2026年3月13日金曜日

たたかう仏像③(加彩神将像)


 たたかう仏像展では静嘉堂@丸の内所蔵の十二神将とその鎧の源流である。秦の始皇帝兵馬俑から始まる俑の埋葬出土品は唐時代に確立し日本の仏像の鎧に受け継がれていく。ポスターにもなっている加彩神将俑は片方が兜を被り、片方が髻を露出する開口・閉口一対の俑。閉口像では胸甲や腹部の下甲、膝裙、吊腿などに朱、白、黒、淡紅、淡青色によって花紋及び唐草文がびっしりと表され、胸甲の覆輪部などに金箔が貼られている。覆輪部の金箔は浄瑠璃寺の十二神将子神像にもはっきりと表されるが、前盾のように唐式甲制と異なる奈良時代に一般化された「天平甲制」がみられるのは興味深い。閉口像、開口像ともに胸甲の中央に円花文を表すのは日本の神将像が両胸に立体的に円花文を表す前駆形といえる。甲冑は、両像で異なる形式がとられている開口像では上半身の前後に別々の甲を着ける。おへそを守る腹護には小礼文を描き肩には獣面を表す。両像とも左右の眼が向く方向が上下左右に微妙にずらしているある。これは七世紀後半から八世紀の神将俑一般にみられる特徴だが、東大寺戒壇院四天王や法華堂執金剛神が同様に眼のつくりをしており、このどこから見ても微妙に眼があわない恐ろしい眼のかたちは相当拡がりを想定できる。普段見慣れている日本の神将像の源流がここにあるという展示だった。

2026年3月6日金曜日

京の冬の旅2026②(興聖寺弥勒菩薩)

祇園で食事を済ませ、西陣にある臨済宗興聖寺に向かった。興聖寺は西陣に佇む禅刹で秀吉に仕え、武将で茶人・古田織部との縁から「織部寺」とも呼ばれている。見所は本堂の掛軸「達磨大師図」だ。にらみつける力強いまなざしが印象的とのことだが、私の興味は掛軸で隠された本尊の釈迦牟尼仏や脇侍の達磨像や弥勒菩薩だ。藤堂高虎寄進の達磨像はさほど関心がなく、江戸時代作の見老菩薩の端正な顔立ちに目がいった。弥勒菩薩には珍しい宝冠をかぶり宝塔を持ち結跏趺坐する。静かな本堂の雰囲気によくあっていた。今回の「京の冬の旅2026」のコンセプトは大河ドラマ主人公・豊臣秀長&秀吉ゆかりの社寺の特別公開だ。ふだん目を向けられない寺院を訪れることができる。御朱印をいただき次の公開寺院に向かった。

 

2026年3月3日火曜日

~冬の奈良でお寺・神社巡り~ 路地ぶらならまち・きたまち2026年2月②(徳融寺子安観音)


 五劫院を出てきたまち空海寺・念聲寺へ向かった。念聲寺の阿弥陀如来三尊は大原三千院と同じく両脇侍はやまと座りをし、阿弥陀如来は施無畏与願印を表す。江戸時代創建の寺なれど本尊は少し前の時代と感じた。昼食後、興善寺・金躰寺とならまちの寺を巡り、徳融寺についた。元興寺の塔頭である徳融寺に残されているのは子安観音と薬師如来を拝観した。ともに伝平安時代の木造で薬師如来は日光・月光菩薩が扉に描かれた厨子に収まった、おおきな仏像で飛天が舞うきらびやかな光背で興味をそそられたが、なんといっても注目は隣の間にある子安観音だ。平安時代のヒノキの一木造で像高189センチ。赤子を両手で捧げ持つ珍しいお姿。奈良市観光協会の方によると元は聖観音だったものを室町時代の補作で子安観音に作り替えたとのこと。まるで赤子を見守る母親のような慈悲深い目をしており、今回の奈良旅でこの仏像に出会えてよかったと思った。まだまだ奈良には有名・無名の仏像が多くあると確信した。またの機会に訪れたいと思いながら近鉄特急に乗り込み奈良をあとにし京都へ向かった。


2026年2月24日火曜日

~冬の奈良のお寺や神社巡り~路地ぶらならまちきたまち2月①

先月に引き続き路地ぶらならまちきたまちの仏像巡りをしに奈良に来た。今月は以前訪れた五劫院の五劫思惟阿弥陀如来から拝観だ。以前は薄暗い本堂に安置してしたアフロな仏だったが、今日訪れた五劫院は立派でアフロ仏も出世したなと思った。五劫院の五劫思惟阿弥陀如来は東大寺を再興した、重源上人が中国から招来したという伝承が、あるが確かにアフロ仏は作例が少ないが、五体ほどあり模刻像が作られたとも考えられる。早々に御朱印を頂きたい次の寺に向かった。次回にするが、今回も小安観音などユニークな仏像に出会い充実した奈良旅だった。

京の冬の旅2026

本日(2月23日)は六波羅蜜寺と京の冬の旅2026特別公開寺院に出かけた。先に六波羅蜜寺を見て、今回の最初の公開寺院方広寺に向かった。翌週にひな祭りを控えた京都の町をそぞろ歩き、ブラタモリでやっていた、大きな石垣を過ぎて受付で拝観料を払って中に入る。方広寺は以前焼ける前の江戸期の大仏をみたが、今回の盧遮那仏は同じく江戸期の作、三代目の盧遮那仏の十分の一とのこと。他に左甚五郎作の大仏殿の欄間に施された龍や大黒天を見て、豊国神社によった。午後のお寺は次回にするが、充実した京都旅であった。