2026年9月5日土曜日
2026年5月7日木曜日
奈良京都2026初夏(再会した弥勒仏)
今年のゴールデンウィークが終了した翌日(5月7日)に、いつもの通り奈良京都へ出かけた。今年は奈良で「特別展神仏の山吉野・大峯」が開催され、京都では非公開文化財特別公開と龍谷ミュージアム「真如堂の名宝」京博「特別展北野天神」京都文化博物館「令和8年新指定国宝重文展」を見る為のスケジュールを組んだ。奈良博に行く前にお寺へ寄ることが、例年行っており、今年は大和高田の弥勒寺に予約して出かけた。以前奈良博に短期展示した弥勒寺の弥勒仏を偶然拝観したが、たまたま弥勒寺のHPを見つ再会に出かけた。タクシーでお寺に着くとご住職と奥様がお待ちのようで、再会に駆けつけたことをいたく感動されたご様子だった。半丈六の弥勒仏は背無為与願印で広葉樹の一木造。住職の説明だとかなり大きな御神木ではなかったかとのこと。背板や内ぐりから平安中期の作風が顕著。珍しいのは耳タブが網目状に表されている点だ。住職によると中村元氏が兜率天の住む山を表しているとのこと。住職の説明が長くなりそうなので、御朱印の話をし、書置きを頂きお寺を後にした。急ぎ奈良に戻り昼食後特別展神仏の山吉野大峯に向かった。
2026年4月29日水曜日
准秩父三十四札所観音霊場(清林寺聖観音)
2026年午年、今年は御開帳が多い。3月に板東三十三所観音霊場の一番札所杉本寺に仏像クラブで参拝したが秩父三十四札所観音霊場や先週の準西国稲毛三十三所観音霊場。本日は准秩父三十四札所観音霊場の内32大善寺33龍福寺34清林寺を巡った。今月30日で終了してしまう御開帳期間であったため、計画していたとき、2021年に横浜歴博で開催された清林寺聖観音が御開帳されていることがわかり、本日(28日)に横浜地下鉄センター南駅から清林寺を目指していったがかなり距離があり、札所の紅い旗がたっていた大善寺にお参りしてから清林寺に向かった。若い僧と案内のご婦人がいらしたので書き置きの御朱印を戴き本尊聖観音に参拝した。『横浜の仏像』図録解説の山本勉先生によると菩薩立像(伝聖観音)は像高98センチ平安時代末期の仏像で伝恵心僧都の作で元禄時代の創建の清林寺の以前の伝来は不明。垂髪を結い、上半身に条帛・天衣を懸け、下半身は裙・腰布を着ける菩薩形像である。左手は屈臂し、右手は垂下して、腰をわずかに左にひねって立っている。内刳を施すが、左側頭部、左腕、右手先、両足首先などは後補である。平明な表情の面相や、ゆったりした肉どりの体躯、また静謐な立ち姿などに、いわゆる定朝様の特色を示し、平安時代後期、十二世紀の製作と考えられる。(中略)いま独尊の聖観音とされているが本来は三尊像の脇侍像の一つとして製作されたものであったかと思われる。平安時代に三尊像を安置する寺院があったことを推察される貴重な遺品であるとのこと。龍福寺の古そうな十一面観音立像を参拝して東急バスで綱島に出て帰路についた。
2026年4月23日木曜日
準西国稲毛三十三所観音霊場(能満寺聖観音)
本日(4月23日)午前中に準西国稲毛三十三所観音霊場の御開帳が行われている、川崎市高津区の十六番札所能満寺に参拝に行った。こちらは以前川崎市指定文化財公開で一度仏像クラブで出かけたが、今回12年に一度の準西国稲毛三十三所観音霊場御開帳寺院になっているのをHPでみつけ参拝してみようとおもった。この聖観音は本堂須弥壇後方の左脇の厨子内に安置され像高1メートル余り垂髻を結い頭髪部に毛筋彫はなく、左腕を屈臂して蓮華を執り右手は垂下して掌を前に向け、第一指をまげ他指をのばす。条帛・天衣を懸け、腰以下に裙を着け、腰をわずかに捻り、右足を少し踏み出す。衣紋については以前の公開の説明者は翻波式衣文と説明していたが、今回の川崎市教育委員会の解説のHPによると翻波式衣文が顕著に用いられる膝下の衣紋は一見よく似ているが、小波にあたる彫りがなく、厳密に翻波式衣文とはいえず、条帛や天衣にわずかに用いられる程度。このような作風から平安時代前期の作と判断できるとのこと。11月の後半の三連休に川崎市で本尊の公開があるとお寺から情報をいただいた。お寺の許可を得て聖観音や涅槃仏の撮影をして、御朱印と準西国稲毛三十三所観音霊場札所めぐりの本を購入した。5月2日までが開帳期間なのでいくつか気になる仏像もあるので期間中に訪れたいと思う。
2026年3月30日月曜日
特別企画韓国美術の玉手箱
本日(3月29日)天気もよいのでお花見がてら東博に特別企画日韓国交正常化60周年記念「韓国美術の玉手箱」-国立中央博物館の所蔵品をむかえて-を見に行った。展示される仏像は観音菩薩座像。左足を垂らし、右膝を立ててその上に腕を自然に掛けたいわゆる遊戯座の姿勢をとる13世紀の仏像だ。高麗時代の仏像の作例は本像が唯一とのこと。端正で厳粛な表情の顔と、すらりとした体の表現に、華麗な瓔珞装飾が加わった美しい仏像だった。高麗時代の仏像として大切に守られていたため13世紀像とは思えない金ピカの仏像でお国柄を感じた。合わせて高麗仏像として東博所蔵の観音菩薩・毘沙門天像小仏龕も展示されていた。韓国国立中央博物館の紹介動画もありかなりの石仏のコレクションがあり見に行きたいと思った。東博のHPで東洋館五階の韓国仏教美術も合わせて見る紹介がのっていたので、東洋館にも寄った。以前、大津歴史博物館で見た妙傳寺菩薩半跏像が展示されていた。古色で落ち着いた雰囲気の青銅の仏像で今回見た高麗仏よりより精緻な瓔珞があり像高は30センチと小ぶりながら光放ってていた。銅の90%に錫10%と日本や中国にない錫の含有率から7世紀の朝鮮半島伝来の仏像との論文がある。時代が違い木彫仏と金銅仏との違いがあるが、古色のありがたい仏像だと感じた。他にも三国時代や統一新羅時代の金銅仏も展示されていた。対馬仏像盗難事件からもわかるように日本各所に朝鮮半島伝来の仏像があると思われる。あらたな朝鮮半島伝来の仏像の発見を期待してやまない。
2026年1月2日金曜日
龍峰寺千手観音令和8年御開帳
本日、2026年元旦、実家に帰省する途中に御開帳の海老名龍峰寺に参拝した。海老名駅から徒歩25分の高台に龍峰寺の立派な社があった。御朱印を頼んだ社務所の女性に教えられて、収蔵庫の千手観音と再会した。2020年の秋に神奈川歴史博物館で特別展「相模川流域のみほとけ」で初めて出会ったが、その当時の学芸員神野氏の図録解説には奈良時代から平安時代の作と書かれており、にわかに信じがたかったが、その点を確認する訪問だった。桾の膝前に見える翻羽式衣紋、裙の正面打ち合わせ部の渦文、背面で一度たるませてから両肩に懸かる天衣等に単なる鎌倉時代の古像の模刻では片付けられない迫力があった。相模国風土記に書かれている清水寺の千手観音と同時に本像を作らせたという記載が信じられる迫力があった。元旦からいいほとけを見て海老名をあとにした。
2025年10月31日金曜日
龍見寺大日如来
本日仏像クラブ初の平日開催で八王子市の龍見寺の東京都文化財ウィーク1日だけの御開帳にでかけた。10時前にお寺についたが、すでに住職からの説明が始まっており、普段閉じられている扉が明け放れた厨子の中、大日如来・文殊菩薩・普賢菩薩を拝観できた。大日如来は平安時代末の作で像高88センチあまりの寄木造。漆箔、玉眼で条帛を懸け、裳をつけている。宝冠が当初のものか説明はなかったが、凝ったつくりで恐らく都の仏師の作であろう。作者は不明で「新編武蔵風土記」によると奥州湯殿山にあったが、住職の説明によると源頼朝奥州征伐に従軍した在地の豪族横山党が戦利品として持ち帰ったもので、もとは奥州藤原氏による制作のもの。またもう一説は横山党が鎌倉時代に土地の仏師に作らせたとのこと。また金箔は他の仏像より厚めに造られているとのこと。あとでご住職と話す機会があったので岐阜県の石徹白大師堂の例をあげ藤原三代秀衡の寄進が有力だと申し上げた。矜持は珍しく文殊・普賢で大日三尊とでもいうのだろうか。他には例がないとのこと。堂山という近く野山のほこらに祀られていたが里の曹洞宗の龍見寺の客仏として祀られていた。素晴らしい大日如来でお寺のHPにはかの有名な西村公朝氏によると銘があれば国宝指定されてもおかしくない作。奈良円成寺の大日如来より優れていると大絶賛だとか。仏像クラブの面々からも感嘆の声があがり、昼食でよった八王子の居酒屋でおおいに語り合った。
2025年10月12日日曜日
武蔵国分寺御開帳
昨日(10月10日)初めて武蔵国分寺の薬師如来を拝しに西国分寺に向かった。御開帳は法要終了後の11時からとInstagramの投稿があったので、先に近くの「潮(うしお)」という蕎麦屋で大海老天のランチ定食をいただいてから武蔵国分寺に向かった。国分寺市役所の向かいに案内板があり問題なく武蔵国分寺薬師堂についた。ボランティアの方など大勢の善男善女がいたが、わりあいゆっくりと拝観できた。薬師如来の両側には顔を護摩で黒光りした江戸時代の十二神将がおり、薬師如来の厨子の脇に室町時代の日光・月光菩薩が祀られていた。螺鈿細工と思われる扉が明け放れた厨子の中に大正三年指定の旧国宝重文の薬師如来が鎮座していた。御開帳ながらだれも説明者はいなかったは残念だったが、参拝者に渡されたしおりによると、薬師如来は平安時代末期の木彫寄木造。像高は約1.4メートルと半丈六で漆箔仕上げ。蓮華座に座し、印相は右手が施無畏印、左手に薬壺を持つ。台座・光背は後補。顔の凹凸が激しくあまり修復がされていないように思われた。先月佐渡国分寺で見た薬師如来に比べ見劣りするのはいなめないが、通常重文は収蔵庫に保存されているがここは厨子に納められ重文の薬師堂に安置されているので祈りの空間ができている。それでもここで多摩で平安時代の仏像がみれるのは貴重。近くには広大な旧武蔵国分寺跡の公園があり、奈良時代から信仰の場所だったことがうかがえる。今後も護り続けたい国の宝には違いないと思った。
2025年8月14日木曜日
特別展「江戸大奥」(祐天寺阿弥陀如来)
本日(8月13日)上野の東博に特別展「江戸大奥」を見に行った。行こうと思った切っ掛けは昨年の春に訪れた奈良興福院の「掛袱紗(かけふくさ)」がすべて展示されているとパンフレットに記載されていたからである。興福院には天平仏目当てにいったのだが、そこで購入したクリアファイルの柄が、今回展示の五代将軍徳川綱吉が側室お伝の方に贈り物を贈るのに包んだ袱紗だった。平日だがお盆休みで多くの女性客がつめかけていたが、春日局から天璋院篤姫や皇女和宮までの多くの女性の暮らし向きや調度品が展示されていた。その中には徳川綱吉の養女竹姫が祐天寺に寄進した江戸時代享保年間の阿弥陀如来も展示されていた。像高104センチの寄木造で腹前で両手を重ねた阿弥陀定印を結ぶ。仏師は小堀浄運で慶派仏師浄慶の子とされる。江戸時代の慶派の作品を見ることができた貴重な機会となった。天璋院篤姫の雀が画かれたみごとな小袿などを見て会場をあとにした。仏像の展覧会ではないが豪華絢爛な着物や調度品の数々に圧倒され飽きることなく鑑賞して閉館の時間になり会場をあとにした。
2025年6月1日日曜日
北総四都市江戸紀行(荘厳寺十一面観音)
本日、日本遺産北総四都市江戸紀行のひとつ佐原にある荘厳寺に仏像クラブで出かけた。JR東日本「北総春のキャンペーン」の一環で、臨時列車特急あやめ祭りで佐原の駅に降り立つと予想外の強風と大雨に見舞われたが、電話で事前予約していたので、収蔵庫の中に入れてもらえ、威厳ある十一面観音の立像に対面した。中には像高3メートル24センチの十一面観音で、平安時代の制作で香取神宮別当寺金剛寶寺の客仏。重文に指定された。明治の廃仏毀釈のおり横倒しになったため化仏の十一面がない状態で引き渡されたとのこと。台座と光背も後補だと留守番の寺男の案内人が教えてくれた。全体として破損が少なく、抑揚の少ない穏やかな像形は藤原彫刻の様式を伝えている。本堂も案内してもらったが、秘仏の不動明王と現代の「首だけ不動」等を見てお寺をあとにし、地元の酒蔵で角のみでおいしい日本酒を試飲し、駅前の鰻や「山田うなぎ店」でうな丼をいただき嵐の佐原を早々に後にした。
2025年5月25日日曜日
深大寺元三大師大開帳
昨日(5月23日)、調布の深大寺に行って元三大師大開帳に参加した。深大寺通りをお目当てのそば屋を探して歩き、5分ほどで山門の近く「蕎麦きよし」で、江戸前天せいろで腹ごしらえをしてから、参拝に向かった。平日にもかかわらず、境内は多くの参拝者で賑わっており元三大師像のチケットを購入するのに1時間もならんだ。やっとチケットとガイドブックを購入し、元三大師の中へ。中は薄暗かったが令和3年東博開催の「最澄と天台宗のすべて展」でみた良源(元三大師)の2メートル近い巨像と対面した。今回は奈良博の展示から帰ってお厨子に入る前の貴重な御開帳とのこと。少人数一列に参拝し、深大寺の僧侶の読経の流れる中願い事をとなえて無事参拝を終えた。後から知ったのだが民放のテレビのニュース番組で深大寺がとりあげられたのでこの混雑となった。ガイドブックによると鎌倉時代後期に鎌倉幕府の関与で日本最大の肖像彫刻が造られたとのこと。鎌倉時代末期は元寇で日本中が元異国調伏を行った時期。そのような目的で造られた像だが、実際の元三大師良源は平安時代の比叡山中興の祖。「最澄と天台宗のすべて展」図録コラムによると元三大師は寺院経営のうえでも豪腕をふるった僧侶であった。没後も比叡山内にあって内外を監視しているとか観音の化身であり不動明王の化身であるという信仰を生み出し、鬼大師、角大師、豆大師という伝説まで生まれた。今回の3年もの修理の中でわかったのが複数のネズミが像の中を住処として、中には聖教や書簡もあった。クリーニング解体剥落止め、材質強化を施したとのこと。2027年には深大寺の釈迦如来像が収まる白鳳堂が完成した暁には、また深大寺を訪れたいと思う。
2025年2月23日日曜日
特別展「大覚寺」①
本日は三井記念美術館の円空展に行く予定だったが、休館日のため銀座線で上野に出て特別展「大覚寺」を見にいった。大覚寺は嵯峨に位置する真言宗大覚寺派の大本山で、その歴史は約1200年前、嵯峨天皇が造営した離宮・嵯峨院からはじまる。第一章では嵯峨院と空海の交流から始まり、平安時代末に円派の仏師明円作の五大明王が間近で見られた。山本先生の鎌倉時代仏師列伝によると明円は平安時代末に院や平氏、摂関家の造像にあたった仏師で運慶の父康慶と興福寺の再興像を争った仏師だが、現存作はこの五大明王とのこと、その後は展覧会は狩野山楽作の障壁画や人気の刀剣など人気のコーナですでに10万人の来場者が訪問したのもうなずける。帰りに図録やクリアファイルを購入し会場を後にした。
2025年1月4日土曜日
影向寺に初詣
今年の3ケ日は仏像巡りの3日間だった。除夜の鐘を鎌倉浄光明寺で白不動を拝観し、2日目は上野寛永寺で薬師如来と十二神将(?)を格子越しに初詣をし、今日( 1月3日)は川崎の影向寺に初詣特別公開に行ってきた。影向寺には2015年に実施された川崎市指定文化財等現地特別公開事業で近くの能満寺とともに予約して拝観したが、今は旅行会社の企画するツアーのみの予約で一般の善男善女は大晦日・正月3が日と秋の縁日のみ公開とのこと。影向寺バス停から歩いて10分ほどして影向寺の仁王門の前についた。以前収蔵庫で仏像群を見たので絵はがきを売っている男性に聞いて3が日はあいているといわれたので、収蔵庫にむかった。ここ10年であらたに発見された仏像があったのか収蔵庫にところ狭しと仏像が並んでいた。中央に平安前期と思われる薬師三尊その周りを十二神将が囲むのは前に通りだが、破損仏や神像と思われる像も並んでいた。郷土史家の三輪氏によれば聖武天皇が光明皇后の病気平癒を願い行基が建立というお決まりの伝承があるが、考古学の見地からも影向寺の前身寺院があり、旧本尊の破損仏と思われる像高80センチの首がなく胸部から腹部にかけて豊かな量感を持つ破損仏があり創建が奈良時代に遡るのではないかとの見解だ。また収蔵庫で見た女神と男性神はタウンニュースによれば、本尊の薬師如来から戦後発見され代々の住職が保管していたとのこと。男性神は如来像で像高8.2センチ、損傷が激しいが金箔が残る。女神像は俗体で15.5センチ、柔和な笑みを浮かべ、平安後期につくられたものと推定されるとのこと。影向寺では3が日に写真も配布されると記事にあったが、購入した書き置きの御朱印と一緒に女神像の絵はがきが添えられていた。解説付き写真集も購入しお寺をあとにした。
2024年10月14日月曜日
大谷寺千手観音
本日仏像クラブで宇都宮にある大谷寺に参拝に行った。朝九時に宇都宮に集合し乗り合いバスに乗りまずは大谷石の石切場跡地の大谷資料館から地下にある石切場を見学し大谷寺に向かった。拝観料を払いご本尊の大谷寺千手観音に参拝した大谷石を削り千手観音の姿に掘り出された観音様があった。ナレーションの説明では大谷寺千手観音は像高4メートルお寺の伝承では平安時代(810年)弘法大師の作と伝えられている。古くから大谷観音と称され、鎌倉時代に板東19番目の霊場となり、多くの人々に崇拝されたとのこと。最初は岩の面に直接彫刻した表面に赤い朱を塗り、粘土で細かな化粧を施し、更に漆を塗り、一番表に金箔を塗る石心乾漆づくりで最新の研究では、バーミヤン大仏との共通点が見られることから、実際はアフガニスタンの僧侶が彫刻した、日本のシルクロードと考えられているとお寺のパンフレットに記載されていた。特別展文明の十字路を見てきた私とU案内人にとってはにわかに信じがたいが日本で一番古い石仏であることは確かのようだ。お寺には他にも平安から鎌倉にかけてうがたれた石仏もあり観光地としては十分楽しめる内容になっている、バスで午後に銅像阿弥陀如来拝観のため山を下りた仏像クラブの面々だった。
2024年7月17日水曜日
館仏三昧ミュージアム巡り④(静嘉堂@丸の内)
本日(7月17日)館佛三昧ミュージアム巡りの第三弾として世田谷から2年前に丸の内に移転してきた静嘉堂文庫美術館に慶派の十二神将を見に行った。展覧会は「超・日本刀入門REVIVE」という展覧会で昨今の日本刀ブームにのって静嘉堂文庫美術館が所蔵する鎌倉時代から江戸時代までの名刀の展覧会となっていて、いつもの仏教・仏像の展覧会より女性客が多くみられた。国宝「曜変天目」以外は写真撮影OKとのことで運慶作かと騒がれた慶派の十二神将7体を撮影した。パンフレット掲載の午神の表情をアップでとらえたり、静嘉堂文庫美術館中央ホールを背景に安貞2年の墨書がある、亥神を撮影したりと十分に楽しめた。交通の便がよくなったのでまた静嘉堂文庫美術館に行きたいと思った。静嘉堂@丸の内を後に、梅雨明け真近の東京駅に向かった。
2023年7月22日土曜日
宝山寺の不動明王
宝山寺は生駒山の中腹にあるお寺で江戸時代の僧で仏師の湛海が村人の寄進により再興したお寺だ。当初は般若窟に弥勒菩薩を安置し本堂を建てて自作の不動明王を、聖天堂を建てて自作の聖天像を安置した。日本初の大正時代に開業したケーブルに乗り生駒山中腹の宝山寺に向かう。門前町の坂を上り灯篭のある参道を上ると鳥居がありここが神仏混交のお寺だとわかる。お寺に着くと早速御朱印をいただくと今日は聖天童内陣の拝観可能とのこと。まずは本堂の不動明王・矜羯羅童子・制吨迦童子、薬厠抳、蓮華吉祥天女が薄暗がりの中だんだん目が慣れ浮かび上がってきた。聖天堂内陣では湛海作厨子入り五大明王が高さ80センチの木箱にところせましと祀られていた。中央の不動明王は17.9センチ前方に大威徳明王、降三世明王、後方に金剛夜叉明王、軍荼利明王が安置されこちらは明るいところでよく参拝できた。本堂、聖天堂は祈りの空間で熱心にお経を唱える善男善女の姿が見られた。35度以上の気温の中参拝してよかったと思った。ケーブルで近鉄の生駒駅に向かい奈良に向かった。
2023年4月29日土曜日
鳥越・蔵前美仏めぐり
先週の土曜日久し振りに仏像クラブで浅草にでかけた。今度もU案内人の企画で鳥越の長寿院の見返り阿弥陀と蔵前の仙蔵寺に予約を入れ拝観に行った。見返り阿弥陀と言えば京都の永観堂が有名だが、こちらのほとけさまは私には見返っているようにはみえず、少し横を向いていた。鎌倉時代の仏像で快慶の弟子行快の製作とのこと。お顔もユニークで人によりおこっているように見えたり笑ているように見えるとんこと。住職は微笑んでいるように見えるとのことでした。昼食後仙蔵寺は二時の約束だったので浅草の甘味処で御菓子を購入したり東本願寺の中に入って遠くから阿弥陀様を拝観した。鎌倉時代の美仏だったが法事で近寄れずに残念だった。午後の仙蔵寺も若い僧侶が案内してくて、銅色の大日如来や平安時代後期の薬師如来・三面大黒天や弁財天などを拝観した。説明になかったが三面大黒天は大黒天。毘沙門天・弁財天の三尊が合体した珍しい仏像だった。U案内人によるとこれで浅草の仏像はおしまいとのことだったが、こいだけお寺が集中している地区も珍しい、昨年と今年で二回仏像を堪能して大満足な仏像クラブの面々だった。田原町近辺で三々五々に帰宅した。
2022年11月13日日曜日
大倉集古館普賢菩薩
今月3日の文化の日、初めて大倉集古館に国宝普賢菩薩をみにいった。大倉集古館の普賢菩薩は東博の「名作誕生展」で見ており、スポットライトにあたった截金文様がきれいに残る平安仏だ。前の週に行った神谷町駅から坂をあがると中国風の建物がみえて来た。入場券を購入して上人像などを見てから2Fの展示室に古いエレベーターで向かった。普賢菩薩は東博で見た展示ケースに収まったいたので鑑賞した。ネットに名品図録解説として「普賢菩薩は『法華経』を信仰し受持する者を守護するとされ、その信仰が特に隆盛した平安時代中期から後期にかけて、多くの優れた画像や彫像が製作された。特に女人往生の典拠となった同教は女性貴族の間であつい信仰を集めた。(中略)保存状態は総じて良好で、本体はもちろん、台座の蓮華や象、その下の框にいたるまで造立当初のものである。鮮やかな彩色や着衣の各部にほどこされた細線な截金文様も、この期の華麗な趣をよく残している。頬から顎にかけてふっくらと膨らんだ面貌や、全体が丸みを帯びて小ぶりに造られた体躯の表現などは童子を思わせながら、顔立ちは崇高さえをたたえ、腕前で合掌する姿は敬虔で静謐な趣を際立たせる」山本勉先生は円派と断定しており、平安時代の貴族の女性の思いを一身に受けた菩薩像をいつまでも眺めていた。最近リニューアルされた地下のミュージアムショップで普賢菩薩のクリアファイルを購入し、大倉集古館をあとにした。
2022年11月3日木曜日
増上寺三解脱門
先週の土曜日「増上寺三解脱門公開」にあわせて仏像クラブで港区愛宕の寺社と三解脱門拝観に出かけた。愛宕神社の出世の石段などを巡り増上寺に着くと三解脱門に受付とロッカーが設置されており、U案内人の話ではカメラは持ってきてよいとのことで、身軽になりほぼ垂直な設置された階段を三解脱門にあがった。増上寺三解脱門は東京にありながら、関東大震災にも空襲でも焼けなかった奇跡の門で400年前の江戸が壇上に広がっている。中央に釈迦三尊、周りに十六羅漢が配され壇上にいた説明者によると室町末期から江戸時代にかけての製作とのことだったが、山本勉先生の「仏像」によると宿院仏所の宗院で美術史的には織豊政権から豊臣氏滅亡の慶長20年までの桃山時代、政治的には江戸幕府開設間もない時期につくられたとのこと。宗貞・宗院は奈良金峯山寺の蔵王権現を製作した仏師だが、荒らしい蔵王権現と違い徳川政権誕生で戦国が終了した当時の世相を反映してか穏やかな釈迦如来となっているが、山本先生によると、鎌倉時代初期の快慶作品に学んだ端正なまとまりがあり、奈良の地の長い造像伝統が突然花開いた観があるとのこと。よく見ると肩のあたりに快慶御得意の截金文様がほどこされている。このころは造仏活動も盛んで運慶の末裔七条仏師の東寺での活躍もあり注目すべき仏像は多い。これから東京の仏像も丹念に見ていきたいと思った。
2022年4月3日日曜日
入谷浅草大仏巡り(西徳寺阿弥陀如来)
先週の土曜日U案内人の企画で入谷浅草大仏巡りに仏像クラブで出かけた。生誕150年の樋口一葉記念館によってから、以前よりFaceboookで拝観を申し込んだ西徳寺に向かった。お寺の担当者が事務所に待っていてくださり本堂で仏像を拝観させていただいた。西徳寺は京都にある仏光寺の末寺が関東に江戸時代に移転した浄土真宗のお寺で本尊の阿弥陀如来は像高99センチで肉髻珠・白毫に水晶がはめ込まれている鎌倉時代の仏像とのこと。。台東区教員委員会によると典型的に鎌倉初期に活躍した快慶の阿弥陀如来の形だが、本像は基本的にその形に従いながら、着衣の形に変化がつけられている。衣文線の型式化あわせて考えると鎌倉時代後期の製作と思われるとのこと。私は顔の形から京都国立博物館でみた南河内金剛寺の大日如来を思い出した。平安時代の作だが脇侍の不動明王を快慶弟子行快が製作したことから東寺の帝釈天のように行快も平安時代の大日如来を補修したかもしれない。そうなると京都由来の阿弥陀如来の製作が行快かもしれないと思った。お寺の方に御朱印をお願いすると西徳寺の伝来と寺宝の写真が載っている「西徳寺物語」を用意いただいており一同感激してお寺をあとにした、その後浅草に満開の桜を見ながら、金銅製の地蔵や釈迦如来などの大仏巡りをし浅草寺近くのそば処「十和田」にて大いに盛り上がった仏像クラブの面々だった。
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