2020年1月25日土曜日
2019年12月28日土曜日
宝積寺の閻魔大王と四眷属
宝積寺のこと初めて知ったのは京都のお寺と神社が掲載されている雑誌から であった。そこには閻魔大王と太山夫君・五道転輪王・司命・司録の写真が掲載されており圧倒的迫力で読者に迫ってくる感じだ。私はこの仏像が見たいと思い秋に計画したが、延暦寺の至宝展や六道珍皇寺など見どころ多く、京都のはずれの大山崎までの時間が取れなく断念していた。今年の秋は京都非公開文化財は絵画や工芸にスポットがあたっているため、懸案だった福田寺の龍神像と宝積寺を訪れる機会に恵まれた。宝積寺は明智と豊臣の天下分け目の天王山の中腹にあり急坂を登ってついた。受付で拝観料を払い御朱印をお願いしてから、まずは閻魔堂に入った。静寂の中に冥界の威風が沸き立つような迫力を感じた。特に前に座す司命・司録がよく司録の紙のたるみや司命が座す椅子を覆う毛皮など目を見張るディテールだ。目には水晶の目玉が光り細部の写実性が光る鎌倉前期の秀作であった。本堂の十一面観音を拝んだから御朱印をいただいてお寺をあとにした。
2019年12月21日土曜日
東大寺ミュージアムの千手観音
大急ぎで興福寺を回り、奈良で最後に訪れたのが東大寺ミュージアムだ。 その中心に置かれているのが、かつて四月堂という御堂に安置されていた千手観音だ。改めてミュージアムで見ると像高2メートル以上ある平安時代の仏像に圧倒された。千手観音の通例は42臂だが様々な持物をもつ脇手が合掌する本手と同じ大きさというところが、迫力の原因だろう。見仏記によるとみうらじゅん氏・いとうせいこう氏はかつての四月堂を訪れており、みうらじゅん氏が「蛇だ、白蛇だよ、手がしなっている」とささやいたことも、うなづける。脇侍はかつてミュージアムに安置され法華堂の修復が終わり戻った不空羂索観音の日光・月光菩薩菩薩だ。今は千手観音の脇侍を務めている。脇手の上を向いた手にかつて何か持物を持っていたはずだったが、前の写真を見ると日月をささげ持っていた。今回のミュージアム移転に伴い外されしまったが、かつての姿に戻ることを祈りつつほかの展示に向かった。
2019年12月6日金曜日
般若寺の八字文殊菩薩
今回の京都・奈良旅行で最後に決まったのが般若寺だ。秘仏開帳ページで興福寺の近くで開いているお寺を物色していたら般若寺の白鳳仏を見つけた。写真が仏像カレンダーでも掲載されており見仏記でみうらじゅん氏・いとうせいこう氏も訪問しているのでいい仏があるに違いないと確信して決めた。お寺に着くと住職が寺の歴史の説明をしており、聖武天皇の発願で平家物語や太平記の舞台になったことを懇切丁寧に語っていただいた。本尊は「八字文殊菩薩」で鎌倉時代に後醍醐天皇の発願で再建された。以前は丈六の文殊菩薩があったが焼失し厨子に祀られた文殊菩薩を本尊とした。「八字」の意味は見仏記によると童子顔な文殊菩薩の髷の数を意味しており普通は5つ、般若寺は8つあるからだ。善財童子らを従えて筋骨隆々した獅子の上に乗っている菩薩だが、髷が小さな女の子の髪で作るいわゆるオダンゴに見え、右手に持つ剣も短めで、一心に前を向いている健気な目をしている。コスモスが咲く庭に建つ十三重石塔から見つかった白鳳仏も気になるので、本堂をあとに宝蔵堂に向かった。
2019年12月1日日曜日
不空院の不空羂索観音
不空院のことを初めて知ったのは見仏記であった。みうらじゅん氏のイラス トも掲載されており、興福寺南円堂の雛形との説明があり気になっていた。一昨年の快慶展のおり、璉珹寺を訪れた際、不空院も訪れるよう勧められた。決定的になったのは今年の9月に購入したヤマケイミニカレンダー仏像の5月に不空院の不空羂索観音が載っておりこの秘仏開帳が行っている不空院に出かけた。中に入ると不空羂索観音の前にボランティアの方が待機しており、上品な年配のご婦人が不空院の歴史や不空羂索観音の説明をしてくれた。不空羂索観音は金の残り方も艶やかな八臂の座像で鎌倉時代の作。見仏記によるとここ不空院もLEDの照明が導入されたおり心なしか光に奥行きと優しさがあった。京都で消滅した絵葉書が売っていたので購入し御朱印をいただいて、興福寺を拝観するため、急ぎ奈良公園に戻った。
2019年11月16日土曜日
福田寺の龍神像
福田寺のことを知ったのは「TV見仏記」がはじめてだった。みうらじゅん 氏・いとうせいこう氏が福田寺を訪問しその異形な姿に恐れおののく映像が流れた。福田寺に電話予約をいれ、当日京都に着くと真っ直ぐに福田寺に向かった。今年の京都は午前中はマニアックな向日町福田寺と山崎宝積寺を訪問し午後は京都非公開文化財特別公開を巡る王道コースで計画した。お寺に着き呼び鈴を鳴らすと奥様らしき人がまず龍神堂を開けていただいた。ネットでは秘仏でご開帳日のみ拝観と書かれていたのだが、着いた早々開けていただきあの龍神とご対面した。元は雨乞いの儀式につかわれ、背景の屏風は稲穂と水が表されている。ひざまずくフンドシ姿の鬼で、お寺の奥さんの話によると手は後補であまりの不気味さに土に埋められたため、鼻は高く目玉だけ異様に飛び出している。みうらじゅん氏・いとうせいこう氏訪問の前はいきなり豪雨が降ったが、今日はかんかん照りのよい天気だった。本堂の仏像を見て、最後に龍神堂の写真を撮ろうとしたら、奥様のご厚意で龍神の写真を撮ってよいとのことで、2枚ほど写真に収め、早々にたたりが降りかかる前にお寺をあとにした。
2019年11月10日日曜日
南円堂不空羂索観音
今年京都奈良の旅を考えた訳は六年ぶりに興福寺の南円堂と北円堂が同時に 長期渡り御開帳されるということと中金堂が落慶されたためだ。特に南円堂ははじめて康慶の四天王が置かれるので期待していた。まずは南円堂に向かい不空羂索観音を拝観した。康慶が藤原冬嗣創建時の平安の古仏を真似て作ったと伝えられるのでよくできた三メートル以上の巨像だ。像高二メートルの四天王にぴったりだ。拝観時間は10分で済ませ急ぎ中金堂に向かった。
2019年11月9日土曜日
妙法院の阿弥陀如来
本日から京都奈良の仏像巡りをしている。午後は妙法院で令和元年の即位記念として貴重な宝物も「皇室と妙法院」と題して公開されており、この江戸時代即位の光格天皇勅巌の阿弥陀如来もその一つだ。像高104センチの金色の像で、衣には随所に菊の紋が施されている。この仏像が妙法院に安置された経緯は不明だが、光格天皇の実兄の法親王が門跡寺院妙法院の第38世門主で、妙法院が京都の芸術文化の中心となった時代だった。法親王は円山応挙など当代一流の画人、歌人、書家に学び、親しく交わった。仏像は写真で見るより上品で気品のある像だった。普段非公開の妙法院だが庫裏・大書院・宸殿も公開されており訪れて良かったと思った。
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