2024年2月23日金曜日

特別展「中尊寺金色堂」③(観音菩薩・勢至菩薩)


 阿弥陀如来が強烈な印象だったため現地で左右の観音菩薩・勢至菩薩を見ても何の印象もなっかた。U案内人も「ご本尊ばかり見てました。」とのこと。しかし図録で観音・勢至菩薩をみるとグッときた。特に観音様がいい。皆金色(かいこんじき)の定朝以降の仏像で「仏像のみかた」のミズノ先生によるとこの時代の仏像は「頬の張った丸顔で、まぶたやあごのふくらみにほのかな抑揚をもちながら顔全体はゆったりとした曲線で構成されています。そして、目・鼻・唇はみごとな均衡をたもって、やさしさにあふれた表情をあらわしています。」とのこと。まさに今東博に展示されている観音様がよく定朝様式・藤原風をあらわした仏像だ。勢至菩薩はクールな印象だが図録では「当代の一流仏師、とりわけ円勢周辺の仏師の手によるものと思われる」とのこと。平泉に奥州藤原氏の財力で花開いた仏教文化の重要な遺産だと思った。


2024年2月18日日曜日

特別展「中尊寺金色堂」②(阿弥陀如来)

 

             

NHKのCG8K映像を見た後、中央の展示スペースには多くの仏像が並んでいるのが見えた。U案内人から「どの仏像から見る?」と問われ私は迷わず「ご本尊から」と答えた。東博お得意の展示ケースで至距離で見る阿弥陀さんがすごかった。仏像の前面は多くの善男善女でごった返しいたから1089ブログにあった阿弥陀如来のパンチパーマのセンター分けともいうべき後頭部の螺髪に注目した。後頭部で螺髪を左右に振り分けるように逆V字形に刻む鎌倉時代に慶派仏師が行う技法が先進的に使われていた。何とか正面から見られたが思ったより肉付がよくむっちりした仏像だった。この仏像の先進性に初めに気づいたのはU案内人だった。「見る角度により仏像の表情が変わる」とつぶやいた。たしかにそのようの見えるよう計算しつくされた造形だ。のちにU案内人からメールで「この仏様集団は、形式美、様式美の芸術」という賛辞が送られてきた。会場では気付かなかったが、右肩にかかる袈裟を別材つくる運慶の円成寺大日如来で使われた技法の先駆けがここにあった。当時としては新たな造形や技法を用いているのは、奥州藤原氏がこうした新規性を受け入れられる素養があったからであろう。そのころ京都では定朝後継の仏師が院派・円派・奈良仏師と三派に分裂した時代。ここに平泉派ともいうべき仏師集団がいたという想像をするのも楽しい。阿弥陀様の造形に感度して他の展示品に向かった。

2024年2月10日土曜日

特別展「中尊寺金色堂」①


 本日、仏像クラブの面々と東京上野で開催されている特別展「中尊寺金色堂」を見に行った。先日NHKで紹介されたようで会場には多くの善男善女が詰めかけており、大混雑であった。会場に入ると大型ディスプレイに8KCG超繊細映像で金色堂の内部が映し出されており、改めて中尊寺金色堂を体感できるような仕掛けだ。鬱蒼とした森の中、覆堂に守られ900年という果てしない時を刻んできた金色堂。当初材の9割が現存している他に類を見ない。中央が仏像の展示スペースになっており、まずは阿弥陀如来を拝観した。東博お得意の展示ケースで至近距離で阿弥陀さんを拝観する。1089ブログに書いていたセンターわけを確認し360に鑑賞した。U案内人が角度により表情が変わると驚いていた。他に金光明最勝王経金字宝塔曼荼羅や金堂迦陵頻伽文華鬘なども見られ、展示品が少ない割にはじっくり鑑賞でき大満足の展覧会だった。展示品の詳細については後日また書くが、お昼まで時間が余ったので東博の他の展示を見たり外のイベントに寄ったりしながらいつもの和楽庵で大いに中尊寺金色堂の素晴らしさに大いに語り合った仏像クラブの面々だった。






2024年2月3日土曜日

みちのくいとしい仏たち⓸(宝積寺六観音)

 
会場の中ほどが「いのりのかたち宝積寺六観音像」のコウナーで展示品はこの六観音のみ。しかし横一列に自立している姿は印象的で江戸時代の儀軌にとらわれないおおらかな六観音だ。背中の墨書で尊名はわかるが、ここまでこだわりがない仏像は稀有だ。手が2本しかない千手観音や帽子を被った馬頭観音など実に自由だ。しかもこの表情ひとのよいおじさんたち総出演という感じだ。みちのくいとしい仏たち展の図録では仏像ひとつひとつの解説がされており、六体中もっとも凛々しいのが十一面観音とか菩薩より金剛童子や荒神像を思わせる准観音など仏像とみちのくの心に寄り添う解説となっている。今回の展覧会で印象に残った仏像たちだった。