2025年7月4日金曜日

特別展「超国宝」③(運慶の重源上人座像)

 

特別展「超国宝」の第一章「南都七大寺」の後半に展示されていたのが東大寺の重源上人座像だ。超国宝展の展示品の特徴はたとえガラスケースに展示された展示でもより見やすい高さに展示されているのが特徴だ。この重源上人座像もいままでよりより身近に感じる展示がせまってきた。東大寺復興を立役者と知られる重源上人だが、亡くなってまもなく、その肖像彫刻が寺に残されたとの伝記があり、それがこの像にあたるものだ。図録では作者は運慶とも快慶とも断定していないが、最晩年の重源の姿をありのまま写した、深くくぼんだ上まぶた、左右の大きな異なる目、たるんだ下まぶた、こけた頬、固くへの字結んだ口、筋と皮だけの頸など、その老いた顔つきの写実は克明だ。又、老いたとはいえ意思が強そうな数珠を持った手は銅像大仏の制作を中国人にまかせる東大寺復興にかける思いを表しており、山本先生も興福寺北円堂の無著・世親にも通じるもので、作者として考えられるのは運慶以外にない。」と著作で記載している。わたしも同意見だ。特別展「超国宝」にいってますます確信した重源像だった。

2025年6月27日金曜日

奈良・大阪・京都仏像の旅⑦(長建寺の秘仏八臂弁財天)


 北向山不動院参拝後、近鉄、京阪を乗り継いで「中書島」に降りた。秀吉の時代から栄えた伏見の商店街を行くと、月桂冠の酒蔵が軒を連ねる地区に出た。伏見は江戸時代に京都と大阪を結ぶ水運で栄え、その水路に面して赤い唐風の山門を構えるのが長建寺だ。印象的な造形の二つの像が開帳されていた。8本の腕を持つ本尊の八臂弁財天。そして、その前にある宇賀神将像は体は蛇、顔はおじさんという独特の姿だ。親しみをこめて「うがじんさん」と呼ばれる。「顔のモデルは近くに桃山城(伏見城)を築いた豊臣秀吉ともいわれています」と岡田豊禅住職が記者に語っている。原則12年に1度の巳年に開帳される。お寺の外ではそのご住職と思われる方が法事でご酒をめされたようで大きな声で「ここ伏見が京都の中心や」と叫んでいたのが印象的だった。伏見桃山に京阪で戻り老舗蔵元直営の鳥料理店で昼食をいただき次の洛陽三十三所観音霊場に向かった。


2025年6月21日土曜日

奈良・大阪・京都仏像の旅⑥(金戒光明寺の吉備観音)


 大阪から京都に着き新京極の「京極かねよ」きんし丼をいただき、新京極の洛陽三十三所観音霊場を巡ったら3時すぎており、予定を変更して京都非公開文化財特別公開であり洛陽三十三所観音霊場でもある岡崎の北部、左京区岡崎黒谷町にある金戒光明寺に向かった。京都人には親しみを込めて「黒谷さん」と呼ばれる金戒光明寺は北部に天台宗の名刹、真正極楽寺(真如堂)に隣接する広大な寺域で幕末将軍より京都守護職を任命された松平容保公以下会津藩士千余名や新撰組の本陣にになるような立派なお寺で今回公開されている山門も知恩院と同様楼上が公開されており宝冠釈迦如来像と文殊・普賢・十六羅漢左右に八体ずつ安置され天井画は蟠竜図が画かれていた。次に洛陽三十三所観音霊場の本堂脇に鎮座する吉備観音を拝観しお馴染みの石仏、五劫思惟阿弥陀如来を拝観したころには四時が過ぎており、京で開催されている新指定国宝重文展に向かった。




2025年6月14日土曜日

特別展超国宝②(法隆寺百済観音)




 特別展超国宝展の最初に出会えった仏像がこの法隆寺百済観音だ。会場に入ると平日のためすいていたこともあるが、じっくり仏像に対することができた。まずその高さに驚いた。百済観音像の細く天に向かって伸びるような姿は、我が国の仏教美術において極めて特異な存在である。腰高で起伏の少ない身体表現は白鳳美術に影響を与えた中国・北斉時代の石彫にも見られるが、それだけでは説明できないプロポーションである。若い頃中国大同で北魏仏をたくさん見たが、百済観音も日本で制作された木彫仏だがどこか大陸的な雰囲気を持つ仏像だ。仏典に述べられる観音菩薩の姿は「観世音菩薩を観るべし。この菩薩の身の長、八十万億那由他由旬なり」とある。那由他は極めて大きな数量を示し、由旬とは古代インドの尺度で十五キロメートルほどと考えられる。それが八十万億集まった身長というのは想像を絶する。子供のころ夢中でみていた「西遊記」でも悟空がきんとん雲に乗って雲の上の観音様に会いに行くシーンがあったがそのことだったと気づかされた。百済観音像の光背を支える支柱基部に山岳文様があり世界の中心にある補陀落山が小さく画くことによって「那由他」を表現していることがわかったのが今回の収穫だった。この超国宝展で一番印象にのこった仏像はと聞かれれば迷わず百済観音と答えるであろう。



2025年6月7日土曜日

奈良・大阪・京都仏像の旅⑤(安楽寿院の阿弥陀如来)


 13年ぶりに鳥羽の地に降り立った。13年前の秋に京都非公開文化財特別公開が行われ京都に着き真っ先に向かったのが安楽寿院だった。ここは鳥羽上皇終焉の地で広大な鳥羽離宮があったところだ。その中心がこの安楽寿院だ。13年前の記憶をたどりながら寺院についた。お目当ての阿弥陀如来は外の収蔵庫にあった。記録によると鳥羽上皇が祀られている三重塔で供養当日から法華三昧を行われた。阿弥陀を本尊に据えて、法華三昧を行うという、「法華経」による減罪を経ての極楽往生祈願がみられる。定印を結ぶ等身の座像、檜材製で漆箔を施す。光背の身光圏帯内区や光脚、台座の蓮弁の一部、上敷茄子・華盤・下反花などが当初で、華麗な浮き彫り文様が施されて美しい。仏師は円派の長円・円信・賢円かさだかでないが、当代正系仏師の定朝様踏襲と装飾への意欲を示す典型的作例であり、その由緒とも併せてもっとも院政期的一作と見なされる。外に出たらいい天気で新緑に映える三重塔(今は多宝塔)が美しかった。恋多き鳥羽上皇に思いをはせて北向山不動院に向かった。