2023年7月30日日曜日

特別展 『聖地 南山城』②(和束町薬師寺薬師如来)

展覧会冒頭に展示していたのがこの和束町薬師寺の薬師如来と蟹満寺阿弥陀如来だ。この二つはよく似ているということで並べて展示された。広い肩幅に膝張りが大きく上半身が短く量感ある体躯、胸や腹などの肉身部や、丸みのある細かな衣文表現、左足を上にして結跏趺坐し、両足先を着衣で覆う着衣形式などが似ているというが、奈良時代後期の乾漆像を思わせる肉身部や衣文の柔らかい質感表現は和束町薬師が勝っていると感じた。シャープな顔つきや大きな胸の張りからネットでは渡来仏工の作などと騒がれているが、解説には書かれてないが、ミズノ先生が言っている涼州式偏袒右肩は奈良薬師寺の薬師如来のころから日本に定着しており、和束町薬師寺も奈良薬師寺薬師如来を参考にして造られた仏像ではないか。南山城は京都といってもむしろ奈良とのつながりがあることを物語る仏像だった。

 

2023年7月22日土曜日

宝山寺の不動明王

 

宝山寺は生駒山の中腹にあるお寺で江戸時代の僧で仏師の湛海が村人の寄進により再興したお寺だ。当初は般若窟に弥勒菩薩を安置し本堂を建てて自作の不動明王を、聖天堂を建てて自作の聖天像を安置した。日本初の大正時代に開業したケーブルに乗り生駒山中腹の宝山寺に向かう。門前町の坂を上り灯篭のある参道を上ると鳥居がありここが神仏混交のお寺だとわかる。お寺に着くと早速御朱印をいただくと今日は聖天童内陣の拝観可能とのこと。まずは本堂の不動明王・矜羯羅童子・制吨迦童子、薬厠抳、蓮華吉祥天女が薄暗がりの中だんだん目が慣れ浮かび上がってきた。聖天堂内陣では湛海作厨子入り五大明王が高さ80センチの木箱にところせましと祀られていた。中央の不動明王は17.9センチ前方に大威徳明王、降三世明王、後方に金剛夜叉明王、軍荼利明王が安置されこちらは明るいところでよく参拝できた。本堂、聖天堂は祈りの空間で熱心にお経を唱える善男善女の姿が見られた。35度以上の気温の中参拝してよかったと思った。ケーブルで近鉄の生駒駅に向かい奈良に向かった。

2023年7月17日月曜日

特別展『聖地南山城』①


本日、奈良国立博物館に特別展『聖地南山城』を見に奈良に行った。展覧会を見る前にお寺に寄るのが通例となっているが、今回は生駒の宝山寺に向かった。35度以上の猛暑の中、宝山寺についた。聖天堂特別拝観とのことで本堂の不動明王と聖天堂の厨子入り五大明王を拝観した。奈良に向かい昼食後、猛暑の中奈良国立博物館に向かった。期待していた浄瑠璃寺薬師如来と十二神将はたいしたことなかったが禅定寺十一面観音の大きさには圧倒された。何年もかけて南山城を巡っきたので、懐かしさも覚えた。図録とクリアファイル及びみうらじゅんいとうせいこう制作の謎のグッズを購入して奈良を後にした。

2023年7月15日土曜日

特別展「東福寺」⑨南明院釈迦如来(光背化仏)

 

やはり最後は明治に焼した7.5メートルの釈迦如来像の話題で締めたい。7.5メートルの釈迦如来の光背には536体ものほぼ等身大の化仏がついていたと記録にありこの東福寺塔頭南明院に残されている確かに奥行きの幅が少しで頭・背中が平板なつくりとなっており、化仏という伝承もうなづける。2002年から当時の文化庁根立研介氏(現京大教授)の調査で明らかになったようだ。根立氏によると現在表面の金泥が塗り直され、両手先なども新たに補われるなど丹念な修理が施されたため、構造の把握が完全にはできなくなっているいるものの、頭部が両耳輪辺りで前後に材をつむいでいることは確認できるとのこと。焼失前に7.5メートルの釈迦如来を見たかったと思いつのる展示品だった。

2023年7月8日土曜日

特別展「東福寺」⑥(東福寺の多聞天)

 

特別展「東福寺」は絵画や書が展示の大半を占めたため、最初は興味がなかったが、東福寺四天王多聞天が出展されるため、急遽行くこととした。運慶展で出展されていたが、今度は露出展示でより近くから拝観することができた。京博主催の展覧会ではよく行われるが、作品保護のため兜を外しての展示だったのが、邪鬼を二匹踏みつけ周囲を威嚇する表情ながら、どこかしら可愛らしく女性好みの仏像になっていた。本尊と同じく三聖寺にあった像を昭和初期に移動したようだ。製作年代は他の四天王と異なり鎌倉初期。像高100センチ余りの小像ながら裙の裏側などに群青色の彩色が良く残っている。鎌倉時代の彩色の決まりに沿って「紺丹緑紫」が使われている。願成就院の運慶毘沙門天の作風に似た腕を水平に挙げる表現があるが、運慶作品とはなかなかいかないようである。同じ小像の運慶作品には高野山金剛峰寺があるが運慶が関与した矜羯羅・制吨迦童子ではなく、恵喜童子や清浄比丘など近い作風となっていることや金泥塗の技法が運慶の時代より新しい技法のため山本勉先生も運慶作品と認めなかったとのこと。それでもすばらしい仏像であるには違いない。まだどこかに運慶仏があることを信じて会場を後にした。



2023年7月2日日曜日

特別展「東福寺」⑤(三聖寺釈迦如来)


 会期終了した特別展「東福寺」には出展されなかったが、東福寺の明治14年の火災で焼けた7.5メートルの釈迦如来像の代わりに法堂本尊となったのが三聖寺釈迦如来だ。展示写真や東福寺法堂の壇上では分かりにくいが、像高は260センチ余りの半丈六の仏像だ。写真の通り白毫相を表し、眉は曲線を描き切れ長の目、鼻は太く、顎の盛り上がりを明確にし、口ひげを表す。天衣は通肩に着け、僧祇支・衲衣・裙をつける。僧祇支はミズノ先生の仏像のみかたによるともともとは尼が胸を隠すためにきたものとのこと。印相は右腕で施無畏印を結び、左腕を下げて与願印を結ぶ。東福寺の記録によると明治の火災の翌日選仏場に万寿寺から運ばれたとあるが、万寿寺の本尊ではなく、明治に合併した三聖寺本尊にあたるとのこと。製作年代だが東福寺近くの泉涌寺塔頭戒光寺の釈迦如来に類似しているとのことから戒光寺と三聖寺が交流があった鎌倉時代後期の宗風盛んなときに生れたとのこと。またの機会の東福寺法堂公開時に釈迦如来を拝観したいと思った。