしまう御開帳期間であったため、計画していたとき、2021年に横浜歴博で開催された清林寺聖観音が御開帳されていることがわかり、本日(28日)に横浜地下鉄センター南駅から清林寺を目指していったがかなり距離があり、札所の紅い旗がたっていた大善寺にお参りしてから清林寺に向かった。若い僧と案内のご婦人がいらしたので書き置きの御朱印を戴き本尊聖観音に参拝した。『横浜の仏像』図録解説の山本勉先生によると菩薩立像(伝聖観音)は像高98センチ平安時代末期の仏像で伝恵心僧都の作で元禄時代の創建の清林寺の以前の伝来は不明。垂髪を結い、上半身に条帛・天衣を懸け、下半身は裙・腰布を着ける菩薩形像である。左手は屈臂し、右手は垂下して、腰をわずかに左にひねって立っている。内刳を施すが、左側頭部、左腕、右手先、両足首先などは後補である。平明な表情の面相や、ゆったりした肉どりの体躯、また静謐な立ち姿などに、いわゆる定朝様の特色を示し、平安時代後期、十二世紀の製作と考えられる。(中略)いま独尊の聖観音とされているが本来は三尊像の脇侍像の一つとして製作されたものであったかと思われる。平安時代に三尊像を安置する寺院があったことを推察される貴重な遺品であるとのこと。龍福寺の古そうな十一面観音立像を参拝して東急バスで綱島に出て帰路についた。

2026年4月23日木曜日

準西国稲毛三十三所観音霊場(能満寺聖観音)


 本日(4月23日)午前中に準西国稲毛三十三所観音霊場の御開帳が行われている、川崎市高津区の十六番札所能満寺に参拝に行った。こちらは以前川崎市指定文化財公開で一度仏像クラブで出かけたが、今回12年に一度の準西国稲毛三十三所観音霊場御開帳寺院になっているのをHPでみつけ参拝してみようとおもった。この聖観音は本堂須弥壇後方の左脇の厨子内に安置され像高1メートル余り垂髻を結い頭髪部に毛筋彫はなく、左腕を屈臂して蓮華を執り右手は垂下して掌を前に向け、第一指をまげ他指をのばす。条帛・天衣を懸け、腰以下に裙を着け、腰をわずかに捻り、右足を少し踏み出す。衣紋については以前の公開の説明者は翻波式衣文と説明していたが、今回の川崎市教育委員会の解説のHPによると翻波式衣文が顕著に用いられる膝下の衣紋は一見よく似ているが、小波にあたる彫りがなく、厳密に翻波式衣文とはいえず、条帛や天衣にわずかに用いられる程度。このような作風から平安時代前期の作と判断できるとのこと。11月の後半の三連休に川崎市で本尊の公開があるとお寺から情報をいただいた。お寺の許可を得て聖観音や涅槃仏の撮影をして、御朱印と準西国稲毛三十三所観音霊場札所めぐりの本を購入した。5月2日までが開帳期間なのでいくつか気になる仏像もあるので期間中に訪れたいと思う。

2026年4月21日火曜日

企画展「しずおかの古仏たち」④(一乗寺宝冠阿弥陀如来)


 昨年のことになるが、静岡市歴史博物館開催の「しずおかの古仏たち」では多くの魅力的な仏像にであった。この一乗寺宝冠阿弥陀如来も像高66センチ久能寺から伝わった古仏で一乗寺は中世に土地の豪族に庵原氏の真言密教の寺院で、戦国時代今川義元の軍師太原雪斉のときに曹洞宗寺院となった古刹で、宝冠阿弥陀は天台宗寺院にみられるため久能寺の常行三昧堂に関わりを持つ仏像とのこと。ニコ生美術館でおなじみの淺湫毅氏は静岡市文化財保護審議会委員をされており本展の論考で『本像は、如来でありながら高い髻を結い、宝冠を身につける。腕前で両手を重ねた定印を結ぶ。これは天台宗の円仁が中国から持ち帰った「常行三昧」という修行の本尊である。鎌倉時代の作だが、慶派仏師とは異なり保守的な作風は「円派」仏師の作かと見られる』とのこと。破綻のない出来映えは京仏師から送られた仏像だと推察される。今でも印象に残っている仏像だ。10月に浜松市美術館で開催される「みほとけのキセキⅢ」-三・遠・駿 神仏オールスター-で再会できればよいなと思った。

2026年4月11日土曜日

京の冬の旅2026④(福勝寺聖観音)

 

           

洛陽三十三所観音霊場再興20周年は昨年末までだったが、京の冬の旅2026で初公開された千本出水の福勝寺は第二十九番札所に指定されており、札所本尊聖観音菩薩をお参りすることができた。福勝寺は弘法大師空海の創建と伝えられた真言寺院で鎌倉時代に河内から京都へ移され、京の冬の旅説明の女性が長々と秘仏について説明していたので、本堂の平安時代の聖観音立像や少し新しめな金剛薩垂座像をじっくり鑑賞した。金剛薩垂座像は右手に五鈷杵、左手に五鈷鈴を執り蓮華座に座している。聖観音は比叡山延暦寺横川中堂の本尊聖観音と同じ左手で未敷蓮華(みぶれんげ)を執り、その蓮華に指を捻じた右手をそえて、花弁を開こうとする姿から天台寺院から来た客仏であろう。出来映えもよく、京の冬の旅2026を締めくくる仏像と思った。ここは秀吉が参拝した「ひょうたん寺」と呼ばれ、秀吉の肖像画が色鮮やかに表現された、令和8年度限定切り絵御朱印(赤)をいただきお寺を後にした。      


2026年4月4日土曜日

永青文庫令和7年度早春展「アジアの仏たち」(番外編)


2月に永青文庫で開催された「アジアの仏たち」には出展されていない細川護立氏が東博に寄贈した宝慶寺石仏群の大型の石仏龕を見に東洋館に向かった。中国の仏教美術は唐時代に完成形を作り上げたが、とくに7~8世紀にかけて、インドの肉体表現と中国伝統の衣服の衣服表現を見事に調和させ、東アジア的な面貌をもつ理想的な中国仏像を生み出したとのこと。早崎稉吉から細川護立へ渡った中国石仏は西安、すなわち唐時代の帝都であった長安周辺で蒐集されており、上質の作品が多い。東博には宝慶寺石仏群として15点が細川氏より寄贈されているが、この石仏群はもとは則天武后の正当性を立証するよう命じられた僧が立てた寺院より移ってきた客仏で、則天武后の時代を代表する名仏である。なかでも写真の像高85センチあまりの十一面観音龕は出来映えがよく、水瓶をもつ左腕が長く、全体に痩身でありながら、相貌や肉身は張り詰めたみずみずしさがある。本像も8世紀初めを代表する作例で、中国彫刻だけでなく、その影響を強く受けた奈良時代の日本の彫刻の展開を考える上でも重要な作品と東博も大絶賛している。よく細川護立氏は手放してくれたことに感謝し東博東洋館アジアギャラリーをあとにした。