2021年1月9日土曜日
2020年7月19日日曜日
快慶展⑮金剛峯寺の広目天
高野山金剛峰寺にある四天王は鎌倉時代再興された、四丈(約12メートル) の東大寺大仏殿四天王像の雛形として披露されたことが藤原定家の「明月記」からわかっている。東大寺大仏殿はその後戦国時代に戦火に会い現存しないが、今回出展の広目天は出来栄えもよく快慶が担当した東大寺広目天を彷彿させる仏像だ。奈良博の岩田学芸員の図録掲載の論文によると「四天王を見ると、四躯ともに顔をかなり極端に下に向け、視線を足もと近くまで落としていることがわかる。これは尋常な表現ではないが、おそらくは四丈に達する巨像であれば、このような顔と視線の向きでなければ、観者からは像の表情をうかがうことができないであろう。」これは目から鱗の話で間接的に東大寺四天王の雛形であることを証明している。快慶展前に奈良博で修理完成しておりピカピカまるで新品のように光輝いていたのが印象的だった。四躯とも修理が完了しているのでいつか機会があれば再度高野山を訪れたいと思った。
2020年7月4日土曜日
快慶展⑭(浄土寺の阿弥陀如来)
この浄土寺の阿弥陀如来は奈良国立博物館「なら仏像館」に寄託されており 一度見たことがあったが、快慶展の劇的な照明に照らされた阿弥陀如来は金色に輝き神々しいと感じられしばらく見入ったことをよく覚えている。重源に「安阿弥陀」の称号を賜った快慶は、播磨別所である浄土寺創建のおり有名な像高5メートルの現存する阿弥陀三尊を作っているがこの阿弥陀如来も製作している。見仏記によると阿弥陀如来は金というより、独特な黄色を感じさせる鎌倉時代作とのこと。それは赤い下地に金箔をはったためだ。快慶マジックにより金の輝きに暖かみを付与する効果をねらったものであろうか。どこか誕生仏を思わせる上半身裸体の仏像である。この裸体の意味は布製の法会を着せていわゆる「お練り供養」を昭和初期まで行っていたためだ。会場にはそのとき使用した快慶作菩薩面も展示されていた。みうらじゅん氏によると「腰があり得ないほど細いね。慶派がわざとプロポーションをリアルじゃなくしている」とのこと。光背や化仏の配置も快慶らしさを感じ私のお気に入りの仏像だ。ずっと見ていたいが、いましか見れない名仏が目白押しなので次の展示に向かった。
2019年10月19日土曜日
特別展快慶⑬(旧青蓮院の不動明王)
この不動明王像は京都の青蓮院に旧蔵されていて現在はアメリカのメトロポ リタン美術館にある仏像だ。奈良博の山口学芸員によると旧蔵とされる伝えは青蓮院本堂に江戸時代の作とみられる模刻像が二童子像(制吨迦・矜喝羅か!)を伴って残されているからだそうだ。不動明王は総髪で両眼を見開き、上歯で下唇を噛むいわゆる弘法大師様の不動だ。私はその顔つきからどこかニューヨーク帰りの雰囲気を感じたのは修復の方法の違いからなのか。隣には前にも紹介した海外流出を免れた兜跋毘沙門天が並んでいた。気になるのが快慶作の二童子像がどこにいったのかだ。日本のお寺にひっそりと祀られているのか、海外流出したのかはわからないが日本にあることを祈るばかりだ。
2019年9月22日日曜日
特別展 快慶⑫(東大寺阿弥陀如来)
昨日NHKで物議をかもしたA教授の「運慶と快慶」が放送された。ニュー スを騒がせた快慶仏発見の瀧山寺の十一面観音や、三重の快慶仏が紹介されていたが私が注目したのは東大寺俊乗堂に伝わる阿弥陀如来の截金(きりがね)文様の製作過程の再現映像だった。番組では肉眼ではとらいきれない截金文様をカメラが初めてとらえたみたいに言っていたが、快慶展の図録には奈良博の山口研究員の意図か表紙が阿弥陀如来の袈裟に描かれた星形文様もはっきりと見れる。金泥塗の上に一ミリにも満たない金糸を何本も重ねることで星の光を表す快慶の超絶技巧だ。山口研究員によると「快慶が(中略)生涯をかけて追及したのが、実在感と格調の高さを兼ね備えた阿弥陀如来立像の姿です。」とのこと。細部にわたってこだわった快慶のすごさが伝わる仏像だった。
2019年6月22日土曜日
快慶展⑪(醍醐寺三宝院弥勒菩薩)
奈良博で快慶展が開催されてから2年経ったがいまだに快慶ブームが続いてい るようだ。昨年も東博で「特別展京都大報恩寺快慶・定慶のみほとけ」が開催され、つい先日物議をかもした「運慶と快慶新発見!幻の傑作」という番組も放送された。いまだに思い出すのが奈良博特別展「快慶」の入口に展示されていた醍醐寺三宝院弥勒菩薩だ。一度、醍醐寺秋の特別公開で参拝した弥勒菩薩だが奈良博のドラマチックな照明に照らし出された仏の姿は感動ものだった。奈良博の山口研究員も「月間大和路ならら」で語っていたが「デビュー2作目目、個人的には最初期にして随一といえるほど優れた傑作です。」とのこと。後白河法皇追善の供養仏として製作され金泥塗を用いた最古の仏像だ。雨の日暗いお堂のなかでも渋く光っていた金泥塗のこの仏像が照明が当たることで落ち着いた光を放っいた。その秘密は金泥の製作方法にあり、粉末にした金箔が受けた光を乱反射されているからだ。快慶ワールドが一気に広がった感じがした忘れられない快慶仏だ。
2019年4月7日日曜日
快慶展⑩「青蓮院の兜跋毘沙門天」
兜跋毘沙門天と言えば現在東博で開催中の特別展「東寺」に出展されている 平安時代の仏像を思い起こさせるが、鎌倉時代に何と快慶の手でつくられたのがこの青蓮院の兜跋毘沙門天だ。宝冠をかぶり、外套状の金鎖甲を着け、二鬼を従えた地天女が両足を捧げ持つお馴染みのポーズで表されている。東寺像と違い瓔珞に銅製鍍金であらわされているのもこの像の特徴だ。図録で奈良博の山口氏によると細部まで神経のゆきとどいたまとまりのよい作風に快慶の特色がはっきりとあらわれているとのこと。昨年東博で開催された「大報恩寺展」で快慶と弟子行快の耳の形の違いについて学んだが、この青蓮院像でも毘沙門天と地天女に行快の彫り癖が表れているとのこと。このことからも快慶の一番弟子は行快ということに気づかされる作品だった。
2019年3月17日日曜日
快慶展⑨知恩寺阿弥陀如来
奈良博で開催された特別展「快慶」では銘記は内部からなかったが、作風から快慶作と思われる仏像も出展されていた。平成18年に新たに見いだされた京都百万遍知恩寺の阿弥陀如来もそのひとつだ。この仏像を初めて見たのは大津市歴博で開催された「比叡山展」でその頃は後世の補色で黒っぽい色をしていたが、快慶展出展のおりにはその色もなく快慶得意の金泥塗のきれいな仏像となっていた。主催者の山口奈良博学芸員によると、肉付きのよい面部や厚みのある体躯、着衣部にほどこされた截金(きりがね)文様の趣致もふくめ、遣迎院像に極めて近いとのこと。よく見ると快慶作と判別できる耳の彫り方をしており、展覧会では同じ会場に展示されたいたのでわかるように工夫されていた。二度とない機会にじっくりと鑑賞すればよかったと今になって後悔している。
2019年3月3日日曜日
快慶展⑧(隋心院の金剛薩埵)
一昨年奈良で開催された快慶展には快慶作の仏像だけを集めた展覧会だった が、京都山科小野の隋心院からは金剛薩埵像が出展されていた。実は私は平成21年に隋心院を訪れ金剛薩埵像を拝観していた。目の前にずらりと九体の仏像が並んでおりその中の一つが金剛薩埵像だった。黒く細い胴、堅固不壊なる菩薩心を表す金剛五鈷杵を右手にもって胸に当て、左手に衆生を驚覚歓喜させる金剛五鈷鈴を持つ姿で表現されていたが、展覧会では宝冠は外され持物を持たない姿で展示されていた。確かに快慶の彫刻を見るには後補の持物はいらないが金剛薩埵の尊格を理解するのにはやはり持物を持たせた方が良かった。展覧会の功罪を考えさせられる仏像であった。
2018年10月21日日曜日
快慶展⑦(八葉蓮華寺の阿弥陀如来)
昨年春に行った奈良博開催の「快慶展」には80体以上の快慶仏が集合したた め、第七章「安阿弥様の追求」のころには少々ばて気味になっており集中力が途切れてきていた。快慶は多くの三尺阿弥陀を残しておりここにあげる八葉蓮華寺の阿弥陀如来の快慶無位時代の名作と言われるがあまり印象に残っていなかった。近頃見た写真でその素晴らしさを確認したぐらいだ。そういえば、「TV見仏記」の「大阪ひっそりおわす編」のカンテレドーガの表紙の写真がこの八葉蓮華寺の阿弥陀如来であることからも名仏であることは確かであろう。図禄によると信西入道の孫・恵敏が願主となって造像されたことが納入品からわかった。恵敏は大寺院の要職を務め阿部文殊院文殊菩薩や東大寺僧形八幡像の願主にもなった僧だ。球体を感じさせる丸みのある頭部や、やや切れ上がった目尻、小さめにあらわされた口元などの特徴が印象的だ。秘仏のためめったに拝めない貴重な仏像に会うことができたことに感謝したい。
2018年1月27日土曜日
快慶展⑥(キンベル美術館の釈迦如来)
快慶展ではこの展覧会で里帰りしたアメリカの美術館所蔵の作品を見るこ とができた。その代表格がアメリカボストン美術館の快慶初作の釈迦如来であろう。ここで紹介するアメリカ・キンベル美術館の釈迦如来は保存状態もよくいっぺんで惚れてしまった快慶仏だ。展覧会でも一押しの作品で展覧会パンフにしては珍しい縦長でその美しさを強調したつくりになっている。奈良出発前の関東では入手できず、展覧会では会場の入口で真っ先に手に取ったほどの出来栄えだ。像高は80センチ余りと快慶お得意の三尺阿弥陀より小ぶりであるが、光背も当初のもので木製の二重円相光に金属製の周辺部がつきそれはみごとだ。今回は出展されなかったが以前「新TV見仏記」で放送していた高野山光臺院の阿弥陀如来を彷彿とさせるつくりだ。まだ見ぬ快慶の三尺阿弥陀に思いを馳せながら、展覧会最後の章の三尺阿弥陀のコーナーに向かった。
2018年1月13日土曜日
快慶展⑤(西方寺の阿弥陀如来)
昨年の快慶展では通常非公開な仏像も多数展示され代表格は京都遣仰院の 阿弥陀如来だろう。ここで紹介する快慶三尺阿弥陀の名作西方寺の阿弥陀如来も三重新大仏寺や奈良長谷寺など快慶ゆかりの寺院に近い桜の美しい山添村の人々によって今日まで護られてきた。多摩美大の青木先生によると緊張感と穏やかさをたたえたその表情は遣仰院阿弥陀如来像とともに若き日の快慶の代表作である。快慶展で三尺阿弥陀だけの若き日から晩年の写真を並べたクリアファイルを購入したが、この西方寺のあと幾分ふくよかさがなくなっていくが金泥塗など快慶お得意の着衣表現により進化していったと思う。展覧会の最後のコーナーでこのような名仏に出会うことができ最後まで飽きさせない展示にここちよい疲れを感じて会場をあとにした。
2017年12月29日金曜日
快慶展④清水寺奥の院の千手観音
見仏記には京都清水寺奥の院の平成15年の6月の243年ぶりの御開帳の様子 が書かれていたが、毎年秋に京都を訪れている私は一生見れないものとあきらめていた。なんと今年の春開催された「快慶展」では出展されておりきしくも出会うことができた。展覧会会場の入ってすぐのコーナーで、快慶仏にまじってひっそりと展示されていた。千手観音は三面ある上、頭上に二十五面を載せている。手はもちろん体のあちこちから伸びて法具を持ち、光背にも化仏が分散している。図録によると平面的な顔立ちが先に紹介した遣迎院阿弥陀如来に似ており快慶無位時代の作風に通じるとみており、私も墨書の記載はないものの快慶作に間違いないと確信した。まだまだすばらしい快慶仏が待っているので次の展示に向かった。
2017年9月2日土曜日
快慶展③悲田院の阿弥陀如来
今年の春、奈良博で開催された「特別展快慶」に京都東山南方の地に伝わる の悲田院の阿弥陀如来が出展されていた。事前に多摩美大の青木先生のコラムにお寺での阿弥陀如来の写真を見ていたので、光背なしの展示だったが化仏と蓮の花と思われるすばらしい荘厳に彩られた光背を想像しながら拝観した。この仏像は平成21年の京博他の調査で頭部前面に「安阿弥陀仏」の墨書が発見された新しい快慶仏で、髻を高く結い上げ肩を露わにしない通肩の姿で、鎌倉浄光明寺の阿弥陀如来のように本来は髻を覆うように宝冠を被っていた宝冠阿弥陀だろう。悲田院は泉涌寺の塔頭寺院で最近買った雑誌によると藤原氏が創建した法性寺の跡地に建てられた寺院で文献によると「法性寺安阿弥陀仏」とし快慶が記されておりも近くに居を構えていたという。藤原一門の信西入道とのかかわりもあり藤原一族のとの交流も指摘されている。いつか訪れる機会があれば是非とも光背で荘厳された阿弥陀如来を拝観したいものだ。
2017年5月21日日曜日
快慶展②遣迎院の阿弥陀如来
快慶展で楽しみしていたのが、お寺で非公開の仏像だ。遣迎院の阿弥陀如来もその一つで京都のお寺にひっそりと祀られいた。奈良国立博物館の山口学芸員によると快慶の三尺(約90センチ)阿弥陀は今知られているだけで15件あり、この仏像は醍醐寺弥勒菩薩の2年後に造られたとのこと。運慶を思わせるような肉感的阿弥陀如来で、快慶お得意の金泥下地上のキリかねが肉眼で確認できて素晴らしい美仏だ。多摩美術大学の青木先生によると遣迎院の阿弥陀如来の納入品結縁交名からは壇之浦で滅亡した平家一門から重源、栄西、歌人の西行の名まであるという。快慶展では結縁交名の実物も見ることができた。快慶を巡るネットワークは信西の盟友平清盛の一門から西行まで実に幅広かったことが伺えることに驚く。仏像の彩色の素晴らしさに立ち尽くし、いつまでも見たかったが他の作品も気になるので次の展示に向かった。
2017年5月2日火曜日
快慶展①
本日、奈良国立博物館に快慶展を観賞しに出かけた。早朝にたち、奈良には9時半過ぎに着き奈良国に向かった。じっくり観賞するために音声ガイドを借り入場すると、いきなり醍醐寺三宝院弥勒菩薩が迫ってきた。ボストン美術館所蔵の弥勒菩薩が快慶の初作と言われているが、いきなり二作目で後白河院追善という大きい仕事を任されている不思議さを感じた。解説にもその点が書かれており、院ないし藤原一門に通じる血筋ではないかとしている。同じ部屋には私が舞鶴で見た金剛院の深沙大将と執金剛神が展示されており、こちらの方がよっぽど初作っぽい。いくつか気になった作品があったが既に見ている作品の良さを再発見したり、初めて見る作品の素晴らしさを理解するのに時間がかかったりあっという間11時を過ぎていた。詳しくは作品ごとに書くつもりだが、最後の部屋まで飽きさせない展示は学芸員の面目躍如というところだろう。心地よい疲れたを感じなら仏像館に向かった。
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