2024年4月30日火曜日

特別展「法然と極楽浄土」①

 

昨日、U案内人と東京上野で東博開催の特別展「法然と極楽浄土」を見に行った。御徒町の「とんかつ山家(ヤマベ)」で腹ごしらえをして季節外れの猛暑の中、東博に向かった。本展は鎌倉仏教の一大宗派・浄土宗の歴史を通覧する史上初の展覧会とのこと。事前に雑誌で予備知識を入れてから仏教に詳しいU案内人の説明を聞きでかけた。第1章「法然とその時代」では法然の著作と教えが書かれた「選択本願念仏集」や法然の生涯を表した「法然上人絵伝」が展示されていた。また當麻寺所蔵の「法然上人座像」も展示されており生前のリアルな上人の面影がわかりよかった。第2「章「阿弥陀仏の世界」では法然の誕生の地に立つ岡山誕生寺の地蔵菩薩や国宝「阿弥陀如来来迎図」(早来迎)などが展示され、第三章「法然の弟子たちと法脈」では當麻曼荼羅や弟子の像が第四章「江戸時代の浄土宗」では増上寺の五百羅漢図や知恩院の八天像が展示されていた。私的に一番興味があったのが、香川法然寺の涅槃群像で釈迦入滅の場面を描いた群像彫刻だ。写真撮影もできたので一番弟子阿難が倒れ込む様や動物まで泣いている様を夢中で撮影した。2時間近く拝観し「令和六年国宝・重要文化財展」の会場に向かった。



2024年4月21日日曜日

みちのくいとしい仏たち⑦(青森県今別町本覚寺多聞天)


 この作品をみたときどのような風景のから生まれたか想像できなかったが、「津軽海峡冬景色」で歌われる「竜飛岬」近くの漁師町との解説に合点した。お寺の目の前が津軽海峡という本覚寺境内の多聞天堂に寛政二年(1790年)からご神体としてまつられてきた像。今も年に1度漁師たちがそろって祈祷におとずれる多聞天は御簾のかげに秘せられきたため当初の彩色がよく残る。寺伝の「多聞天像」は持物や形姿からみて正しいが、背後に大きな竜を背負い、顔は閻魔、さらに胸の宝珠は大黒手には多聞天お決まりの宝塔を持つ。漁師の願いが一つに結実した結果で、民間仏とはそういうものだろう。竜の造作がみごとなことから像すべてを船大工又は宮大工の手によるものであろう。民間仏のおもしろさがわかる印象に残る作品だった。

2024年4月14日日曜日

みちのくいとしい仏たち⑥(青森県五戸町毘沙門天像)

 

この展覧会コンセプトは民間仏の紹介だが、青森県五戸町に伝わる毘沙門天像はいかにも名もなき僧や職人によって造られた、遊び心満載の仏像だ。大きな兜と大きな兜と重そうな衣装をまとい、型抜きの枠の中に造形毘沙門天の姿は玩具のようにさえ見える。帯を締めた獅子がみは獅子でなく鬼の顔になっていて、足元に踏みつけられながら笑っているような邪鬼の顔に繰り返されている。青森県南部地方に残る民間仏の中でも出色の像である。東京ステーションギャラリーの学芸員はその邪鬼の表情に注目して「仏教図像よりも土地の共通理解が優先された見本といえ、踏んづけられた邪鬼さえかわいさ満点です」とのこと。雪国の厳しい自然環境の中ユーモラスをもって人々に寄り添う仏像の姿であろう。

2024年4月7日日曜日

みちのくいとしい仏たち⑤(青森恵光院の女神像)

 

2015年に東博で「みちのくの仏像」が開催され2008年の夏から東北の仏像巡りをして来た私には再会した仏像や初めて見る仏像に出会ったいい展覧会だった。その会場の片隅に置かれていたのが、この青森恵光院の女神像だった。東博の図録解説によると「青森県三戸郡の南部町にある恵光院はもと長谷寺といわれ、霊峰・名久井岳の麓に位置しています。秘仏として尊ばれている十一面観音菩薩像は県下で屈指の古像として知られますが、ともに伝わった女神像は最近の調査で見いだされたものです。女神像は、頭からすっぽりと衣をかぶって座り、腕前であわせた両手を衣に包んでみせないため、全体のずんぐりとしたシルエットが際立ちます。衣からのぞく顔は、のびやかな円を描く眉に、目尻を下げた優しいまなざし、厚い唇とゆたかな肉づきの頬が印象的で、東北にに根差した母なる大地の神にふさわしい姿です。」とのこと。この女神像は古像だが、内繰りを施していないと思われたが背面に亀裂を施して正面の干割れを防いだという製作技法にまで触れている。本展の図録では「ふっくらした身体に大らかであたたかい表情は、幸福に包まれることを願った表れです。」と女神像とそれを祈った人々の思いに言及し「くらしに寄り添う仏像」というコンセプトで解説しており味わい深いものとなっている。いつか青森を訪ねることがあったら、恵光院を訪ねたいと思った。