2026年3月3日火曜日

~冬の奈良でお寺・神社巡り~ 路地ぶらならまち・きたまち2026年2月②(徳融寺子安観音)


 五劫院を出てきたまち空海寺・念聲寺へ向かった。念聲寺の阿弥陀如来三尊は大原三千院と同じく両脇侍はやまと座りをし、阿弥陀如来は施無畏与願印を表す。江戸時代創建の寺なれど本尊は少し前の時代と感じた。昼食後、興善寺・金躰寺とならまちの寺を巡り、徳融寺についた。元興寺の塔頭である徳融寺に残されているのは子安観音と薬師如来を拝観した。ともに伝平安時代の木造で薬師如来は日光・月光菩薩が扉に描かれた厨子に収まった、おおきな仏像で飛天が舞うきらびやかな光背で興味をそそられたが、なんといっても注目は隣の間にある子安観音だ。平安時代のヒノキの一木造で像高189センチ。赤子を両手で捧げ持つ珍しいお姿。奈良市観光協会の方によると元は聖観音だったものを室町時代の補作で子安観音に作り替えたとのこと。まるで赤子を見守る母親のような慈悲深い目をしており、今回の奈良旅でこの仏像に出会えてよかったと思った。まだまだ奈良には有名・無名の仏像が多くあると確信した。またの機会に訪れたいと思いながら近鉄特急に乗り込み奈良をあとにし京都へ向かった。


2026年2月24日火曜日

~冬の奈良のお寺や神社巡り~路地ぶらならまちきたまち2月①

先月に引き続き路地ぶらならまちきたまちの仏像巡りをしに奈良に来た。今月は以前訪れた五劫院の五劫思惟阿弥陀如来から拝観だ。以前は薄暗い本堂に安置してしたアフロな仏だったが、今日訪れた五劫院は立派でアフロ仏も出世したなと思った。五劫院の五劫思惟阿弥陀如来は東大寺を再興した、重源上人が中国から招来したという伝承が、あるが確かにアフロ仏は作例が少ないが、五体ほどあり模刻像が作られたとも考えられる。早々に御朱印を頂きたい次の寺に向かった。次回にするが、今回も小安観音などユニークな仏像に出会い充実した奈良旅だった。

京の冬の旅2026

本日(2月23日)は六波羅蜜寺と京の冬の旅2026特別公開寺院に出かけた。先に六波羅蜜寺を見て、今回の最初の公開寺院方広寺に向かった。翌週にひな祭りを控えた京都の町をそぞろ歩き、ブラタモリでやっていた、大きな石垣を過ぎて受付で拝観料を払って中に入る。方広寺は以前焼ける前の江戸期の大仏をみたが、今回の盧遮那仏は同じく江戸期の作、三代目の盧遮那仏の十分の一とのこと。他に左甚五郎作の大仏殿の欄間に施された龍や大黒天を見て、豊国神社によった。午後のお寺は次回にするが、充実した京都旅であった。

2026年2月13日金曜日

永青文庫令和7年度早春展「アジアの仏たち」


本日(2月12日)、天気もいいので東京目白にある永青文庫令和7年度早春展「アジアの仏たち」を見に出かけた。地下鉄東西線の早稲田から20分ほど歩くと、岡の上に昭和初期に建設された4階建ての建物が永青文庫だった。ここは戦国大名細川幽斎から江戸期の大名屋敷に伝わる宝物、戦前の貴族院で細川首相の祖父にあたる細川護立氏の日本・インド・中国の美術品が展示されている博物館だ。今回はインド・中国の仏像・ヒンズー教の神像などに特化した展覧会となっている。展示室は4階にエレベーターであがり、昭和初期の重厚な階段を降りて展示品を鑑賞するしかけとなっている。4階にはいきなり「細川ミラー」といわれる国宝「金銀錯資料文鏡」(中国戦国時代前4世紀~3世紀)が特別展示され虎を狩猟する武人の絵が刻まれた素晴らしい鏡だった。4階はインドグプタ朝からパーラ朝時代の石像美術のコレクションでヒンズー教美術と仏教美術最盛期のコレクションばかりだった。3階は中国の石彫美術で北魏時代の重要文化財「菩薩半跏思惟像」(掲載の仏像)をはじめ、現在東博に細川護立氏から寄贈され東洋館に展示されている宝慶寺石仏群のうち、永青文庫に残った重要文化財如来座像は目をみはるものだった。白い大理石の白玉像で欠けやすい大理石で造形的にも技術的に優れた名品だった。最後に2階の金銅仏をみて受付で細川ミラーの絵はがきを購入して帰路についた。大倉集古館の時にも思ったが都内にはまだまだユニークな博物館・美術館があり今後も可能な限り訪問したいと思った。


 

2026年2月7日土曜日

興福寺伝来の四天王像

              

路地ぶらならまち・きたまち2026年1月の拝観を終えてならまちから奈良国立博物館に向かった。お目当ては「なら仏像館」で昨年末から今年の三月まで期間限定の特別公開されている興福寺伝来の四天王を鑑賞するためだ。この四天王は明治時代まで興福寺に伝来した一具で、広目天がいまも興福寺に残るほかは、滋賀・MIHO MUSEUM、増長天と多聞天が奈良博所蔵となっている。増長天と多聞天の明治時代の修理から100年あまり経過したので、剥落止めなどの修理を施しそれが完成したため、面目を改めた増長天・多聞天を特別公開するとともに28年ぶりに四天王像が一堂に会する展示だった。明治時代の古写真によると興福寺の路傍に雑然と並んでいる興福寺の仏像のなかに快慶の処女作ボストン美術館所蔵の弥勒菩薩とともに増長天・広目天・多聞天の姿があったが、四天王すべてが幸いに国内に残り危うく海外流出を免れたことは幸いだ。四天王は安置堂宇が不明ながら優品として知られており、4躯とも体幹部を一木から彫り出した体躯には充実感がみなぎり、瞳に黒光りする異材を使用し、広目天の邪鬼を塑土で成形するなどの奈良時代から平安時代にみられる古様という技法が用いているのが特色。制作時期は鎧に銅製の装飾を施す、康慶の南円堂四天王像との類似から11世紀から13世紀初頭まで諸説あるが、いまだ定説をみないとのこと。会場ではひとつひとつじっくり鑑賞できたが、像高155センチから170センチの小像ながら迫力があり、特に写真の多聞天は出来映えがよかったと思う。奈良博では時々このような注目すべき展示を短期間で行っているが、注意して今後も見ていきたいと思った。