2026年11月4日水曜日

東京都文化財ウィーク2026(善明寺鉄造阿弥陀如来)


 本日(11月3日)東京都文化財ウィーク特別公開寺院の府中市善明寺に仏像クラブで出かけた。JR南部線府中本町が歩いてすぐ、大國魂神社のすぐ近くに善明寺はあった。入口でパンフレットをもらい、まずは本堂にお参りしてから「金仏堂」の二体の阿弥陀如来座像・立像を入口から拝観した。鎌倉時代に関東で流行った鉄製の仏像で像高178センチの座像で現存する鉄仏のなかで最大。鎌倉時代の仏師藤原助近の作で建長5年(1253年)に製造されたことが左胸の衣部に陽鋳されている。中央が下がった髪際の形や、頬骨の高い顔だちには鎌倉時代の宋風仏像の特徴がよく示されている。四角くて味のあるやや黒い顔をしている。鉄仏の流行は粗放で豪快な作風が東国武士に好まれたためとも想像される。銅より困難な鋳鉄像をあえて生産しようとした当時の鋳物師たちの心意気に感銘した。この銅像阿弥陀如来は当初武蔵国分寺の鉄谷にあったと伝えられ、大國魂神社を経由して明治の神仏分離で善明寺に移された。脇の小さな阿弥陀如来は阿弥陀如来座像の胎内仏で製作時期は同じと考えられる。参拝を終え七五参で賑わう大國魂神社の参拝し、近くの食事処で大いに語り合ったら仏像クラブの面々だった。

2026年11月1日日曜日

みほとけのキセキⅢ


本日、浜松市美術館で開催中のみほとけのキセキⅢという三遠駿の仏像オールスターが集めた展覧会に出かけた。このテーマの展覧会は2021年から開催され三回目の仏像展で毎回メインの仏像が変わるユニークな展覧会だ。浜松駅からバスで浜松城がある公園に向かうと瀟洒な建物が現れそこが、浜松市美術館だ。一階の展示室は浜松周辺の仏像で、2019年の夏に訪れた千手観音の美術院で綺麗に修復された姿に感動したり、浜松陽向院のお腹が出た十一面観音に癒されたり、定光寺の千手観音の持物の多さ多彩さに驚かされた。二階は東三河の格好よい仏像のオンパレードだ、やはり静岡新光明寺の阿弥陀如来は素晴らしい。詳しくは次回にするが、充分楽しめた展覧会だった。担当学芸員とも話が出来、大満足な展覧会だった。


2026年10月28日水曜日

三重の仏像2026⑥(松阪薬師寺薬師如来)


 三重の仏像で最後にご紹介するのが、松阪薬師寺の薬師如来だ。近鉄松阪駅からタクシーで薬師寺に向かうと現場は修復中で電話で住職の許可を得てお堂のなかに入った。中には薬師三尊や四天王・十二神将と多くの仏がおられた。薄暗がりの中、目が慣れてくると、図録「三重の仏像」で掲載された三重県指定文化財の平安時代後期の薬師如来に出会うことができた。薬師寺の本尊で右手は施無畏印を結び、左手は膝上において薬壺を執る像高83センチの一木造。衲衣を偏袒右肩に着し、左右を上に結跏趺坐する通有の姿につくる。体幹部他はヒノキの一材から彫り出し、これに右肘先、膝前材、その他若干の材を矧ぎ寄せる。後頭部と背部の二カ所から内矧を施すが、内矧は相通じず、また背面の内矧は地付に達する。後頭部は一材、背部は上下二材からなる背板を当てる。右耳、両手、薬壺、両足一部に彫り直しが認められる。全体に量感に満ちた、重厚な印象が感じられ、圧倒的な迫力を持って迫ってくるような、実際の大きさ以上の印象を与える仏像だ。衣文も太く粘りのある線で構成され、特に左半身の脇から上膊にかけて見られるロープを二つ折りにしたような衣文表現は本像の造形的な特徴となっている。製作時期は10世紀前半としたが、やや遡る可能性も考えられる。伝来については不明だが松阪で見るべき仏だと思う。

2026年10月24日土曜日

弘法大師生誕1250年記念 特別展「空海と真言の名宝」⑤(高野山金剛三昧院千手観音)

 


2011年に高野山を訪れた際、宿坊は金剛三昧院と決めていた。高野山の宿坊を紹介した本に運慶(?)作愛染明王が宿泊者のみ拝観できるとのことが決め手だった。その後新TV見仏記高野山編でも愛染明王が紹介されたが、衝立の裏のガラスケースに安置されていたのがこの千手観音とは知らなかった。高野山訪問から15年がたち「空海と真言の名宝」展で念願の拝観ができた。頭上に十一面を戴く鎌倉時代の千手観音像。カヤとみられる針葉樹材による一木造で、内刳りをほどこさない。板状の材一枚に浮彫風に刻む小脇手は右のみ残るが、後補とみられる。表面は素地仕上げとし、衣には截金による装飾をほどこす、いわゆる代用檀像である。金剛三昧院は源頼朝追善供養のために1211年北条政子によって高野山に創建された禅定院を前身とし、1219年源実朝の菩提を弔うために改築し寺号を金剛三昧院と改めた。本像の伝来はあきらかではないが、その製作年代は同寺創建期にさかのぼるものとみられる。また、本像には抑揚をつけない上瞼の表現、弧を描く天冠台、翻波式の衣文表現などの復古的要素が認められる。即断はできないが、なにがしかの由緒をもった古仏の模刻像である可能性を想定する必要があるかもしれない。これからも見仏記の二人しか見たことがないほとけを求めて機会があれば展覧会を訪れたいと思う。

2026年10月18日日曜日

特別展「神仏の山吉野・大峯」⑤(如意輪寺如意輪観音)

 


吉野を語る上で忘れてはならないのが、後醍醐天皇だろう。足利尊氏と対立し吉野に南朝を樹立した後醍醐天皇が志しなかばで崩御し、葬られた陵墓を守るのが源慶の蔵王権現で有名な如意輪寺だが、本尊秘仏として祀られているのが鎌倉時代の如意輪観音であることをこの展覧会で初めて知った。如意輪寺のHPによると秋の3日間だけ人数制限つきで開帳とのこと。本展での展示が貴重な機会となった。像底の墨書に鎌倉時代末期の絵師の彩色をおこなった記載があり、仏師の製作も同時期であろう。ヒノキの寄木造で、表面の彩色と截金を交えた鮮烈な文様があらわされている。持物は後補で、肉身の金泥塗りの一部に補修があるものの、金銅製の装身具まで当初のものを残しており、保存状態はきわめてよい。像低・台座・光背裏面に修理銘があり安土桃山時代と江戸時代に修理を受けたことが判明する。秀麗な顔だちや太い衣のひだの表現は仏師康俊の作品と似通っており、康俊は「南都大仏師」となのり、十四世紀初めに現れた仏師で作風から善派仏師。康俊と子息康成は後醍醐天皇の護持僧文観の発願で倒幕の企てに関わる般若寺文殊菩薩騎獅像を手掛けるなど、南朝関係の造像で旺盛な活動をみせた。ここからは推測だが後醍醐天皇が倒幕志なかばで配流先で崩御した後鳥羽上皇が勝手明神を発願したことを聞き及び、如意輪寺に文観に命じて如意輪観音をつくらせたのかもしれない。いずれにせよ吉野における康俊の事績ととらえる点で重要だ。