2015年7月11日土曜日
2015年6月27日土曜日
九州仏⑦大楽寺の弥勒仏及び両菩薩
龍岩寺を後にして、次に向ったのが宇佐の大楽寺だ。以前BS11で「国東半島 千年ロマン〜悠久の仏たち〜」という番組を見て、すっかり虜になったお寺のひとつだ。ちょうどお寺の行事の準備の最中だった御住職が収蔵庫の扉を開けていただいた。中には降魔印の130センチ強の弥勒仏と「九州仏」展にも展示された両菩薩。そのまわりを四天王が固め。いずれも平安時代後期の仏像だ。宇佐八幡宮の廃仏毀釈のあおりをうけて多くの仏像が保存状態が悪いのが宇佐の仏像の現状だ。しかしこのお寺は修復がすばらしかったのか、保存状態がよかった。脇侍の菩薩立像は左右対象でバランスがよい。富貴寺や真木大堂と同じく宇佐を代表する仏像のひとつだ。住職が席をはずしてからもじっくりと鑑賞し住職に礼を言ってその場をあとにした。
2015年6月13日土曜日
九州仏⑥大悲王院の千手観音
浮嶽神社を参拝したあと、タクシーで大悲王院千如寺に向った。お寺につくと若 い僧が応対してくれて、参拝者がくるたびに厨子の扉を開けて御開帳をしていただける。厨子の中には高さ5メートルの千手観音観音が祀られていた。後で「芸術新潮」を見て知ったのだが、この仏像も大仏師西村公朝氏による修理が施されている。修理を終えて立てかけようとした矢先、厨子の金具がはずれ落ちてきた角材を合掌する中指で飛ばし、村人たちを守った観音様の奇跡がおこったことが記載されていた。室町時代の作だが、たしかに修理後のきれいに整っている仏像との印象を持った。西村公朝によると事故の際、修理前に魂抜きをした仏様が危険をみて、仏のほうからこの木像に飛び込んでくれたのだろうかと著作のなかで記載してあるとのこと。この話を事前に知っていれば、どいだけ感動したことだろうかとあとで思った。拝観を終えて博多に帰るためタクシーに乗り込んだ。
2015年5月31日日曜日
九州仏⑤無動寺の仏像郡
国東半島を巡っているタクシーの運転手よりいい仏像があるお寺があると言わ れ急遽「無動寺」に向った。お寺に到着したが不在で連絡がとれない。これはダメかと思われたとき、福耳の男性がお寺のご親類とのことで連絡をとってくれた。地獄に仏とはこのことだ。昼食後再度お寺に向った。本堂内に入ると本尊の不動明王坐像をはじめ十六体の仏像郡が処狭しと安置されていた。ここ無動寺は六郷満山の中山本寺で、盛時には末寺十二坊をかかえ、つねに多くの僧が修行に励んだといわれる天台の名刹であった。中央の不動明王坐像は像高115センチの平安時代の一木造。火炎光背には迦楼羅炎(かるらえん)の浮彫も見える。脇侍は二童子で赤い制叱迦(せいたか)童子と白い矜羯羅(こんがら)童子。共に江戸期の補作だがよく本尊とマッチしている。元ご本尊と伝わる薬師如来坐像は像高155センチの平安仏。いいお顔をしており十二神将を従えている。1番大きい像高178センチの大日如来坐像や伝弥勒仏と伝わる像高135センチの平安仏が圧倒的な迫力で私に迫ってきた。近くで見てよいとのことで内々陣にあがる作法を学び、右足からなかに入った。その後先ほどの福耳の男性との仏像談義となりおだやかな時間をすごした。よく出来たA4の絵葉書を購入しお寺を後にした。
2015年5月16日土曜日
九州仏④観世音寺の兜跋毘沙門天
宇佐の仏像を見て、昼食後特急で博多に向かい、西鉄で大宰府の手前の駅で おり、観世音寺に向う。隣の戒檀院の仏像を窓越しに見て、観世音寺の宝物館に向った。観世音寺は若いころ一度訪れているので、今回はじっくり見ようと思った。事前に「福岡の仏像」という本を買い込み、現地で解説を読みながら拝観した。やはり気になっていたのが「兜跋毘沙門天」だ。U案内人が昨年行った「九州仏展」のチラシに大きく取り上げられてており、その造形のすばらしさに虜にになった。観世音寺の巨大仏のなかで、ニメートルとみたない仏像だが、非常に洗練された技術で作られており、彫刻としてだけでも、うなりながら見ざるを得ない迫力がある。平安時代前期の作で、お馴染みの地天女が両手で足元をささえている。見仏記によると「その女性は波の中から上半身を出していた」と書かれていたが、そのようにも見えた。今回の兜跋毘沙門天は今回旅行を思い起こさせた仏像のひとつだ。満足して観世音寺をあとにした。
2015年4月22日水曜日
九州仏③浮嶽(うきたけ)神社
私が九州仏探訪のきっかけとなったのが、井上正氏の『続・古佛』という本に出会ったからだ。サイトで紹介されて知ったのだが、たまたま近くの本屋にあり購入した。浮嶽神社の欄には白黒だが、仏像の写真があり神像のような雰囲気の像だった。その後九州仏展の図録や実際に現地に行って来た人のブログを見て実際に会いたいと思っていた。神社に予約して収蔵庫を開けてもらった。立像の菩薩と地蔵尊、座像の伝薬師如来と阿弥陀仏があり、圧倒的迫力で迫ってくる。右端の如来立像は「続・古佛」によると頭部が小さく、腰以下を長く設定した異常なプロポーションで、唐招提寺木彫像や元興寺薬師如来などにみられる典型的な奈良式のプロポーションに属するとある。このことから著者の井上氏は製作年代を八世紀とみている。地蔵の袖口は、大きな口をあけて風をはらむかのようである。如来坐像は左側面から背面にかけての衣文はダイナッミックな動きを見せる。ここ九州で1番大陸の風を感じた仏像郡だ。じっくりと拝観し次のお寺に向かった。
2015年4月21日火曜日
九州仏②龍岩寺
今日の午前中は大分の宇佐を中心に回った。最初に訪れた龍岩寺は十代のこ ろ一度訪れたお寺だが、その時の印象が強烈でいまでも覚えている。朝一番でタクシーで向かい山中にある奥院礼堂を目指して、急な山道を登って行くこと10分、木々の間に岩に張り付いた奥院礼堂が見えた。喜びいさんで中に入ったが、中は以前より暗かったが、意外なことに、仏像の座るあたりは明るかった。昨日の大雨で外陣の窓を締め切っていたためだ。格子越しに内陣を覗いて息を飲んだ。三体の巨像が白い体躯から淡い光を放って鎮座している。向かって右から薬師・阿弥陀・不動の三体でどれも三メートル弱の坐像で、しかも簡素な木彫りである。螺髪の表現のない頭はこけし状になっており、彩色もなく彫りの浅い三体はまるで神像のようだ。神仏習合の宇佐にふさわしい仏像だ。三体の目の表現もシンプルながら巧みで、中央の阿弥陀は上まぶたのみが彫りだされ、いわばその影が思索にふけるような半眼に見える。思い切って訪ねてよかったと思った。立ち去りがたい気持ちのまま、宇佐の次のお寺に向かった。
2015年4月20日月曜日
九州仏①真木大堂
本日より九州仏鑑賞の旅に出かけている。きっかけは、昨年U案内人が買って来てくれた九州仏展の図録を見てからだ。本日は仏像の宝庫、国東半島にあるお寺を巡った。午前中に二箇所午後に二箇所周り、最後に真木大堂にたどり着いた。中に入ると中央に阿弥陀仏と四天王。隣は大威徳明王と不動明王と二童子がいらした。阿弥陀如来は指先と耳に若干の金が残る他は、その肌は漆黒に染まっている。四天王はみな一様に外側に開いた格好で置かれ、本尊を守っている。大威徳明王の色の剥げた顔は紫に近い色に染まり、牙をむいている。帰宅して見仏記を読み直してみると、みうらじゅん氏が700年前に火災で燃える前は五大明王全部そろった立体マンダラ状態だったのではないかと発言している。たしかにうなずける。不動明王は二童子を従え、後補の迦楼羅炎(かるらえん)に守られて立っている。大威徳・不動どちらも日本最大の木彫仏との事。ガラスごしながら充分の迫力で迫って来た。明日は宇佐を周り、午後から日本最大の馬頭観音に会いに観世音寺に向かう予定だ。
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