2023年5月28日日曜日

特別展「東福寺」④(万寿寺の金剛力士像)

 

三聖寺から東福寺に伝えられた鎌倉時代の伝運慶の金剛力士像である。運慶研究の第一人者山本勉氏は四天王の多聞天については運慶作品の可能性を示唆しているが、同じ東福寺金剛力士像についての言及はなかった。ニコ生美術館でしつこいほど出品作三聖寺古図で説明していたが、南に描かれていた、山門に安置されていた仏像だ。写実的筋肉表現、迫力ある形相、動きのある体勢など慶派仏師の特色を示す。通常南面する門の左側に阿形像、西側に吽形像が置かれるが、この像は逆である。その点は東大寺金剛力士像と共通する。ただし顔の向きからして、二躯は南を正面して置かれたとみられ、門の両側で向かい合って置かれる東大寺像と異なる。展覧会の最後に置かれていたので少ししか見なかったが、なかなかの出来栄えから運慶の息子や弟子の作品であろう。


2023年5月21日日曜日

特別展「東福寺」④(迦葉・阿難像)

 

明治14年の火災の翌日早速遷仏場ににもってこられたのが、釈迦本尊と迦葉阿難像だ。東福寺山内の万寿寺からもってこられた三体の仏像は元は廃寺となった三聖寺の仏像で禅宗寺院では釈迦から迦葉・阿難と仏教教団が引き継がれ達磨大師が中国に禅宗をもたらし、中国僧から道元・栄西・円爾にもたらされた。迦葉は釈迦より年長者である日釈迦が無言で華をつまんでみせたが他の弟子はわからなかったが迦葉だけはにっこり釈迦の心を理解したという。手塚治虫のブッダではカッサバ仙人であらわされているが、本像では眉がふさふさに伸び厚みのある浮彫で表し、目は大きく見開き、目尻が垂れる。鼻は鷲鼻、皺の多い老人僧として表現されておりニコ生美術館で浅見学芸員が唇と顎との間のある筋肉が貝のような皺と表現されていると紹介されていた。手塚治虫のブッダでは悪党アーナンダで登場する阿難の鼻の高さにも触れ、女子にもてる美男子とニコ生サポーター受けするコメントで紹介されていた。図録の解説では宋風の影響を受けた彫刻とあっさり表現されている。いろいろ興味がつきない展示だったが、四天王も気になるのでその場をあとにした。

2023年5月14日日曜日

三浦三十八地蔵尊御開帳巡礼

 

5月13日土曜日仏像クラブで三浦三十八地蔵卯年御開帳巡礼のため、京急馬堀海岸駅に集合した。駅で卯年御開帳記念ウォークの地図付きパンフを各自もって最初のお寺は29番札所馬堀の由来になった浄林寺だ。室町時代の創建のお寺で本尊は阿弥陀三尊、馬頭観音などを見てお地蔵さまに参拝、御朱印をいただいた。お目当ての大泉寺に歩いて向かったが集中豪雨に会い何とかたどり着いた。大泉寺の地蔵尊はこの卯年御開帳のポスターになっており、大きい印象を持っていたが見ると以外に小さいが室町時代初期のしっかりした造形を形作っている印象だった。昼食は予定を変更し旅館もやっているレルトランで和定をいただいた。横須賀観光を経て希望者のみ運慶仏の地蔵菩薩がある満願寺に向かった。ナビのおかげでたどりつくことができたが、やはり運慶の岩戸地蔵はすばらしかった。観音もともに像高185センチの大作で仏の瀬谷さんがいった頼朝創建説を再確認できた。帰りはバスで京急北久里浜に戻り帰路に就いた。

2023年5月7日日曜日

特別展「東福寺」③(二天像)


昨日(5日)、再度東博に特別展「東福寺」を見に行った。予備知識なしで鑑賞した3月とは違い、ニコ生美術館で東博学芸員の二時間の解説を聞いて臨んだので、細部の見どころまで逃さず鑑賞できた。明兆の達磨図蝦蟇・鉄拐図が白衣観音図に変わっていたり、十六羅漢図の展示が終了していたりと多少の展示替えはあったが、仏像のコーナーは変更ないので問題なかった。改めて333センチ余りの二天像の大きさをすぐ近くで感じることが出来てよかった。東福寺でみた本尊は元は廃絶した三聖寺にあったといわれているが、三聖寺の二天像は室町時代に焼失しているのが再興像というには作風が明らかに慶派で、鎌倉時代に制作されどこからか東福寺に運ばれたものだという。1089ブログに書かれていたが、明治初めまで7.5mの釈迦如来座像。また観音・弥勒座像と四天王が今の二天像とほぼ同じ大きさであったというのは驚きだ。残念ながら写真は残っていないが、あの東福寺の法堂の大きさに収まる仏像がひしめいていたようだ。あらためて東福寺の圧倒的スケールを感じさせる仏像だった。