2020年5月31日日曜日
元興寺の南無太子像
元興寺にはみるべき仏像が多い。元興寺の南無太子像もそのひとつだ。見仏
記によると「きりりと利発な表情」をしているとのこと。誕生仏好きなみうらじゅん氏に「太子像は飢えた虎に餌をやるようなもの」と書かれていたがなぜこの仏像と誕生仏が結びつくのだろうか。単にベイビーを思い起こさせるだけではなくちゃんと意味がある。そこを仏の瀬谷さんは聖徳太子信仰展で解説してくれる。「二歳像は南無太子像とも呼ばれ、東に向かって南無仏と唱えたところ、手に仏舎利が顕れた様子を造形化しています。仏教の原点回帰において釈迦の誕生仏とともに、仏舎利も重要視され、舎利信仰が生まれました。二歳像はそれを取り込んだもので、鎌倉後期に数多く造られています。」とのこと。一度衰退しかかった元興寺を復興させたのが西大寺の叡尊が開いた真言律宗でここに南無太子像があるのは当然といえる。そんなことを考えながら元興寺をあとにした。
2020年5月1日金曜日
東大寺法華堂の梵天
2月に東大寺戒壇堂に参拝したのち寒風の中、法華堂に向かったがいつのまにか真冬の日差しがあたり暖かく感じ御堂への道を急いだ。中に入ると像高4メートルを超える大きな仏像群が迎えてくれた。私は以前お寺の関係者から説明を聞いたとき腰かけた、奥行き深い畳の敷いた段に腰かけ仏像群を見上げていた。中央に八臂の、いかにも強い法力に満ちて見える不空羂索観音立像。その左右に梵天と帝釈天。目の前には金剛力士が二体と四方に四天王の都合六体が警護をする。見えている像はすべて乾漆、奈良時代の傑作だ。この仏像群の中ではやはり目立つのが4メートルの梵天と帝釈天だ。中でも武装した梵天に目が行った。本尊の不空羂索観音(362センチ)より40センチも背が高くなっている。前から思っていたが、同じ堂内に本尊より大きい仏像があるのは少し不自然だ。不自然さはそれだけでなくこの法華堂のような組み合わせは他にない。梵天が左手に経巻を持ち、大きな中国風の衣の下に甲冑を着ているようにつくられているが、甲冑がないのが梵天という通説に反する。私が思うには遣唐使が盛んなこの時代は中国からダイレクトに新しい仏像の作風が持ち込まれ、その後本場中国では消滅した配置がここ奈良で時が止まったように1300年前の仏像が存在しているからだろう。そんなことを考えながら法華堂をあとにした。
2020年4月20日月曜日
東大寺戒壇堂の広目天
2月に元興寺に拝観したあと、少し遠いが歩いて東大寺拝観に向かった。東大寺南大門をくぐり、戒壇堂を11年ぶりに拝観した。入口で拝観料を払うと渡されたパンフの表紙が広目天になっていた。前回訪れたときは入江泰吉記念館で広目天の怖い目をした大きな写真を見たあと向かったため恐れを感じたが、小振りの塑像で頑張って守っている姿に頼もしさを感じた。薄暗くてよく分からなかったが、広目天の肩には獣の口があり、革製を思わせる胸当てもバランスよく配置されていた天平甲制だ。ミズノ先生の「仏像のみかた」に書かれていたが、日本の甲はワンピース型でへそや急所を守る部分を一枚の板にしているためデザインとしては単純でかっこいい。この広目天も帯を締めるだけになっており実戦で暴れれば板が落ちてへそや急所をつかれてやられてしまうとのこと。4体の仏像しかない戒壇堂だがいろいろ見どころが多く長いしたかったが、寒さが身に染みるので法華堂に向かった。
2020年4月15日水曜日
元興寺の阿弥陀如来
2月に訪問した元興寺の阿弥陀如来は平安時代10世紀の作で室町時代に焼失した多宝塔から本堂に移された記録がある。元興寺の仏像と言えば八世紀の薬師如来が有名だが、こちらは見仏記によると幼い風貌の阿弥陀如来とのこと。本像は半丈六の座像でケヤキ材の一木造りで衣の襞や身体のしわなど、一部に塑土を併用してふくらみをだし、金箔を押されている。堂々として体躯の柔らかい表情を持つ仏像だ。袈裟の着方は変則的な偏袒右肩(へんだんうけん)でミズノ先生によると中国河西回廊で流行った仏像の様式で「涼州式偏袒右肩」といわれている。寒い地域で流行った仏像の着衣形式で肌の露出を避ける点で日本人に受け入れ易かったのだろう。印相はいわゆる来迎印で親指と人差し指を接し、右手を上にあげて、左手を下げている。ゆったりとした時間でゆっくり鑑賞できて満足して元興寺をあとにした。
2020年3月21日土曜日
10年ぶりに再会した元興寺如意輪観音
十輪院拝観後向かったのが南都七大寺の元興寺。元興寺は日本初の本格的 寺院法興寺が起源で平城京に移された寺院だ。曼荼羅が本尊の本堂の拝観をサッと済ませて宝物館に向かった。平安時代の阿弥陀如来を拝観してお目当ての如意輪観音に向かった。実は10年前の三井記念美術館で開催された「奈良の古寺と仏像展」で初めてこの如意輪観音に出会い魅力に引き込まれた。その後数々の如意輪観音と出会うため鎌倉来迎寺・飛鳥橘寺・室生寺と巡ってきた。このブログにもいつか元興寺を訪ねて再会したいと書いていた。如意輪観音は鎌倉時代の作で質の良いヒノキ材を用いた寄木造で玉眼を嵌入(かんにゅう)頭髪や唇に彩色をするほかは素地仕上げの壇像風の仏像だ。髻には丁寧に髪筋を刻み、俯きかげんに少し下を向けた顔には、切れ長の目やくっきりと引き締まった鼻や口元が気品漂う表情を醸し出している。如意宝珠や輪法などのそれぞれ持物をもった複雑な腕の動きと体のバランスも良く、鎌倉仏らしい端正さと調和美をもった秀作だ。10年ぶりの思いとげて満足して奈良をあとにした。
2020年2月29日土曜日
十輪院の地蔵菩薩
特別展「毘沙門天」を見た後、午後はならまち散策と決めていた。元興寺の 近くのお寺を調べていたら、以前TV見仏記で放送された十輪院が近くにあることがわかった。ここは石仏龕(せきぶつがん)が見どころで、花崗岩を組み合わせて造られた高さ2メートルぐらいの石の厨子だ。感じのよさそうなご婦人に拝観料を払い説明をうけた。中央の石板に本尊地蔵菩薩がレリーフで浮き上がっている。右手を降ろす形の与願印を示し、平安時代に彫られたとされる石仏だ。地蔵の左右には十王。厨子の扉に似た左右の石版にはビザンチン美術を思わせるレリーフの細かな、首をかしげた釈迦如来、そして線にエメラルドグリーンが見事に残る弥勒菩薩それに持国、多聞の二天がはさみ、最も外側には阿吽の金剛力士。ご婦人の説明によると手前ある平たい石は引導石と呼ばれていてそこに御棺おいて死者をあの世に送ったとのこと。すべてのほとけさまの目が引導石を見ているという構図になっっている仕掛けだ。TV見仏記で放送された住職に説明をより詳しく案内いただきこの石仏龕の魅力に引き込まれた。心地良い気分で御朱印をいただきお寺をあとにした。
2017年7月30日日曜日
璉珹寺の阿弥陀如来
5月に奈良に行ったとき、福智院へ向かう道すがら「璉珹寺御開帳」と達筆 で筆で書かれた紙を何度も見かけた。「璉珹寺」とは「見仏記」でみうらじゅん氏がイラストを描いた半身裸の阿弥陀如来がいらっしゃるお寺だと気づき、福智院の後急遽訪問することにした。お寺にはご開帳の日らしく大勢の檀家の方々が詰めかけており、本堂に招かれた。中には中央に半裸の阿弥陀如来、右には観音菩薩が祀られていた。阿弥陀如来は顔も体も白っぽい肌色に塗られていて艶めかしく、下半身にはいたハカマは絢爛たる柄物。顔の造作は大きく、ゆえにおおらかさや慈愛が強調されている。頭髪のゆるいうねりは縄状で清凉寺式なのだが、それがこの仏の場合パーマのようにも感じられて女性的に見える。一説には光明皇后がモデルだともいわれるのは当然のことだろう。本尊の右に、黑く締まった体つきの観世音立像があり、こちらは少し吊り目で精悍な顔つきをしていた。お寺のかたによると東博で開催された仏像~一木に込められた祈り展に出展されたことがあるとのこと。みうらじゅん氏によれば「ダルビッシュ系」だそうだ。思いがけずいい仏に出会え結縁できたことに満足して奈良駅に向かった。
2017年5月6日土曜日
福智院の地蔵菩薩
快慶展の日帰り旅行を計画していく中で、当初から訪ねたいと考えたのが奈 良町の隣の福智院の地蔵菩薩だ。新TV見仏記でみうらじゅん・いとうせいこうが訪ねた像高2メータ70センチの巨大な鎌倉時代の仏像だ。拝観を希望するものは鐘を2度鳴らす段取りになっており、鳴らすと見仏記に登場した次世住の奥様が現れお堂をあけていただいた。丁寧にお茶を振舞いいただき地蔵菩薩の説明をしていただいた。見仏記によると地蔵菩薩の足の組み方は安座という形になっていて「すぐに立って救いに行く」という姿なのだという。慶派の康慶がリードして作らせたと言われ、肌色に赤い衣を着ていたらしかった。奥様の説明によると宣字座という箱型の台座は本来如来が使用するが福智院のお地蔵様は56億7千万年後に如来となることを約束されているいわゆる弥勒信仰のもとに許されているとのこと。光背は千仏光背で大小あわせて560体あり化仏6体と坐像本体を足せば567体になるという。化仏の太山王と閻魔大王も間近で拝観させていただいた。見仏記でこのお寺のことを知ったとお伝えしたところうれしそうにされている奥様の笑顔が印象的だった。いい仏像に出会い心穏やかになりお寺をあとにした。
2016年5月4日水曜日
秋篠寺の梵天
平成25年に「なら仏像館」を訪れた際、奇託品の秋篠寺梵天に出会った。秋篠 寺は「東洋のミューズ」といわれる伎芸天で有名なお寺だが、この梵天も同じく頭部は奈良時代の脱活乾漆造、体は鎌倉時代の木造という仏像だ。お寺の伝承では梵天になっているが、体は甲(よろい)をつけた上に条帛(じょうはく)をかけ裙(くん)をつけており、帝釈天を思わせる仏像だ。秋篠寺には帝釈天も伝わっており、よくある取り違えのように思われる。当時はうす暗いガラスケースのなかでの展示だったが、すばらしい造形に圧倒された記憶がある。こちらの日本仏像展に出展されるとの事、鎌倉時代の仏師の技術の高さに多くのイタリア人が感嘆することだろう。
2016年4月29日金曜日
なら仏像館の十一面観音
平成25年にはじめて「なら仏像館」(奈良国立博物館本館)で出会ったのが、こ の十一面観音だ。芳香を発するビャクダン材を用いて一尺三寸という経典に忠実な高さで作られた奈良から平安時代に製作された重文の仏像だ。細身の体つきながらひじを外にはってゆっくり下ろす造形が平安時代の充実した威風を感じさせると奈良博のHPに書いてあった。小像ながら細かい装飾には目を見張るものがあり、東博東洋館で見た「三蔵法師の十一面観音」に通じるところがあるが、装身具の一部などに別材製のものを貼り付け、頭髪に乾漆を盛るなど、唐の作例にみられない技法が採用されており、日本国内での製作とする意見が定説だ。最近文化庁が発表したイタリアで開催される「日本仏像展」に出展される奈良博所蔵の十一面観音はたぶんこの仏像ではないだろうか。すばらしい造形で多くのイタリア人を感動させるに違いない。
2013年11月9日土曜日
林小路町自治会の弥勒菩薩立像
今年の春、奈良国立博物館で印象に残ったのが、この弥勒菩薩立像(みろくぼさつ りゅうぞう)だ。鎌倉時代の仏像の像高の計り方は、髻の天辺まで数えて3尺(1メートル余)あり、蓮華の台座が二つに割れる踏割蓮華(ふみわりれんげ)に乗っている。踏割蓮華は仏が歩いたところに花が咲くことを表現した台座で、東博の観音菩薩立像も踏割蓮華だ。髪などを除きほぼ全身、快慶が得意とする金泥(きんでい)塗りで、そこからも快慶工房の作風に近いといわれている。着衣部分には繊細な切金文様を施している。この仏像は林小路自治会から奈良博に預託されている仏像で、鎌倉国宝館の十二神将のように人々により大切に守られてきた仏像なのだろうか。来春には休館中の鎌倉国宝館の十二神将が奈良国立博物館で展示される。ふたつの仏像の競演が楽しみだ。
2013年10月20日日曜日
室生寺の未神
奈良国立博物館には多くの「寄託品」(よたくひん)と呼ばれるお寺から預かった 仏像がある。昔は興福寺の阿修羅や法隆寺の百済観音などが預けられていたが、お寺の展示施設が充実するとともに、減ってきているとのこと。そのなかでもまだ奈良国で見れるのが、この室生寺の十二神将のうち2体の未神と辰神だ。室生寺の十二神将をこよなく愛したのが、写真家の土門拳だ。土門拳はおのおの特徴をつかんでニックネームをつけていたとのこと。この未神は「はてな」とつけたそうだ。奈良国の図録によるとそれぞれ干支を頭に乗せている十二神将だが、この大将たちは顔まで干支の動物に似せてあるとのこと。この秋室生寺を訪れる予定だが、大将のそれぞれの特徴と顔に注目して拝観したいと思う。
2013年9月28日土曜日
康弁の龍燈鬼
興福寺国宝館は慶派仏師の作品の宝庫だが、なかでもユーモラスなのが、運 慶の三男康弁が造った龍燈鬼だろう。胎内より康弁作との書付がでた仏像だ。みうらじゅん氏によると、四天王に踏まれていた邪鬼が、「ソロデビュー」したのがこの天燈鬼・龍燈鬼だそうだ。龍燈鬼は頭上の灯籠をのせ、上目づかいにそれを見る表情がなんともユーモラスだ。のこぎり状の眉は銅版を切ったもの、眼はもちろん牙も水晶製だ。あごにはひげを生やした穴があるという。康弁にはこの像の他に現存する作品は知られない。若くして早世したのか、慶派を放逐されたかはわからないが、彼の作品をもっと見たかった。いずこの寺にひっそりと残されている彼の作品が発見される日を夢見て阿修羅の待つ八部衆のコーナーに進んだ。
2013年8月17日土曜日
浄土寺の阿弥陀如来立像(裸形像)
なら仏像館で金剛寺の降三世明王の次に出会いを楽しみにしていたのが、 兵庫県浄土寺の「阿弥陀如来立像」(裸形像)だ。平成22年に浄土寺を訪れた際、快慶の阿弥陀三尊像に感動したが、この裸形像も快慶作とのこと。切れ長の眼の形づくる理知的な風貌(ふうぼう)や、みずみずしい張りのある肉身表現に、快慶の作風が顕著(けんちょ)に示されている。金というより、独特な黄色を感じさせる鎌倉時代作。像高は200センチを超えるものの、どこか誕生仏を思わせる上半身裸体の仏像である。現在はなら仏像館に預託されているが、西日があたるこの阿弥陀如来が光輝く様を想像しながら、拝観した。
2013年7月14日日曜日
弥勒寺弥勒仏坐像
奈良国立博物館では、金剛寺の降三世明王以外にも特別公開された仏像 がある。それがこの弥勒寺(みろくじ)弥勒仏坐像だ。平成21年奈良教育委員会による調査で、見出された仏像だ。昨年一気に重要文化財までスピード出世し開催された新指定重要文化財展が上野の東博で開催されたおり展示されたようだが、見逃してしまった。やっとここ奈良博でのご対面となった。像高1メートル50センチの大きな仏像で、いわゆる半丈六(はんじょうろく)だ。羅髪が青紫色なのは後世の補色なのか。一木彫像で、太い造りであるが彫口は穏やかで、表情もやさしい。印相は施無畏・与願印(せむいよがんいん)で左手に宝塔を持つ。「なら仏像館」図録によると「重量感のある造形だが、ロープ上の衣紋(えもん)を整然と配する形式や、小さめな目鼻を顔の中央に寄せて表す点、足首を膝頭より奥にぐっと引くところなど、平安時代中期の作風が顕著である。」とのこと。私の好きな新薬師寺の薬師如来に続く秀作だ。大きな仏像に圧倒されいつまでも見入っていた。
2013年7月7日日曜日
東大寺不空羂索観音菩薩
奈良へ出掛ける数日前、東大寺法華堂の一般公開が3年ぶりに開始され、 その仏像修復の様子を伝えるテレビ番組を見た。明治以来の修復で、仏像も綺麗に修復された画像に目を見張った。当初予定していないかった法華堂に興福寺拝観を終えて向かった。平成20年に修復前の法華堂に行って感動したが、その時おられた不空羂索観音菩薩(ふくうけんさくかんのんぼさつ)の脇侍の日光・月光菩薩は保存のため東大寺ミュージアムに移っていたので、堂内の印象では仏像と仏像のあいだに隙間があると言われていたが、さほど気にならなっかた。ほこりが落ち輝きを増した不空羂索観音菩薩は三目八臂(さんもくはっぴ)でひたいにある目は真実を見抜く目だろうか。特異な造形ながら不自然さを感じさせない。今回の修復で、基壇のあとから8体の仏像がかつて乗っていたことが解った。秘仏の「執金剛神像」と「日光・月光菩薩」そして戒壇堂の「四天王」だ。今回はかつての光景を想像しながら鑑賞した。法華堂には他に見るべき仏像が多い。天平の鳳凰の彩色がほどこされた梵天。イラン人の風貌を持つ金剛力士阿形は逆毛だった怒髪も補修されてきれいになっていた。LEDが入っていないので、うす暗いお堂の中を目をこらしてリニューアルした法華堂の諸像に酔いしれて、東大寺をあとにした。
2013年6月15日土曜日
山田寺の仏頭に再会する
奈良国立博物館の後、昼食をすませて興福寺に向かった。まず最初に向か ったのがリニューアルした興福寺国宝館だ。以前奈良を訪れたときも入ったが、その後「国宝阿修羅展」を機に館内の照明や展示方法をリニューアルし、生まれ変わった。館内に入るとまず探したのが、あの山田寺の仏頭だ。白鳳時代の青年貴族の面影が漂う名品だ。国宝館では露出展示されており、劇的な照明に映し出されて、輝いて見えた。山田寺は大化の改新の功績があった蘇我倉山田石川麿の創建と伝えられる寺だった。しかし蘇我倉山田石川麿が暗殺されたため、その後寺は荒廃し、鎌倉時代に興福寺の僧たちにより盗まれた薬師如来が日光・月光菩薩とともに興福寺に移されたいわくありげな仏像だ。その後火災で焼失した際、奇跡的に頭部だけが残り、昭和12年に発見されるまで500年もの永きにわたって忘れ去られた存在だった。女帝の思い・寺院勢力による強奪や火災など数多の苦難がその顔に刻み込まれており、それでもなお遠くを見据え続ける凛(りん)とした表情は多くの仏像ファンを虜にする白鳳時代の逸品だ。この秋東京芸大美術館で「興福寺仏頭展」が開催され、東金堂の十二神将と一緒に上野で会えることになっている。みうらじゅん氏やいとうせいこう氏が仏頭大使に任命されキャンペーン展開中だ。上野で十二神将に囲まれた仏頭を今から楽しみにしている。
2013年6月8日土曜日
金剛寺の降三世明王
特別展「當麻寺」のあと、地下道のミュウジアムショップで図録を購入した あと、「なら仏像館」に向かった。「なら仏像館」は奈良博の旧本館を一部改装してリニューアルした施設で奈良の各寺院からの奇託品の仏像が多く展示されている美術館だ。私が注目したのが特別公開されている南河内金剛寺の降三世明王だ。お寺では、大日如来・不動明王とともに三尊形式で、祀られている。最近不動明王から快慶の弟子「行快」が作者であることが判明している。通常は多面多緋(ためんたひ)で表されているが、金剛寺降三世明王は二眼二匪だ。第三室に入ると降三世明王がライトに照らされて、目の前に現れた。すばらしいの一言に尽きる。左手は拳を結び、右手は五鈷杵を持つ。きりりとした眉が印象的だ。私はしばらく見入ってその場を動けなっかた。午後の拝観もあるので、昼食をとりに奈良博をあとにした。
2013年6月1日土曜日
當麻寺の持国天
今日仏像クラブで奈良国立博物館で開催の當麻寺展と南円堂北円堂同時開帳で沸く興福寺、三年ぶりに拝観が再開した東大寺法華堂を見に奈良へ出かけた。午前中は奈良国立博物館で當麻寺展を鑑賞した。入るとすぐ目の前に白鳳時代の當麻寺四天王持国天が迫って来た。像高ニメートルはゆうに超える飛鳥時代後期の脱活乾漆像だ。図録によると、明治時代に大幅な修理が施され、その前の状態は惨憺(さんたん)たる状態であったというのが信じられないくらいすばらしい。一体でもこの迫力だから四天王が揃ったらどうなるのだろう。當麻寺はこの展覧会を期に本堂内にLEDを導入したらしい。當麻寺に行く機会があったら、光り輝く仏像郡を見に行きたいと思った。展覧会を見終え、同じ敷地内にある「なら仏像館」の入場券もチッケットについていたので、そちらに向かった。
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