2021年1月23日土曜日
2021年1月3日日曜日
特別展「相模川流域のみほとけ」⑥(寒川安国寺の大日如来)
U案内人が注目した仏像にこの寒川安国寺の大日如来があった。近年、表面の漆地や面部が修理されているので見た目にはわからなかったがまぎれもなく平安時代後期の定朝様式の仏像だ。「ミズノ先生の仏像のみかた」によると、仏像は2種類にわけられ「虚の体型」「実の体型」があるという。天平時代の伝日光・月光や神護寺薬師如来に代表する平安時代前期の仏像は胸をぐっと張って堂々とした体になっておるのに対し平等院阿弥陀如来のように人間の理想の体型を追い求めた「虚の体型」となり、運慶が登場する鎌倉時代は「実の体型」にもどるという。本像は宝冠をかぶり胸前で智拳印を結んでいるが胸板は薄く定朝様式だということがわかる作品だ。U案内人がそこまで見抜いて注目の仏像にあげたかわからないが名仏師により製作された仏像であろう。
2020年12月12日土曜日
特別展「相模川流域のみほとけ」⑤(相模原普門寺の聖観音)
相模川流域のみほとけ展では住職でさえはっきり見たこともない、秘仏が展示されていた。相模原にある普門寺の聖観音もそのひとつで、いかにも秘仏らしい独特な雰囲気をもつ仏像だ。図録によると普門寺は愛甲郡にある古刹で天平年間に開創されたとのこと。本像は髪際高で三尺(104センチ余り)髻を結い、髪束を三段に表す珍しい表現だ。上半身に条帛と天衣、下半身に裙と腰布を着ける。腰をやや右にひねり、台座上に立つ。ヒノキの割矧造りとみられる。耳後ろから足に通じる線で前後に内刳りのうえ割首する。髪の毛筋彫りや薄い衣文線は丁寧に彫られ、顔が小さくプロポーションが整っており、平安時代後期の定朝様式を示すとのこと。数少ない定朝様式の仏像が実家の近くの町にあるとは驚かされる。海老名の龍峰寺を皮切りに相模川流域のみほとけを訪ねてみたいと思った。
2020年11月28日土曜日
特別展「相模川流域のみほとけ」④(平塚・宝積院の薬師如来)
特別展「相模川流域のみほとけ」も明日で会期終了となるが、今回ご紹介するのは平塚・宝積院の薬師如来像だ。宝積院のご住職がニュースでいっていたが、こんな感染症蔓延の時代だから宝積院の薬師如来の写真を使ってほしいとのことで、博物館側もポスターや図録の表紙に使っている。第二章鎌倉時代の仏像のコーナーに150センチ余りの薬師如来像が展示されていた。図録によると平塚の鎮守梵天社の本地仏で内衣・衲衣・裙をつけ、両手を曲げて左手に薬壺を腕前にかかげ、右手は五指をのばして左手に添える。直立して蓮華座に立つ。寄木造りで頭部と体部ともに四材を田の字型に剥ぎ、内刳りを施し玉眼を嵌入する。表面に漆を施し金箔をはる。一般的な薬師如来は左手に薬壺をもち、右手で施無畏印とするが、本像は左手に薬壺を持ち、左手に添える形は2011年に東博開催「空海と密教美術展」で見た大阪獅子窟寺の薬師如来や滋賀西教寺薬師如来にあり、切れ長の眼は鎌倉浄光明寺の観音・勢至菩薩に通ずるところがある。これらは善派系統の仏師により造られたことが指摘されていることから、本像もその一群に加えられるとの神野学芸員の解説だった。会場では分からなかったが鎌倉や関西で見た仏像と平塚の仏像が一脈通ずることは「目に鱗」だった。明日まで開催中なのでまだの方はぜひ見てほしい。
2020年10月25日日曜日
特別展「相模川流域のみほとけ」③(国分寺の不動明王)
相模川流域のみほとけ展は昭和44年から平成までの長年にわたる仏像調査の結果発見された平安から鎌倉時代の仏像の展覧会で神奈川歴博だから実現できた展覧会だった。ここで紹介する国分寺不動明王も30センチ余りの小像でいかにも寺の厨子に隠されていた仏像という雰囲気だ。ガラスケースに納められて肉眼では分かりにくいが確かに玉眼を嵌入し、図録によると顔の筋肉の凹凸は立体的であり、引き締まった体つきは鎌倉時代の様式が感じられる。構造は割矧ぎ造りで内刳りは丁寧に深く彫られている。別冊太陽運慶に写真が掲載された京都北向山不動院不動明王に作風が似ており、奈良仏師康助が造像し海老名の国分寺に送られたものとも考えれられる。康助と言えば奈良仏師の後継を康慶に指名した話は有名で、このような写実的な表現を定朝風に取り入れたさきがけの仏師だ。運慶の素地はこのようなところから生まれたと考えさせられる不動明王だった。
2020年10月17日土曜日
特別展「相模川流域のみほとけ」②龍峰寺千手観音
海老名市にある龍峰寺は毎年元旦と3月17日に御開帳があるが仏像クラブで日程があわず行けずじまいになっていた。神奈川県立歴史博物館で開催された「相模川流域のみほとけ」展で初めて展示されることとなり、U案内人と出かけた。神野学芸員が言っていた翻羽式衣文が裙(くん)に表されていた。清水式千手観音で像高は頭上の手まで含めると193センチと2メートル近い巨像だ。目には玉眼が嵌入されていてそのことから鎌倉時代に古像を模刻されたと評価されていた。構造はカヤ材を用いた一木造りで、伝説では坂上田村麻呂の協力した清水寺の千手観音と同時につくられ鎌倉時代に源頼朝によって発見されて堂宇に収められたとなっているが、あえて奈良時代と断言した神野学芸員の主張がよく理解できなかった。この件につては「ほとけの瀬谷さん」が「運慶と鎌倉仏像」ですんなり答えてくれた。「本像は国分寺ゆかりの古代の観音像を中世に清水式に改めた可能性がある」とのこと。短い文で端的に説明した瀬谷さんにさすが運慶の第一人者を感じた。県立の金沢文庫と歴博で多くの仏像展が開催されることを期待している。
2020年10月11日日曜日
特別展「相模川流域のみほとけ」①
本日荒天の中、神奈川県立歴史博物館に特別展「相模川流域のみほとけ」を見にいった。一緒に行ったU案内人のとの事前打ち合わせで学芸員の講演が毎週土曜日にあり、その時間に合せていくこととなった。地下の講堂に行くとU案内人は先に来て展覧会を見てから来たとのこと。学芸員は神野ノートで「浄瑠璃寺十二神将」が運慶作と提唱した神野学芸員だった。U案内人の話では会場に山本勉先生も来ていたとのこと。講演では相模川流域が鎌倉以前は相模国の中心であったことや、今回多くの秘仏をお寺のご厚意でお出ましいただいたこと。また感染症収束祈願として薬師如来を図録表紙やポスターに使用したことなどがスライドで語られていた。神野学芸員らしいと思ったのが海老名の龍峰寺千手観音の製作年代を奈良時代から鎌倉時代と特定されていないのにあえて奈良時代との発言があったところだろうか。講演が終わり会場に入ると真っ先に展示されていたのが龍峰寺の千手観音だった典型的な清水寺式千手観音だ。2メートル近い巨像で見ごたえ十分であった。寒川の大日如来の宝冠が展示されていないことにU案内人がくやしがったり、茅ケ崎の善光寺式阿弥陀三尊で広島でみれなかったチャングムの誓いの梵篋印(ぼんきょういん)に興奮したりと十分に二人とも楽しめた内容だった。帰りに馬車道通りのスタバでこの展覧会の感想や来週U案内人が会津に行くというので会津ころり三観音の話で大いに盛り上がった二人であった。
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