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2022年2月11日金曜日

特別展「聖徳太子日出づる処の天子」③(茨城善重寺聖徳太子孝養像)

 

私の太子像マイブームが始まったきっかけが令和元年秋に県立金沢文庫で開催された「聖徳太子信仰展」がきっかけだった。その後令和2年コロナ禍の中、尾道旅行を断行し、尾道の名刹を周り、いよいよ太子1400年御遠忌にあたる令和三年に東博の「聖徳太子と法隆寺」展を見てその年の11月から開催されたサントリー美術館の本展を今年の年末年始休み見に行った。茨城県善重寺の聖徳太子孝養像は令和元年「聖徳太子信仰展」で見たが本展でも展示されていた。截金が美しく胸の鴛鴦(おしどり)の丸文が印象的だった。善重寺は親鸞門下の寺であることから親鸞の太子信仰に関連した作と思われがちだが、鎌倉時代佐竹氏が中興した慈願寺より江戸時代徳川光圀にが移座したとのこと。そのため真言律宗の叡尊の弟子忍性が拠点とした常陸で製作された太子像であると仏の瀬谷さんが雑誌で答えていた。本展ではコラムも担当して叡尊・忍性の四天王寺別当就任なども紹介され叡尊の太子信仰活動が解りやすく解説され興味がもてた。太子イヤーは終わったが引き続き太子像は追いかけていきたいと思った。

2022年1月22日土曜日

特別展「聖徳太子日出づる処の天子」②(四天王寺聖徳太子童形半跏像)

「聖徳太子日出づる処の天子」展ではさまざまの時代のさまざまなお寺の太子像が見られるとのことで、サントリー美術館のFaceboookにアップされた写真をみて期待していた。入ってすぐに太子像が並んでおり太子像を通じて太子の一生をたどることができる。聖徳太子が二歳にして初めて合掌した南無太子像や病気の父用明天皇を気遣い孝養像、推古天皇のもと摂政として活躍したころの摂政像、聖徳太子が推古天皇や后たちに女性も成仏出来る事を説いた勝曼経講義像と初めて見る像が多く一気に引き込まれた。四天王寺聖徳太子童形半跏像は南北朝時代の作品で珍しい牀座に左足を踏み下げて座る半跏像だ。ヒノキの寄木造で厳しい表情の太子像の中で丸顔の愛らしい像だ。藤原頼長の書いた文献によると四天王寺には十六歳尊像があり童形であったことから、本像とみてよいだろう。在りし日の四天王寺には太子の本持仏である如意輪観音の横にこの童形の像があったとのこと。如意輪観音の姿は法隆寺如意輪観音でしのぶことができ、聖徳太子信仰の熱心な信者である皇族女性をうっとりさせるような空間だったと想像できる。下の聖徳太子本持仏の如意輪観音のコーナーも気になるので次の展示に向かった。


 

2022年1月8日土曜日

特別展「聖徳太子日出づる処の天子」①

 

1月3日の三箇日最終日に六本木のサントリー美術館に特別展「聖徳太子日出づる処の天子」を見に行った。千四百年御聖忌を飾る最後の展覧会で大阪からの巡回展示となる。会場に入るといきなり二歳像から摂政像までのさまざまな太子像が展示されていた。法隆寺にこだわった東博の太子像に比べ、大阪四天王寺、奈良、兵庫と鎌倉時代から桃山時代までの太子像が一同に見れる、太子像ファンにとってまたとない機会となった。太子伝来七種の宝物のひとつ「七星剣」は古代の刀を思わせる直刀だった。南無仏太子像に続き展覧会のメインビジュアルとなった太子の絵巻や金沢文庫でも出展された水戸の彩色文様が美しい孝養像が展示されていた。下のフロアに行くと聖徳太子の本持仏である如意輪観音がずらりと並び、最後に鎌倉殿の十三人安達一族をテーマにし金沢文庫で開催された展覧会に出展された宮城天王寺の1メートルの如意輪観音と四天王像は圧巻だった。年明け寒波の中、暖かい展覧会場で過ごす至福のひとときであった。大阪会場のみの展示品ものった図録とクリアファイルを購入し会場を後にした。