2026年6月13日土曜日

特別展「神仏の山吉野・大峯」②(世尊寺十一面観音)


 今回の展覧会は吉野・大峯にある神社仏閣から多くの貴重な神・仏が展示されているが吉野の古刹世尊寺からはこの十一面観音が出展されていた。世尊寺は2014年に放映された新TV見仏記で知ったが、この十一面観音は2020年に東博で開催された特別展「出雲と大和」で初めて出会った。とても迫力がある奈良時代の像高220センチ余りの大きめな仏像だったがこのブログで紹介するのは今回がはじめてになる。井上正氏「古佛」でもとりあげられた仏像で、世尊寺の前身寺院は「比蘇寺」といい飛鳥時代創建とのこと。大安寺展の時には奈良時代多くの留学僧や日本人僧が修行したアカデミーとして紹介されていたが、比蘇寺は学問山寺であった。この十一面観音はそのころ製作された。等身よりひとまわり大きく、半丈六に近い。頭部が後補で首以下はいかにも古式であり、大きな内刳があり、以外に軽いとのこと。首から上の頭部の製作年代は不明だが、井上氏によると鎌倉時代後半期頃の様式をしめしているとの説もあり同感できる。納入物の経典にも鎌倉時代の年号が記載されている。全体にフラットな顔面と低い鼻、つぶれ気味に膨らむ毛筋の揃いきった髪の表現など十三世紀末あたりの特色と考えてよいだろう。左手は屈臂して蓮華を挿した宝瓶を執る形をなし、右手は垂下して、掌を前にして五指を伸ばす。裳をつけ、帯をまき、条帛・天衣をかけ、腕釧・臂釧をつけて、蓮華上に直立する。作風が同じ奈良時代の興福寺東金堂薬師三尊矜持や薬師寺講堂日光月光菩薩に作風が似ていることから首より下は奈良時代に造立年代を置くことができる。以前、私が訪れた、霊山寺もインドバラモン僧菩提僊那終焉の地であったように、ここ世尊寺も二人の唐僧がすごした古刹であるということに思いが走る。

2026年6月7日日曜日

令和八年新指定国宝・重要文化財展


 令和8年初夏の京都旅行で最後に訪れたのが「令和八年新指定国宝・重要文化財」展だ。帰りの時間まで余りないので、第1室絵画/工芸品で国宝に指定された明兆作東福寺五百羅漢図の一部を見てから、第3室考古資料/彫刻を時間をかけて観覧した。今回展示されなかった山梨・恵林寺の不動明王・制吨迦童子・矜羯羅童子以外の重要文化財が展示されてあった。他の仏像については後日報告するが、なんと言っても注目するのはポスターにも掲載されている兵庫県姫路市の如意輪寺如意輪観音だ。如意輪寺は姫路市HPによるとかつて書写山円教寺の女人堂であった寺で本尊がこの如意輪観音とのこと。像底の朱書銘から南北朝時代の運慶につらなる七条仏所の大仏師康俊の代表作とわかる。端正な面貌を始めとする美しく整えられた造形は康俊の仏菩薩像の特徴を示し、思惟する物憂げな表情や六臂の複雑な像容を堅実にまとめ上げている。表面は金泥彩とし、着衣部には切金と盛上彩色(文様の輪郭を白や緑の顔料で盛り上げて描いておいて、その上に彩色する)を交えた文様が施される。姫路市指定文化財から国重文になったことは喜ばしいことで、こうして拝観できて奈良・京都旅行の最後に出会えてよかったと思う。拝観時間は19:30までだが帰りの新幹線の時間もあるので、急ぎ京都駅に向かった。

2026年5月30日土曜日

特別展「北野天神」(興喜天満神社天神像)


 当初、京都国立博物館開催の特別展「北野天神」はスケジュールに入れてなかったが、神像・仏像が12点も出展されることをネットで知りきゅうきょ龍谷ミュージアムの後に、京博に向かった。菅原道真の生涯を追った第一章天神信仰1.菅原道真のあとに2.神になった道真のコーナーに興喜天満神社天神像が展示されていた。奈良県桜井市にある長谷寺の鎮守であった興喜天満神社に主神として祀られた像で、鎌倉時代中期の作。平安後期から本地垂迹説の盛行に伴い天神の本地は十一面観音であると信じられ、当時の北野天神への信仰の隆盛にともない、もともと雷神との関わりが深かった初瀬の地に勧請するにいたったと考えられる。忿怒の相をあらわす束帯姿の男神像で、腕前で笏を執り、太刀を佩いて安座する。像内墨書の正元元年(1259)から現存する最古の天神像と位置づけられる。仏の瀬谷さんはその著書で「相貌が同じ年に造立した白毫寺の太山王像に似ていることから同じ工房慶派の仏師が作か」とのことでだがいずれにしても迫力のある天神像であった。

2026年5月22日金曜日

特別展「いわきの古刹長福寺と薬王寺」①(長福寺地蔵菩薩)

 


本日、神奈川県立金沢文庫に特別展「いわきの古刹長福寺と薬王寺」を見にいった。福島県いわき市にあるお寺の仏像展をなぜ金沢文庫で開催するのかというとパンフレットによるといわき市の長福寺は奈良・西大寺を総本山とする真言律宗の古刹で薬王寺には称名寺聖教の「宝寿抄」は薬王寺で成立したという関わりからとのこと。図録の表紙の長福寺地蔵菩薩は鎌倉時代に鎌倉中心で活躍した、仏師院誉(いんよ)の作。山本館長の「鎌倉時代仏師列伝」によると着衣の裾が台座の正面をおおう形式は「法衣垂下」といい、衣には、型抜きの土製文様を貼り付ける、いわゆる土紋の技法がみられる。いままで「法衣垂下」は鎌倉時代全国に広まったが、「土紋」は鎌倉地方のみにみられると言われてきた。しかし鎌倉中心に活躍した院誉がみちのくの真言律宗でも活躍したことを如実に表した仏像だ。長福寺を創建した小川義綱は鎌倉御家人佐竹氏嫡流の子でその関係で院誉に地蔵菩薩の製作を依頼したのであろう。ほとけの瀬谷さんの面目躍如の展覧会だった。他にも運慶の大蔵薬師堂像を模刻した薬王寺「厨子入薬師三尊」や仏像クラブで訪問した薬王寺帝釈天も展示され、少ない展示だったが充実した展覧会だった。機会があればまたいわきの寺院を訪問したい。

2026年5月15日金曜日

特別展「神仏の山吉野・大峯」①

5月7日弥勒寺拝観後奈良に戻り、奈良博で特別展「神仏の山吉野・大峯」を鑑賞した。藤原道長自筆の国宝・紺紙金字経修理後初公開に合わせて山岳修行の祖役行者像や蔵王権現蔵など人々が祈りを捧げた神像や仏像など、自然と神仏への信仰が一体となって生み出されたこの地域ならではの宝物を一堂に展観する展覧会だ。第1章「伝説の地吉野」では金峯山寺とその周辺の役行者や蔵王権現の紹介のコーナで冒頭には初めて見る吉水神社の役行者・前鬼・後鬼や特別展「出雲と大和」で見た世尊寺の神像を思わせる十一面観音をじっくりと拝観した。またNHK Eテレで放送された新日曜美術館で実写が許されなかった大峯山寺蔵王権現(本尊)も間近で拝観できた。第2章「金峰山をめざして」では藤原道長が金峯山寺に埋納した紺紙金字経と黄金の経筒や蔵王権現が刻まれた蔵王権現鏡像を拝観した。第3章「ひろがる信仰世界」金峰山寺以外の仏像・神像の世界で如意輪寺の源慶作蔵王権現や勝手神社の勝手明神など見応えがあり第4章「後醍醐天皇吉野へ」では後醍醐天皇陵を守る如意輪寺の如意輪観音や天皇ゆかりの宝物が展示してあった。第5章「豊臣秀吉華の宴」吉見花観図屏風などが展示され第6章「近世・近代の吉野と奈良」明治の人物分離を守られた仏像・神像やロサンゼルスから里帰りした蔵王権現が展示されてあった。奈良博の山口学芸員の概説を読むと今回出展かなわなかった吉野訪問時に見た大日寺「五智如来」や写真展示のみの個人蔵の阿弥陀三尊などまだまだ展示したかった仏像・神像があったようだ。また機会があれば吉野に行き拝観するか、次回の修験道の展覧会での出展を期待してやまない。