2025年6月27日金曜日
2025年6月21日土曜日
奈良・大阪・京都仏像の旅⑥(金戒光明寺の吉備観音)
大阪から京都に着き新京極の「京極かねよ」きんし丼をいただき、新京極の洛陽三十三所観音霊場を巡ったら3時すぎており、予定を変更して京都非公開文化財特別公開であり洛陽三十三所観音霊場でもある岡崎の北部、左京区岡崎黒谷町にある金戒光明寺に向かった。京都人には親しみを込めて「黒谷さん」と呼ばれる金戒光明寺は北部に天台宗の名刹、真正極楽寺(真如堂)に隣接する広大な寺域で幕末将軍より京都守護職を任命された松平容保公以下会津藩士千余名や新撰組の本陣にになるような立派なお寺で今回公開されている山門も知恩院と同様楼上が公開されており宝冠釈迦如来像と文殊・普賢・十六羅漢左右に八体ずつ安置され天井画は蟠竜図が画かれていた。次に洛陽三十三所観音霊場の本堂脇に鎮座する吉備観音を拝観した。この吉備観音の由来は遣唐使の吉備真備が帰国の際、船が遭難しそうになり観音を唱えて難を免れたため唐から持ち帰った香木で観音菩薩観音菩薩を作ったという言い伝えにより吉備観音と呼ばれている。お馴染みの石仏、五劫思惟阿弥陀如来を拝観したころには四時が過ぎており、京で開催されている新指定国宝重文展に向かった。
2025年6月7日土曜日
奈良・大阪・京都仏像の旅⑤(安楽寿院の阿弥陀如来)
13年ぶりに鳥羽の地に降り立った。13年前の秋に京都非公開文化財特別公開が行われ京都に着き真っ先に向かったのが安楽寿院だった。ここは鳥羽上皇終焉の地で広大な鳥羽離宮があったところだ。その中心がこの安楽寿院だ。13年前の記憶をたどりながら寺院についた。お目当ての阿弥陀如来は外の収蔵庫にあった。記録によると鳥羽上皇が祀られている三重塔で供養当日から法華三昧を行われた。阿弥陀を本尊に据えて、法華三昧を行うという、「法華経」による減罪を経ての極楽往生祈願がみられる。定印を結ぶ等身の座像、檜材製で漆箔を施す。光背の身光圏帯内区や光脚、台座の蓮弁の一部、上敷茄子・華盤・下反花などが当初で、華麗な浮き彫り文様が施されて美しい。仏師は円派の長円・円信・賢円かさだかでないが、当代正系仏師の定朝様踏襲と装飾への意欲を示す典型的作例であり、その由緒とも併せてもっとも院政期的一作と見なされる。外に出たらいい天気で新緑に映える三重塔(今は多宝塔)が美しかった。恋多き鳥羽上皇に思いをはせて北向山不動院に向かった。
2025年5月4日日曜日
奈良大阪京都仏像の旅③(北向山不動院の不動明王)
本日最終日竹田から安楽寿院に12年ぶりに参拝し、初公開の鳥羽天皇勅願所北向山不動院に向かった。12世紀このあたりに東西約1.7km、南北約1.1kmの、わが国最大規模の広大な鳥羽離宮があり梅の名所城南宮もその敷地で鳥羽天皇稜南端に北向山不動院があったとのこと。奈良仏師康助の現存する唯一の不動明王が公開されるので期待していた。そこには明らかに玉眼の不動明王が祀られていたのには驚いた。鳥羽上皇の命でわざと北向きに祀られていたが、平安時代の後期、玉眼の初期の例としては特筆に値する仏像だろう。山本館長も「12世紀半ばの作だというのに、鎌倉彫刻を先取りしたような斬新な作風が見られる」と紹介している。康助は孫ではなく弟子の康慶を後継者に指名し慶派創設の立役者となったことで知られいる。玉眼は運慶だけの専売特許のように思われがちだが、康助、康慶と引き継がれたものということがわかる不動明王だった。次の非公開文化財特別公開場所の中書島に向かった。
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