2022年1月29日土曜日

特別展「最澄と天台宗のすべて」⑤(真正極楽寺の阿弥陀如来)


 2019年秋の京都紅葉ライトアップの時、金戒光明寺の隣の真如堂(真正極楽寺)の近くの道を通ってバス停に向かった。真如堂は大きなお寺でライトアップを行っていなかったので暗くて寒い夜道を向かったことをよく覚えているが、まさかこのような素晴らしい仏像があるお寺だと思わなかった。最澄と天台宗のすべて展ではネット情報によると、9体の秘仏が展示されており、真正極楽寺の阿弥陀如来は年一度11月15日開帳の寺外初公開秘仏だとのこと。992年に真如堂の戒算上人が本堂を創建したころの製作とみられ、10世紀末の穏やかな顔つきの仏像だ。京都因幡堂・薬師像の姿とよく似ているといわれるが、その造形力ははるかにしのぐすばらしい仏像だ。シンプルながら面貌や肉付けなどの抑揚を抑えた表現がみごとだ。さきの法界寺薬師如来と同じ皿井学芸員考案の展示ケースに収まっており、近くですみずみまで鑑賞できた。こちらも同じく延暦寺根本中堂最澄自刻薬師如来像の一世紀前、平安前期の着衣表現が採用されているとのこと。展示期間も14日間と短かったため見逃したかたも多かったかもしれない。めったに見れない秘仏をみれて大満足な仏像クラブの面々であった。

2022年1月22日土曜日

特別展「聖徳太子日出づる処の天子」②(四天王寺聖徳太子童形半跏像)

「聖徳太子日出づる処の天子」展ではさまざまの時代のさまざまなお寺の太子像が見られるとのことで、サントリー美術館のFaceboookにアップされた写真をみて期待していた。入ってすぐに太子像が並んでおり太子像を通じて太子の一生をたどることができる。聖徳太子が二歳にして初めて合掌した南無太子像や病気の父用明天皇を気遣い孝養像、推古天皇のもと摂政として活躍したころの摂政像、聖徳太子が推古天皇や后たちに女性も成仏出来る事を説いた勝曼経講義像と初めて見る像が多く一気に引き込まれた。四天王寺聖徳太子童形半跏像は南北朝時代の作品で珍しい牀座に左足を踏み下げて座る半跏像だ。ヒノキの寄木造で厳しい表情の太子像の中で丸顔の愛らしい像だ。藤原頼長の書いた文献によると四天王寺には十六歳尊像があり童形であったことから、本像とみてよいだろう。在りし日の四天王寺には太子の本持仏である如意輪観音の横にこの童形の像があったとのこと。如意輪観音の姿は法隆寺如意輪観音でしのぶことができ、聖徳太子信仰の熱心な信者である皇族女性をうっとりさせるような空間だったと想像できる。下の聖徳太子本持仏の如意輪観音のコーナーも気になるので次の展示に向かった。


 

2022年1月15日土曜日

特別展「最澄と天台宗のすべて」④(寛永寺の薬師三尊)


 年末年始の私の過ごし方は除夜の鐘を宝冠阿弥陀で有名な鎌倉浄光明寺でつき、長谷寺に参拝して境内で甘酒をのむのが例年となっている。東博も2日から「博物館に初もうで」というイベントを行っていてその年の干支にちなんだ美術品が展示されている。参加した会社の後輩によると関連イベントとして東博の半券で普段入れない寛永寺根本中堂に入ったそうだ。大きな厨子と二十八部衆を見てきたようだが、その厨子に入っていたのが10月の「最澄と天台宗のすべて」展で展示された寛永寺の薬師三尊だろう。寛永寺は「東の比叡山」東叡山と呼ばれ江戸天台宗の中心だったが、本尊の薬師如来は滋賀石津寺から日光・月光菩薩は山寺として著名な立石寺からお出ましになったという。平安時代初期の一木造の薬師如来は比叡山根本中堂にある最澄自ら彫った薬師如来と同じ木で彫ったとの伝来があり、彩色を施さない素木像という雰囲気だ。日光月光はいかにも東北仏らしく吊り上がった目が特長だ。来年からは例年の行事に東博で初もうでを加えたいと思った。


2022年1月8日土曜日

特別展「聖徳太子日出づる処の天子」①

 

1月3日の三箇日最終日に六本木のサントリー美術館に特別展「聖徳太子日出づる処の天子」を見に行った。千四百年御聖忌を飾る最後の展覧会で大阪からの巡回展示となる。会場に入るといきなり二歳像から摂政像までのさまざまな太子像が展示されていた。法隆寺にこだわった東博の太子像に比べ、大阪四天王寺、奈良、兵庫と鎌倉時代から桃山時代までの太子像が一同に見れる、太子像ファンにとってまたとない機会となった。太子伝来七種の宝物のひとつ「七星剣」は古代の刀を思わせる直刀だった。南無仏太子像に続き展覧会のメインビジュアルとなった太子の絵巻や金沢文庫でも出展された水戸の彩色文様が美しい孝養像が展示されていた。下のフロアに行くと聖徳太子の本持仏である如意輪観音がずらりと並び、最後に鎌倉殿の十三人安達一族をテーマにし金沢文庫で開催された展覧会に出展された宮城天王寺の1メートルの如意輪観音と四天王像は圧巻だった。年明け寒波の中、暖かい展覧会場で過ごす至福のひとときであった。大阪会場のみの展示品ものった図録とクリアファイルを購入し会場を後にした。


2022年1月3日月曜日

京都・奈良2021⑤(薬師寺東塔の水煙)


 「すいえんのあまつおとめがころもでのひまにもすめるあきのそらかな」と会津八一が歌った薬師寺東塔の水煙が役割を終え塔からから降ろされ一般公開されているので、薬師寺に向かった。薬師寺で「東塔水煙降臨展」のチッケットを買って展示している食堂に向かった。切手にもなった横笛を吹く奏楽天人像はあまりにも有名だが、中央の飛天は腰を「く」の字に折り曲げた格好で、頭を下にして舞い降りてくる姿を表している。片手で両端を尖った船形の物を持っているが、この持物が散華するため花びらを盛るための皿(華籠)だという。両端がとがっていて皿に見えないが、この船形の華籠こそ、水煙が白鳳美術であることを雄弁に物語っている。華籠は飛天に広く見られる持物で法隆寺金堂の壁画にも見られる。金堂壁画が完成した時期が七世紀末から八世紀初頭と考えられるが水煙飛天の華籠はそれより古様な表現であると考えられる。その後の奈良正倉院が御物に見られる飛天は皿の上に花を盛っており、船形に表現され華籠は白鳳時代に流行した形式である。天平時代に建立された東塔に白鳳時代の水煙が掲げられているのは、藤原京の本薬師寺から移築されたか、藤原京時代の形式を踏襲したかはわからないが、きわめて興味深い事実だ。水煙飛天の華籠から薬師寺薬師三尊の鋳造時期にまで影響することの歴史の面白みを感じながら興福寺に向かった。